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第一話 勇者召喚

 人界──正式名称を「楽園界」と呼ぶ。


 しかし、その実態は人族の増長と思い上がりにより、それ以外の種族をことごとく“亜人”と蔑み、過酷な差別が平然とまかり通る歪んだ世界であった。


 人族以外の種族にとっては到底楽園とは呼べず、いっそ魔界の方がまだ理知的でマシだとすら思わせるほどに荒廃していた。


 その傲慢な人族の支配を象徴する国こそが、聖ループ国である。


 そこは人界に存在するすべての教会を統べる聖地であり、その頂点に戴く最高権威が教皇であった。


 ──そのアッセンブリ教皇が、何者かによって暗殺された。


 事件後、即座に亜人たちの犯行が疑われたが、そもそも亜人は聖ループ国への入国すら厳しく禁じられている。


 次に疑いの目が向けられたのは魔界の住人たちであったが、聖地の厳重極まる警備の目を掻い潜って教皇を暗殺することなど、事実上不可能に近かった。


 だが、明確な根拠もないまま、これが魔界の住人による陰謀であると強硬に主張する大国が存在した。


 ──プロト帝国である。


 以前、ルーカスによってその悪辣な野望を全世界へと暴露されたプロト帝国。


 当時、オーエス国のセマフォ国王を暗殺した真犯人であるパケ・ロット伯爵を匿い、同時にオーエス国へと侵攻したものの、たった二人の規格外の存在によって軍を完全に壊滅させられた国だ。


 急速に国際的な求心力を失っていた帝国は、この未曾有の危機を好機と捉え、今こそ勇者召喚を執り行って魔界へと攻め入るべきだと激しく煽り立てた。


 しかし、国境を接する一部の小国が圧力に屈して同調したのを除けば、帝国の呼びかけを支持する国は皆無であった。


 当然だ。


 ルーカスによって白日の下に晒された帝国の醜悪な野望は、すでに世界中の知るところとなっていた。


 そのような血に飢えた国を敢えて支持するような、正気な国家など存在するはずがなかった。


 だが、実情はさらに冷酷なものであった。


 プロト帝国にとって、融和を望む穏健派のアッセンブリ教皇こそが最大の目の上のたん瘤だったのだ。


 ゆえに帝国は裏で糸を引いて教皇を暗殺し、自らの息がかかった過激派のジャバ二世枢機卿を、強引に新たな教皇の座へと据え付けたのである。


 この横暴に対し、諸外国では急速に教会勢力からの離脱運動が始まった。


 しかし、そんな周囲の反発を意に介さず、プロト帝国とジャバ二世新教皇は、ついに禁忌たる勇者召喚の儀式を強行したのだった。


 本来、同じ時代に二人の勇者は存在し得ない。


 すでにルーカスが真の勇者としてこの世界に転生している以上、儀式によって呼び出される勇者は偽物でしかなかった。


 だが、ルーカスが真の勇者であるという事実は、エルドゥ魔王とその配下である天竜八部衆の長たちしか知らない。


 プロト帝国もジャバ二世教皇も、召喚された勇者こそが世界を救う本物の救世主であると、心の底から信じ込んでいた。


 しかし、そこで予期せぬ事態が起こる。


 本来、勇者召喚とは品性が高潔で、誰もが尊ぶような聖人が選ばれるはずの儀式であった。


 そう──“はず”だったのである。


 魔法陣から現れたのは、品性下劣で野蛮、かつ色情に塗れた、救いようのない人間のクズだった。


 だが、その身に宿る力だけは紛れもなく本物であった。


 帝級の魔法や神聖術をわずか数日で完璧に使いこなし、何よりも無限再生という破格の能力を有していたのだ。


 どれほど過酷な戦場に身を投じようとも、たとえ首を刎ねられるような致命的な手傷を負おうとも、即座に肉体が超高速度で修復される不死身の怪物の誕生。


 それは、他国を力でねじ伏せたいプロト帝国とジャバ二世教皇にとって、これ以上なく都合の良い肉の兵器であった。


 帝国は、自らに従わない近隣諸国へこの男を派遣した。


 男は戦場をただ蹂躙して国家を荒らし、褒賞として与えられる酒と女を貪り尽くすだけの狂犬だった。


 召喚された男の本名は、この世界の言葉では酷く発音しにくい響きだったため、周囲からは便宜的に“サム”と名付けられた。


 サム自身、聖ループ国からプロト帝国へと至る道中で、この国の悪評を嫌というほど耳にしていた。


 だが、そんなことは彼にとってどうでもよかった。


 何せ自分に凄惨な戦場と、極上の酒、そして好みの女を湯水のように与えてくれる、この上なく都合の良い連中だったからだ。


 だが、そんな無敵の快楽に溺れるサムにも、ただ一つだけ耐え難い不満があった。


 それは、行く先々で常に“ルーカス・アルマギナ侯爵”という先代の英雄の名と比較されることだった。


 高潔で清廉潔白。


 オーエス国で数々の奇跡的な改革を成し遂げ、圧倒的な武を誇った最強の存在。


 “氷の貴公子”と今なお称えられる高潔な彼と比べられ、その影に落とされるたびに、サムの胸中にはどす黒い苛立ちと嫉妬が募っていった。


 そしてある時、サムは諜報の魔導映像で、偶然にもルーカスとルビィ、そしてエルドゥ魔王の姿を目にすることになる。


 画面に映る彼らを見つめながら、サムは身の程知らずな妄執を抱き、下卑た笑みで舌なめずりをした。


(いつかあの魔界へ侵攻し、ルーカスの妻だというあの絶世の美女ルビィを奪って俺のモノにしてやる。ついでにあの絶世の美少女の魔王の小娘も、俺の奴隷として跪かせてやる……!)


