第五話 ミストルティン損失
プロト帝国軍と魔界軍による戦況は、いよいよ死闘の様相を呈していた。
体勢を立て直した帝国軍の術師陣が帝級魔法を連射すれば、迎え撃つ魔界軍も屈強な結界を展開して防ぎつつ、帝級魔法、精霊術、そして魂を削る呪歌のデバフで激しく応戦する。
しかし、純粋な兵力数においては帝国軍が圧倒的に優勢であった。
さらに前線では、偽勇者サムが凶悪な笑みを浮かべながら極大熱量魔術『プロミネンス』を無差別に乱射し続けており、防戦に追われる魔界軍の陣営にはじわじわと不穏な疲弊の色が漂い始めていた。
──その停滞を打ち破ったのは、アルシオン率いる竜衆であった。
太古の威容を誇るエンシェント・ドラゴン──その一族の長であるアルシオンは、この決戦の瞬間のために後方で牙を研ぎ、出撃の機を窺っていたのだ。
エンシェント・ドラゴンが誇る絶対的な鱗の防御力は、人界の術師たちが用いる補正コード『Λ(ラムダ)』入りの帝級魔法程度では、傷一つ付けることすら叶わない。
かつてルーカスがオーエス国に滞在していた折、この『Λコード』の真実を明かしたのはルビィやアドミナといったごく一部の信用できる者に限られていた。
だが──たとえ人界側が『Λコード』の抑制を解除した完全な帝級魔法を放ってきたところで、竜の王たる彼らを倒すことなど元より不可能なのだ。
巨躯を躍らせた太古の竜たちは、天を覆う灼熱の息吹を吐き出し、古の言葉で紡がれる『竜言語魔法』を容赦なく解き放った。
押し寄せる大軍勢は、まさに天災そのものの暴力の前に為すすべもなく文字通り溶かされていく。
後退を始める帝国軍を嘲笑うかのように、ひとしきり滅びのブレスを浴びせ終えたアルシオンたちは、悠然と魔界の陣営へと帰還していった。
その圧倒的な脅威に恐怖した帝国軍の術師たちは、大慌てで界門を閉じ始める。
前線で狂乱していたサムが何やら怒号を上げていたが、このまま押し切ろうとすれば軍の全滅を待つばかりであった。
パケ・ロット伯爵は必死の面持ちでサムを宥めすかすと、命からがらプロト帝国へと逃げ帰ったのだった。
こうして、歴史に刻まれる「第一次・界門防衛戦」は、魔界側の圧倒的勝利をもって幕を閉じた。
◆
命からがら帝国へと舞い戻った全軍に、安堵の息が漏れる。
だがただ一人、敗北を喫したサムだけは憤怒に狂っていた。
「チッ! くそがぁッ!!」
粗暴に罵声を上げながら、サムは与えられた館で荒んだ酒と女の狂乱へと溺れていった。
その醜態を横目で見つめながら、パケ・ロット伯爵は皇帝へ凄惨な戦況報告を行っていた。
界門の設営術式に深刻な欠陥があり、開幕と同時に多大な被害を出したこと。
魔法で応戦したものの、敵の防御壁は鉄壁であり、多彩な魔法や呪歌、そしてエンシェント・ドラゴンの組織的な強襲の前に自軍の攻撃が無力であったこと──そして何より、召喚された勇者サムが何一つ役に立たなかったという事実を、隠すことなく淡々と伝えた。
報告を聞いた皇帝ロジク三世は顔を跳ね上がらせ、すべての敗戦の責任をパケ・ロット伯爵一人の背に押し付け、即座に断頭台による処刑を命じた。
皇帝とて、本音を言えば無能で狂暴なサムを処分し、新たな勇者を召喚し直したかった。
しかし、現在の帝国には無限の再生能力を持つサムを殺害する手段が存在しなかったのだ。
ならば、不完全な界門を作った術師たちを全員処刑するよりも、今回の失敗を糧に界門の術式を完成させ、次の侵攻に役立てる方が遥かに建設的である。
そのために生じるすべての不満と責任のしわ寄せを、パケ・ロット伯爵一人が背負わされる形となったのである。
しかし──処刑の当日。
パケ・ロット伯爵は首切り台の上で、冷たい笑みを浮かべながら不気味な予言を残した。
