#16 一途なセフレ
「大和くん、連絡先交換しませんか?」
大和と川遊びから戻った奈々未は、大和の隣の席をキープしてスマホを握りしめ、上目遣いで大和を見つめていた。私の目の前で。
イケメン主演のB級映画でも見ている気分になった。
「ごめん。今は女の子と連絡取る気ないから」
「え、でも葉月とは取ってる」
「ああ……葉月は別」
ぎろりと奈々未に睨まれて、ぼやっと眺めていた目を慌てて逸らした。
「大和くん、葉月のこと好きなんですか?」
大和。お願いだから、唇を尖らせてそう聞く奈々未のことを「可愛いな」くらい言ってあげて。
そうじゃなきゃ、店のお客が一人減ってしまうかもしれない。
「さあ?どうだろうな」
私の願いも虚しく、大和は意味深な笑みを浮かべてはぐらかした。
「じゃあ私に大和くんと付き合うワンチャンス、ありますか?」
大和は、食い下がる奈々未に辟易するように笑った。
「いや……悪い。俺、今待ってる人がいるんだ」
「待ってる人?」
「俺の気持ちは届いてるはずなのに、恋愛に尻込みして一歩踏み出せない小心者」
「はぁ?小心者!?」
自分のことを言われたであろう言葉が気に入らず、私は思わず威勢よく口を挟んでしまった。
大和と奈々未の視線が刺さる。
「誰も葉月のことだなんて言ってないだろ」
「そうよ。葉月には関係ないの。黙ってて」
私は白々しく笑う大和を睨みつけながら、仕方なく口を閉じた。
「その小心者が俺の腕の中に飛び込んできてくれるのを、俺は待ってるんだ。いつになるかわからないけど」
大和は弱々しく笑った。
「だから悪いけど、俺のことは諦めてほしい」
やんわりと断られたというのに、奈々未はどこかうっとりとした顔で「はい」と声を絞り出した。
まぁいい。誰も汚れず、誰も傷つかずにすんだ。
「彼女がいる」でも「好きな人がいる」でもない。
「待っている人がいる」。変化球が効いているけど当たり障りなくて、奈々未に余計な期待を持たせない言い訳。
奈々未にとっては大和が片思いしてるようにも取れるけど、〝片思い〟よりもまろやかで濁した言葉。
自分も切ない。でも大和くんはもっと切ない。
そんなふうに思えばきっと諦めやすい。
これなら、奈々未に角が立たず、店の客が一人減ることもない。
大和に「グッジョブ!」と親指を立てたい気分だった。
バーベキューは無事終わり、片付けを済ませて解散となった。
酒の酔いが残った池田はすみれに手を引かれ、奈々未率いる量産型女子たちと男子たちはまだ騒ぎながら河原を歩く。私と大和はその後ろを、少し間を空けてついていった。
とっぷりと日が暮れて、空はオレンジ色に色づいていた。どこかでヒグラシが鳴いている。
哀愁を帯びた鳴き声は、大和の弱々しい笑顔を思い出させた。
「待ってる人がいる」大和はそう言った。
「恋愛に尻込みして一歩踏み出せない小心者」が私だとしたら、その望みは薄いのに。
来るかもわからない待ち人を待つなんて、忠犬ハチ公じゃあるまいし。
腕を広げて待つ大和が容易く想像できた。
その腕は、待ち続けた思いを伝えるかのように温かいんだろうな。
奈々未たちと河原の入口で別れ、バイクを停めた近くの駐車場まで二人で言葉を交わさず歩いた。
「なぁ、葉月。あれ、嘘」
バイクのシートに先に跨り、ヘルメットを両手に持った大和がふと言った。
「え?なにが?」
私は突っ立ったまま、聞き返した。
「誰も葉月のこと言ってないだろって言葉。小心者って葉月のこと」
知ってた。私は何も言い返せず視線を落とした。
「それに、葉月のことすげー好き」
胸の奥深くに直球が投げ込まれてきた。
奈々未に投げた変化球なんかとは違う。甘くて期待を持たせる言葉。
「葉月が恋愛できるようになるまで待ってる」
気づいたら私は、瞬きも忘れて大和を見つめていた。
身体だけではなく、私の気持ちごと大切にされている気がして、胸の奥がじんと熱くなる。
「俺の〝好き〟は怖くねーから、不安にならなくて大丈夫だよ」
そう真剣に伝えてくれる目は優しくて、うっかり自分の気持ちをこぼしそうになる。
「大和、私ね……」
大和が私の言葉を待っている。
黙って、わずかに期待するような目で私を見つめながら。
「私……あの……」
