#14 溺愛するセフレ
朝の十時にもかかわらず、河原にはすでに多くの人が集まっていた。
『河原の中央あたりにいるね!』と奈々未から連絡をもらったけれど、子連れの家族や大人同士、私たちと同年代くらいの男女も溢れ返っている中で、奈々未のグループを探すのは至難の業だ。なにしろ奈々未以外、あまり顔をはっきりと覚えていない。
男も女も同じような遺伝子が入った量産型に見えたから、神経衰弱みたいに同じ顔が揃った集まりを見つければいいのだけれど。
見つからなかったら帰ろう。そんな気でいた。
いや、そもそも来ないで、見つからなかったから帰ったって嘘をつけばよかったのでは?あー失敗したな。
でも今の時代はスマホがあるから連絡取り放題。逃れられないか。
河原の小石の感触が靴底から伝わる。
「河原だからヒールの靴はやめとけよ」と大和に言われたから、持っている靴の中で一番ヒールの低いRANDAのサンダルを引っ掛けてきた。
トップスはMuseの黒地で白のドット柄フリルブラウスにして、ボトムスは黒のジーンズにしたけど、サンダルはアイボリーだから汚れそう。
それだけで、もうやだと思った。
「足元、気をつけろよ」
行きがけにコンビニで買った缶ビールや缶チューハイが入った袋を持って隣を歩く大和が、小さく笑う。
大和は相変わらずラフだ。黒のTシャツと淡いブルーの緩いジーンズと白のスニーカー。素材の良さから飾らなくても人目を引く。
すれ違いざまに大和を見た女の子二人の顔が、明らかに恋した顔になっていたのを、私は見逃さなかった。
「わかってる」
ぶっきらぼうに返すと、大和に手を握られた。
「は?」
「やっぱ危ねーから」
ここ、ただの河原。イバラの道じゃない。
ヒールはやめとけという注意喚起から、今度は危ないからと言って手を繋ぐ。
いったい、どこまで過保護なんだか。
「みんなに大和のこと友達って言ってあるのに、勘違いされたら困る」
「そんなの適当にごまかせばいいだろ」
それだけが理由じゃない。
大和の口調が軽いわりには、離すまいとギュッと握られた手から伝わる想いの圧が苦しい。それに優しい気持ちに心が揺れそうで、今すぐ離して欲しかった。
あちらこちらに、運動会でよく見る四本の脚に天幕を張っただけの簡易テントが広がっている。
その人混みの中を縫ってキョロキョロと探していると、
「あ!葉月ー!こっちこっちー!」
大きな声がするそちらを見ると、奈々未が両手を上げて手を振っていた。
私はパッと手を離し「あの子」と一言、大和に教えてから奈々未の方へ歩いていった。
「今、手繋いでなかった?」
「繋いでない繋いでない。気のせいじゃない?」
素知らぬ顔で言うと奈々未は「そっか」とすんなり信じてくれた。
「ねぇ、本当に大和くん連れてきてくれたんだ!ありがとう!」
奈々未は少し小声で言って、私の手を握ってぴょんぴょん跳ねた。
「うわぁ、近くで見るとますますかっこいいね」
私の後ろから近づいてくる大和をポーッと見つめながら呟く。気づけばその背後には、 グループの量産型女子たちとその友達らしい、女子たち総勢四人が集まって、大和をうっとりと眺めていた。
ただ一人を除いて。その子はカラコンやガーリーなモテファッションで身を包むような量産型ではなかった。
「初めまして!私、菅原奈々未です!葉月とは同じ大学の友達です!」
言い終わるやいなや、奈々未は私の腕にしがみついて、あたかも私と仲良しなんですというアピールを始めた。
「高瀬大和です。よろしく」
そう言って大和がにこりと笑うと、
「きゃー!かっこいー!」なんていう黄色い声が重なった。大和がアイドルみたいになっている。
その瞬間、大和の目が一瞬見開いたけどすぐに元の笑みに戻り、手に持っていた袋を掲げた。
「これ、酒やジュース買ってきたんだけど、どこ置く?」
「わぁ、ありがとうございます!クーラーボックスに入れてください。こっちでーす」
語尾にハートマークを付けたみたいに可愛こぶって喋る奈々未の声を聞いていると、背中に虫でも這っている感覚に襲われた。
後ろにいた取り巻きの女の子たちも一緒になってぞろぞろと大和をクーラーボックスへと案内し始める。
五人も必要か?と、私は苦笑いしたけど、一人だけポツンと残り、紙皿や紙コップをテーブルに並べている女の子がいた。さっき印象に残った量産型ではない女の子だ。
奥ゆかしく肌を隠すように長袖のカーディガンを着て、白のロングスカートをふわりと揺らしている。清楚で、儚げさたっぷり。私とは対照的。
その子は目が合うと、小さく微笑んで軽く会釈をしてくれた。落ち着いた雰囲気と、感じの良さから奈々未の女子グループとは無関係だなと一目でわかった。
