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死体はともだち  作者: 定上栄
二章:平穏な白昼夢

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おとぎ話

 次の週の日曜朝。

 ぼくとダビドは、わたつみのある滑坂行きのバスに乗っていた。

 車内を広々と使えるから、後方の二人がけ座席に一人ずつ座っている。

 というのも、彼の巨躯と隣に座ると、肩が当たるどころか押しつぶされそうになってしまうのだ。


 車内には冷房が設置されていないため、窓枠の金属部分が熱くなっている。

 湿気に耐えかねて窓を開けると、爽やかな風が吹き抜けて、少し涼しかった。


 ダビドは前の座席の背もたれに体を預けて、からかうように呟く。



「谷崎、おまえ、美保をどう思う?」


「どうって、いい人だと思うけど」


「美保は可愛いと思うか?」


「きみ、さっきから何が言いたいんだよ」


 ダビドは何も返さず、窓の外を見てにやにや笑っている。

 含みのある態度に苛立った。

 ただの軽い茶化しというよりは、探りを入れられているようで落ち着かない。


 座席のビニールが熱気で張りつく。

 ぼくは眼鏡のフレームを押し上げて、


「とにかく、来てくれてありがとう。希子さんも楽しみにしてた」


「ガキのお守りだろ。おまえの頼みだからいいよ」


 照れくさそうな笑い声と動きに合わせて、シートがわずかに沈みこんだ。

 彼は、単純に良いやつというよりは、頼りにされることを喜ぶタイプの人間らしい。



「代わりに、約束のミルクアイスな」


「分かってる。きみも、ちゃんと施設案内を読んでおけよ」


 ダビドは言われるまま、手に持っていた施設案内に目を落としながら、金持ちはいいよなとぼやく。

 希子さんの前で余計なことを言わないでほしい。


 少し色褪せた紙、明朝体のシンプルなレイアウト。

 やたら彩度の高い写真に写る老人たち。

 どれも施設の清潔さを強調する構図ばかりだ。


 しかしふと、彼がパンフレットをめくる手を止めた。



「……パンフレット。金持ちの、じじいの写真しかないな」


「当たり前だろう。高齢者向けの会員制高級サナトリウムだからね」


 ダビドの表情をちらりと見て付け足す。


 すると彼は、


「わたつみは、もうすぐ死ぬじじいの病院だろ? じゃあ……なんで、子どもが、地下にいるんだ? よくある事なのか?」


「それは……」


 答えに詰まる。

 診療所やわたつみの特殊性に慣れきっていて、考えたことなどなかった。


 確かに小児難病患者ならば、通常はもっと大きな病院に入院するはずだ。

 なぜ、親元を離れた離島のサナトリウムの地下病棟に隔離されているんだろう。


 しかも、パンフレットには地下病棟の記載がない。

 一般的に、医療施設のパンフレットは、利用者や家族向けに透明性を保つために施設の全体像を示すはず。

 なのに地下病棟の存在自体が伏せられているのは不自然だ。


――家に解剖室を設え、違法な『解剖実習』を行うような父だ。

 パンフレットに嘘があるのなら、他にも隠しているかもしれない。

 地下に子どもを隠す理由って、金か何かだろうか?


 思索をアナウンスが断ち切る。



「なめさかー、なめさかです」


「……着いた。ダビド、降りよう」


 運賃箱に小銭を入れて、滑坂のバス停で降りる。

『わたつみ・終末ケアの新時代』という案内看板が、不自然にねじ曲がって見えた。


 わたつみに着いて、まずは事務室にお邪魔することにした。

 ダビドの分のボランティア登録をしなければならない。


 事務員たちとはすでに顔なじみなので、休憩スペースの椅子をすすめられた。

 茶菓子と紙コップを押しのけて、ボランティア名簿の分厚いファイルを机に置いた。


 ぼくはダビドの書類を書き上げて、適当にバインダーに綴じる。

 さすがにカルテの管理は厳重だが、ボランティア名簿くらいなら勝手に弄っても何も疑われない。

 名簿に名前を書くだけで構わないし、住所や電話番号の記入欄があっても適当に書いても問題ない。

 身分証の確認がされないからだ。


 わたつみの情報管理は本当に緩いな。

 外部は堅牢だが中身は脆い。

 まあ、だからこそ、ぼくがインチキをはたらける訳だけど。


 ぼくたち二人とも、ボランティアの資格たる事前研修は受けてない。

 これも、ぼくが『わたつみの坊ちゃん』たるゆえだ。


 スタッフの目を憚りながら地下への階段を下りる。

 照明の光が妙に冷たく、奥に行くほど空気が薄くなっているように感じた。

 ダビドは廊下を見回して大股で歩きながら、


「病院より、刑務所みたいだな。ここ天井低くないか?」


「別に普通だけど。きみが大きいだけだろ」


 部屋に入ると、希子さんは顔を上げて微笑む。



「来てくれたのね」


 彼女は表情をほころばせた。



「あなたが真理のお友達ね。こんにちは。わたし、文島希子」


「ダビド。ダビド・スミルノフ」


 彼女は座ったまま伸びをして、華奢な細いかいなで、ダビドに手を振った。

 血管が透けるほどに白く薄い肌。



「希子さん、きみが読みたがっていた『ラプンツェル』だよ」


「ありがとう! 読みたかったの」


 鞄からハードカバーの童話集を出して渡すと、希子さんは本を抱きしめて目を細めた。

 島の書店には置いていなかったから、わざわざ注文して本土から届けてもらったのだった。


 ぼくらが知り合った事故の経緯を説明すると、彼女はこらえきれなくなったのか、くすりと笑った。



「それで自転車を直したの?」


 ダビドはスツールに腰掛け、そっけなく返す。



「まあ。手伝ってるから」


 すると、希子さんは彼の腕に視線を落とした。

 中学校の制服のポロシャツには不似合いなほどがっしりした腕。

 傷の形、手のひらの皮の厚さ、爪の汚れをじっと見つめて、瞬きする。



「お仕事してる人って、素敵ね」


「……働かなきゃいけないから」


「どうして?」


 希子さんは心底不思議そうに目を見開く。

 ダビドは数秒逡巡して、それから短く息をついた。



「……家族がいる」


 短い言葉。閉ざした答え。


 でも、希子さんにはそれで十分満足だったようだ。

 彼女は至ってまじめな調子で、微笑を携えて、


「真理から聞いたわ、あなたって壊れた物を直すのが上手なのよね? わたし、そういう細かいことに気づける人ってすごいと思うわ。わたしにはできないから、ちょっと羨ましいの」


 するとダビドは面倒くさそうに視線を逸らした。



「はいはい。島の人はそう言わない。露助の息子って呼ばれて……」


「あら、わたし、あなたのこと全然そんなふうに思わないわ」


「おまえ……ガキがなまいき言うなよ」


 ダビドは年下の子どもを馬鹿にしきった調子で、鼻で笑い飛ばした。


 すると希子さんはわずかに目を伏せて、ベッドのシーツを握りしめた。



「……わたし、残された時間があまりないから。お友達とはできるだけ優しい時間を過ごしたいの」


 ぽつりと漏れた台詞に、場の空気が凍った。

 言葉が重くのしかかり、どう返事をしたらいいのかわからなかった。


 ダビドは後ろめたそうに視線を落としている。



「……ごめん」


「いいの。だから、わたしに、たくさんお話を聞かせてね。お外にはどんな人たちがいて、何があるのか……私にとっては、それが一番のおとぎ話よ」

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