#15 私を揺らすセフレ
コンビニで氷やお菓子を買ってテントへ戻ると、テーブルの上の料理はごっそりと減っていて、空き缶も目立っていた。
グリルでは村上と東が追加の肉を焼いていて、量産型女子たちはお喋りに夢中になり、奈々未は大和の隣に座って絡んでいる。その横ですみれが退屈そうにしていた。
大和が私に気がつくと、奈々未は不満そうな表情を浮かべた。
「葉月、遅かったな。なんかされなかったか?」
本気で心配そうに聞いてくる大和に呆れた視線を送ると、
「しねーよ。俺は変態か?」
池田が呆れたように言ってクーラーボックスに氷を入れる。すみれが自然と立ち上がり、テーブルの上のゴミをごみ袋に集め始めた。丁寧でそつがない。
「春希、ごみ捨てに行ってこよう?」
「ああ」
すみれは手馴れたように空き缶が入ったごみ袋を池田に渡すと、自分でもごみ袋を手に取った。
二人の背中を見送りながら黙って椅子に座ると、目の前に肉や野菜や海鮮が綺麗に盛られた皿が置かれた。
「葉月の分、取っておいた」
いくら私が突っぱねても、大和は柔らかく笑いかけてくる。健気というかなんというか。
溺愛ねぇ……なんて、箸でズッキーニを突っつきながら少し絆されてみる。
「ねぇ、大和くん。少し川に入りません?行きましょ!」
奈々未が大和の返事を聞かず、半ば無理やり引っぱって川の方へ行ってしまった。
「奈々未、乗り換え早いな」
「そりゃあな。春希がああだから」
グリルの前で奈々未を遠目に見やりながら村上と東が笑った。
「どういう意味?」
私が聞くと二人はぎくりと肩を小さく揺らした。
そんなにビビらなくても。
村上だか東だか、どちらかが口を開いた。
「奈々未、春希のことが好きだったんだよ。でも春希が今はもう彼女ほしくないってことを知って諦めて、そこにあのイケメンが現れた」
あーやっぱり奈々未は池田を狙っていたんだ。
でも彼女はいらないと振られるのを恐れて諦めたんだ。大和も見習ってほしい。
私に溺愛なんてしないで、大和の気持ちを素直に受け取ってくれる人にさっさと心変わりしたらいいのに。
そしたら私はその時、何を思うだろう。
大和が取っておいてくれた肉を口に運びながら柄にもなく切なく揺れていると、隣から小悪魔たちの囁きが聞こえてきた。
「奈々未ちゃん、ヒルみたいにあのイケメンから離れない。邪魔すぎ」
「奈々未ってほんと男好きだよね。春希への想いを忘れるのに男使って必死」
「男にも実家太いの使えばいいのにね。私たちみたいに金目当てで寄ってくるかもよ」
どっと、甲高い笑い声が上がった。
彼女たちを見なくても、どんな顔をしているかわかる。
チャンスがあればあんたなんて蹴落としてやるという冷酷な目をしていて、口元には嘲笑を浮かべているんだ。それでいて奈々未の前ではいい友達を装う。
女の友情はハムより薄いというのは本当みたいで寒気がした。
「なぁ、俺たちも川に入ろうぜ」
ごみ捨てから帰った池田が、開口一番でそう言った。
「私はいい」
興味なさそうに答えると、池田に腕を掴まれた。
「そんなこと言うなって。行こうぜ」
少年みたいな笑顔だった。
引っ張られて立ち上がるしかなく、私は席を離れた。すみれの顔が曇るのを見てしまった。
川のせせらぎが夏の暑さを鎮めるようだった。
小さい子供や大人たちが水遊びをしていて、その中に大和と奈々未もいた。水を掛け合って無邪気に遊んでいる。
大和は太陽の光に目を輝かせ、口を大きく開けて笑っていた。大和のそんな顔は初めて見たかもしれない。
視界の先には奈々未。私にはあんな顔、見せたことないのに……と思うと、奈々未に負けた気がして悔しかった。
奈々未が私たちに気づいて手を挙げた。大和と目が合った気がして、私から視線を逸らした。
池田がベージュのチノパンの裾を上げ、サンダルを脱ぐと勇んで川へ入っていった。
「うわ、結構冷てー。橘も早く」
私は渋々、サンダルを脱いでジーンズの裾を上げた。
川の水は澄んでいて、小さな石がいびつに敷き詰まった底がよく見えた。
そっと足の指先を入れてみるとひやっと冷たくて思いのほか気持ちよかった。
両足を入れ、ジャブジャブと水音を立てながら川へ入っていく。
池田が身を屈ませ、私に向かって指先で水面をかいた。キラキラ光る水滴が弧を描く。
それは私の髪や服に着地して、ほんの少し濡らした。
「……冷たい」
そう言って私も、指先で水面をかいた。
気づくと私は笑い声を上げていた。
子供の頃に返ったような、そんな気がした。
そのうち勢い余った大粒の水滴が私の顔にかかり、それまでの動きが止まった。
「あー悪い!調子乗りすぎた。大丈夫?」
バシャバシャと水を踏むように池田が駆け寄ってきた。
「うん。ねぇ、かけすぎ」
こんなアクシデントさえ、ふふっと笑えてしまう自分が可笑しい。
池田の手が、スッと私の濡れた頬に伸びてきた瞬間、その手首は横から掴まれた。
大和だった。
池田に向けた大和の目はまるで「触るなよ」と言っていた。
「……あ、悪い」
池田は萎縮したように自分から手を引っ込めた。
すると大和は、何も言わず自分のTシャツの裾を捲りあげ、私の頬の水滴を拭った。
これじゃ完全、彼氏。
途端に川辺で「キャー!」と声がした。
振り向くと、量産型女子三人がこちらを見て口元を押さえて騒いでいる。
