第四話 進撃の偽勇者
時は少し遡る。
エルドゥ魔王様と天竜八部衆が、偽勇者サムへの対策会議を執り行っていたその頃──すなわち、オーエス国が突如として滅び去った直後のことである。
凱旋した勇者サムとパケ・ロット伯爵を待っていたのは、帝国市民からの盛大な称賛の嵐……などでは決してなかった。
彼らを迎えたのは、冷酷なまでに冷ややかな視線であった。
サムが前線で繰り広げた非人道的な殺戮と下劣な所業は、すでに伝聞となって全帝国民の知るところとなっていたのだ。
市民たちは彼を勇者などとは誰も認めず、陰では偽勇者、災厄の悪魔と蔑み、囁き合っていた。
彼らにとって勇者とは神聖で高潔な救世主であり、その理念と真逆に位置するサムという存在を受け入れることなど、到底不可能だったのだ。
このサムの暴挙には、流石のプロト帝国皇帝ロジク三世も苦々しく眉をひそめていた。
何より、喉から手が出るほど欲していた超古代文献の奪取に失敗し、それを解読できる学者たちを取り逃がしたことに、皇帝は激怒していた。
ロジク三世は軍を率いていたパケ・ロット伯爵へ極刑を含めた重罰を下そうとした。
しかし、そこに待ったをかけたのが、教皇の座を追われ帝国へと身を寄せていた元教皇ジャバ二世であった。
彼は「パケ・ロットにはまだ利用価値がある」と進言し、皇帝を宥め、今回に限り「謹慎」という軽い処罰にとどめさせたのである。
ジャバ二世自身、召喚した勇者がこのような凶悪な狂人であったことから、聖ループ国において激しい糾弾を浴び、教皇の座を追われていた。
もし召喚された者が清廉潔白な真の勇者であったなら何の問題もなかったのだが、サムという男は人道的に問題がありすぎたのである。
だが──プロト帝国という国家にとって、サムは非常に都合の良い道具でもあった。
隷属の首輪や契約の呪印を嵌めずとも、放置しておくだけで自ら進んで敵国を惨殺し、蹂躙してくれるからだ。
現在、ジャバ二世はプロト帝国の庇護のもと、「我こそが正統なる教皇である」と虚しい主張を繰り返していた。
聖ループ国ではすでに穏健派の新たな教皇が擁立されていたが、帝国にとってそんなものは些細な問題に過ぎなかった。
パケ・ロット伯爵に謹慎が言い渡されると同時に、逃亡していた学者たちの朗報が舞い込んだ。
オーエス国を包囲していた帝国の属国兵が、山脈の奥深くへと潜伏していく学者たちの姿を確認したという報告が入ったのだ。
直ちに帝国軍が投入され、山中に潜んでいた魔族の守備隊と激戦を展開。
辛勝ながらもアジトを制圧し、隠れていた学者たちの身柄を拘束することに成功した。
捕らえられた学者たちの半数は、帝国の魔手に落ちることを、恐れて毒を煽り、命を絶っていた。
しかし、残る半数は自決する勇気を持てず、哀れにも帝国兵によって引きず立てられていった。
帝国はすぐさま苛烈な拷問を加え、超古代の智恵を吐き出させようとした。
だが、知識の偏りは深刻であった。
界門(次元の扉)を開く術式に最も精通していた第一人者たちは、真っ先に自決した半数の中にいたのだ。
残された者たちの断片的な知識を苛烈な拷問によって搾り取ろうとした結果、耐え切れなくなった学者たちは次々と精神を病み、ただの廃人へと変わり果てていった。
それでも、帝国の魔導士たちは諦めなかった。
廃人となった学者たちが残した断片的な手記や狂乱の叫びから、バラバラな知識の欠片を強引に繋ぎ合わせる作業に没頭したのだった。
やがてパケ・ロット伯爵の謹慎が解けると、彼は勇者サムとともに、帝国の周囲に隣接する小国群への侵攻を開始した。
いずれ魔界へと全軍を侵攻させる際、後顧の憂いを断っておくため。
そして魔界すらも踏みにじり制圧した暁には、「プロト帝国こそが世界を統べる神の正統なる僕である」と全世界へ誇示するためである。
今回標的とされたのは、元々はプロト帝国に従順な態度を示していた小さな隣国であった。
しかし“隣接している”というだけの身勝手な理由で、惨劇の幕が切って落とされた。
サムの残虐極まりない振る舞いに毒され、感化された帝国兵の中には、一緒になって民を虐殺し、貴族の令嬢や幼い少女の尊厳を踏みにじる者が相次いだ。
彼らは口々に主張した。
『勇者様がやっておられるのだから、これが正しいのだ』
『神が天罰を下さぬのが何よりの証拠だ。神は勇者サム様を肯定しておられるのだ』と。
……だが、人族の兵たちは知らなかった。
たとえ天の神が天罰を下さずとも、その代行者がすでに動き出しているということを。
かつて、人界(楽園界)の半分を切り取って作られた異空間──そこに魔神エルドゥ・ラディヴィジョンが魔王として降臨したのが魔界の始まりであった。
彼女は直ちに四天王を従えて組織を整え、人界で虐げられていた亜人たちを積極的に受け入れ、愚かな人族に対する絶対的な抑止力として機能してきた。
その真実を知らぬ人族は絶えずみにくい争いを繰り返し、歴史上二度にわたる、文明の滅亡を引き起こしてきた。
その度に魔界は干渉し、破壊力を抑制する補正コードΛを施した魔法や神聖術を人界へ普及させ、世界そのものの崩壊を防いできたのだ。