「橘、久しぶり」
振り向くと、池田春希がトングを持ってグリルの前で肉や野菜を焼いていた。いい匂いがする。
隣には男子が二人いた。もちろん、名前は知らない。
「池田。久しぶり。……みんなも」
「村上と東だよ」
池田が親切に教えてくれて、私は愛想笑いを浮かべた。
「橘の友達って年上?何友達?」
女子たちに囲まれた大和を見やる池田の目は冷めていて、歓迎していないようだった。
「24歳。クラブで知り合ったの」
そのままエッチして今ではセフレなの。なんてことは口が裂けても言えない。
「へぇ。橘、クラブとか行くんだ」
その言葉にはなんとなく見えないトゲを感じた。
「池田は行かないの?」
「俺、酒も飲まないし踊りもしないし割とノリも悪いから行ったことない」
大学ではムードメーカーとして見えていたから、意外だった。
「そうなんだ」
でもべつに興味ない。
「橘、俺ら同じ大学なんだからもっとつるもうぜ。なんなら俺らのグループに、」
「春希、お肉焦げるよ」
さっきの量産型じゃない女の子が私と池田の間に入り、口を挟んだ。
「あ、ああ……」
池田は返事をしてグリルと向き合った。
「初めまして。 春希の幼なじみの工藤すみれです。今日は春希に誘われてきたの。よろしく」
すみれは私のほうを向くとそう言って口元ではにこっと笑ったけど、目は笑っていなかった。
目は口ほどに物を言う。なるほど、そういうことか。
「誘ってない。勝手についてきたんだろ」
「バーベキュー行ってくるって言われたから遠回しに誘われたのかと思ったの。そう思いますよね?えっと……」
すみれはそこまで言うと、私の顔を見て言葉に詰まっていた。
「……橘 葉月です。よろしく」
彼には興味ないよ、安心して。と目で伝えたけど、すみれに伝わったかはわからない。
「ああ、葉月ちゃん。春希ってこう見えて、こういう場に慣れてないの。だから私が見守り役」
「うるさい。見守るな」
「いいでしょ、べつに」
まるで痴話喧嘩だ。
「俺、なんかやることある?」
大和が春希のすぐそばまで来ていた。
「ああ……じゃあ、その海鮮焼いてください」
池田が答えると、大和はふっと笑った。
「タメ口でいいよ」
そう言われた池田は戸惑いを隠しきれていない顔で軽く頭を下げた。
「へぇ。車エビか。すげー新鮮だな」
大和がトングを手に取り、慣れた手つきでグリルに海鮮を並べていく。
私にはできない。殻付きの新鮮な大きなエビなんて、今にも飛び跳ねそうで怖いもん。
イカ、車エビ、ホタテ。ジューッと音を立てて煙が上がり、シーフードのいい香りが鼻先をくすぐった。
「車エビってわかるの?」
池田が隣で肉をひっくり返しながら、少し驚いたように聞いた。
「ああ。兄貴が働くレストランで調理するの見てたから」
「ふぅん。……なぁ、エビ、殻付きのまま?剥かなくていいの?」
池田は首を伸ばし、大和のグリルを心配そうに覗いた。
「殻付きの方がエビの水分が飛ばなくて柔らかく焼けるんだよ」
こいつ、ただのイケメンじゃないなと言わんばかりに、池田は「へぇ……」と漏らした。
本当に、へぇ……だった。
見た目はラフな男で中身は色っぽい男なのに料理のことまで詳しい。
目の前で披露された知識に感嘆していると、奈々未が大和に駆け寄ってきた。
「わぁ!大和くん、料理できるんですか?」
普段より1オクターブ高い声で耳が痛い。
大和、完全に狙われてる。
「料理ってほどじゃないけど」
「すごいなぁ!大和くんの手料理食べれる女の子は幸せだろうなぁ。いいなぁ」
奈々未のあからさまな態度に、私は思わず苦笑がこぼれた。
それは大和の手料理を食べたことがある、密かな余裕からかもしれない。
ひとまず焼きあがった食材がテーブルの上にずらりと並ぶと、みんなで乾杯した。
男女並んで座る光景は合コンみたいだ。
私の向かいには大和が座り、隣には奈々未が座った。
「大和くん彼女いるのかな?」「どんな子がタイプかな?」「女の子の好きな服装は?」などと奈々未が私に耳打ちしてくるたび、自分で聞けよと毒づきたくなりながら、私は「さぁ?」と曖昧な笑みを浮かべた。
そんなことより私は、男女を隔てるように並べられた目の前の料理に夢中だった。
分厚い牛ステーキにラムチョップ、スペアリブや太めのソーセージ。焼き色のついたとうもろこしやズッキーニ、豚肉で巻かれたアスパラまで。
殻に入ったホタテをまず頂いて、頭のついた車エビに手を伸ばすも、やっぱり引っ込めた。焼けているとはいえちょっと気味が悪い。
すると大和がエビを二匹手に取り、ばりっと音を立てながら慣れた手つきで殻を剥き始めた。