言葉がうまく紡げない。
「……今日は、大和に来てもらえて嬉しかった。ありがとう」
大和は少し期待外れだったように寂しく笑ってから、それでもゆっくり笑みを浮かべた。
私は視線を泳がせた。
「せっかくだから二人で川で遊べばよかったね。あ、でもそんな関係じゃないか……」
驚くくらいがっかりした声が出た。
大和は手に持っていたヘルメットを置いて、バイクから降りた。
「遊ぼうぜ。今から」
そう言うと大和は私の手を取って、来た道を足早に引き返した。
昼間は人の姿と笑い声でいっぱいだった河原も、今はわずかな人影を残して静まり返っていた。
夕日に照らされてキラリと光る水面に素足を入れると、昼間より冷たくてちょっと怯む。
そんな私をよそに、じゃぶじゃぶと水音を立てて先を行く大和は、振り返ると満面の笑みを浮かべた。
キスをしたり身体を重ねたりしている時には絶対に見ない、私たちの関係には必要のない顔。
その表情一つに心を動かされている自分がいた。
「早くこっち来いよ」
大和が私に向かって水面を軽く蹴った。
飛んでくる水しぶきにぱっと顔を背け、私も水面を蹴った。力強く。
「おい、かけすぎだろ!」
思いのほか水をかぶった大和が、髪をかきあげて笑った。
いつもならその色気にやられるのに、今は無邪気な笑顔だけが私の胸をさらっていく。
「よければいいでしょ。大和がボケーッとしてるからいけないの」
口調は強いのに口元は緩んでしまう。いや、顔全部が。
「じゃあ手加減なしでやらせてもらうわ」
大和は首をコキッと鳴らす。
そしておもむろに私に近づいてくると、あっという間に私を軽々と抱き上げた。
私は「きゃ!」と反射的に短い声を上げ、大和の首に腕を回した。
「ちょっと、大和……!」
お姫様抱っこ。漫画でしか見たことない。
至近距離で見る大和の顔は恐ろしく綺麗で、言葉を失った。
大和はふっと笑うと、そのまま川の中を歩き出した。
「ねぇ、何するつもり?おろして!」
私は足をバタバタさせる。
「危ねーから暴れるなよ」
岸から少し離れたところで、大和は足を止めた。
「このへんにするか。……せーの!」
そう言って抱えた私を大きく前後に揺らしたものだから、
「え!?ちょっ、やだ!」
放り投げられる!そう覚悟して、私は大和の首にギュッとしがみついて大きな肩に顔を埋めた。
すると、大和の動きがピタリと止まった。
「……あーやべぇ。幸せ」
「……え?」
大和のぼやきにおそるおそる顔を上げると、大和と目が合った。
「投げねーよ。冗談」
「……もう!ビックリするじゃない!下ろして!」
「そのまましがみついてろよ。ギュッとされて幸せ感じてたんだから」
「いいから早く下ろして。恥ずかしい!」
「はいはい」
大和は渋々返事をして川辺まで戻ると、優しい手つきで私を下ろした。
「楽しかったな。……髪、濡れてる」
大和の指先が私の髪に触れる。
昼間、「過保護!」と煙たげに払った手。
大和にあんなふうに想いを伝えられたせいだろうか。今はもう、払わない。
その手を握って少し背伸びをして、私は大和の唇にそっとキスをした。
目を閉じると身体中に安らぎが巡った気がした。
ゆっくり唇を離すと、大和は目を見開いたまま固まっていた。
「さっきのビックリのお返し。ちなみに、セフレとしてのキスよ」
大和はストンとその場に膝を左右に大きく開いて座り込み、ガクリと頭を下げた。
「ちょっと、大和、大丈夫?」
「……葉月から不意討ちのキス。一撃食らわされたって感じ」
大和はぼそりと呟くと顔を上げ、照れたように口元を手で覆った。
「ここでシたくなってきた……」
「はぁ?……川底に沈んでろ」
私はぴしゃりと言い放ち、空を見上げた。
夕焼けから群青色に変わっていく。
音も立てず静かに。今の私の、心みたいに。
ひたひたと足音を忍ばせるようにして、夜が近づいてきていた。
バイクで切る風が少し冷たい。
気づくと辺りは薄暗く、緑に囲まれていた風景はすっかり鮮やかな色をなくしていた。
街灯も信号も少ない道を、風に溶けるように走っていく。
大和の腰に腕を回してぴたりと密着していると、じんわりと大和の体温が伝わってくる。