『いずれ……プロト帝国は世界地図の上から文字通り消滅するだろう。そして後世の歴史学者どもは、この国を治めた無能な皇帝と、下劣なる偽勇者の醜態を末永く語り継ぐことになるはずだ』
そう吐き捨てると、彼は自ら進んで断頭台に首を差し出し、刃の露と消えた。
後にこの歴史を紐解く学者たちは、「パケ・ロット伯爵は帝国に訪れる逃れようのない地獄を悟り、安易な死によってそこから逃走したのではないか」と推測することになる。
そしてその推測は、ほぼ真実を突いていた。
彼は第一次・界門防衛戦の最中、戦場の向こう側に見てしまったのだ。
魔界軍の陣営に立つ──ルーカス・アルマギナ侯爵の姿を。
かつて王立アルテア貴族学院でルーカスの後輩であり、旧オーエス国近衛騎士団の副団長を務めていたパケ・ロットは、ルーカスという男の凄絶な本質を誰よりも熟知していた。
味方に対してはどこまでも情に厚いが、敵と定めた者には一切の容赦をしない。
超古代魔法を極め、この世界の常識を軽々と越える未知の秘術を操る。
さらに清廉潔白にして絶対の強さを誇り、「もしこの世に真の勇者が存在するならば、彼をおいて他にいない」と周囲に心底から抱かせるカリスマ。
そんな怪物を、本気で敵に回してしまったのだ。
国家の破滅など、すでに決まった未来(自明の理)でしかなかった。
もし彼の凄まじさを知る者が他にいたならば、パケ・ロットと同じように喜んで断頭台へ首を差し出していたことであろう。
こうしてパケ・ロット伯爵は処分され、帝国では着々と「第二次・界門防衛戦」への準備が進められていった。
◆
その頃、魔界では天竜八部衆の長たちが集まり、作戦会議を執り行っていた。
議題はもちろん、偽勇者サムの処理についてである。
先の戦いにおいて、サムが見せつけた圧倒的な超再生能力を目の当たりにした長たちは、ルビィの編み出した新技──『断絶する緋色の刻・改』へ強い期待を寄せていた。
特別に会議へ同席していたルビィは、長たちの視線に一瞬だけ戸惑いの表情を見せたものの、「必ずご期待に応えます」と静かに頷いた。
続いて、帝国軍が門の狭間に存在する深淵をいかに克服して侵攻してくるかについて、幾重もの予測と仮想戦術が重ねられた。
もし前回と同様の力押しであれば、アルシオンら太古の竜の背に乗り、上空からサム目掛けて『断絶する緋色の刻・改』を打ち込む。
万が一、奴らが魔界の地に足を踏み入れたならば、伝統の「鶴翼の陣」をもって包囲し、一気に殲滅する──方針は決まった。
前回の戦いで大損害を被った帝国軍は、次は必ず少数精鋭で打って出てくるはずだ。
そのため鶴翼の陣の中央、もっとも苛烈な最前線には、ルーカスとルビィを先頭とする摩睺羅伽衆が陣取ることが決定された。
会議の帰り道、ルビィは乾闥婆衆の長であるフィオナ・エレノーアと肩を並べて歩いていた。
フィオナはどこか陰のあるルビィの様子を察し、気遣うように声をかける。
「ルビィ、なんだか元気がないみたいだけど……何か心配事でも?」
「フィオナ……あのね。もし、どうしようもない頑強な相手がいたとして」
「うん、いたとして。(……多分、偽勇者サムのことよね)」
「私が編み出した『断絶する緋色の刻・改』と、どんな存在も殺せる『神殺しの武器』……あなたなら、どちらが役に立つと思う?」
「そうね……どちらも凄まじい効果でしょうけど、強いて言うなら『神殺しの武器』かしら」
「どうしてそう思うの?」
「だって、神様すら殺してしまう概念の武器なんでしょう? どんな怪物だって一撃で仕留められるじゃない」
「そうね……確かに、その通りだわ」
「でも、どうしてそんな突拍子もないことを聞くの?」
「……ここだけの話よ。私、今その『神殺しの武器』を持っているの」
「へー、そうなんだ……へっ!? ほ、本当に自前で持ってるの!?」
「本当よ。だから、どちらを実戦で使うべきか、誰かに相談したかったの」