きれいに剥き終わると、紙皿ごと私に差し出した。
「葉月。ほら」
ほら、じゃねーよ。距離感が恋人みたいでみんなの注目を浴びてしまったじゃないか。
そう思いつつも私は「ありがとう」と言って受け取った。
「なんか彼氏彼女みたい……まさか付き合ってないよね!?」
奈々未は絶望した声で聞いてきた。
「付き合ってない、付き合ってない。大和は友達に過保護な変わった奴なの」
「え~!大和くん優しい!」
奈々未の目はすっかりハートマークになっている。
「他にどんな過保護なの?」
すみれに突然振られ、頬張っていたエビをゴクッと飲み込んだ。
「会う時はバイクで迎えに来て送ったり、遊びやバイトで帰りが遅いと迎えにも来て、ご飯作ったり、雨が降りそうな朝は『傘持ってけよ』って電話よこすし、体調も気にかけたり、私が軽い接触事故にあったら仕事抜けて飛んできたり」
思いつくままに挙げると、すみれがファンデーションを塗っていないであろう白い肌をした化粧っ気のない顔を緩ませてクスッと笑った。
「過保護っていうか、溺愛されてるね」
「溺愛……」
私はぽつりと呟いた。
剥ききれていないエビの小さな殻が、思いがけず歯に当たったような唐突な言葉。
セフレに溺愛……。なんという釣り合いの取れていない言葉だろう。
〝過保護〟ならまだしも〝愛〟がつくと、大和の気持ちが生々しく伝わってくる気がした。
「葉月ずるーい。ただの友達なのに大和くんに愛されてて」
奈々未の言葉に追い打ちをかけられ、反射的に大和を見た。すると目が合って、私はすぐに逸らした。
さっきまで普通に見れていたはずなのに、突然まともに顔を見られなくなった。
「……私、ちょっとコンビニ行ってくる」
急に立ち上がると、奈々未が不思議そうに見上げてきた。
「え?今?何買うの?」
「……氷とか、必要なものあるでしょ」
「じゃあ俺も行──」
「一人で行ける」
大和の言葉を遮って、私はテントを出た。
大和についてきてほしくない。ちょっと一人になりたかった。
河原を歩く私の腕を誰かが掴んだ。
見当はついている。
振り向いた私は、めいっぱいの呆れた視線をぶつけようとしたのに、目を見開いた。
「え……池田……」
大和かと思ったら、池田だった。
陽の光に照らされた髪はほんのりと茶色く光り、ブラウンの瞳は私を見つめている。
太陽の下で見る彼は、講義室やテントの中で見る雰囲気と少し違って見えた。
「俺も一緒に行くよ。昔この辺りに住んでたから、地理には詳しいんだ」
池田はそっと手を離した。
一人になりたかった私は、何も言う気になれなくて、プイッとそっぽを向いてどこかへ行ってしまう猫みたいに池田に背を向けて歩き出した。
後ろを歩いていた池田は、気づけば隣を歩いていた。
「夏休み、楽しんでる?」
「……まあまあ」
適当に返事する。
「就活は?どんな?」
「……まあまあ」
「俺さ、橘には勝手に親近感湧いてるんだ」
突拍子のない言葉に私は「は?」と池田に顔を向けて反応した。
池田は酒を飲まない、クラブには行かない、いつもグループでいる。
親近感のしの字も感じられないから眉を寄せたのに、池田は嬉しそうに笑った。
「やっとこっち見た」
大きな目が優しそうに垂れていた。
「……親近感なんて、適当なこと言わないで」
「適当じゃねーよ。奈々未から聞いたけど、橘の元彼、束縛やモラハラがすげー酷かったんだろ?俺の元カノも束縛が酷かったんだ。だから親近感」
まさか池田の口から私の元彼の話が出るなんて。
奈々未がぺらぺら喋り散らす光景が目に浮かんでゾッとしたのと同時に、似たような経験をした男の話に思わず耳を傾けた。
「思い切って別れたあとはすげー解放感!もう彼女なんて作るのこりごりって感じでさ」
「私も……別れてすごく楽になった」
「だよな。返信10分遅れただけで浮気疑って鬼電してくるし。誰といるのか写真撮って送れだの、家帰ったらまた写真撮れだの、しんどかった」
池田がその時の辛さを隠すように笑った。
その笑顔にひどく共感した。
「私の元彼も同じ……信用されてないみたいで傷つくよね。だからこっちは信頼されたくて言うこと聞くけど、それでも信頼なんてされなくて」
「そう、安心させたくて頑張るけど全然ダメだった。あー気持ちわかってもらえて嬉しい。俺、話してみたかったんだよ、橘と」
意外な言葉だった。
「同じ傷抱えてるって思ったら、なんか気になって。話せてよかったわ」
「……私も」
それだけ言って、私は前を向いた。
ムードメーカーかと思ったらそうではない。
同じ過去を持つもの同士、池田に少しだけ親近感を覚えた。




