38話 アネモネという女
◆
「ばか言いなさい。ずっとあたくしたちは友達だったでしょう!?」
「えへへ、そうだった……」
ナズナがゆっくりと目を閉じていく。
せっかくまた会えたのに、お別れになってしまうのではないか。
そんな予感に、あたくしはたまらず彼女の身体を揺り動かす。
「ナズナ……ナズナ……!?」
「待て」
ナズナの頭を支えていたバルクロウが「しっ」と指を立ててくる。
そこから、数秒。
「すぅ……すぅ……」
とても気持ちよさそうな寝息に、あたくしはドッと息を吐いた。
「クソッ、心配させやがって」
バルクロウがナズナの鼻を摘まむと、「ぐほっ」と鼻の上にしわを作る。
なんてブサイクな顔なのかしら?
緊張感のないその顔が、たまらなく、たまらなく愛おしい。
そんな寝顔に肩の力を抜きたいのに、醜いとしか表現の仕様がない声が聞こえる。
「お助けください……お助けください、アネモネ様!?」
ゼインだ。ゼイン・ヴェルガント。
カリオン家の分家の次男で、あたくしの筆頭従者で――あたくしを玩具にし、あたくしを利用してカリオン家の後継者に成り上がろうとしていた男。
彼はこの屋敷であたくしに暴行を繰り返していた最中、ずっと話していた。
『ぼくが、どれだけ努力してきたか!』
『兄よりどんな優れた成績をとっても、誰もぼくのことを見てくれない』
『親から関心を受けられず、兄には同情される――それが、どんなに惨めだったか!』
『それがようやく、公爵に認めてもらい、おまえの筆頭従者に選ばれ、このままカリオン家の跡継ぎになれれば――ようやく、ぼくを見下してきたあいつらを見返せる!』
『もう少しだと思ってたのに、おまえと……おまえとあの雑草女のせいで、ぼくの今までの努力があああああ!』
日頃の丁寧な口調すら忘れ、ただただ苛立ちの捌け口を捜していた。
彼の境遇に、同情できないわけではない。
彼の心境を、理解できないわけではない。
だけど、今や兵士らに手錠をかけられ、拘束されているゼインの姿に――あたくしの心が打たれるはずがない。
なのにあたくしが振り返ると、そんな男が救いの神とばかりに見上げてくる。
「わ、私はいつも通り教育をしていただけでございます! 近頃気苦労の多かった主人を労わるために、こうして人里離れた場所を用意して……そうでしょう? ね、アネモネ様!?」
この後に及んで、あたくしに助けを求めてくるなんて。
労わる? 腹いせに暴行していたの間違いでしょう?
図々しいというか。図太いというか。
――そういう点でいえば、ナズナと変わりないのに。
自分の置かれた環境に満足せず、己の力で成り上がろうという精神を否定するつもりはない。年長者に媚びを売ることも、一つの才能であり、努力の成果だ。そのような処世術や彼の今までの努力を、ゼインの雑草のような精神を、あたくしは否定するつもりはない。
――だけど、あたくしは美しいものが好きなの。
どんなに小さくとも、希少価値が低かろうとも。
たとえどぶの中に根を伸ばそうとも、あたくしはきれいな花が好き。
だけど、ゼインは知らないのでしょう。
根を腐らせてしまえば、もうその花はおしまいだということを。
「ほ、ほら、こんな大事になってしまえば、ご当主様もお困りになってしまいます! だから――」
根が健やかでなければ、どんなに肥料をあげても、美しい花は咲かない。
醜い花なんて、あたくしはいらないの。
「不法武器の件は、どう落とし前をつけるつもり?」
淡々と相手してやると、ゼインは同情を誘うような悲壮感溢れる演技を続ける。
「落とし前とはひどい言い草です。その娘が持ってきた物でしょう? 冤罪です! 一緒に撃たれそうになったではありませんか……私はその娘に誘拐されそうになったアネモネ様をお救いするために仕方なくその場にあった武器を使っただけです!」
すると、ルシアン殿下があたくしに視線を向ける。
