第36話 牧野の城
一城の主とは男の夢である。
「これが牧野城です」
「その名前は嫌だなぁ…」
「正しくはH型運搬船を改造した指揮連絡艦『飛鳥』と言いましょう。れっきとした軍艦ですが戦闘用ではない。その名前に狂いなし。高い通信能力を活かした指揮と連絡に特化しました」
「上陸戦の指揮を執る。本艦に揚陸能力は持たないがW型やT型の統率を図る。俺の城じゃない」
「何を仰います。先刻の会議で第三の選択肢を出したとか」
「西島中佐はどこから情報を仕入れているんだ」
牧野中将が設計して西島中佐が建造することの円環が組まれていた。超戦艦から二等駆逐艦、海防艦、輸送艦までゴールデンなコンビが躍動する。まだまだタスクは山積している中で特異な軍艦が登場した。その名を指揮連絡艦『飛鳥』という。なかなかのネーミングであるが最前線に立つ艦艇ふねよりかは二歩程度の後方に胡坐をかいた。
もちろん、ただ胡坐をかくわけがない。戦艦を凌駕する通信能力を備えるのだ。海上通信基地と機能して各地から寄せられる情報を整理して素早く処理する。本土の司令部やトラック泊地、友軍の艦隊まで通信の中継局を為した。とくに太平洋は情報が煩雑を極める。上層部の円滑な思考と判断を阻害した。したがって、指揮連絡艦が一時的に集約して整理整頓することによりスムーズな連絡を可能にする。数秒の判断の遅れが勝敗を分けた。せっかく勝てる戦いに追撃を怠ったり、早めに退いてしまったり、一つの海戦を最大化することに期待できる。その逆も然りだ。負け戦に正しく撤退戦を指揮することで損耗を減らすこともできよう。
従来は戦艦や重巡洋艦が司令部と機能した。それ自体は変わらない。ただ飛鳥をはじめ指揮連絡に特化した補助艦艇が随伴することで負担の軽減を図った。いかに優れた将軍も所詮は人間である。電子的なコンピュータがない時代だ。アナログな頭脳に依存する。その頭脳は疲労に弱かった。
「これだけの設備だと居座りたくなってしまうよ。さすがにやりすぎだ。初期型だからお試しかもしれないが豪華すぎる。私はバカンスをしに来たのではない」
「よく理解しています。この設備は頭を最大限に稼働してもらうために拵えました。陸地の一件もありますし洋上に旅館を建設する。そこでポンポンと案を出していただかねば…」
「人使いが荒いったらありゃせん。本音と建前を使い分けるものだ。外人を招いたり、将軍たちが閣議を開いたり、皇族の方々をもてなしたり、いくらでも看板は掲げられる」
「実直の文字を己に刻み込んでおります故に嘘がつけず…」
「お待たせしました。栗羊羹とコーヒーです。間宮の職人から教わった羊羹を栗羊羹にしてみました。コーヒーも横須賀仕込みでございます。どうぞ、ごゆっくり」
「おい、喫茶店じゃないか」
今は開戦前のためサロンか喫茶店のように運用される。飛鳥は1万トンクラスのH型貨客船をベースにした。飛鳥以降の指揮連絡艦は簡略化が行われた廉価版が続く。軍艦としての性能は今一つだが揚陸艦や輸送艦と歩調を合わせた。上陸戦(地上戦)の指揮を執ることも想定している。戦艦や巡洋艦から島嶼部の上陸戦を指揮することは無駄が多かった。砂浜を目視できる距離まで進出して文字通りの現場監督と指揮を執る。太平洋の戦いは海戦ばかりに非ずと上陸戦の備えを怠らなかった。むしろ、洋上中継局よりかは上陸戦の指揮に重きを置いている。
揚陸艦に至っては簡易空母にも変わるW型鉄道連絡船を素体にした。鉄道連絡に用いる構造が何かと便利である。鉄道車両を格納する区画は丸ごと特大発や大発が収まった。レールを活かして海面へ滑らかに投下してスピーディーな作業を得る。そして、船首の大きく開く構造も効率性を底上げてくれた。洋上で上陸用舟艇を放出することはもちろん、一定程度の設備があれば重量級の戦車や自走砲、カノン砲をそのまま揚陸でき、何かと使い勝手が良い万能艦と誕生する。戦時設計のおかげで安価に数を揃えられた。
