第35話 オブザーバー?
海軍の総司令部に出張である。
「して、なぜに、牧野中将が参加していらっしゃる」
「私に問わないでいただきたい。米内大臣の推挙である以上は断れなかった。オブザーバーであるから置物と考えていただけると幸いである」
(そうもいくまいて…)
「それでは全員揃いましたので対英米仏蘭の第一撃を話し合いましょう」
日独伊ソ四ヶ国同盟の締結から英米仏蘭との決裂は確定した。日本が行く先は決戦である。ただ開戦してもアレだ。どうせなら巨大な一発を撃ち込む。大和男児たるもの地味はいただけなかった。そこで、どこに撃ち込むかを大真面目の真剣に話し合う。予め案を出せるだけ出して取捨選択を進めた。最終候補に絞ってから高位の将軍が一堂に会する。
なぜか、その場に牧野茂造船中将も出席した。技術系の造船屋が口を出すことでない。牧野自身が最も理解していることであるが首相を譲って海軍大臣に戻った。米内光政大将から「どうしても」と推挙されては断りようがない。ただし、オブザーバーの性質を帯びていた。第三者的な観覧客に過ぎない。牧野茂は置物と見てほしいと言い切った。そうもいかないことが世の常である。なぜ、彼が呼ばれたのかは全員に共通する疑問だった。米内光政海軍大臣は政府の会議に出ていて不在であるが故に答えは得られない。
「連合艦隊からはハワイの真珠湾基地を奇襲攻撃する。これを提案させていただきます。真珠湾基地に停泊する戦艦と空母を奇襲攻撃により一挙に撃滅することで戦意を挫くことに期待されました。また、基地機能も削ぐことによって反撃を鈍らせられる」
「軍令部としては反対である。我々はマーシャル諸島での漸減邀撃を提案したい」
「敵艦隊が分散する前に一網打尽にできる。マーシャル諸島に引き出してはならない。むしろ、捕捉が困難になり守備隊は孤立した。ハワイを叩くことにより反撃の芽を摘む。マーシャル諸島の増強は悠々自適と行えた」
「マーシャル諸島の迎撃は決して不利でない。基地航空隊と連携することで十分に撃破し得る。そう判断した。ハワイを攻撃しては無用に刺激して長期化を招いてしまう。ハワイ奇襲攻撃の方が勝機に欠けていた」
「それこそ本土まですり抜けて襲来するかもしれない。帝都や大阪が燃えてもよいのか」
まさに水掛け論の様相を呈していた。事前の根回しも機能していない。軍令部や作戦部らは真珠湾奇襲攻撃に反対を叫んだ。この包囲網の中では南方を迅速に制圧して石油など資源を確保すべし。ハワイを攻撃しては無駄に刺激して早期終結は不可能と本末転倒と反論した。連合艦隊も負けじと脅威の芽を早々に摘み取ることで有利に進められると主張する。太平洋艦隊を撃滅できれば大ダメージを与えられた。本土も南方も安泰であると反論を怠らない。どちらも譲らなかった。1時間が経過しても激しい言い争うばかり。
あまりの退屈さに牧野茂は茶のおかわりを幾度と頼んだ。しかし、あくびが漏れるような時間である。この時間に駆逐艦1隻は設計できそうだった。あえて、茶をズズッと一際大きく啜ってみる。当然ながら、お行儀はよろしくないが注目を集めるに適していた。誰もがオブザーバーと存在を忘れていた中で存在感を出してみる。いかに第三者と雖も客観的に俯瞰することに期待された。したがって、両勢力が拮抗する状況を打破する切り札となり得る。
「牧野茂中将のお考えを伺いたい」
「技術屋から言わせてもらうならば、南方作戦寄りかもしれませんが、シンガポールや環礁を制圧してほしい」
「シンガポール? そちらは陸軍の担当だ。海軍の出番じゃない」
「陸地だから海軍の仕事でない。職務放棄ですかな? 私は海軍の造船屋ですが陸軍の艦艇ふねも設計しました。今もですがね。あっちは陸軍だから、こっちは海軍だから、それでアメリカとイギリスに対抗できるとでもお思いですか」
