8話 図書館の妖精
その直後、先生が教室へとやってきた。
話し合いは解散だ。従者が退席して、各々が席へつく中……私は去り際に告げた。
「その条件でいいよ。クラスで一番の点数をとればいいかな?」
「それは楽しみね」
アネモネちゃんが鼻で笑ってくる。
だけど、これで取引は成立だ。
ただやっぱり従者はワンコだろうと一緒に授業は受けられないようで、また先生に怒られてしまったけど……別れ際、私は心配そうに「クゥーン」と見上げてくるアイ君を撫でる。
「私の部屋で待っててね……大丈夫、私、勉強には自信があるんだ」
あとは、私がやるだけ。
放課後、私は部屋にいるアイ君の怪我の具合を確認してから、図書室にきていた。
もちろん勉強するためだ。
明日の学力試験は、いわばクラス分け試験。
ルミエール女学園に入学する際にも学力試験はあったけど、本当に読み書きができるか、一般教養を知っているか程度のもの。簿記能力や経理能力などは定期的な試験によりクラスを分け、個人の能力に合わせた指導をしてもらえるのだ。たしかに、貴族女性の全員がバリバリ簿記能力を持っている必要はないもんね。
当然、私は一番専門的な知識を教えてくれるクラスを目指していた。だから、前々から明日に向かって勉強はしていたのだ……独学で。
「どこまで通じるかなぁ」
ペンを持つ手が震えるのは、武者震いだと信じたい。
ずっと使っていたおさがりの参考書ではなく、最新版の参考書がすぐ見つかってよかった。学問は日々更新されるもの。私は新しい知識を少しでも身に着けるべく、必死に暗記帳に書き加えていたときだった。
「本当に真面目に勉強しているんだね」
穏やかながらも凛とした男性の声音に、私はふとペンを止める。
図書室の利用者は誰おらず、私のペンの音だけが響いていた。入学二日目に、図書館を利用する物好きは私だけだと思っていたのに。
しかもこの窓の外からの声には聞き覚えもあって。
おそるおそる窓を見やると、キラキラした青年が「やあ」と片手をあげていた。
「また会ったね、箒の妖精ちゃん」
「お、王太子殿下……!?」
王太子が窓からひょいっと入ってくる。
窓からでいいんだ? 王太子が!?
司書さんは……あ、ここ死角ですね。ならいいか……?
ていうか、箒の妖精ってどういうあだ名!?
「あの、王太子殿下がどのような御用件で……」
「んー、他の令嬢らが必死にコネを作ろうとお茶会なりあいさつ回りなどしている中で、カリカリ勉強している子がいたからさ。珍しいなーって思って」
「あの、そういうわけではなくてですね……」
私のことはどうでもいい。
それより、ここはルミエール女学園。女子校。
入学式のときはともかく、どうして翌日もここにいるの?
私が目をパチクリさせていると、殿下は私の暗記帳を手に取っていた。
「僕、ソルディス男子院の生徒会長も務めているから。交流会の打ち合わせとかで、よくルミエール女学園に来てるんだよね。馬車で三十分くらいだし。あ、今度ソルディス男子院の見学に来る? 王城の書記官もお使いでよく来てるし……面白い新入生がいるんだよね。昨日きみの話をしたら、すごい食いついてきてさ」
待って……私の暗記帳をペラペラ捲りながら、色々話さないでください。
現役の王城書記官とはぜひお話させてもらいたいけど……男子院への見学って、そんな簡単にしていいものなの? しかも王太子のご招待? それ、絶対に他のご令嬢から嫉妬を買うやつでは?
