第39話 ニイタカヤマノボレ
一通の手紙が届けられた。
「ニイタカヤマノボレ一二〇八です」
「郵便屋は仕事がはやい。一か月も先のことを届けてくれた。さぁ、出撃だぞ」
「伝達します。今から出撃であると」
「ついてこれない奴は容赦なく置いていく。そんなヘボに任せられない」
山口県周南市は普段のゆったりとした時間が流れている。一通の手紙が空気を変えてしまった。小柄な男たちがバタバタと慌ただしく動き始める。堤防や桟橋の上を行ったり来たりした。木箱を抱えてリレー形式で運搬する。身体全体を使って物資を運んだ。作業がひと段落するや否や桟橋に一列に並び始める。これを訓練と呼ぶには異様だった。
「各艦浮上せよ! 乗り込みはじめぇ!」
鶴の一声である。コンクリートの桟橋や堤防に寄り添うようだ。鋼鉄のクジラが浮かび上がる。まだ海水が流れ切っていないが男たちは濡れることを厭わず飛び移った。今はとにかく時間が惜しい。緊急出動の訓練を繰り返して一連の動作は染みついていた。具体的に言われなくても行動できる。軍人としての規律が正しく身についているようで何よりだった。
それよりも次々と現れたのは紛れもなく潜水艦じゃないかと驚くべき。あいにく、住民は半ば強制的に自宅に封印されていた。住宅を縫うような狭小の路地裏にまで憲兵が張っている。制圧用の警棒ではなく実戦用の拳銃を手にした。不穏な動きを見せれば警告なく射殺されると事前に周知された故に人っ子一人も見受けられない。周南が海軍の潜水艦基地であることは明白であって皆が等しく理解していた。今日の封鎖に伴い配給は増量の上で配られている。これで納得してもらった。
「警戒隊は総員を収容しました。潜航して先行いたします」
「洒落のつもりか。副長よ」
「大真面目に申し上げました」
「そうか。我々も参ろうか」
「はっ!」
桟橋や堤防に身を寄せるはロ号潜水艦らしい。艦橋に「ロ〇〇」と刻まれていた。潜水艦は友軍から誤射ないし誤爆を受けやすい。それ故にパッと一目で識別できる主張の強さだ。中型潜水艦というが威圧感は大型と引けを取らない。総合的なバランスに優れるようだ。先遣隊として道案内に出ている。ここから太平洋までは数十回も航行してきたが何があるかわからなかった。大丈夫だろうの運転はいけない。ロ号潜水艦6隻が一様に海に消えて再度の静寂が訪れた。これで終わりなことがあろうか。いいや、なかったと言わんばかり、一際大きな浮島の如き桟橋が揺れ始めた。地震にしては局地的すぎる。
「安全よし!」
「総員の艦内退避を確認!」
「総員ここにおります!」
「司令…ご決断を」
「板倉よ。こういう時はなんと言おうか」
「考えてなかったのですか…」
「冗談だよ。さて、紀伊…発進せよ!」
その声は外まで響かなかった。鋼鉄の鎧の中に消えている。さらに、コンクリートが覆っていた。騒音対策はバッチリの二重丸を与えられる。潜水艦にとって防音は最重要項目だ。わずかな音でも拾われると存在を察知される。潜水艦乗りは忍者が如き消音の技術を会得していた。今日の今だけは叫びたい。絶対に表舞台に立つことはあり得なかった。しかし、日本の命運を左右するような大戦力の自覚がある。最初は気合一発なのだ。
発進の命と共にコンクリート製の桟橋が崩壊を始める。内側からピキッと亀裂が走って自然と崩れていった。まるで計算されていたかのように小分けにボロボロと壊れる。まるで魚の塩釜焼のようだ。コンクリートの中から巨大な鋼鉄のクジラが現れる。先ほどとは桁違いの大きさで錯覚を起こしかねなかった。いいや、錯覚は起こさないで済むかもしれない。なぜならば鋼鉄のクジラにしては妙に平べったい形状をしていた。
「微速前進」
「微速で前進します。誘導を頼みます」