やがて人族は、世界の均衡を壊す術──天界の安全網の隙間を突くことで異世界から強力な勇者を強引に引きずり出す術を見出し、都合よく戦術兵器として利用しては、用済みとなれば追放や殺害を繰り返してきた。
そうして追放された真の勇者たちは魔界へと迎え入れられ、温かい家庭を築き、子孫を残してきた歴史がある。
今回サムが犯した一連の暴挙は、魔界にとって断じて容赦できぬ制裁対象であり、すでに魔界全軍の標的とされているなど知る由もなく──プロト帝国と帝国兵、そして偽勇者サムは、己こそが絶対の正義であるかのように思い上がり、惨劇を繰り広げていた。
◆
「チッ! この国の女も酒も不味くて反吐が出そうだったぜ!」
荒れ果てた街の瓦礫の上で、勇者サムが不機嫌そうに吐き捨てた。
脇に立つ帝国兵がへつらうように応じる。
「この国は貧相な小国ですからな。やせ細った女と、泥水のような酒しかございませんでした」
「全くだ。オーエス国くらいの上玉にまた当たりたいもんだぜ」
「それほど美味でございましたか?」
「ああ、酒も女も飛び切りだった。……そういえば、なんであの城に『ウイスキー』なんて酒があったんだ?」
「ウイスキー……ああ、確かルーカスが作らせたという異国の酒のことですかな?」 「なに……? ああ、この世界の酒なんてのは、薄っすいワインかパンくずの浮いたエール、甘ったるい蜂蜜酒くらいしかないと思ってたんだがな」
「それが何か問題でも?」
「いや……いきなり本物の高級ウイスキーが出てきたんで驚いたのさ。俺が元いた世界でもお目にかかれねえような極上品だったぜ」
「ははっ、そのようなことですか。ただの偶然でしょうな」
「まあな。偶然美味い酒が生まれるなんてことはよくある話だ。ルーカスの野郎も、たまたま運が良かっただけに過ぎん」
「ささ、そのような雑音は気にされず、次の国へ進軍いたしましょう。こんな貧相な国、疾風の如く踏み潰してしまえばよいのです」
「ガハハハッ! そうだな! 次だ、次ぇ!」
もし、この場に元教皇ジャバ二世や、古代召喚術の真実に精通した者がいたならば──血の気を引き取り、その場に倒れ伏していたかもしれない。
偽勇者サムと帝国兵が何気なく交わしたその会話こそ、ルーカス・アルマギナ侯爵という存在が秘めた異質な真実。
その片鱗をはっきりと示すものであったからだ。
彼が異世界の知識と技術をこの世界へ持ち込み、世界そのものを書き換えているという決定的な証拠……もし識者がいれば、歴史の決定的な転換点となったはずの会話であったが、愚かな彼らがそれに気づく術はなかった。
◆
そして──ついに帝国の研究陣から「界門の構築に成功した」との報せがもたらされた。
「今度は魔界の女どもを好き自由に揉んで、尊厳を無残に踏みにじってやる」
下劣な欲望をギラつかせ、偽勇者サムと帝国兵たちは下卑た笑みを浮かべていた。
こうして、完成した巨大な界門の前には、パケ・ロット伯爵と偽勇者サム率いる帝国の大軍勢が集結した。
「さあ、門を開けろ! 魔界の化け物どもを蹂躙してやるぞぁッ!!」
「「「オオオオオオオオッ──!!」」」
地鳴りのような鬨の声が、辺り一面に響き渡る。
「──開門」
誰かが静かにそう呟いた。
ギギギ……と音を立て、巨大な界門がゆっくりと開放される。
だが──門の向こうに広がっていたのは、陸地ではなかった。
人界の門と魔界の門の狭間には、底など見えぬほど広大な“次元の裂け目(深淵)”が無限に広がっていたのだ。
「う、うわああああっ!?」
「落ちる! 助けてく──」
勢い任せに雪崩れ込んだ先頭の帝国兵たちが、悲鳴を上げながら次々と深淵の闇へと呑み込まれていく。
廃人となった学者たちから強引に聞き出した歪な術式には、次元の座標を固定する重大な欠陥(不具合)が存在していたのだ。
後ろから押し寄せ、深淵の前にすんでのところで踏みとどまった帝国兵たちにも、容赦のない現実が突きつけられた。
彼らは、門の向こうで牙を研いでいた魔界軍にとって、絶好の的に過ぎなかったのである。
界門の向こうから容赦なく放たれる極大魔法、精霊たちの怒りの奔流、そして魂を削り取る死の呪歌。
あらゆる弱体化と攻撃を浴びせかけられた帝国兵たちの脳裏に、数年前のオーエス国で味わった“全軍全滅”の絶望的な記憶が鮮烈に蘇る。
「ひぃっ! 助けてくれぇっ!」
「退け! 退けぇッ!」
逃げ惑い、パニックに陥る自軍の兵たちを容赦なく踏みつけ、前へと進み出る男がいた。
偽勇者サムである。
「チッ、使えねえ雑魚どもが! 『プロミネンス』!!」
サムは凶悪な笑みを浮かべ、極大熱量魔術『プロミネンス』を魔界の門目掛けて幾重にも連射した。
しかし──その凄まじい業火の奔流は、門の向こうに展開された魔界の絶対的な防壁によって完璧に阻まれ、霧散していく。
進むことも退くことも叶わぬ、圧倒的な絶望。
これが後に人界と魔界の歴史に刻まれることとなる、第一次・界門防衛戦の幕開けであった。
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