28話 彼女が花を咲かす場所②
そう……あたくしは羨ましかった。
両親と仲良く過ごしているだろうナズナが。
興味あるところに、いつでも駆けていくことができるナズナが。
思ったまま、表情を出すことができるナズナが。
そして、今もナズナは、あたくしの言葉に嬉しそうに頬をほころばせた。
『もしもそんなときが来たら……それはきっとアネモネちゃんのおかげだね』
『あたくしの?』
――淑女の手本であれ。
――羨望される存在であれ。
そんなおかあさまからの教育の結果、現にあたくしは『つまらない』と言われたばかりだ。……いや、おかあさまのせいではない。あたくしに魅力がないだけの話である。
だけど、そんなあたくしに対して、ナズナはまっすぐに花を咲かせてくれる。
『わたし、アネモネちゃんが憧れなんだ!』
その小さな花は、なんてかわいいのだろう。
真っ赤な母の名を冠した花を背にしても、その白い花は臆することなく咲いていた。
泣きたくなるくらい、愛おしいほどに。
その花をいつまでも見続けるため、あたくしは小さな決意を固める。
――淑女の手本であれ。
――羨望される存在であれ。
――だいすきな花から、憧れられる花であれ。
『ならあたくしは、ずっとあなたの憧れでいなければならないわね』
そして、二人で栞を交換するまでの仲になった。
あたくしから贈る栞に『だいすき』なんて書けなかったけど。それでも、自分でナズナの花を捜して、紙も自分で選んで、自分で細工をして……一生懸命、あたくしなりの気持ちはこめたつもりだった。
交換したときの『ありがとう!』の声が、ずっとあたくしの耳に残っていた。
だけど、そのときは訪れた。
『二度とフェルミエ家と関わるな!』
どうやら、フェルミエ家に投資していた事業が失敗したらしい。
投資していた分のお金が無駄になり、お父様は荒れに荒れた。
そんなおとうさまの姿にショックを受けながらも、あたくしは悲しく思ってしまう。
ナズナにもう会えないの……?
しかも、その直後から厳しい状況が五歳のあたくしにのしかかった。
不幸にも、おかあさまが流行り病を拗らせて、亡くなってしまったのだ。全国各地から医師を呼び寄せ、あらゆる治療法、薬を試した。だけど、どれもおかあさまの容態を回復させることができなかった。
最期を看取ったのは、おとうさまのみ。
部屋から出てきたおとうさまは、ひどく激怒していた。
『アネモネ……おまえは何が何でも国母になれ。王太子に愛される女になるんだ』
死の間際におかあさまが何を話したのか。
なんとなく、あたくしにはわかった気がした。
本当はずっと国母の座に未練があったと。
本当はおとうさまのことを愛してなどいなかったと。
『母親の無念を……おまえが晴らすんだ……』
あたくしを抱きしめながら涙を止めないおとうさまに、あたくしは悟った。
それでも、おとうさまはおかあさまのことを愛していたのだ――と。
だから、おとうさまはおかあさまを恨まない。
代わりに恨み、怒りの矛先になったのがナズナのフェルミエ家だった。
『あのとき、もっと金があれば……あの薬さえ手に入れることができたなら……』
おかあさまの治療で、ひとつだけ試せなかった薬があったという。
おかあさまに効いた保証はない。だけど、あまりに希少で手に入れることができなかった薬の原料が一つだけあったのだ。
だから、おとうさまは悔やみ続けた。
おかあさまが土に還ったあとも、ずっとずっと悔やみ続けた。
『もしも、あの投資で失った金さえあったなら……』
たとえお金があったとて、手に入る伝手すらなかったのに。
ひとしりき嘆き終えたおとうさまが、ある日あたくしに笑顔で話しかけてきた。
それはおかあさまが亡くなって、一年がすぎた頃。
おかあさまが病に倒れてから、久方ぶりに見た父の笑顔だった。
『やはり身内でない者など信用できないからな。アネモネ、これからは彼に遊んでもらいなさい』
そうして紹介されたのが、のちにあたくしの筆頭従者となるゼインだった。
三歳年上のお兄さん。あたくしの従兄にあたる人物であった。
彼は当時から、笑みを作ることだけは上手だった。
『どうぞ仲良くしてくださいね、アネモネ様』
あたくしは徐々に知ることになる。
もしも、あたくしが王太子妃になれなければ、彼と結婚することになると。
お父様はあたくしが彼に叩かれ、殴られ、蹴られたりしようとも、笑っていた。
『母親と同じ教育方針だなんて、よかったなぁ。だけど顔だけは傷つけるなよ。王太子妃になる娘だからな』
お父様は、金と権威だけに固執する男となった。そんなお父様と野心の塊であるゼインが意気投合したのだろう。
こうして、あたくしは彼らにとっての金と権威を運ぶ人形となった。
そんな親子関係に、あたくしは何も期待したことがない。
義母と義妹がやってきたところで、それは何も変わらない。
だけど――あたくしにだって心がある。気持ちがある。
誰にも譲りたくない想いがある。
かつて小さな花に誓いがある。
――淑女の手本であれ。
――羨望される存在であれ。
――だいすきな花から、憧れられる花であれ。
だから栞に書けなかった『だいすき』の代わりに、あたくしはナズナにウソのドレスコードを教えた。どんなに辛いときも、たとえ会うことができなくなっても、いつもあたくしの心の中に咲き続けてくれた、あたくしの心に咲く小さくてかわいい花。
彼女と話したなんてことない会話が。
彼女と過ごしたなんてことない思い出が。
どんなに、あたくしを支えてくれたことだろう。
だから、彼女にために死ぬことなんて惜しくない。
むしろ、彼女のために死ぬことができたら……天国のおかあさまも、あたくしの意地と矜持を褒めてくれるんじゃないかと、そんな気すらしていたのに。
それなのに……どうして、ナズナは今、シャンデリアの下で倒れているの?
※
「ナズナ……どうして……?」
落ちたシャンデリアの下に、ナズナ・フェルミエが倒れている。
「アイ君……がね、天井から腐敗臭がするって教えてくれたから……シャンデリアのワイヤーが危ないんじゃないかって……」
「そんなこと聞きたいわけじゃ――」
緑のドレスの上に、白衣なんかを纏った不格好な少女。だけど、その白衣はどんどんと赤いシミを増やしていく。彼女から流れた血を吸いこんで。
あたくしを突き飛ばして、あたくしを助けたナズナ・フェルミエ。
彼女は今も、シャンデリアの下なんかに咲いている。
「アネモネちゃんが、無事で、よかった……」
昔と変わらぬ、能天気な笑みを浮かべて。
アネモネちゃんがんばります。
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