第七話 究極の愛の証明
サムの手から解き放たれた『ミストルティン』は、大気を引き裂く凄まじい波衝とともにエルドゥ魔王様へと肉薄していた。
直前の激しい攻防によって体勢を崩されていた魔王様には、それを回避するだけの猶予が残されていない。
(このままでは、魔王様が致命傷を負ってしまう──!)
戦場で見守る天竜八部衆の全員がそう確信し、息を呑んだまさにその瞬間であった。
倒れていたはずのひとりの少女が、魔王様を庇うようにして前面へと飛び出したのだ。
ルビィだ。
彼女は両腕を大きく広げ、一直線に飛来する神殺しの短槍の射線上に、自らの身体を投げ出した。
「何っ!?」
サムが驚愕に目を見開く。
──そして。
凄絶な音を立てて、『ミストルティン』がルビィの胸の中央──その心臓を容赦なく貫いていた。
糸が切れた人形のように、ゆっくりと膝から崩れ落ちていくルビィ。
倒れ込む彼女の華奢な身体を、エルドゥ魔王様がそっと優しく抱き止めた。
そのすべての光景が、俺の目には恐ろしいほど緩やかなスローモーションとなって映り込んでいた。
八部衆の誰もが、信じられないものを見るような驚愕の眼差しでルビィを見つめている。
「ルビィ……ッ! 皆そこを、退けぇぇぇッ!!」
俺は上空から急降下し、ルビィのもとへ遮二無二駆けつけようとした。
途中で偽勇者サムが邪魔立てするように剣を振るってきたが、俺は怒りのままに愛刀を一閃し、奴の巨躯を遥か後方へと吹き飛ばした。
着地と同時に、ルビィのもとへ膝をつく。
エルドゥ魔王様は痛切な表情を浮かべながら、そっとルビィの身体を俺の腕の中へと預けてくれた。
俺は崩れ落ちそうなルビィを抱きかかえ、必死にその名を呼び続ける。
「ルビィ! ルビィ……ッ!!」
腕の中のルビィは、弱々しくもどこか愛おしそうな笑顔を俺へと向けた。
「ふふ……あはは。少し、ドジっちゃったわ……」
「……ルビィ、喋るな!」
「あのね、ルーカス……。私、あなたのことを心の底から愛しているわ……」
「わかってる! 俺もだ、俺もルビィを愛している! だから……だから目を開けてくれ!」
「でもね……あなたが私を置いて先に逝ってしまうのも、私が先に逝って、あなたがこの先永遠の孤独を味わうことになるのも……どうしても耐えられなかったの」
「そんなことは……ッ!」
「いいえ。あなたはきっと、いずれ人を超えて『神級』の領域へ至る……。そうなれば不老不死の神々の一員になってしまうのよ。だから私、神様すら殺すことのできるあの『ミストルティン』がどうしても欲しかったの……」
「……ルビィ……」
「あなたと心中するつもりだったわ……。あなたを他の誰にも渡したくなかった……! あなたが私以外の誰かに殺されるなんて、そんなのたまらなく嫌だったの……っ!」
そこまで一気に捲し立てると、ルビィの口からゴボッと大量の血反吐が溢れ出た。
けほっ、けほっと切なく痛々しい咳き込みが、静まり返った戦場に虚しく響き渡る。
それまで無言を貫いていた魔王様が、静かに唇を開いた。
「なぜ……我を庇ったのだ、ルビィ。我を庇わねば、これから先、思いを遂げる機会などいくらでもあったはずであろう」
「エルドゥ魔王様……。私の失態だから。それに、あなたは以前、おっしゃいましたよね……? 『我は魔王を名乗ってはいるが、その実体は神の一柱──“魔神”だからな』と……」
「……ああ、言ったな。合同演習の後、倒れたルーカスを見舞っていた時に」
「だから……さっき思いついたの。あなたと同化してしまえば……私は永遠に、ルーカスと一緒に居続けられるって……。だからお願いです、魔王様……っ! 私の魂を、あなたの存在と同化させて……! ずっと、ずっと彼と一緒にいられるように……!」
