ごとばんさんの祟り
今年も夏がやってくる。
ぎらぎらと眩しい日差しと殺人的な湿度に晒されると、エネルギーの奔流に押し潰されてしまいそうになる。
冬よりも、夏の方が死の気配を強く感じる。
ぼく自身が冬生まれであるからかもしれない。
午後の教室はほとんど溶解しかけていた。
夏休み直前とあってみんな気が抜けているのか、しきりに下敷きで扇ぎあいをしている。
ダビドは講堂での終業式に顔を出さなかった。
またサボりなんだろうか。
周囲からの受け止められ方は真逆の『優等生と不良』。
ぼく自身も『触れ方を誤れば突発的に爆発する地雷』という受け止め方しかしていなかった。
今まで二年間同級生だったはずなのに、これまで彼がどんな風に振る舞っていたかなど気にも留めていなかったし、親しくなるなんて想像もしていなかった。
終業式が終わって、教室で夏休みの案内が行われた。
波多は、『夏休みの友』や長期休暇のしおり、公営プールの無料券を配った後、ばんばん教卓を叩いて生徒たちを見渡した。
「お盆には金靄祭りがある。オマエら、はしゃぎすぎるなよ」
ばらけた返事。
硝子島の夏の風物詩といえば金靄祭りだ。
一二二一年、後鳥羽上皇は承久の乱に敗れて政治犯となった。
彼は辺境の離島・硝子島に流され、帰京の望み叶わぬまま崩御。
現在でも硝子島神社に祀られて、島民たちからは『ごとばんさん』と呼ばれて親しまれている。
華やかな都から辺境へ島流しにされ、幽閉された後鳥羽上皇。
彼を慰めるため、島民が開催したのが金靄祭り……という由来を持つ。
「祭りに一人で行く奴は、ごとばんさんの祟りに遭うぞ」
波多先生が軽く脅すと、クラスメイトが笑う。
それから、冗談めかして目配せされた。
「坊ちゃん、祭りは誰と行くん」
陽気な調子で問われた瞬間、教室全体の温度が下がった気がした。
皆の目が軽く、しかし確実に、ぼくの方へ向いている。
狭苦しい教室が見世物小屋に変貌した。
金靄祭りに誰と参加するかは、地域社会に受け入れられているかどうかの試金石だ。
祭りの最中に誰と誰が一緒に遊んでいたかは、翌日にはクラス中に知れ渡っている。
だから波多の発言は、表向きは「楽しい時間を過ごしてね」という気遣いや場を流すための茶化し。
だが実際には「皆で行けよ、まさか一人じゃないよな、一人は異端だ」という暗黙のメッセージだ。
問い一。
この場合、谷崎真理は誰かと金靄祭りに行くべきか、行かないべきか?
答えはどの選択肢もはずれ。
何を選んでも間違い。
行ったら確実に浮くだろうし、かといって行かないと答えたところで『お高く止まっている』と囁かれる。
なぜなら、これまで毎年そう言われてきたから。
成金のよそ者・谷崎雄真の息子であり、本人もまたお高く止まった『わたつみの坊ちゃん』。
本当は島の誰もぼくとは深く関わりたくないけれど、名士の息子をあからさまに孤立させたり嫌がらせしたりしたらそれはそれで問題になる。
だから、ダビドのように直接的な罵倒や嫌がらせではなく、生殺しにされる。
毅然と対峙できないことが余計に屈辱的だった。
そもそもぼくは祭りの人混みや喧騒が好きではない。
周囲がこれほどまでに意味を持たせるせいで、さらに嫌気が差す。
「ぼくは行きませ……」
目を伏せて吐き捨てようとした瞬間、言葉を遮るように隣席がガタンと動いた。
「あのっ。谷崎君は私と行きます!」
立ち上がって助け舟を出したのは、美保さんだった。
隣を見て唖然としてしまう。
「委員長、やるね」
「美保ちん、わたつみの坊ちゃんとラブラブー」
「ちぇっ。お前も誰か女子誘えよー」
周囲に弾んだ声で揶揄われて、美保さんは耳まで真っ赤になってますます声を張り上げる。
「い、いいよ! だって可哀想じゃん!」
美保さんの台詞を聞いて固まってしまった。
ぼくは可哀想だったらしい。
可哀想って何なんだろう。
そう言われたらぼくの存在は『同情されるべき弱者』として固定化されてしまう。
本人の前で堂々と口にしてくるあたり、悪意はない、むしろ善意で庇ったつもりだろう。
しかし見え透いた同情が逆にぼくの扱いを強調してしまう。
確かに彼女なりの誠実さや優しさの現れだけれど、ぼくにとっては、波多とはまた形の違う面倒ごとだ。
反対に教室の空気はざらりと変わった。
誰もが笑っていたけど、ただの茶化しであったり、波多の顔色を伺った気まずそうなものであったり、様々だ。
波多は美保さんを見て一瞬だけ眉をひそめ、それからぼくに視線を戻した。
なぜなら、ぼくの扱いを間違えると、後で面倒なことになるから。
そして、彼は無難に処理する方向に切り替えたのか、すぐにいつもの陽気な表情に戻った。
暗黙の了解に流されるまま、自分抜きで自分の行動が勝手に決められていく。
息苦しくてたまらなかった。
授業が終わった後、美保さんに話しかけられた。
「た……谷崎くん。一緒に帰ろうよ」
ぼくは彼女の顔をできるだけ見ないように、夏休みの友を鞄に突っ込みながら、
「あのさ、ぼくは金靄祭りに行きたいとも一人は嫌だとも言っていない。気を遣ったり同情したりつもりで言ったのなら、ああいうの、やめてほしい」
居心地が悪い。
ぼくは自身の孤立を誇りに思っているわけではないが、親族を切り刻まれた島民たちと上っ面で馴れ合うよりは健全だと受け入れているのだから。
顔を上げると、セーラー服に包まれた肩がわずかに揺れた。
亜麻色の瞳は見開かれたまま震えている。
「いいの。あんなこと言ってごめんね」
彼女は眉を下げて目を細め、困ったように微笑んだ。
後ろめたさを感じているのだろうか、言い訳を続けるように早口で話す。
「本当は、私が谷崎君と祭りに行きたかったの。今日こそ私から誘おう! って決めてたの……」
彼女は、机の上に置かれた掌を握りしめて拳に変えた。
几帳面に整えられた爪が、傷だらけの天板をわずかに引っ掻く。
「なのに、先生が先にあんなこと言うから、私、焦っちゃって……変な空気にしちゃった」
最初に引き金を引いたのは美保さんのくせに、やりきれない顔をしている。
まるでぼくが悪者みたいだ。
「……いいよ。わかったから。もう帰ろう」
島民たちの言動と内心は常に乖離しているものだ。
わたつみの祝賀会も、ぼくの振る舞いも、波多や美保さんの態度もそう。
本音なのか、後付けの言い訳なのか。
善意なのか、無意識の憐れみなのか。
怒るべきなのか、受け流すべきなのかわからなくなって、感情のやり場がなくなる。