「先遣隊より誘導が来ました。操舵手に送ります」
「巡洋潜水艦も発進したか」
「数秒遅れていますが無事に出てきました」
「上手くいきすぎても困る。これぐらいがちょうどいい」
他の桟橋と堤防も一様に崩れている。そちらは世間一般の考える潜水艦が姿を現した。それでも大型に変わりないがどうにも親玉と比べては小ぶりに見えてしまう。最新鋭の巡洋型の大型潜水艦にもかかわらずだ。どれだけの巨体なのか正確に測りたくなる。艦橋なのかわからない構造物には大きな文字で『紀伊』と刻み込まれた。海水に塗れても剥がれないよう工夫されている。潜水艦に個別の名称を与えることは稀有な例に該当した。あくまでも、便宜的なものに過ぎないという謙遜は認めない。
鋼鉄の巨体はゆっくりと太平洋に向けて浮上航行を続けた。僚艦はとっくに潜航しているが紀伊だけは潜るに潜れない。あまりにも大きいために内海の航行は絶対的な安全が約束されるところまで浮上が絶対だった。なるほど、先の発進から今の航行まで誰かに見られてはならない。地元住民を閉じ込める厳重な警備を否が応でも理解させられた。せめて基地に居残る者たちに礼を示したい。それもできないような秘匿性を抱いた。
「安全点まで到達しました」
「静粛で潜航せよ。安全にな」
「静粛で潜航します。念のためがあります。何かにお掴まりください」
「私は操舵の腕前を信じている。仁王立ちだ」
「ならば私も」
島や岩礁により狭くて浅くてな危険域を突破する。ようやく潜航を開始した。潜水艦の潜航能力は深く潜るよりも素早く潜ることが重要である。敵に見つかった際に隠れ蓑にして防壁たる海中へ逃げ込んだ。これが一歩でも遅れれば爆弾や爆雷、砲弾の攻撃を受けよう。コンマ単位でも早いに越したことはなかった。静粛潜航はゆっくりとしている。ムズムズしてくる程に遅くあった。潜水艦にしては致命的な弱点と見える。そんな弱点を抱えて尚も強力なんだ。きっとそうに違いない。彼らは日本海軍の切り札と一足先に出撃した。
「誰だ。この時に昇降機を使っているのは」
「航空隊です。どうしても、艦橋にいたいと」
「まったく…」
「失礼します。どうか格納庫の待機部屋に閉じ込めは勘弁してください。我々も潜水艦の一員でした。紀伊に所属します。れっきとした、皆様の仲間でした」
一定の深度まで到達すると水平に戻る。先遣隊の誘導に従って航行を続けた。再度の浮上は太平洋の何もない海域と決めている。そこで特設巡洋艦から補給を受ける手筈を整えた。一応は無補給で作戦を遂行できるだけの物資を積み込んでいる。日本海軍の潜水艦乗りが最も忍耐強いと聞かれた。生身の人間である以上は新鮮な食料や水、空気が欲せられる。士気は落ちずとも頭脳と肉体のパフォーマンスは低下を止められなかった。バックアップは見えないところで敷かれている。
「ここで明かすが作戦目標は二つにわかれている。本艦と護衛艦は米本土のロサンゼルスを目指した。先遣隊は道中まで同行してくれるがハワイに向かう。二手にわかれての作戦と決まった」
「あれ、イ400はどちらへ向かうのですか? 一人ぼっちは可哀想な気もします」
「それが私にも知らされていない。紀伊が失敗した時の保険と別個に建造された。それ故に指揮系統も単独になっている。イ400は特殊攻撃機が1機だけだから大層なことはしないと思うがな…」
「それはそれでおかしいと思います。こっちに知らせてくれないと歩調が合わせられない」
「そうなんだが、まぁ、なんか思惑があるのだろうよ。もう動き始めた」
山口県周南を発した。彼らの目指す先に待っているのは勝利か、敗北か、摩天楼か、地獄か、未だ知ることはできない。しかし、全員が信じていた。大日本帝国の秘密兵器が牙をむき傲慢なるアメリカ合衆国に鉄槌を下す。
続く