「あれは撃てるのか?」
「牧野さん。太田が設計した艦艇ふねが撃てないはずがないでしょ」
「礼砲かと思ってな…」
「必要最低限の自衛力は携えています。八九式高角砲1基に20mm機銃と15mm機銃が少しずつです。自ら戦いに行くわけではないので倉庫の在庫をいただきました。ただ後部の簡易飛行甲板があります。指揮連絡機や艦上偵察機の発着艦を行えました」
「私の設計を発展させた。アングルドデッキを簡略化した滑走台を両舷に設けることで簡易的な航空機運用能力を得ている。見事な設計だ」
「もとは桑原少将の発案です。ご自身が扶桑の主砲から発艦した経験より編み出しました」
「現場の案は侮れん」
飛鳥だけでなく指揮連絡艦は中央部から後部にかけて簡易的な飛行甲板を備える。両舷から斜め後方へ張り出した。飛行甲板よりも滑走台と称する方が適切かもしれない。重量級の戦闘機や攻撃機、爆撃機は運用できない以前に不要だった。現場単位の指揮連絡に陸軍機を用いる。直接協同偵察機や連絡機を数機であるが十分に扱えた。現在研究中のオートジャイロの搭載も計画している。表向きは連絡と観測だが対潜哨戒など海軍らしく発展させることも練りに練っていた。
そんな飛鳥であるが専ら牧野茂の城と働いている。戦時設計のH型貨客船と雖も民間船らしく設備は整った。艦内には大会議室や小会議室、食堂が設けられる。給糧艦ほどではないにしろ高い炊事能力を誇った。軍艦のため火気厳禁のメタリックな内装だが豪華客船を思わせる。今日も職人が栗羊羹を手作りしてコーヒーを淹れていた。連合艦隊の旗艦でさえ味わえない。牧野茂の価値が高まれば高まる程に「彼を安全な所へ移動させて存分に働いてもらおう」という考えが広まった。米内光政海軍大臣でさえ直々に活躍ぶりを認める。噂によるとアドルフ・ヒトラーでさえ唸ったようだ。
「西島中佐よ。暗号はどうなっている」
「まだ調整中ですが暗号班は入居を済ませました。本艦の通信をもってすれば国家単位の情報を操れます。現にドイツがエニグマによる情報戦を仕掛けていました。アメリカとイギリスが対抗しないはずがない」
「その通りなんだ。うちの頭の固い連中を黙らせるためには飛鳥が処理能力を見せつけなければならない。レッドやオレンジやパープルなんて遺物を使っていたらダメだ。せっかく協力者が持ち込んでくれたから」
「お呼びになりましたか」
「ちょうど話していたところだ。萬井先生」
「お国のためならば頭を働かせましょう。ロートルですがね」
カモフラージュは幾重にも張るものである。指揮連絡艦にしてサロンや喫茶店にして真なる正体は暗号戦の要塞だった。艦内に電算機はない代わりに帝立大学の教授と学生、民間企業の研究員、陸海軍の学者が大集合の様相を呈する。豪華客船に匹敵する機能は彼らの頭脳を24時間365日体制で維持するために置かれた。すでにヨーロッパでは暗号の戦いが繰り広げられている。ドイツのエニグマを巡る戦いは最たる例に挙げられた。日本は対岸の火事と見ているだけか。そうもいくまいと古臭い暗号を一掃し、かつ敵国の暗号をひも解いてやろうと意気込み、国家のために三人寄れば文殊の知恵だった。
「アレックス先生もいらっしゃいます。誰が読んだのかわかりませんがね」
「私がフランスにいた頃にですね。どうしてか、知り合ったんですね」
「外人さんも艦艇ふねの中なら過ごしやすいはず」
「なにはともあれ、準備は着々と進んでいます。まだ時間はある…」
続く




