第33話 世界情勢複雑怪奇なり
世界は確実に大戦争へ向かっていた。
「東京会談が開かれた。表向きは仏印とタイの和平であるが裏では日独伊三国同盟にソビエト連邦を含める。まさに歴史的な同盟が生まれようとしていた。シベリア鉄道を介して日独連絡はつながる。ソ連のスターリンは愚かな指導者だが日独伊を敵に回すほどではなかった」
「世界情勢は複雑怪奇なり。米内首相も半ば呆れていました」
「まぁ、本望じゃないから仕方ない。俺も好きじゃないがアメリカとイギリスを敵に回しては相応の味方が必要だった。アメリカとイギリスを下した後にソビエトを下せばいい」
「トルコがよく仲介してくれましたね。うちから艦艇を貸し出すことで同意を得たようで…」
「まったくだ」
「地理的に仲介人が本職なんだろ。シルクロードもかな」
会議室に造船屋が文字通りの一堂に会する。茶会と称して菓子と緑茶を机に広げながら様々な話題を投じ合った。造船関係は仕事の話であるが故に慎んでおり、外交や軍備、趣味など好きなことを適当に語る。井戸端会議の拡大版といえばわかりやすかった。牧野はお誕生日席にて新聞を広げている。一面に東京会談の記事が刻まれた。
東京会談と大層に聞こえるが特段のことでない。フランス領インドシナとタイ王国が国境線の小競り合いから武力衝突に至った。この国際情勢の中では可愛らしいが日本の勢力圏内で好き勝手なことをされては困る。したがって、日本が仲介役と和平交渉が行われた。全面的な衝突に入る前に和平交渉に入ったおかげで原状復帰が妥当となる。ドイツのヨーロッパ制覇や北アフリカ戦線勃発、ソ連のバルト三国併合とフィンランド侵攻に比べ、アジアは比較的に平穏を保っていた。
その中でドイツ大使とイタリア大使、ソ連大使が大集合する。ドイツとイタリアは日独伊三国同盟から理解できた。なぜソビエト連邦から使者が訪れるのかわからない。日本とは満蒙国境線にて大規模な武力衝突から関係は冷え込んでいた。四ヶ国で密談の意図が読めない。報道陣に一切公開されずに完全非公開の中で外交戦が繰り広げられた。海軍の将校でさえ聞き耳を立てられず、コネを使って情報を断片的に収集していき、一つの仮説を構築している。
「日独伊ソ四ヶ国同盟だ。ユーラシア大陸が一丸となることで英米に対抗する。当たり前のように一枚岩でないが共同戦線を張るわけじゃない。ソビエトに関しては蚊帳の外に置かれていた」
「ただ、兵器の融通し合いは活発化しました。うちから売り出す好機です」
「ソ連の艦隊整備に食い込むことはできない。牧野さんでも無理だ」
「ロシア人は信用ならん。何も売り渡さないが買い叩くことはできた」
「買いたたく?」
「牢獄に囚われている科学者や技術者を適当な名目で招聘するんだ。スターリンのことだ。一度失敗した者は二度と信用しない。それに大粛清の影響から国家はガタガタだ。現に亡命希望者は膨れ上がるばかり…」
「どうりで日ソ航路の臨時便が出ているわけです。二等駆逐艦と海防艦の習熟に丁度いい」
まだ発表されていないが内部で予め通達が出された。国際情勢を見ながらであるが日独伊三国同盟にソビエト連邦が参加する。日独伊ソ四国同盟の発足が決定した。表向きはノモンハン事件の講和から三国同盟に加わった格好を整える。実際は日本の松岡洋祐という外交官モドキが何度も働きかけて遂に実現した。米内光政首相など海軍穏健派は渋い表情であるが「やむなし」と頷く。これから英米と一大決戦に突入することを鑑みると味方は多いに越したことはなかった。ソビエト連邦は社会主義国のため半分は敵性国家である。それ以上にイギリスとアメリカの資本主義と敵対していた。単なる中立で不干渉を宣言するよりも一時的に肩を組む方が旨味を感じられる。
