束の間の陽炎
日陰に入ると涼しくてほっとする。
「あついな」
彼が不意に胸ポケットに何かを突っ込んできたので、確認すると百円玉だった。
なるほど寄り道でもしようということか。
港沿いの商店に入ると、古い木の引き戸がガラガラと鳴った。
平日昼間だからか客はぼくたちしかいなかった。
木造りの壁にはビールのポスターが貼ってある。
棚に並ぶ粉末ジュースや肝油ドロップ、駄菓子の甘ったるい匂いばかりが鼻についた。
古い冷蔵ケースのプラスチックの匂いが際立つ。
奥でタバコを吸っていた店主が振り向く。
「悪ガキか。学校行け!」
「あの、アイス、どこ?」
ダビドが聞くと、店主はとんとん灰を落としながら軽い調子で漏らした。
「おまえ、日本にいるんだから日本語ちゃんと喋れよ」
呆れたようなため息。
店主も、目の前の中学生の言っている台詞が本気で分からないと言うわけではない。
学校をふけて遊び回る悪ガキへの嫌味なのだ。
確かに学校をふけているのはこっちなのだから、言い返したところで分が悪い。
一方ダビドは黙って鼻を鳴らすばかりだ。
ただ、後ろに立っているぼくには彼がぎゅっと拳を握るのが見えた。
拳の先が白くなっている。
顔を上げてダビドの表情を読み取ろうとするけれど、彼の方が先にそっぽを向いた。
暑さと怒りが混ざって、うっすら汗が滲んでいた。
ああ……ダビドは、店主の軽口に対抗する言葉を持たない。
放っておいたら爆発するな。
ぼくは二人の前に無理やり割り込んでみせる。
「すみません、アイスください。二つ」
「あらっ、谷崎先生の所の坊ちゃん……。中学校はどうなさったんです?」
「早退したんです。こいつは付き添い」
口から出任せだ。
かといって反論や詮索はされない。
ぼくは島の名士の息子だから。
案の定、店主は困り顔で肩を縮こまらせ、愛想笑いを貼り付けながらそそくさとアイスの会計を始める。
「坊ちゃん、ガムはお好きですか? おまけにつけておきますよ」
「ありがとうございます」
つけっぱなしのラジオから流行りのアイドル歌謡が流れている。
陳列されたガムや笑い袋、手書きの値札たちをぼんやり眺めていた。
店を出るなり、ダビドは軒先のアイスケースを蹴り飛ばした。
アイスケースが大きく揺れて、中の電球がちらつき、コンプレッサーの機械音が一瞬止まる。
商店の奥から店主の怒鳴り声が聞こえた。
「クソガキが! 今度やったら出入り禁止だぞ!」
肝が冷える。
機械が壊れていないか目線で確認してから、呆れてダビドを見上げた。
「きみ……物に当たるのはやめておいた方がいい。壊したら弁償だぞ」
「……知らん」
彼はビニール包装を破ってポケットにねじ込み、中のアイスだけ口に咥えて素知らぬ顔で歩き出した。
大股で歩く背中に、小走りで追いついた。
「相手は馬鹿なんだよ。戯言を真面目に取り合うだけ時間の無駄だ」
「じゃあ、おまえは、嫌じゃないのかよ」
「感情の問題じゃない。理性的に後先考えて行動しないと、結果的に損するのは自分の方だ」
「谷崎、おまえ……もっと……、ゆっくりしゃべれ」
ダビドが吐き捨てる。
未消化の怒りともどかしさが彼の中で燻り続けている。
そして彼は、真面目な振る舞いをすれば受け入れられるわけではない、多少粗暴に振る舞ったって変わらないと思ってもいる。
だからこいつは損してきたんだな。
ダビドはミルクアイスを一口齧って頭が冷えたらしい。
ぼくを見下ろして笑った。
「おまえ、いいな。冷たいな」
「はあ?」
「おれには、無理だから」
「文脈が分からない」
口調からして、皮肉として詰られているとは思えない。
褒められている……のか?
ぼくが彼を見上げると、ダビドはわずかに視線をそらす。
目が合わない。
訝しんでいると、ダビドが笑い飛ばすように続けた。
「クール!」
つまり、本当は『冷静』って言いたかったけれど、上手い言葉が出てこなくて『冷たい』と言うしかなかったのか。
万事この調子なら、ダビドが他人との会話を避けたくなるのも無理はない。
眼鏡を押し上げて考えた。
ぼくは元から冷めた性格ではあるけど、感情の起伏が完全にないわけではない。
ただ、雄真の躾、理江のヒステリー、島民の監視に囲まれて、いちいち感情を揺さぶられていたら生きていられないだけだ。
けれど……生存戦略としての振る舞いが、誰かにとっては美点として映る時もあるんだな。
言葉足らずで誤解される葛藤は、冷徹な言葉で他者を避けるぼくの態度と対照的にも思える。
彼は棒アイスを数口でかじってあっという間に食べ終わってしまった。
ぼくはというと、アイスを食べ終わる前にあまりの炎天下で溶けてしまい、手がベタベタになってしまった。
甘い匂いがまとわりついて、どちらからともなく笑い声が漏れた。
楽しいな。
学校なんか絶対戻らない!
「谷崎、次はおまえが買えよ。ミルクのやつな」
「わかったよ……いたっ!」
彼は肩を軽く叩いたつもりだったのだろうが、思いのほか強い力だったのでつんのめってしまった。
その拍子にまた笑い出す。
ダビドはアイスの棒を指先で弄び、楽しそうに笑う。
それからふっと遠くを見た。
「いい天気だな。谷崎」
遠くから蝉時雨が聞こえる。
アスファルトにゆらめく束の間の陽炎。
雲一つない、爽やかな青空。




