27話 彼女が花を咲かす場所①
※
それは、まだ三歳くらいのとき。
初めて会った日に別れ際に、彼女はこう言った。
『アネモネちゃん……ありがとう……』
意味がわからなかった。彼女は、今日初めてお招きした娘だ。
ナズナ・フェルミエ。
あたくしと同い年で、隣の伯爵領の一人娘。
母が定期的に開催するお茶会に連れてこられた子。当然、お茶会の最中は子ども同士で遊んでいるのだけど……彼女は人見知りなのか、ずっと部屋の隅でひとりお人形遊びをしていた。
正直、お礼を言われるようなことなど何もしていない。他の子にはおかあさまに命じられたとおりにおもちゃを貸したり、お菓子を勧めたりしたからわかるのだけど……彼女とは話してすらいないのだ。
だから思わず目を瞠っていると、彼女ははにかむ。
『ナズナのわるぐちを言わないでくれてありがとう』
『……わるぐち?』
『ナズナはね、耳がいいの。だからよけーなことも聞こえちゃうんだけど……アネモネちゃんは、おともだちがわるぐち言っていても、いっしょにわるぐち言わないでくれたから』
……それだけ?
記憶を辿れば、たしかに他の子は隅っこでひとりお人形遊びをしていた彼女に対して『暗い』だの『つまらない』だのと陰口を叩いていた。だけど、あたくしはあまりにくだらないから聞こえないふりをしていただけのこと。
だって、おかあさまが言っていたから。
カリオン家の令嬢は、常に気高くあらねばならないと。
――淑女の手本であれ。
――羨望される存在であれ。
現に、おかあさま は国一番の淑女と謳われる淑女だった。
本来は国王と結婚し、国母になる予定だったという。だけど、国王が恋愛結婚した結果、おかあさまは公爵家であるおとうさまと結婚することになった。どうやら前々からおとうさまの熱烈なアピールがあり、それに応えた形だったという。
そんなおかあさまは、この国すべての女性からの憧れだったという。恋愛結婚の象徴である現王妃陛下からも、外交の場で『私の憧れの人』と紹介されたという。
誰よりも気高く、美しい淑女、シクラメン・カリオン――そんなおかあさまを、あたくしも、おとうさまも誇りに思っていた。
だから、あたくしもおかあさまからの教えに倣っていただけだった。
低俗な話題を聞き流しただけ。
もっと有意義な話をしようと、話題を変えただけ。
でないと、教育に厳しいおかあさまからお叱りを受けてしまうから。
――あなたこそは国母になるのよ。
――王に愛される女になるのよ。
――わたくしの無念を晴らすのよ。
あたくしはその期待に応えないとならないから。
なのに帰る間際、彼女の家の馬車の支度が遅れていると、少しだけふたりになったとき、モジモジとそう話しかけてきて。
『アネモネちゃんは……すごくやさしいね』
人見知りなのだろう。
耳がいいということだから、余計に人に話しかけるのが怖いのかもしれない。
それなのに、あたくしに話しかけてきてくれた。
あたくしを褒めてくれた。
あたくしを見上げて、不器用ながらに笑いかけてくれた。
――おかあさまがあたくしを褒めることなどない。
――おかあさまがあたくしに微笑みかけてくれたことはない。
だからこそ……目の前のかわいい勇気を無下にするのは――それこそ、貴族として、カリオン家の令嬢として相応しくないのではなかろうか。
だから、あたくしは彼女に手を差し出したのだ。
『よければ、あたくしのおともだちにならない?』
途端、彼女の表情に花が咲く。
かわいくて、純粋で、まぶしいばかりの笑みだった。
『なる~~!!』
それが、あたくしとナズナ・フェルミエとの出会い。
あたくしたちが仲良くなるきっかけだった。
それから、ナズナと遊ぶようになって、あたくしは楽しかった。
多くの貴婦人を呼んだ昼食会も、ナズナさえいれば退屈せずに済んだのだ。
『アネモネちゃん、このお野菜の産地はね――』
あたくしの予想を超えて、ナズナは博識だった。
花の名前やお茶の種類。各地方の雑学。家庭教師から教えてもらうような本にはない知識が、あたくしにとってとても彩あるものに思えたのだ。
だから、ある日のお茶会のときに訊いてみた。
『どうして、こんなに詳しいの?』
