#12 セフレらしくないセフレ
自由が丘を出たバイクは横浜方面へ走っていた。
いつもより速い気がした。すべての風景が一本の帯みたいに繋がって消えていく。
車を次々と追い抜き、風を切って飛ばす。
目を開けていられなくて、ぎゅっとつぶった。
視界を閉ざすと風との一体感を余計に感じた。
やがて横浜を抜け、鎌倉方面へ向かう。
夏の高く澄んだ空にオレンジ色が混じり出した。
夕暮れはもうすぐだ。
国道134号線に入り殺風景な道を走り抜ける。
「葉月!あのトンネル越えたら海!」
大和はちらりと後ろを振り向いて声を張った。
市境の短いトンネルを抜けた瞬間、目の前に海が広がった。
「わぁっ!」
私は思わず声を上げ、海をもっと近くに感じたくてシールドを上げた。
果てしなく広がる海に、目も心も奪われる。
世の中に、こんなにも雄大な景色があったなんて。大和に出会わなければ知らなかった。
まだ少し高い位置にある夕日を横目に、バイクはそのまま西へ。海岸線に沿うように走っていく。
由比ヶ浜と稲村ヶ崎を抜け、七里ヶ浜に差し掛かった頃、ゆっくりと落ち始めた夕日が海を照らし、煌々と輝いていた。
遮るものは何もない。青とオレンジのコントラストが効いただだっ広い空に、夕日と薄い雲だけがドラマティックに浮かんでいた。
向こうには江ノ島が見える。
少し走ったところで大和がバイクをゆっくり減速させた。防波堤の上。そこは広い駐車場だった。
低いエンジン音が鳴り止んで、私はヘルメットを脱いだ。潮の香りが混じった風が髪をふわりとさらっていく。
バイクからひらりと降りると、防波堤の縁に駆け寄った。
力強い波が砂浜に寄せては返していく。スポンジみたいに吸収された波の跡が、砂浜にくっきりついていたのが見えた。
「砂浜、歩く?」
後ろから近づいてくる大和の声がして、振り向いた。
「歩かない。パンプスに砂が入っちゃうもん」
オープントゥのパンプスで砂浜を歩いたら大バカだ。そもそも砂浜を歩くつもりなんてないから、この靴で来た。
「おぶってやるよ」
大和が変なことをさらっと笑顔で言う。
私は呆れた顔で言ってやった。
「は?沈む夕日を見たいっていうだけで、砂浜を歩きたいわけじゃないから大丈夫」
「なんだ。……歩きたかったなー。おんぶしたかったなー。なんなら昼間っから来て葉月の水着姿見たかったなー」
大和は遠くを見つめてぼやき始めた。
散歩に行けずにがっかりする、尻尾が下がった犬みたいだ。
「じゃあ、夕日をバックに写真撮ろうぜ」
大和がポケットからスマホを取り出し、いじりだす。
「やだ」
私は即答する。恋人じゃあるまいし。
「いいから。ほら」
大和はスマホを持った手を伸ばしてカメラを構えると、もう片方の手で私の肩をグイッと抱いてきた。
「やだってば」
インカメを通して画面に映るのは、作り物みたいに真っ赤な夕日と仏頂面の私。
「いいから笑えって。いくぞー。はい、チーズ」
でも不思議とその声がかかると、口元がわずかに柔らかく緩んだ。
「いいじゃん。あとで葉月にも送っとく」
大和は画面を見て嬉しそうに笑うと、私に見せてきた。
広がる夕焼けと大和と私。よく撮れていた。
「これロック画面にしようかな」
「やめて」
間髪入れず答えた。
「そんなことより、座って夕日見ようよ」
空はすっかりオレンジ色に染まり、夕日は一直線に伸びた水平線のすぐ上まで来ている。
防波堤の縁に足を投げ出すように座って、海を眺める。波の音を聞きながら潮風を感じ、目に映るのは燃えるような夕日。それが海に溶けていく。
都会では味わえない、夏の刹那的な時間を過ごしている。
「綺麗……」
それなのに、センチメンタルな気持ちになるのはなぜだろう。
また明日になれば太陽は昇って、夕日となって沈む。その繰り返しなのに。
目に見えているものが消えていく瞬間を見届けているからだろうか。
もっと一緒にいたいのに、もう会えないかもという気持ちにさせられる。
だから寂しさを呼ぶんだ。
でもそれが世界の決まり。変わらない、寂しい景色。
〝いずれ自分から離れるかな〟
ふと、大介の言葉を思い出した。
大和もいつか私から離れて、私の日常から消えていくのだろうか。この関係は終わるのか。
大和の想いが膨らみすぎた先にあるものが怖い。
やがて夕日は光の欠片も残さずに地平線の彼方へ消えていった。
夕日が消えた水平線付近はオレンジに染まり、空の上の方には青みが残っていた。
幻想的な景色をしんみりしながらも楽しんでいると、現実に引き戻すかのように、大和のスマホが短く振動した。
「……あーやばい。俺のせいで後輩がテンパってる」
スマホの画面を眺めて、大和が申し訳なさそうに笑う。
「今度メシでも奢ってやんねーとな」