「それなら、さっきの会議で皆に言えば良かったじゃないの!」
「ううん……おおっぴらに公表できる代物じゃないから、困っていたのよ」
「それなら、いっそエルドゥ魔王様に直接お話しして、判断を仰いだら──」
『──許可するぞ』
「うわああッ!? エルドゥ魔王様、いつからそこに!?」
「『ルビィ、なんだか元気がないみたいだけど大丈夫?』と話しかけていたあたりからだな」
「それって最初からずっと居たってことじゃないですかー!」
「まあ、そうとも言う。……それでルビィ、其方は『ミストルティン』を所有しているのだな?」
「……はい。持っております」
ルビィは意を決すると、異空間の保管庫から一振りの短槍を取り出した。
神をすら穿つ呪われし秘宝──『ミストルティン』である。
「ふむ……狂気の術式たる『断絶する緋色の刻・改』を使わせるよりは、そちらの方が幾分マシか」
「あ、魔王様もそう思われますか!」
フィオナが同意するように頷く。
「次の戦いでは、まずそのミストルティンを投げ放ってみよ。それで不発に終わったならば、その時に初めて『断絶する緋色の刻・改』を解禁すればよい」
「はい、承知いたしました」
「それと──くれぐれもその短槍を敵の手に渡すことのないようにな」
「……はい。魔王様の御命に関わりますから」
「いや。狙われるとしたら、ルーカスの方であろうな」
「そんな……っ!? (ルーカスが……私以外の誰かに殺されるなんて、そんなことだけは絶対に許さない……!)」
「ゆえに、使用の際は細心の注意を払うのだぞ」
魔王様が重々しく釘を刺した、まさにその瞬間──。
ヴーッ! ヴーッ! と、魔界全域に禍々しい警戒アラートが鳴り響いた。
「ふふ、早速のお出ましみたいね」
フィオナが不敵に口元を吊り上げる。
魔王様は毅然とした態度で命を発した。
「全軍へ通達! 界門の前へ陣を張れ! 状況によっては、我自らが戦場へ出る!」
側に控えていた伝令兵が、脱兎のごとく八部衆の長たちのもとへ駆け出していった。
◆
演習場の中央に現れたのは、前回よりも遥かに小規模な界門であった。
太古の竜の通過を警戒してか、人ひとりが通り抜けるのがギリギリの大きさである。
八部衆が即座に布陣を完了した直後、ギギ……と音を立てて界門が開放された。
今度は門の向こうに深淵は存在しない。帝国軍の精鋭たちが、怒涛の勢いで魔界の地へと雪崩れ込んでくる。
連日の猛攻によって荒れ果てた演習場は、まさに死闘の舞台に相応しい荒野と化していた。
住民たちが暮らす豊かな緑の大地ではなく、この隔離された演習場に門が開かれたことだけが唯一の救いであった。
人界の将は、
「魔族が陣形を取っているだと?笑わせるな!そんな左右に伸びた陣なぞ我が聖槍の陣【鋒矢の陣】による一転突破で粉砕してくれるわ!」
ルーカスがそれを見て、冷静に分析し、
「想定通りだ。中央を開けろ。侵入した敵の戦線が伸びきった所を、両翼から挟撃する!」
魔族全軍に指示が下り、開戦の口火を切ったのは、阿修羅衆の長バイナリであった。
彼が召喚した無数の「スケルトン・ウォーリア」「ドラゴン・スケルトン」、そして巨躯を誇る「ミノタウロス」の軍勢が、侵入してきた帝国兵へと襲いかかる。
さらに空の制空権を握るべく、迦楼羅衆が上空から殺到。
帝国側からの散発的な対空攻撃を魔女たちの強力な防御結界で弾き返しつつ、威力を最大化させた帝級魔法の奔流を地上へ叩き落としていく。
地獄絵図と化した戦場に、帝国兵たちは雪崩を打ったように悲鳴を上げ、界門へ向かって逃げ惑い始めた。
しかし──退路となる界門はすでに閉じ、消滅していた。
魔女たちが放った帝級魔法の流れ弾が、運悪く門を裏で維持していた帝国の術師を直撃し、一瞬で蒸発させてしまったからである。
不本意ながら背水の陣へと追い込まれた帝国兵たちは、死狂いの様相で必死の抵抗を試みる。