ああ大和の腹筋か……と、数秒かかって気がついた。引き締まった身体が、あられもなく披露されている。
目のやり場に困った私は大和の手を払った。
「池田は悪くないよ。大和が過保護すぎるだけ」
池田に慌てて弁解しながら、大和の溺愛ぶりに呆れた。
「もう大丈夫」
不貞腐れた顔で大和を見ると、大和は口元に小さく笑みを浮かべた。
私は怒っているのに、大和は全然堪えていないようでその温度差がまた気に入らない。
「春希!お肉たくさん焼きすぎたから、戻ってきて!」
川辺ですみれの呼ぶ声がして、春希が振り返ると彼女に向かって手を挙げた。
ゆっくり向き直ると、私に笑顔を見せた。
「橘、楽しかったよ」
そう言い残して川岸へ歩いていく。
池田の姿が小さくなっていくのを視界の端で見てから、私は大和を睨んだ。
「もっとただの友達らしくしてよ」
大和はまだ薄っすら笑っていた。
「悪い。つい」
〝つい〟の中身が嫉妬だってことくらい、私は知っている。
「もう過保護はやめて。普通でいい」
突き放す言い方になったかもしれない。でもそれでよかった。
大和をちらりと見上げ、言うか言うわないか一瞬悩んでから呟いた。
「あんまり優しくされると大和のことが気になって、恋愛したくないっていう気持ちが揺れるの……」
サァーッと音を立てる涼やかな風に髪がなびき、水面が小さな波を立てた。
「揺れてほしい」
その言葉に胸の奥がきゅっと締め付けられた。
「揺れたくないの……恋愛するの怖いから……」
察してほしい。諦めてほしい。愛着のある服を捨てるみたいに、私への想いを手放してほしい。
そしたら私も気持ちに蓋ができるから。
「葉月……」
「大和くーん!石投げしよー!」
いつの間にか川岸に上がった奈々未の声が飛んできた。
大和はちらりと奈々未に視線を送ってから私を見た。
「葉月が引き止めるなら行かない」
そう言った目には愛情がたっぷり込められていて、息苦しいのに目が逸らせない。
不覚にも、時間が止まって欲しいとさえ願ってしまった。
「……そんなふうに見つめられるとキスしたくなるな」
その言葉で我に返った。
「は?何言ってんの。バカ。引き止める気ないからさっさと行って」
行かないで。そんな短い言葉が言えず、口から出たのは冷たい口調の言葉だった。
「はいはい。じゃあまたあとで」
大和は寂しげに笑って私に背を向けると、一足先に川から上がった。
流れる川の水が、急に冷たさを増した気がした。
奈々未と量産型女子たちが大和に群がって遊んでいた。
小石を拾っては、水面に向かって滑らすように投げている。そのうち村上と東も混ざり始めた。
私はテントの中でそれを遠目に眺めながら、冷めて少し固くなった肉を口に運んだ。
目の前には缶ビールを片手にテーブルに突っ伏して寝ている池田の姿。
隣に座っていたすみれが、池田の手から缶ビールをそっと取り上げた。
「春希、お酒弱いの。私がついてきて正解だったな」
姉さん女房よろしく池田の世話を焼く姿が板についている。
「昔から春希のこと放っておけなくて。私の片想いだけど」
慎ましやかに笑うすみれを、可愛いなと思って見ていたのに、
「春希、葉月ちゃんのこと好きみたい」
小さな爆弾を落とされて、その衝撃に肉を口に運んでいた箸が止まり、目を瞬かせた。
「え?」
「溺愛するお友達といい、モテモテだね」
ワンカールされたストレートの綺麗な黒髪を耳にかけながら、すみれは静かに笑った。
私の周りにはあまりいないタイプの、すみれの大人しい雰囲気に押されながら、池田を見る。
もちろん寝息を立てているだけで何も言わない。
私は必死に言葉を探した。というか選んだ。
ここで「池田は彼女作るのこりごりみたい」なんて言ったら、おそらく池田に恋心を寄せる彼女を傷つけてしまうかもしれない。
「池田も私も元恋人が束縛魔だったから、親近感を持たれてるだけで恋愛感情はないと思う」
すみれは池田の寝顔を見て、安堵したように笑った。
「そっか。なんだ。安心した」
その顔を見て私も安堵した。
「ねぇ、大和くんの気持ちに応えないの?彼、絶対あなたのこと好きだよね」
身を乗り出してくるすみれの言葉にドキリとしつつ、平静を装って少し焦げた野菜を口に運んだ。
「ただの友達だよ」
そう思いたい。
「そう?奈々未ちゃんが夢中みたいだけどあれは脈ナシだね。大和くんは葉月ちゃんしか見えてないって感じ」
言われてしまった。
美羽や涼香に散々言われた、似たような言葉を。
「なんとも思ってなくても優しくされてたら少しは好きにならない?」
「……まぁ、少しは」
「だったら、」
付き合ってみたらいいじゃん。そう言われる気がして、思わず遮った。
「恋人になるのが怖いの。付き合ったらまた束縛されて苦しくなるんじゃないかって思っちゃう。だから応えられない」
吐露してしまった。今日初めて会った子に。
こういう場で会わない限り接点がなさそうな、控えめで真面目そうな彼女に。
「そっかぁ。臆病になってるんだ」
「違う。慎重になってるだけ」
私の強がりに、すみれはプッと笑う。
私もつられて笑った。
「もったいないなぁ」
すみれは口元に手を添えると、前かがみになって身を寄せた。
「大和くん、すっごくかっこいいから!」
目を輝かせてそう言ったすみれは、さっきまでのおしとやかな雰囲気とは違って、私の周りにいる女の子みたいだった。