「それは本当かい、アネモネ嬢?」
ゼインの訴えの一部は本当だ。
拳銃はナズナが所持していたもの。最初に撃ったのもナズナだ。
まあナズナの反応からして、あながちバルクロウという闇商人に騙されたのでしょうけれど……それでも、後半の誘拐はともかく、不法武器の所持で訴えられるべきがナズナであることは違いない。
でも、胡散臭い男が言うには……ナズナはずっと手にグローブを嵌めたままだったらしい。対して、今のゼインは素手の状態。そうよね、あたくしを痛めつけるときは、いつもグローブの洗浄が面倒だからと素手で行っているもの。血の汚れが落ちにくいのでしたっけ? さっきもあたくしを痛ぶっていた最中の騒動だったから……彼はさっきも素手で拳銃を握っていた。
だからこそ――当然、あたくしの答えは決まっているわ。
「その拳銃はゼインの持ち物です。指紋を調べていただければ、はっきりわかるかと思いますわ」
「ア、アネモネ様!?」
驚きの声をあげるゼインに、あたくしは一瞬だけ笑みを向けた。
ゼインは一番大事なことを忘れているのだ。
あたくしが『アネモネ・カリオン』であるということを。
「この屋敷に無理やり連れてこられて……ずっとあたくしはあの拳銃で脅迫されておりましたの。父に彼に恋したと言わなければ、この場で殺すと……ゼインはあたくしと結婚してカリオン家の後継者になるために、ずっとあたくしを暴力で脅していたのですわ!」
「な、なに与太話を。後継者の話はすでに話がついていて――」
そうね。あたくしが王太子妃になろうが、なるまいが、あなたがカリオンの後継者になるようにお父様と話が進んでいたわね。だけど、それはあなたに非がなかったときのこと。あなたが有用な駒だとお父様に思われ続けたらの話。
だけどもし、あなたが『カリオン』にとって有害な駒となったなら?
ルシアン殿下もすべて察しているのだろう。
彼の落ち着いた笑みが、いつになく芝居じみていた。
「双方意見が異なるようだね。その件は持ち帰り、じっくり話を聞こうか。アネモネ嬢も、それでいいね?」
「勿論ですわ! カリオン家の名に懸けて、あたくしは殿下に全面的にご協力いたします」
そういうところが好かないのだけど、今ばかりは共演しましょう。
カリオン家の令嬢として、王家に忠実な駒でありましょう。
「その男を連れていけ」
ルシアン殿下の命令をうけて、兵士に連れられていくゼイン。彼が横を通り過ぎようとしたとき、あたくしは小さく呟いた。
「いち従者と公爵令嬢の発言――どちらが重要視されるかしらね?」
「き、貴様!?」
ゼインはあたくしを殴りかかろうとするも、兵士に手錠を引かれて何もできない。
こんな悪い顔をしているあたくしを見たら、ナズナはどう思うかしら?
怖がるかしら?
それとも幻滅する?
どちらにしろ、あたくしは笑みを浮かべるのだけど。
「今までご苦労だったわね、ゼイン」
階段を降りていくゼインから、「くそ……くそおおおおおおお」と悔しげな雄たけびが聞こえる。
その清々しい別れの挨拶にあたくしがボサボサの髪を掻きあげると、馴染みのある紳士二人が眉間にしわを寄せていた。
「こ、怖え……」
「悪い令嬢だね」
無垢な少女に不法武器を持たせた闇商人と、王家の兵を平然と連れてきた王太子に言われる筋合いはないわね。
だから、あたくしは二人の戯言を鼻で笑い捨てる。
「悪役令嬢とでもお呼びください」
そのとき、気の抜けた声が耳に届く。
「アネモネちゃん……かっこいい……」
むにゃむにゃと寝言を話すナズナに、思わずあたくしは噴き出す。
堪らず、彼女の髪を撫でていた。
――あたくしのだいすきな、友達のことを。
次が最終話です!
「おもしろい!」「続きが楽しみ!」「アネモネちゃん!!」
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