その凄惨な惨状の中、ただひとり狂喜の声を上げて笑っていたのは偽勇者サムだけであった。
バイナリの召喚獣と帝国軍が凄絶な混戦を繰り広げる中──。
ルーカスは自らの手で人ひとりが通れるほどの小さな界門を静かに展開すると、ひとり人界へと足を踏み入れた。
元凶たる大本を叩くために。
人界へ転移したルーカスは、さらに長距離転移を重ねてプロト帝国の帝都上空へと出没した。
見下ろす巨城と帝都に対し、彼は一切の手加減を捨てる。
「──『メテオ・ストライク』」
天空から引き寄せられた巨大な隕石が、帝都の中央へと着弾。凄まじい衝撃波と炎がすべてを呑み込み、地表を焼き尽くす。
さらにルーカスは無感情な瞳で、国家全域を対象とした最大級の禁術詠唱を開始した。
「──『地獄の無の深淵よ来たれ。すべての敵を無に帰せ。深く、深く、その芯まで無に帰せ。深い深い底の無い深淵をもって、目の前の敵を飲み込め……』」
厳かになぞられる長い詠唱の果て、大呪術を成立させる真名を解き放つ。
「──『地獄の無深淵』!!」
その瞬間──世界の地図の上から、文字通りプロト帝国という国家が永遠に消滅した。
かつて帝国の都市が存在していた場所には、光すら届かぬ巨大で深い漆黒の深淵だけがぽっかりと口を開けていた。
ルーカスはその光景を魔道具の記録映像に収めると、冷徹に術を解き、速やかに魔界の戦場へと戻っていった。
◆
ルーカスが演習場へ帰還した時、戦場では神獣フェンリルを相手に、サムが狂ったように剣を振るっていた。
ルーカスは空中に記録映像の投影を展開し、戦場全体へ冷徹な声を響かせる。
「諸君らの故郷は、たったいま消滅した。これ以上無駄な死を重ねたくないのなら、直ちに武器を捨てて投降しろ」
しかし──その宣告は投降を生むどころか、絶望した帝国兵たちの理性を吹き飛ばし、火に油を注ぐ結果となってしまった。
「もう……帰る場所なんて無いんだ!! ならばこの魔界を、ハチャメチャに蹂躙してやるだけだぁぁッ!!」
絶望と狂気に駆られた兵たちが、捨て身の特攻を開始する。
その乱戦の渦中──ルビィは『ミストルティン』を握り締め、じっとその瞬間を狙っていた。
狙うべき好機はただひとつ。
ルーカスとサムの射線が一直線上に重なったその瞬間。
そして──その時は訪れた。
ルビィは自分に背を向けて構えるルーカス目掛け、その背中を、そしてその先にいるサムを同時に貫くべく、渾身の力で『ミストルティン』を投擲した。
空を切り裂いて飛翔する神殺しの短槍。
──だが、次の瞬間であった。
ルーカスの背から一対の眩い光の翼が展開され、彼は超人的な速度でサムの頭上を飛び越え、その背後へと回り込んでいたのだ。
手応えを失ったミストルティンは、直進の勢いのままサムの左肩を深く穿ち、肉体を貫通して途中で停止した。
「ガ……ァァァッ……グアアアアアアアッ───────!!」
地響きのようなサムの凄絶な雄叫びが、戦場全体に轟き渡る。
これまでいかなる致命傷を負おうとも痛がる素振りすら見せず、下卑た嘲笑を浮かべるだけだったあの災厄の男が──初めて、苦痛に顔を歪めて悲鳴を上げたのだ。
サムは左肩をだらりと血に染めて垂らしながら、強引に肉体から『ミストルティン』を引き抜いた。
そして、己の肉体に耐え難い激痛と傷を与えたその短槍を、狂気と歓喜の交じった瞳で見つめる。
「ハ……ハハハッ! こいつなら……いくら最強の力を持とうが、貴様を殺せるわけだなぁ、ルーカスぅッ!!」
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ───────!!」
絶望に満ちたルビィの叫び声が、虚しく戦場に響き渡ったのだった。
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