あれだけソ連の陰謀だ何だと言っていたにもかかわらず、あっさりと同盟を組んでしまうなんて情けない話であるが、日本が生き残るためには暴挙も上等だった。そもそもイギリスとアメリカに勝利しようと言っている時点で暴論かもしれない。ソ連と仲良くするメリットは薄いが少なくとも背後の安全は確保できた。ロシア帝国時代から信用に足らん国家だがスターリンも愚かでない。そして、大粛清の影響から南進は困難だった。ソ連はノモンハン事件に勝利したように見えるが相応の損害を被っている。お互いにこれ以上はやめようと講和に向かった。
「ここから先は造船屋が首を突っ込むことじゃない。さて、悪いんだが火をくれるか」
「どうぞ」
「すまん」
造船屋の前に軍人が外交に首とを突っ込んではならない。書簡を送ったことは記憶に残らなかった。ちょび髭が戦争を回避してくれると非常にありがたい。北アフリカから地中海にかけてイギリスの足止めに専念してもらった。アメリカはルーズベルト大統領が「民主主義の兵器工場」と宣言した以上は支援を惜しまない。超大国と雖も太平洋と大西洋、地中海を同時並行はくたびれた。巨人たる体力を以て強引に進めてくるだろうが戦力の分散を幾らかは強いてみせる。
茶会の話題に一区切りつけるべくタバコを吸い始めた。禁煙も分煙も存在しない。自由にタバコを吹かした。将校用の上級品を心ゆくまで楽しむ。ガラスの灰皿を正しい用途で使用した。これを凶器にすることは信じられない。インテリアとしても優れていた。ガラスの上に灰が積もっていく。火山灰かなと無意味なことを考えてみた。
「そういえば一昨日だったか。最後の欧州航路が到着したのは…」
「はい。最後の便が戻りました。これ以降は無期限の運航休止となります」
「そうか。悲しいな」
「はい。船は人と物を運びます。それが戦争の道具になりました。もちろん、数千年前からのことですがやるせなくあります」
「それを先導している。海軍の造船屋は勝つための艦艇ふねをつくる。戦争の道具で結構だ。どれだけ効率的に人殺しをできるかを重視している。国家のためならば鬼となった」
紫煙が部屋を満たす。
=横浜港=
最後の欧州航路を勤め上げた貨客船が拍手を以て迎えられる。船乗りとしては日本と世界を結ぶ仕事ができなくなることに痛感を覚えていた。これからは軍のために働くことになる。もちろん、国家に奉仕することは至上の喜びだ。どこか辛くて苦しいことは否定しない。
「ここが日本か。極東の帝国らしく栄えている」
「ミスター? 日本へようこそ。資料はどこにありますか」
「出迎えが恐ろしく早いな。日本人はせっかちだ。紅茶を飲んではどうかね」
「あいにく、明治から駆け足である。歩いている暇はない。車に乗ってくれ」
「はいはい」
横浜港に降り立つ人物は殆どが日本人であるが欧米人も紛れていた。白人だから敵性と決めてはならない。ドイツ人やイタリア人かもしれない。中立国の出身者の可能性もありえた。しかし、どことなく紅茶の香りがしている。舌の枚数も二枚か三枚に見えるような気がした。あくまでも、そんな気がしただけ。
「資料一式です。さすがに実物は確保できませんでした」
「いやいや、資料一式が揃っている。それが重要だった。あとはどうとでもなる」
「確かに、あなた方は昔からコピーを得意としてきた。良い所だけ吸っていく」
「したがって、阿片は吸えません。それよりもレーダーとソナー、暗号解読のキーなど目白押しだ。よく本国から出国できたと思うよ」
自動車は白人を回収するなり港をパタパタと後にした。
「イギリスとアメリカは大きくなりすぎた。ソビエトは社会主義だから除外する。世界を二つの国で動かしてはならない。世界は三分する方が安定した。ヨーロッパとアメリカに次に動かすは誰か…」
「君とは仲良くやれそうだ。ミスター」
続く