バイクに乗せてもらえばいつも感じているものなのに、この時ばかりはやけに温かく感じてしまった。
同時に、離れ難くて、ずっと手にしていたい。そんなふうにも思った。
さっき、大和にしたキスも。
触れただけのキスなのに、唇を離す瞬間が名残惜しくて、まるで愛しい恋人にキスしたかのような不思議な気持ちに襲われた。
大和とキスなんて、今まで何度もしているはずなのに。初めての感覚だった。
信号で止まると大和が少し上を向いた。
私のヘルメットと大和のヘルメットが軽くぶつかって、「おい」と呼びかけるみたいにコツンと音が鳴った。
「ん?」
私は身体を斜めにして大和を覗いた。
「寒いだろ?パーカー着る?」
大和は肩越しに振り向いて優しい言葉を投げてきた。
溺愛。ふとその言葉が浮かんで、戸惑いと嬉しさが混ざり合った。嫌なはずなのに嬉しい。
飼い犬にベロッと顔を舐められて、鬱陶しいのに本当はもっとして欲しいと願うような、複雑な気持ち。
「大丈夫。夜風が気持ちいいから!」
グローブをつけた大和の手が、大和のおへそのあたりで重なった私の手をギュッと握った。
しっかり捕まっておけよ。そう言われた気がした。
信号が青になるとバイクは動き出し、グンとスピードが上がった。
日常から遠のいた、いつもと違う雰囲気から見慣れたアパートへ。
バイクがゆっくり停車すると、大和に預けていた身体を起こして、腰に回していた腕も解いた。
離れた体温に物足りなさを感じているのは私だけだろうか。
バイクを降りてヘルメットを取ると後部座席にそっと置いた。
「今日はほんとにありがとう。学生相手のバーベキューじゃ退屈だったでしょ」
「葉月がいればなんだって楽しいよ」
大和はヘルメットを脱いで甘い言葉をさらり。
ほんのりにやけた顔が暗闇に紛れてくれてたらいいと願う。
「葉月のことすげー好き」と言ったり「恋愛できるまで待ってる」と言ったり、大和はくすぐり方がうまい。
「俺の〝好き〟は怖くないから大丈夫」と言った時は、怯える私に、手を差し伸べるかのようだった。
思わず手を伸ばしそうになったものの、躊躇って引っ込めてしまったけど。
そしたら、今度は言葉が出てこない。
決まり文句みたいにいつも吐いていた「部屋、寄っていく?」という言葉が。
したくないわけじゃない。もし今、大和と身体を重ねたら、大和の温もりや大和の存在を、愛しく感じてしまいそうな自分がいた。
これも全部、あの告白のせいだ。
だから私は、笑顔で切り上げることにした。
「じゃあ、またね」
そう言って大和の横を通り過ぎようとした時、腕を掴まれた。
「……今日は誘わねーの?」
少し拗ねているような、寂しがっているような目が私を窺っている。
「……部屋、寄ってってもいい?」
その一言に、私は小さく頷いた。
ベッドまであとわずか。
なのに我慢できないというように大和は私の手を引いて手前のソファになだれ込んだ。
「ベッド行……んっ」
即座に大和に唇を塞がれた。
いつもするような、思いの丈を伝えてくる深いキス。
いつもなら困惑と快楽しか感じないはずなのに、今日は波紋が広がるように、甘い痺れが身体中に広がった。
それが怖くてぎゅっと目を閉じた。背中に回していた指先にも思わず力が込もる。
不意に唇が離れると、おそるおそる目を開けた。大和が心配そうに聞いてきた。
「……どうした?」
「え?」
「いつもと違う反応してるから。今日はシたくない?」
私は小刻みに首を横に振った。
「違うの。大和のキスがいつもと違う気がして」
大和は不思議そうに私を見つめてから安心させるように笑った。
「心配すんな。いつもと同じだから」
私の髪を撫でるように指を滑らせ、唇を重ねた。
唇を重ねるほどに何も考えられなくなる。
でも辛うじて残っている、今にも消えそうな理性で確認した。
そうだ。同じだ。大和は何も変わってない。
変わったのは私なのかもしれない。
大和の吐息にも、愛撫する指にも、敏感に反応して身体が熱くなった。
「……足りない?」
煽るような言葉さえ快感でしかない。
「あっ……大和……もっと、して……」
吐息混じりの甘く溺れるような声に、大和は小さく息をついた。
「あーもう、たまんねーわ……」
刺激がさらに加速して、目の前が弾けた。




