第4話 友鶴事件
友鶴事件が発生した。
「牧野少佐よ。藤本君は謹慎処分だが君を代役に据えたい。やってくれないか」
「調査ですか。わかりました。なんとなくは理解しています」
「さすがだ。米内司令長官の命だから慎重に頼んだぞ」
「はい」
水雷戦隊の夜間演習中に千鳥型水雷艇の三番艦である友鶴が転覆する事故が起こる。当日は夜間の上に荒天だった。波浪は本当に高く傾斜を強いられる。千鳥型の設計上は耐えられるはずだ。あっけなく転覆している。操舵にミスがあったのではと疑った。いいや、設計上に欠陥があったのではと本格的な調査が命ぜられる。これにより100名の尊き命が失われた。彼らのためにも原因を徹底的に究明しなければならない。
米内光政から直々に指名されたのは牧野少佐だった。千鳥型を設計した藤本は責任追及のために謹慎処分が下る。まさか老体の平賀譲を持ってくるわけにはいかなかった。したがって、フランス仕込みにして若さもある牧野茂に白羽の矢が立つ。彼は藤本の右腕だが独自理論を展開するなどイエスマンではなかった。平賀にも噛み付く度量の持ち主らしい。それ故に公平にして公正な調査ができた。すでに大量の設計を抱えているが同僚や部下に任せて調査に移る。ここで厳しい姿勢を披露することで信頼を集めるんだ。一大事件を出世のきっかけにする。
「まぁ、なんだ。盛り込みすぎたな。条約が悪いよ。条約が」
とっくに結論は出ていた。小型艦に盛り込みすぎである。ロンドン海軍軍縮条約から巡洋艦や駆逐艦の補助艦艇を補う小型艦が求められた。そこで、排水量600t程度の小柄な船体に駆逐艦並みの重武装を与える。千鳥型水雷艇が登場した。分不相応な装備を与えることは古鷹型巡洋艦や夕張という見た目だけは成功例が並ぶ。これが良くなかった。藤本の責任が無いとは言い切れないが嫌な成功例も否定できない。真っ当に分不相応を求めることは日本らしく、ここでぶった切っても良いが、自分の設計も同類なので軟着陸を目指した。
「特型駆逐艦には強度不足の可能性あり。強度向上の工事が求められる。電気溶接に非はなくとも技術向上の余地ありと認める。気象の観点も含め多角的な分析を求む」
早急に報告書をまとめたいところであるが急いては事を仕損じる。じっくりと調べて改善すべきところは改善した。電気溶接など真に必要な技術を悪者にされては困る。自分に都合の良いように進めていった。大日本帝国海軍の改革に必要な悪事なんだと言い聞かせる。何かと色々と手を回す方向へ舵を切った。
「まずは簡単に纏めるとするかね…」
今日も徹夜である。
本事件の調査は徹底を命ぜられたため半年以上を要した。その間も演習は行われるが無茶な動きは慎んでいる。特に荒天が予想される場合は見送ることもあった。それだけショッキングな事故とわかる。牧野茂が提示した中間報告により応急処置と船体強度を高める工事が始まった。主力級の戦艦は耐えられるが巡洋艦以下が対象である。特型駆逐艦は優先的にドッグ入りしては補強工事を受けた。彼女たちはトップヘビーを代表する。
半年がたって尚も現地の調査を行う者から上がってくる報告書と自分の私見を重ねた。すでに大型艦から小型艦まで数十隻が補強工事を終えている。ほぼ完了したところ先を見据えた。なぜなら、来年にも一大事件が待っているからである。入念に対策を講じた。自然の脅威は人智を嘲笑する。特に台風の直撃は洒落にならなかった。あの米海軍の正規空母が引き裂かれるような破壊力を秘めている。台風直撃に耐える設計は講じてあった。牧野茂渾身の第一作も例によって工事を受けている。
「お前の最上は大丈夫なのか?」
「何がでしょう」