ルビィの狂気と執着に満ちた真実の独白に、俺は返す言葉を完全に失っていた。
魔王様はどこまでも愛おしそうに、そして慈しむように目を細める。
「どこまでも愚かで……愛おしい娘よ。だが、その狂おしいほどの愛の深さは尊敬に値する。……良かろう、私の中で生きるがよい、ルビィ」
「エルドゥ魔王様! 彼女と同化したら……ルビィはどうなってしまうのですか!?」
「……それは我にも分からぬ。神と人の魂が混ざり合うのだ、どのような変貌を遂げるかなど誰にも予測できん」
「そんな……っ!」
錯乱する俺の手を、ルビィは最後残された力を振り絞って強く握り返してきた。
「心配しないで、ルーカス……。ずっと、ずっとあなたのことを見守っているから……。これであなたは、永遠の孤独から救われるのよ……? だから、そんな悲しい顔をしないで……」
「ルビィ……! ルビィッ!!」
「エルドゥ魔王様……お願いします。私の意識が、まだ残っているうちに……」
「……分かった。」
エルドゥ魔王様がそっと手を差し伸べ、ルビィの胸の上に置いた。
次の瞬間、ルビィの身体が幻想的な淡い緋色の光に包まれ、やがて一筋の柔らかな光の球体へと姿を変えていく。
俺の手の中から離れて宙へと浮かび上がった光を、エルドゥ魔王様は両手で大切に受け止めると、そのまま自らの胸の中へとそっと押し当てた。
光の球体が魔王様の胸へと吸い込まれた瞬間──魔王様の全身から、戦場全体を覆い尽くすほどの眩い神光が溢れ出した。
あまりの神々しさに、八部衆も、戦場に残された兵たちも、思わず両目を固く閉ざす。
──やがて、光が緩やかに収まっていった。
そこに立っていたのは、以前よりも少しだけ背の伸びたエルドゥ魔王様の姿であった。
相変わらずの絶世の美貌を誇っているが、以前と明確に異なる点が一つだけあった。
頭部に生えていた一対の禍々しい漆黒の角が、完全に消失していたのだ。
一見すると人間と見分けがつかない姿となった彼女の背から、突如として実体を持たない光の翼が──六対十二枚、優美に広がった。
その表情は、世界のすべてを包み込むような深い慈愛に満ちている。
「そう……これが『愛』というものなのね……」
「エルドゥ……魔王様……?」
「なあに、ルーカス?」
「そのお姿は……? それに、言葉遣いまで……」
「ふふ、これね。私は元々『愛』を知らない神として誕生したの。だけど、私を生み出してくれた母神様から言われていたわ……『あなたが真実の愛に目覚めたその時、真の力を発揮するでしょう』って」
「真の力、ですか……?」
「そうよ、ルーカス。恐怖で支配する魔神としてではなく……『真実の愛』を司る絶対の神として」
「……では、これからは何とお呼びすれば?」
「『エルドゥルビィ』と『ルビィエルドゥ』……ルーカスはどちらが良いと思う?」
「えっと……どちらも少し呼びにくいので、二人のお名前を併せて『エルビィ』とお呼びするのはどうでしょうか?」
「とっても気に入ったわ! じゃあ今から、私は『エルビィ』ね」
──その神秘的な空間をぶち壊すように、野蛮な怒号が響き渡った。
「俺を無視して勝手に話を進めてんじゃねえぇぇぇッ!!」
声のした方へ視線を向けると、そこにはパスカルの放った鋭利な『魔鋼糸』で全身を拘束され、さらにバイナリの召喚した巨竜『ティアマット』の巨体によって地面に組み伏せられているサムの姿があった。
「ルーカスぅッ! それにそこにいる女もまとめて殺してやる! 全員ぶっ殺してやるぞぉぉッ!!」
「……できるものなら、やってみなさい」
静かに微笑みながら、エルビィはルビィの愛刀の柄へとそっと手を伸ばした。
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