「何が言いたいのだ」
「そんなね。いきなり玉を取りに行っちゃいかんのです。将棋ですよ。攻める時も守るときも組み立てが求められました。飛車も角も最初は歩兵に阻まれて動けませんね。連合艦隊さんは歩兵を飛び越して敵陣に突っ込もうとしている」
「ならば、軍令部の南方作戦を…」
お茶のおかわりを再度要求して封じ込めた。山本五十六連合艦隊司令長官を筆頭に作戦部長と豪勢な面々を前にして悠長に緑茶を楽しむ。神経の図太さは海軍随一を誇った。そうでなければ荒唐無稽と笑われた設計は引けない。恩師や部下、後輩という周囲の助けもあるが本人の力量を否定してはならなかった。日本人特有の顔色を伺う仕草すら見せない。確かに造船技師は武闘派とは明確に指揮系統が分かれていた。彼らの指示に従う義理はない。
今度は音をたてないようにスッと飲み干した。コトリと磁器を置くとフウと一息である。全員が一挙手一投足に集中していた。ただの技術屋風情が偉そうに。とても言えるはずがなかった。この男は未来を見通すことができる。いつしか噂が流布されるまでに至った。
「それじゃ面白くない。どっちも叶えれば良いじゃありませんか。真珠湾基地の奇襲攻撃という考え方は否定しません。やり方がいけない。航空母艦4隻を投じずとも結構でした。海中から冷たい底へ引きずり下ろせばよろしい。南方作戦も真っ当に戦えばよろしい。そうですな。あの東洋艦隊でも分捕ることができれば…」
「ぶ、分捕るだと。鹵獲すると言うのか」
「はい。なんせ沈めるには惜しい艦艇ふねばかり。レナウン級巡洋戦艦とキングジョージ5世級戦艦と上物じゃありませんか。造船技師としては垂涎の的でした。沈めるにゃ勿体ない」
「どうやって分捕ると言うのだね。港に籠られては手を出せない」
「シンガポールから引っこ抜く。それが皆様のお仕事ですぞ。そこまではお願いします。そのあとはお任せいただければ…」
二兎を追う者は一兎をも得ず。牧野茂の辞書には存在しなかった。ハワイ奇襲攻撃と南方作戦の二者択一は知らない。悩むぐらいならば双方を実行するのみだ。とは言え、航空母艦4隻の集中投入はやめて海中から冷たい底へ誘うことに切り替える。南方作戦も早期制圧を支援しながら将棋が如く敵の駒を分捕ると言い出した。牧野茂の妄言ここに極まれりと笑えるだろうか。いいや、誰も笑うことができなかった。この男は一般的には妄言の類を馬鹿真面目に実現してきている。第一の選択肢と第二の選択肢を切り捨て第三の選択肢を浮上させた。なるほど、剛腕ぶりがよくわかる。
「今日中に結論は出そうにありません。しかし、牧野茂中将の意見は一考に値するものでした。軍令部の南方作戦と連合艦隊のハワイ作戦、牧野中将の奇策を明日も詰めていくことにしましょう。異論ございませんね」
「異議なし」
「それでよい」
「右に同じく」
「左右に同じく」
「それでは本日は解散といたします。このことはくれぐれもご内密によろしくお願いします」
皆が等しく多忙なため今日のところは解散となった。また明日も会議を予定している。各員が資料を整えてから退室する中で牧野茂中将だけはしぶとく残っていた。お茶のおかわりは提供されない。清掃の邪魔になるから退室してほしいところだ。あいにく、彼と同じく残り続けようとする者が見受けられる。なんの我慢比べなのか呆れた。
「お主は何を考えている。まったく、考えが読めんぞ」
「そのお言葉はそっくりそのままとお返しいたします。黒島主席参謀」
「一介の造船屋が大層なことを言うが夢物語じゃなかった。お前は何者なんだ」
「私は牧野茂です。ただの造船屋であるとともに…」
軍服のポケットから将校用のタバコを取り出す。
「日本を勝たせにきた」
続く