そういえば大和は、会議中にも関わらず、私を思って仕事を抜けてきてくれたんだ。
「大丈夫……?悪いことしたよね。私のせいで。来てくれてありがとう」
私がそう言ったのが意外だったのか、大和は私を見つめると、一瞬目を見開いてから空を見上げた。
「……俺さ。昼間、葉月が事故に遭ったって聞いて血の気が引いた。葉月に何かあったらって思ったら、震えた」
大和の声は落ち着いていたけど、自分の手を包み込むように握る仕草には動揺が残っていた。
「……ごめん、紛らわしい言い方して。軽い接触事故って送ればよかったね」
「それでも心配だよ」
大和は私を見つめて小さく笑うと、私の頭に手を乗せて軽く揺さぶった。
「自分の中で葉月の存在がでかくなってる。収拾つかないくらい」
切なく笑う顔を見ていたら、大和が目の前からふっと消えてしまうんじゃないかと焦りが込み上げた。
「だから、いつか離れていくの?」
気がつくと、そんなことを口走った挙句、
「離れていかないで」
私は無意識に大和のTシャツを掴んでいた。
驚いた目をする大和と、すがる目をする私。
しまった……と思った。
「……あ、だって、大和が離れていったらアッシーしてもらえなくなるし、性欲も溜まるし。都合悪いことばっかりなんだもん」
ぱっと手を離し、顔を背けて、耳に髪をかけたり、指先で毛先を遊ばせたり誤魔化した。
「葉月」
名前を呼ばれて何気なく振り向くと、唇が重なった。
驚く間もなくするりと舌が入り込んできて、濃度が増していく。ゆっくり動く舌先にゾクッとして鼻から甘い息が抜けた。
唇を啄んだり軽く舐め上げたり。一通り楽しんだのか、濡れた唇はチュッ……と音を立てて離れた。
「離れたらこんなこともできなくなるしな」
大和はそう言って爽やかな顔で笑った。
まるで、青から群青に変わった空のように。
自然に、切なさを押し隠して。
大和の気持ちに応えたら、私の世界の色はどう変わるんだろう。
夜は海よりも、都内の夜景が綺麗だった。
「ちょっと遠回りして帰るか。夜の東京も綺麗だから」
という大和の気の利いた一言で、海の夕日ツアーから夜景ツアーとなった。
海を離れると、景色は少しずつ都会へ変わってきた。
ビル街の無数の灯りが残像を残しながら流れていく。暗闇に揺れる光は宝石の輝きに似ていた。
前を見ると遠目には暗い中でレインボーブリッジの光が浮かび上がっていた。
「わぁ!」
私の声はスピードを上げたエンジン音に消えた。
吸い込まれるように光の中を走り込む。
星よりも明るいライトに目がくらみそうだった。
レインボーブリッジを渡り、お台場を抜ける。
その先に見えた東京タワーに、私はまた声を上げた。
「わ!東京タワー!」
暗闇を背景に、くっきりと立体的に赤と白に光っていた。
近くの信号に引っかかり、東京タワーを足元から見上げる。大きくて圧巻だった。
その後も大和は、港区や六本木を回りながら煌びやかな夜景を次々と見せてくれた。
海で夕日を見るだけの予定だったのに帰り道まで夏の思い出を増やしてくれたようだった。
やがて流れ始めた見慣れた景色に、私は密かに肩を落とした。
だけどバイクがアパートの前に停まると、名残惜しい気持ちを悟られまいと平気そうな振りをしてヘルメットを脱いだ。
「あー。夕日も夜景も綺麗だったー。連れて行ってくれてありがとね」
「こんなんでよかったらいつでも連れていくよ」
セフレが言うセリフではない言葉を並べてヘルメットを脱いだ大和は、頭を振って髪をさらりと流した。
私はバイクを降りて大和にヘルメットを渡した。
「あと、今日は駆けつけてくれてありがとう。嬉しかった」
そんなことを言うのは少し照れくさい。
大和はジーンと感動しているように見えた。
「可愛い。もう一回言って。録音する」
真面目な顔でポケットからスマホを出そうとする大和の手を、小さく睨みつけて止めた。
そんな私を見て大和は笑った。
「葉月に何かあったらいつでもどこへでも飛んでいくよ」
やっぱりセフレに言うセリフではない。
それなのに心地よく感じてしまう。
「部屋、寄ってく?」
つまり、「セックスしていく?」って意味。
大和は首を小さく横に振った。
「いや。今日は葉月、疲れただろ。帰るよ。また別の日に」
待て待て待て。
それじゃまるで単なる〝デート〟だ。
最後はセックスで締めてくれないとセフレの関係らしくない。
特に今日は一日中、大和に「彼氏」みたいなことをされたから、最後だけでも「セフレ」に戻りたい。
でも彼氏とだってセックスはする。
だけど、体の重ね方によっては境界線がはっきりするだろうか。
「大和、帰らないで。抱いて。セフレらしく欲求をぶつけてほしいの」
