第5話 ピンチは出世のチャンス
昨年に引き続き海軍史を揺るがす大事件が発生した。
「酷い有様だな。これが日本海軍の軍艦ふねというのか」
第四艦隊は海軍大演習のため函館を出航する。岩手県沖にて艦隊対抗演習を実施するために航海を続けていた。台風接近の情報が入ってくる。朝の時点で午後には直撃することが明らかになった。当然ながら、回避のため反転すべしの声が上がる。日本海軍は量で劣る以上は質で欧米諸国に勝る以外に勝機はなかった。台風の中で海戦が行われたり、台風を突っ切り奇襲攻撃を仕掛けたり、これも良い経験になるだろう。そのような楽観的な見方から正面から突っ込むことを選択した。
これが史上最悪の事故を召致する。日本の気象観測の中で台風に関しては世界最高峰の精度を誇った。他国の船舶に情報を提供した際には高精度を高く評価されている。まさにドンピシャと第四艦隊は台風の中心部に突っ込んだ。最低気圧は960hPaという猛烈な勢いであり、最大風速は34m/sを記録する暴風が吹き荒れ、最大20mに達する三角波が発生する。そこを航行するのだから人工物はメチャクチャにされた。特に水雷戦隊は台風の右側に位置した故に甚大な被害を記録する。特型駆逐艦は艦首を切断されて20名以上の行方不明者(殉職と判定)を出した。
「各艦へ告ぐ! 最上は無事である! これより救助作業の陣頭指揮を執る! 状況を把握したい! 速やかに報告されたし!」
「嘘だろ。あの中を無事で突破したのか…」
「見ろ! 最上だ! あの主砲は間違いない!」
「艦首から艦尾までピンピンしていやがる」
台風をやり過ごした後に惨状が広がる。誰もが沈痛な面持ちになるところ、二隻の姉妹は威風堂々とした姿を現し、味方を鼓舞するようだった。非常事態のため発光信号に限定せず通信回線を開いている。軽巡洋艦の指揮通信能力は特段高いわけでなかった。第四艦隊の旗艦は足柄である。指揮系統が云々かんぬんなど贅沢は言っていられなかった。足柄は比較的に軽傷であるが艦首を切断された初雪の救助作業に多忙が呈される。
最上型軽巡洋艦の最上と三隈は姉妹で艦隊の状況把握と整理、最寄りの基地に通報など速やかに対応した。あの台風が直撃して無傷とは驚異的である。重巡洋艦でさえ揉みくちゃだ。もちろん、揉みくちゃにされたはず、船体には微々たる損傷のみ。水上機発進の射出機が損傷するなど無傷は誇張されていた。それでも艦首から艦尾にかけて目立つ損傷は見られない。
「最上型を設計した奴はすげぇぞ…」
「間違いねぇ…」
「その人が作った軍艦に乗りてぇなぁ…」
「今だけだぞ。そういうことは」
第四艦隊事件と称された。
この事件は昨年の友鶴事件に引き続き条約型の軍艦の脆弱性が露呈する。本件は規模が規模のため臨時の調査委員会が設置された。責任者は野村吉三郎大将が務めると原因究明の徹底が厳命される。当初は電気溶接を多用したことの弊害と主張されたが真っ向から反論する者がいた。その者は自身が手掛けた最上型軽巡洋艦が最も被害が少なかったことを証拠に挙げる。友鶴事件の報告書や自身の勧告など一の追及に対して百の反論を以てやり返した。
牧野茂少佐である。友鶴事件の時点において特型駆逐艦の脆弱性を指摘していた。電気溶接を多用する設計に関しては「罪なし」と証拠を付随した上で激しく反論する。その証拠が最上型軽巡のため絶大な威力を発揮した。これに生存者の証言が加わる。平時の良好な居住性と安定性は好評だった。そのバイアスが効いていた可能性は否定できないが、第四艦隊の生存者の証言というバックアップは強力であり、いつの間にか追及は称賛に変わっている。
牧野茂こそ新時代の造船屋だ。
「いやはや、禍を転じて福と為すかなぁ」
「牧野さんの手掛けた最上型が無事だった。これが何よりもの航跡です。もう平賀のお爺さんの時代は終わりました。藤本さんが牧野さんの大出世を見届けられずに旅立ったことが悔やまれます」