「……こういうお誘いはよくしているんですか?」
「いや、きみが初めて」
絶対受けちゃダメなやつじゃ~ん。
私の夢見る平穏な学園生活が、余計に遠ざかるやつじゃ~ん。
「この問題を解いてみてくれる?」
「あ、はい……」
心の中で泣いている私をよそに、ルシアン殿下が参考書の練習問題を指さしてくる。王太子の命令を名ばかり伯爵令嬢ごときが逆らえるはずもなく、私は問題に目を向けた。……うん、これなら解けるな。
私がペンを走らせ始めると、殿下が真面目な顔で尋ねてくる。
「家庭教師はどなただったのかな?」
「ほとんど独学……あ、たまに父やバルクロウ……幼馴染みたいな人が教えてくれたけど……そんな感じです」
そう恥ずかしながら、借金取りのバルクロウにも世話になっていたのだ。
彼も仮にも大商人クローヴ家の嫡男。幼いころからしっかり勉強はさせられていたようで、私が問題集を前に頭を抱えていると『おまえこの程度も解けねーのかよ』と笑いながら、たびたび解き方を教えてくれていたのである。……これが意外にもわかりやすいのが癪に障るところ。できたらお菓子もくれたし。
やれ、嫌なやつのことを思い出してしまったと筆圧が強くなっていると、殿下が「なるほどね」と顎に手を当ててから、近くの本棚へと向かう。そして、持ってきた論文書を見せてきた。
「ここはこの公式を使うと計算は一つ省ける。最近発表された式だ。ルミエールの数学担当官は新しいもの好きだからね。覚えておくと加点が狙えると思うよ」
「あ、ありがとうございま――っ」
ふと横を見た私がいけなかった。
か、顔が、近い……!?
毛穴のない透明感のある肌。金の長いまつげ。宝石のような瞳。
間近で見てはいけない美の集合体に思わず息を呑んでいると、ルシアン殿下がニヤリと笑った。
「暗記帳くんより、僕のほうが顔がいいだろう?」
「冗談は美しい顔だけにしてください……」
「はは、お褒めいただきどうもありがとう」
入学式の私の戯言なんか、とっとと忘れてくれ……。
だけど、満足そうなルシアン殿下が私の肩を叩いてくる。
「じゃ、明日の学力試験がんばってね」
「あ、あの……」
踵を返した殿下に声をかけた私は、やはり気が昂っていたのだろうか。
「どうして、私に親切にしてくれるんですか?」
「きみの夢を応援すると言ったじゃないか。それとも自分の発言に責任を持たないタイプに見えた?」
「あの……笑わないんですか、私の夢……」
私だって、自分が変わっている自負はある。
家の借金だって、玉の輿を狙うとか、それこそバルクロウの家に嫁いでチャラにしてもらうとか、そちらを選ぶほう女のほうが多いだろう。
それこそ、入学式で冷ややかに笑ってきた人たちのほうが正常な反応なのだ。
きっと、わざわざ苦労を買う私はバカに見えるにちがいない。
そんな私の質問に、殿下はひどくまじめな顔で応えた。
「真面目で向上心ある臣下なんて、性別問わずいくらでも欲しいに決まっているだろう。あげくにきみは正義感も強いから裏切ることもないだろうし……僕が道を間違えたとき、きみなら正そうとしてくれるはずだ。恋だなんだと胸を押し付けてくるしか能がない女性より、よほど魅力的だね」
なんだろう、後半……殿下の愚痴がこぼれたような気がする。
「殿下?」
「おや、少しおしゃべりがすぎたかな」
そう自嘲してから、殿下は「明日の試験がんばってね」と窓から出ていった。少しして、黄色い悲鳴が聞こえてくる。女生徒に見つかったのだろうか。
「私が箒の妖精なら、殿下は図書館の妖精だね」
意外と話せる人だった。
ユーモアがありつつも、恋だなんかに浮つく様子もない。
それに、入学式であんな失言をした私を、否定しないでくれた。
あんな上司なら……働き甲斐がありそうだ。
「がんばろ、勉強」
私は表情を引き締める。教えてもらった新しい公式を頭に叩き込まなければ。
次話でアネモネちゃんとの勝負結果が……!?
1章もおわりでひと段落となります(お話はまだまだ続きますが)
「おもしろい!」「続きが楽しみ!」「アイくんはどうなる!?」
などと、少しでも思っていただけましたなら、
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