16話 アネモネを捧げる相手
◆
「お嬢様、本日のご予定は?」
ダンス試験が終わり次第、今日もあたくしの筆頭従者ゼインが迎えに来た。当然、わらわらと配下の従者を引き連れて。
今も、ホールにはソルディス男子院の生徒らがいる。それぞれパートナーとなった令嬢と当日までのダンス練習を口実にデートなどの約束を交わしていた。
雑草の彼女もまた、ルシアン殿下から誘われているようだ。
「当日までに何回かダンスの練習をしておこうか?」
「い、いえ……殿下はお忙しいでしょうから……自主練でがんばります……」
「はは、遠慮することはない。どのみちパーティーの準備で定期的にルミエール女学園に来る予定があるんだ」
「え、えぇ?」
目を白黒させている彼女を、当然ゼインが見逃すはずがなく。
一瞬だけ彼女を睨みつけた後、すぐにあたくしに向かって柔和な笑みを浮かべた。
「お疲れのご様子ですから、お部屋で少々ゆっくりしましょうか」
――ビシッ。
ビリビリと、あたくしの背中に痛みが走る。
何度経験しようとも、この鞭の痛みに慣れることはない。
ゼインは部屋に私に連れていったあと、すぐに他の従者を下がらせた。
二人っきりになったあと――行われるのは、いつもの『お説教』だ。
部屋に入るないなや、ゼインは白グローブを外して鞭を握った。
鞭の振動が手に直接伝わる感覚が好きらしい。
現に、今もその顔は愉悦に歪んでいた。
「どうして、あんな娘に殿下のパートナーを奪われたのです? 公爵らにどう報告すればよろしいのですか!?」
「ご、ごめんなさい……」
また背中を鞭で叩かれる。
そう――これはいつものこと。
ゼインはあたくしの従者であると同時に、あたくしの指導役だ。
不出来なあたくしに『指導』することを、お父様から認められている。
それがあたくしの筆頭従者、ゼインという男。
「わかっておいでですか? あなたは王太子妃になれなければ、存在する意味がないのです。あぁ、それとも実は私と結婚したいと? そんなに想われているとは存じませんでしたが」
このときのゼインはいつも恍惚としていて。
そう、わかっている。
あたくしは王太子妃と結婚できなければ、このゼインと結婚させられる。
それは、お父様がそう決めたから。
ゼインはヴェルガント家……カリオン分家の次男坊。
生まれながら、ヴェルガント家の当主になれない……それがわかった彼は、幼い頃から本家の当主であるあたくしのお父様に取り入り始めた。
彼の努力の結果が、これだ。
あたくしが無事に王太子妃になれたら、ゼインは義妹の婿となり、カリオン家を継いでもらう。
あたくしが王太子妃になれなければ、ゼインはあたくしの婿となり、カリオン家を継いでもらう。
どっちに転んでも、ゼインはカリオン家の跡継ぎ。
分家の次男坊の成り上がり――それだけを聞けば、あたくしも感心を覚えてしまうような美談である。
その主役が、あたくしの背中を靴を履いた足で踏みつけ、愉悦に顔を歪めている当人でなければの話だが。
「婚姻後も、私は大層可愛がってあげますよ。そうなれば……傷を残さないようにとか、服で隠れる場所などと……制約を受けずに愛してあげられますしね?」
歯向かおうにも、あたくしは鞭で打たれるだけ。
かつて、亡き母から指導を受けたときと、同じように。
――恋愛なんてクソくらえよ。
これなら始めから、政略結婚だと言われたほうが何倍もよかった。
だってそのほうが、愛を演じずに済む。
『従者として支えられているうちに、彼への真実の愛に気づきましたの』
そんな戯言を、口にしなくて済んだのだから。
鞭で打たれる以上の屈辱から逃れるために……せめて、あたくしはルシアン殿下と結婚したかった。
ずっと、父やゼインの傀儡だとしても。
母の無念の晴らすための、亡霊でしかないのだとしても。
そんなあたくしの唯一の救いを阻むように――あの子が現れたのだ。
「それとも、よもやあんな娘に情を抱いているわけではありませんね?」
ナズナ・フェルミエ。
彼女はかつてのあたくしの親友。
そして、我が家に大きな損害を与えた憎き家の娘。
「ナズナ・フェルミエは、我が家の敵です! かつて、カリオン家が提供した多額の資金をすべて泡と変えた……我が家に多額の損害を与え、あなたの母君を殺した家の娘です。その娘が、このルミエール女学園に通うどころか、王太子妃になるなど……あってはならないこと! そんなこと、公爵がお許しになるとお思いですか!?」
投資なんて、損する可能性があるとわかったうえで行うことだ。
投資に失敗したのは、投資先を選び損じたお父様が悪いだけのこと。
お母様の死に関しても……似たような八つ当たりだ。
ましてや……当時五歳の娘を恨むなんて、頭がおかしいとしか思えない。
それでも……あたくしがカリオン家に生まれた以上、お父様の意思は絶対なのだ。
だけど、ゼイン自身は?
「お父様はそうだとしても……あなたとナズナ・フェルミエに何か関係が?」
「なーんにもございませんが?」
あたくしの問いかけを、ゼインが鼻で笑い飛ばす。
再び鞭を振りおろしながら。
「だとしても、公爵のお怒りを買うようなことがあれば、すべて僕のせいにされかねない。僕の今までの努力を無にされたらたまったもんじゃありませんからね。そのためなら、小娘の命の一つくらい……あなたが処分できないのであれば、私が直接手を下しますが?」
ゼインは容赦のない男だ。
彼の手で処分されてきた従者を、あたくしは何人も見てきた。
ましてや、こんな加虐趣味……あの子がどんな目に遭わせられるか想像にたやすい。
だからあたくしは身体を起こしながら、毅然とゼインを見上げる。
「安心なさい。あたくしがきっちり処理します。わざわざあなたの手を借りなくても……ちゃんと、殿下のパートナーにはあたくしが返り咲きますわ」
どんなに傷が痛んでも、あたくしは立ち上がる。
だってあたくしは……いつでも、あの子の憧れの令嬢でいなければならないのだから。ドレスの下に、どれだけの傷があろうとも。
それを今も、あの子は望んでくれているのだから。
「だから、あなたの手出しは無用よ。説教はこれで十分でしょう。一人になりたいの。あなたも部屋から出ていってくれる?」
「……かしこまりました」
趣味を十分の堪能したゼインが大人しく部屋から出て行った。
一息ついたあたくしは、引き出しから本を取り出す。
本自体に興味はない――あたくしは本に挟んでいたしおりを手に取った。
もうボロボロになった子どもが作ったしおりだ。
昔、彼女と一緒に作って、交換した――アネモネの花を押し込めたボロボロの栞。
花といっしょに『だいすき』という幼稚な文字が並んでいる。
あぁ、あの子の声が耳の奥で聞こえる。
『アネモネちゃん、だいすき!』
栞を交換して笑ってくれたときと同じ、彼女の無邪気な声が。
「だから、早く退学してほしかったのに……」
嗚咽とともに、一粒の涙がアネモネの花を濡らす。
2章はここまでです。
3章はオリエンテーションの話。アイ君含めてみんなでわちゃわちゃしています。
作者から、ここまで読んでくれた皆様へお願いです
「おもしろい!」「続きが楽しみ!」「アネモネちゃん……!」
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