29話 赤が似合う女
「ナズナ……ナズナ……」
あたくしはなんとかナズナの上のシャンデリアを退かそうとする。
だけど、思ったように持ち上がってくれない。
己の非力さに奥歯を噛み締めると、そっとあたくしの手が退かされる。
ルシアン殿下だ。
「手が傷ついてしまうよ」
いつもより険しい顔をしながらも、あたくしが「そんなこと!」と声を荒げるよりも前に「男性は手を貸してほしい!」と人手を募る。
そして、集まった男性たちの手で、シャンデリアが動かされた。
誰よりも先にあたくしが駆け寄ると、ナズナがゆっくりと身を起そうとする。
「アネモネちゃん、離れて……せっかくの白いドレスが汚れちゃう……」
……この子は、何を言っているの?
たしかに、いつのまにかあたくしの真白のドレスに赤いシミがついていた。
彼女の血がうつってしまったのだろう。
だから、どうした?
あたくしは彼女に涙を見せないため、一瞬だけ奥歯を噛み締める。
そして、すぐに笑みだけを見せた。
「バカ言わないで。あたくしは白より赤の方が似合うのよ」
あたくしが長年培った矜持に、ナズナもゆるりと口角をあげる。
「あはは……アネモネちゃんはやっぱり……カッコイイなぁ」
あたりまえよ。
あなたにそう言われたくて……今まで頑張ってきたんだもの。
あなたにこう言われたくて……あたくしはこんなバカなことをしようとしたんだもの。
「アネモネちゃん、だいすき……」
そして、彼女はあたくしの腕の中で目を閉じる。
大丈夫、彼女の吐息がちゃんとあたたかい。
それでも、この苦しそうな吐息が、いつ止まってしまうのかもわからなくて。
あたくしの涙が、いよいよナズナの頬の上に落ちる。
そして、心からの想いを小さく吐露して。
あたくしは顔をあげた。
悔いたいことは山ほどある。
こんなことになるなら、自分を犠牲にするような真似をしなければよかった。
まさかナズナに助けられるなんて……その想像ができなかったことを、悔やんでいる暇はない。
悔やんでいるだけでは、彼女を助けることができない。
泣いているだけでは、彼女を助けることができない。
今のあたくしに、できること。
非力なあたくしにだって、できること。
考えるまでもない、ただの令嬢でしかないあたくしにできることなんて、一つしかないではないか。今となりに、最大の権力者がいるのだから。
「ルシアン殿下、お願いがございます」
「言ってみるといい」
どうせ、あたくしは自ら命を捨てようとした身だ。
脳裏にお父様やゼインの顔が思い浮かぶ。
だけど、どうした?
今更、あたくしが何を恐れるというの?
この腕の中の親友を、失うこと以外に。
「あたくしは何を失っても構いません。この子を助けてください!」
強くナズナを抱きしめたまま、あたくしは頭を下げる。
声がかかるまで、頭はさげたまま。
ポタポタと何滴ナズナを濡らしてしまったのだろう。
だけどその落ちた雫だけ「お願いします、お願いします!」と声をあげて。
殿下からの「顔をあげて」という声は、いつになく穏やかなものだった。
「王太子の名に懸けて、その願いを叶えよう。ただ……対価の覚悟はできているのか?」
「もちろんです」
迷うことなく顔をあげると、殿下は柔らかい笑みを浮かべた。
今までに見たことがないほど、やさしい笑み。
はじめて、彼と通じ合えた瞬間だった。
このとき、あたくしの偽りの片思いが、砕け散るとしても。
「ナズナ・フェルミエは僕の想い人だ! 重要人として救助の要請しろ!」
発令を下す殿下の背中を、初めてカッコイイと思えたとしても。
あたくしの心には、欠片も後悔がない。
◆
なんだか夢を見ていたような気がする。
まだ私たちは子どもで。私のオンボロの家に、アネモネちゃんがきれいな馬車に乗って遊びにきた。そして、二人でドレスを着て、ダンスパーティーを開くのだ。
私は緑のドレス。
アネモネちゃんは赤いドレス。
二人して手を握って、くるくる回るだけの簡単なダンス。
それなのに、アネモネちゃんがケタケタと嬉しそうに笑ってくれるから。
だから、普段なら聞けないことも、思わず聞いてしまうのだ。
『アネモネちゃんは……私のことすき?』
すると、アネモネちゃんの姿が大人になる。
真っ赤な髪をたおやかに伸ばした、誰よりもきれいな淑女になって。
誰よりもきれいで、泣きそうなほどに優しい顔で、私に微笑みかけてくれるのだ。
『だいすきよ、この世で誰よりも……ナズナことがだいすき』
次の瞬間、真っ白な天井が見えた。
思わず、私はキョロキョロと周囲に目配せする。
アネモネちゃん……どこに行っちゃったの?
だけど、なぜか私が眠るベッドサイドで、キラキラ王太子殿下が本を読んでいて。
少し体を動かそうとするたびに、全身がピシピシと痛む。
……なんだ、これ?
ここは……学園の医務室かな?
なんで私はこんなところで寝ているんだろう?
それを問う相手は……一人しかいないよなぁ……。
「あの……ルシアン、殿下……?」
うっすらと記憶は残ってるよ。
私、アネモネちゃんをシャンデリアの落下から守るため、飛び出したんだよね。
その直後からの記憶はないけど……まぁ、あちこち包帯巻かれて痛いことから、私が大怪我を負ったことは想像にたやすいわけで。
それで意識を失って、医務室で治療を受けたとしても……。
どうして私の身守り役に、ルシアン殿下がいるのかな!?
私の呼びかけに、ルシアン殿下が「あぁ」と本を閉じる。
そしてとても眩しい笑みで、私にこう呼びかけた。
「おはよう、僕のハニー」
「はい……?」
4章はこれにて終了です。5章でいったん完結にしようかな、思っています。
最後までどうぞよろしくお願いします!
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