「天から見てくれているはずだ。藤本少将が推挙した軍艦は台風に勝利を収めたのである」
「それよりもどうしますか」
「何がだ」
「なにせ貴重な造船系です。二階級特進ですよ」
「そうだなぁ。大佐への昇進は確実として少将もすぐと言われてしまった」
まだ調査は終わっていない。ただ設計が悪かった、ただ電気溶接が未熟だった、などと結論を出すことは急ぎすぎだ。物事の芯を捉えることができない。鋼材の材質、電気溶接の技術向上、振動や温度の与える疲労の度合いと調査して研究することは数え切れなかった。誰かが責任をとらなければならない。それ以上に未来を切り開くことが重要だった。
それでは誰が未来を作り上げるのか。あいにく、平賀譲は造船の神様から退いてもらった。委員会にオブザーバーと参加しているが意見は流されている。電気溶接の制限など保守的な思想は旧時代のものだ。艦政本部の中枢から疎まれると遂には現場から追い出される。藤本氏が後任と見られたが1月に急死した。日本海軍の造船に関し大きな喪失である。しっかりと後身の育成を図っていた。若き天才造船技師が台頭してくる。
「新型航空巡洋艦に量産型の軽巡洋艦、ポケット戦艦、駆逐艦と忙しい。そこへ戦艦と空母を差し込まれたら堪らないな」
「そういって」
「嫌じゃないのでしょう」
「あぁ、トコトンやってやる。藤本さんのために粉骨砕身だ。②計画の修正は終わっていないからつめていく。それが終わり次第に条約が切れた後の計画に取り掛かる。皆には悪いが付き合ってもらえるかな」
「はい。ついていきますよ」
「任せてください」
横須賀鎮守府と艦政本部からテコ入れを進めていた。藤本喜久雄の後継者という肩書はもちろん、存命中に謹慎処分の身でありながら人望の厚さ以て入念な根回しを行い、自分の後継者が牧野茂少佐であることをアピールする。牧野本人も奇才ぶりを発揮した。最上型の先進的な設計は航空巡洋艦を開拓する。条約外艦艇の改造や5,500t級軽巡の高速輸送艦転用に伴う新5,500t級巡洋艦、艦隊と防空の汎用駆逐艦など補助艦が中心でも堅実に積み重ねてきた。決して、親の七光りではないと言わんばかり。第四艦隊事件における最上型の健在ぶりが転換点をなした。
調査を終了次第に牧野茂を少佐から大佐に昇進させる。その上で1937年に軍縮条約が失効を迎えるに際して、③計画を立てているが主力艦の設計を任せる予定であり、日本海軍の行く末を決める大戦艦が待っていた。それまでは待ちぼうけはいただけない。彼は最上型を発展させた新型航空巡洋艦、量産を前提にした中型空母G9、G9を拡大した大型空母を抱えた。③計画が始動する前に大枠を固める。それ以外にも長砲身の10cm級と8cm級の高角砲兼副砲を開発、八九式127mm高角砲を改良、ポケット戦艦向けの小口径長砲身の主砲を開発といった兵装面も携わった。若いことを武器に大鉈を振るう。
「ピンチはチャンスに変える。風向きは追い風だ」
「牧野さんについていけば勝てる。ということで、一杯どうです」
「俺に奢らせるつもりだろう。よし、イッチョ前にやるか」
「ありがとうございます!」
「その代わり、わかっているとは思うが、単なる酒宴じゃない。皆の忌憚のない意見が聞きたいんだ。ここじゃ話せないことを存分に話し合う。ガス抜きと言えばガス抜きだが酔いに溺れる奴は要らんぞ」
「この腹ん中に秘蔵の案があります。どうぞお楽しみに」
若手は若手を集めていた。牧野会という有志の集いである。なにも一人だけで改革できるとは毛頭も考えていなかった。崇高な志を同じくする仲間を集めた。そして、必勝を願うのではなく皆で手繰り寄せる。独り善がりは言語道断と戒めた。ワンマンプレイはいけない。
「皆で造船から勝利を掴む」
続く