『パパがよくお話してくれるの。これからウンソウギョー? をするから、各地の色々な情報を集めているんだって』
どうやらナズナの両親が新たな事業を始めようとしていることは知っている。そのための準備として、ナズナの両親はよくうちにも訪れていた。どうやらカリオン家が資金援助という形で協力する話が進んでいるという。
そうだとしても、ナズナはあたくしと同じ五歳児だ。父親と仲がいいのが羨ましいというのもあるが……それをここまで覚えていられるものなのだろうか。
あたくしのように、覚えが悪いとおかあさまから鞭で打たれた傷もないのに。
そう、ちらりとナズナのささくれながらも故意の怪我がない手を見つめていたときだ。
『あ、あのお花!?』
食事の途中で、ナズナが中庭に飛び出していく。
同じテーブルについていたおかあさまが食事の手を止めずに告げた。
『アネモネ、今だけですよ』
おかあさまは、ナズナのことをよく思っていなかった。
打ち解けたナズナはとても明朗活発な女の子だった。どうやら王妃陛下も似たような女性らしく、そのことからナズナのことを好ましく思っていないようだ。それでも、事業支援するゆえか、同じテーブルで『すみません』と頭をさげるナズナの母には『好奇心は子どもの特権ですから』と愛想笑いを浮かべている。
あたくしがナズナのあとを追おうと席を立ったとき、他のテーブルの子たちからヒソヒソとした声が聞こえた。
『またアネモネさまはあの子と遊んでる……』
『まあ、アネモネさまと話してもつまらなかったし』
――そんなこと知っているわ。
そう……あたくしはつまらない人間。
おかあさまに言われるがままに教育を受けて、その結果が『つまらない』。
――まあ、手本が面白いなんて、おかしな話よね。
おかあさまが心から笑った姿を、あたくしはほとんど見たことがなかった。
それでも、皆がおかあさまを羨望し、おとうさまはそんなおかあさまを愛している。
ならば、何も問題はない。
あたくしも、それで問題はない。
だけど、だからこそ――あたくしには、中庭でしゃがんで何かを見ているナズナがひどくまぶしく見えた。
自由で、どこにでも自分の足で走っていけて。
まばゆい笑みを向けてくる、ともだちのことが。
『アネモネちゃん、ナズナの花があった!』
それは、花壇のはずれにひっそりと咲いていた。
三角形の小さな葉の列の上に、これまた小さな白い花束をつけたような花だ。たくさん密集していれば見ごたえがあるかもしれないが、花壇の脇に、それは一本だけ咲いていた。もしも庭師に見つかれば、雑草として引っこ抜かれてしまうに違いない。
だって、この花壇は赤いシクラメンが植えられているからだ。
シクラメンは母の名前でもある。赤いシクラメンが咲き乱れた花壇に、白い花は一本だけにょっきり顔を出していた。
『へぇ、これが……』
私がまじまじ見下ろしていると、ナズナが説明してくれた。
どうやらナズナという花は日当たりさえよければどこにでも生えているものらしく、わざわざ花壇で育てようとする人など誰もいない花らしい。花が咲いたあとに作る小さな緑の実がそのまま土の上に落ちて育ったり、人や動物に付着して、どこか見知らぬ地で根を伸ばしたり――そんな誰かが意図したりすることなく、あちこちで勝手に咲き誇る小さな花――それがナズナという白い花。
そんな説明を聞いて、あたくしは心からの感想を漏らす。
『あなたって、本当に名前通りの人ね』
そう告げると、ナズナが泣きそうな顔をした。
悪口だと思ったのだろうか。
たしかにあたくしの言葉選びが悪かったのかもしれないけど……あからさまにショックを受けたナズナの顔があまりにも可愛くて、あたくしは思わず苦笑した。
『どこでも花を咲かせることができるなんて、たくましいにもほどがあるわ』
アネモネちゃんの回想はもう1話つづきます。
「おもしろい!」「続きが楽しみ!」などと、少しでも思っていただけましたなら、
【ブックマーク登録】、感想やレビュー、並びに、
ページ下の評価(☆☆☆☆☆→★★★★★)から、応援いただけると嬉しいです。
皆様からの声や反応が何よりのやる気に繋がります。
ぜひご協力のほど、よろしくお願いいたします!