だから私は、思いやりの欠片のないセックスを求めた。
裸になってソファに沈む大和の素肌に、舌を這わせる。耳をなぞって首筋から胸板、その先は……。
大和が熱い吐息を漏らすたび、私の興奮も高まっていく。
唇からこぼれる濡れた音が部屋に響くと、大和は満足そうに笑って私の髪を撫でた。
大和の指先が私の身体を滑り始めたところで、私は顔を上げた。
大和を見つめると、熱を含んだ目で見つめ返してきた。
「もう我慢できない。乗って……」
吐息混じりに言われると、身体の奥がきゅっと疼いて素直に従った。
前戯もされていない身体に、大和は腰を掴んで遠慮なく押し入ってきた。
「あ……っ!んっ!」
欲望のままに突き上げられて、全身に電流が流れたようだった。
大和はただひたすら、無我夢中に欲求をぶつけてくれた。かと思えば私を艶めかしく見つめ、
「ほら、動けよ」
低い声音で逆らえない言葉を放す。
ゆっくり動くと、大和は余裕そうに笑った。
「もっと」
私を甘やかす触れ方は一切しないのに、私をじっと見つめ上げ、私は全身で大和を感じていた。
動きが激しくなると、大和は吐息を漏らして目を細めた。私はその顔を見て果てた。
「……まだ全然足りねーよ」
肩で息をつく間もなく、体位を変えて、なおも貪る。
大和と身体を重ねても、そこにあったのは甘い時間じゃない。
私が欲しかったのはたぶんそれだった。
これで〝彼氏〟は解消だ。
「えー!何それ!彼氏みたい!」
「違うから。セフレだから。前戯なしでエッチした話、聞いてた?」
翌日、私は久しぶりに美羽とカフェに来ていた。
「今日バイトある?私はお昼から!」と今朝、美羽から連絡をもらい、同じシフトで午前中はお互い暇だったからバイト前に会うことにした。
池袋のカフェで軽くブランチをして、一緒にバイトへ向かう。こうしてバイト前に二人で会うのは、もう何度か経験済みだ。
昨日のことをかいつまんで美羽に話したら、拍手されるわ、目を輝かすわ、黄色い声は上がるわで、話したことを少し後悔した。
「仕事抜けて事故現場に駆けつけてくれるなんて、それってもう彼氏がすることだよ!ていうか彼氏でも来てくれるかわからないのに」
たしかに……と、綾の来てくれない彼氏を思い出した。
そういえば大和は、合コンも抜けて来てくれたっけ。想いの分厚さに小さな苦笑がこぼれた。まるでハリー・ポッターの小説みたい。
「しかもそのあと夕日を見に行って、夜景も?まるでデートだね。いいなぁ」
美羽は、ふふふっと楽しそうに笑いながらサンドイッチを食べている。
「でも帰ってきてから、思いやりのないエッチされたの。アイツ、最低」
「どうせ葉月がそうしてって頼んだんでしょ。彼氏っぽいことされて焦って、セフレに逃げ込みたいから」
図星すぎて、サンドイッチを口に運ぶ手が止まってしまった。
美羽は「私、ママとはぐれたの」と迷子の小さな女の子みたいな頼りなさを醸し出しているのに、実際は鋭い洞察力を持った名探偵だった。
「もう付き合っちゃえばいいのに」
その言葉に反応するように心臓がトクンと波打った。
反応するなよ、そう突っ込んでいつもの言葉で誤魔化すことにした。
「恋愛いやー」
「またそれ」
美羽は呆れた顔を浮かべた。
「でも昨日、大和くんが駆けつけて抱きしめてくれた時、きゅんってしたでしょ?」
「まあ、少しはね」
「一緒に夕日見て、なにか思わなかった?」
……思った。
私の目の前から夕日が消えた瞬間、いつか大和も私の前から消えるんじゃないかと不安に思った。
だから大和に「離れていかないで」なんて口走ってしまった。
でも、そのことは美羽には黙っておく。
「べつに。綺麗だなーって思っただけだよ」
「ほんとかなぁ。沈む夕日と大和くんが重なって、センチメンタルになったんじゃないのー?彼もいつか消えちゃわないか心配ーって」
だから、鋭いって。
私は聞こえないふりをしてサンドイッチを頬張った。
「ねぇ、大和くんと恋愛したいって少しくらい思ったんじゃない?」
私は黙ったまま、グラスにささったストローに口をつけてアイスコーヒーを一口飲んだ。
心を読まれたみたいで内心、ドキッとした。答えたくない。
恋愛したくないという気持ちが揺れ始めているのを悟られたくない。
自分自身、戸惑っていることだった。
あんな面倒なことには蓋をしておきたい。なのに大和のせいで蓋を開けてみたくもなる。
「あー図星だ~!そうでしょ?」
「違いますー」
そっぽを向いた。これでは「そうです恋愛したいです」と言っているようなもの。
「葉月~!それって恋愛恐怖症からの第一歩!葉月がまた恋に目覚めた!嬉しいなぁ!」
無邪気に喜ぶ美羽は、はぐれたママと会えて喜ぶ小さな女の子みたいだった。