「友鶴の転覆から補強工事を進めた。最上も工事を受けたらしいが」
「問題ありません。旧時代の遺作とは違いますから」
「結構な物言いだ。その自信はどこからきている」
「フランスかもしれません」
馴染の上司がやってきた。事件の責任は大半が藤本に集中したことで追及から逃れている。それでも火の粉は振りかかるため振り払うことに必死だった。それが落ち着き次第に通常運転へ戻る。友鶴事件のせいか軍縮条約のせいか大型艦の建造は落ち着いた。一日も早く新設計の主力艦と補助艦を作りたいが名声が足りない。海軍を動かすにはわかりやすい成果が必要だ。今は裏方仕事に徹して信頼を得る。それからドカンと一発だった。
「そうか。それは一旦おいておくが報告書は出せそうかな」
「ご命令とあらば今日中にでも出します」
「原案でいいから出してくれ」
「わかりました」
報告書をさっさと出せと急かされる。その通りなので受け入れた。自分の仕事が進まないので早く退室してほしい。カバンをゴソゴソと探り始めた。時間稼ぎではない。何か渡す物があるようだ。菓子の差し入れだと嬉しいが重厚な書類である。厳重に封筒に閉じられて機密の印もクッキリと押されていた。上司でさえ開けることが許されない。
「それとだが、これを藤本少将から預かった。中身は見ていない。封を開けてすらいない」
「そうみたいですね。なぜ私にでしょう。変に疑われかねません」
「そこは大丈夫だ。カバンの一番底に潜ませている。私が受け取ったのも自宅で直接だからな」
「特高から睨まれることも?」
「ないない。大丈夫だ。私を信じろ」
胡散臭いセリフを残してようやく退室してくれた。いつの時代になっても上司が来ると仕事は停止を強いられる。口出しされなかった。それだけでマシと考える。自室に誰もいないことに加えて人の様子もないことを確かめた。ビリビリと音も出さない。ゆっくりと丁寧に封を開けていった。己も昔の人であるが時代特有の丁寧さに感服する。いつにも増して繊細な手つきだった。紙を破らないように取り出していく。
「なんてこったい。藤本少将は私に大戦艦を託してきた。まさか…死期を悟った?」
両手が震えてしまった。紙まで震える音が耳に入る。もう一度周囲の目を確認した。壁に耳あり障子に目あり。アナログの占める時代だが、誰がどう見て聞いているか、よく用心するに越したことはなく、最悪は焼却するため頭の中に刷り込んだ。記憶力には自信がある。
「18インチ砲(46cm砲)8門以上、15.5cm三連装4基12門または20cm連装砲4基8門以上、速力30ノット、航続距離18ノットで8000マイル。噂の新型戦艦の計画だ。どうやって握ったのかわからないが」
それは海軍軍縮条約の破棄を見越した新型戦艦のペーパープランだった。噂程度に聞いていたが詳細は伝えられず。お前は巡洋艦や駆逐艦の設計に集中しろと言われているようだ。声に出すまでもなく大和型戦艦の構想である。アメリカと質で勝負する方針に基づいて最強の戦艦を目指した。
「おいおい。これはやばいだろう。藤本案どころの騒ぎじゃない。これも俺に託すってのか!」
別紙には藤本私案と銘打たれる。個人の私的な案であると主張して濁したつもりだが超々弩級の計画のため無意味だ。そこに記されていたのは怪物そのもの。主砲は20インチ砲12門か8門、副砲は155mm砲が16門、127mm高角砲を10門、高角機銃は要相談とあり、水上機は12機で射出機が3基とあった。紙の上だけならば好きに書ける。ただのお遊びと一笑に付すことはできなかった。一応でも恩師である。最上型の建造にこぎつけたのは推挙があってこそだ。
「やってやろうじゃないの! やりますよ! 藤本さん!」
続く