 ◆


 その頃、魔界の大演習場では、ルーカスとエルドゥ魔王様による一対一の壮絶な実戦訓練が繰り広げられていた。


 演習という名目ではあったが、その実態は実戦すら生ぬるい、天を揺るがす一方的な蹂躙劇であった。


「どうした、ルーカス! 汝の力はその程度か!?」


「くっ……!」


「第六段階の解放をしろ! 己の器を恐れるな!」


 上空から幾度となく浴びせられる魔王様からの叱咤激励を受けながらも、ルーカスの出力は依然として第五段階に留まっていた。


 かつて美しかった演習場の周辺は、余波だけで完全に破壊され、塵一つない更地と化している。


 二人は飛行魔法の限界を遥かに超越した神速の領域で、激しく激突していた。


 ルーカスが二十発もの帝級魔法『プロミネンス』を同時展開して放てば、対する魔王様は一切の猶予もなく、その倍にあたる四十発の帝級極冷魔法『アブソリュート・ゼロ』を瞬時に展開して迎え撃つ。


 相殺すら叶わず、ルーカスは完全に防戦一方に追い込まれていった。


 そして、そんな激闘の様子を、地上からほの暗い瞳で見つめている女性がいた。


 妻のルビィである。


(駄目……あの人が、ルーカスが、私の手の届かない遠いところへ行ってしまう……)


(ルーカスとはずっと一緒だった。これからもずっと一緒のはずなのに)


(もし、本当に私の手の届かない神の領域へ行ってしまうというのなら……いっそ、私が──)


 愛おしそうに、けれど狂おしそうに、彼女は己の手の中にある短槍『ミストルティン』を見つめる。


 しかし、具体的にどうすれば彼と永遠を共にできるのか、その確実な術が思い浮かばなかった。


 人間の限界とされる帝級魔術を完全に修め、超古代の術理すら極めたルビィの目から見ても、今のルーカスが放つ質量はすでに人間の領域を超脱しつつあった。


 そこで彼女はふと、かつて貴族学院でスタンピードが発生した際、己が放った超古代魔術と時空斬の複合絶技『断絶する緋色の刻(とき)』の術式を思い起こした。


(あの技をさらに強化し、根本から術理を改良すれば……)


 ──一度でもその刃で手傷を負わせれば、世界のいかなる法則を以てしても二度と肉体の回復を許さない。


 そんな、治癒を永久に拒絶する絶対の断絶技。


 今のルビィにとって、その恐るべき禁忌の技を編み出すことだけが、最愛の夫であるルーカスに唯一対抗し、彼を繋ぎ止めるための手段だと信じられたのだった。


 ルビィは天空の激闘からそっと目を背けると、取り憑かれたように『断絶する緋色の刻』の改良術式の構築に没頭し始めた。


 それがやがて、未来に現れる不死身の偽勇者サムに対する“唯一の絶対的な天敵技”になるとは、この時はルビィ本人を含め、世界の誰も知る由がなかった。


 ◆


 その頃、上空のルーカスと魔王様の戦いは、いよいよ佳境を迎えていた。


「ルーカス! 恐れるな、己の限界を信じよ! たとえ力が暴走しようとも、この我がそのすべてを受け止めてやる! 汝の全力のすべてを我にぶつけてみせよ!」


「しかし……まだ出力が安定しません!」


「構わぬ! 暴走することすら前提として、その力を解き放て!」


「──くっ、おおおぉぉあぁぁッ!! 第六段階、解放!!」


 ルーカスの咆哮とともに、彼の背後からまばゆい光を放つ十二枚──六対の巨大な光の翼が爆発的に舞い上がった。


 天級の最大出力を得た彼は、超古代魔術『崩壊(コラプス)』に増幅コード『Φ』と『θ』を同時に組み込み、本来の三十二倍にまで威力を跳ね上げた光弾を、一挙に五十発同時に解き放った。


 魔王様は即座に超高速の回避行動をとるが、ルーカスが宿す『必中』の権能により、五十発の光弾は生き


物のように空中で急旋回し、執拗に魔王様を追尾して肉薄する。


「くっ……! 『スーパーノヴァ』!!」


 魔王様は回避不可と判断し、最高位の神級魔術を展開して真っ向からの相殺を選んだ。


 演習場の上空で星の爆発に匹敵する光が弾ける。


 だが、それでも威力を殺しきれなかった数発の光弾が深淵を突き破り、魔王様へと容赦なく牙を剥いた。


「『地獄の断絶』!!」


 魔王様が即座に奥の手を繰り出す。


 空間に地獄の底を思わせる底知れぬ深淵の亀裂を召喚し、迫り来る光弾の残滓をその暗黒へと力ずくで吸い込ませ、隔離した。


 だが、そのわずかな隙を見逃すルーカスではなかった。


 彼はすでに、空間に三十門もの極大魔導砲を同時展開し、限界まで魔力を充填させていたのだ。


 ──深淵の防御で、わずか十五秒の時間を稼げた。


 これで勝負を決める! 魔王様が深淵の向こうから再び姿を現した瞬間、この最大火力を一斉に叩き込む──ルーカスはそう確信していた。


 しかし、空間の亀裂が閉じたその時、正面に魔王様の姿はなかった。


「ここだぞ」


 背後から鋭い声が響く。


 魔王様はすでにルーカスの至近距離へと転移し、容赦なく光り輝く魔導剣を振り下ろしていた。


 ルーカスは本能的に己の魔導剣を展開し、激しい火花を散らしてその一撃を迎え撃つ。


 刃が軋み合う凄絶な競り合いの中、魔王様が驚愕の声を漏らした。


「汝……天級の活動限界はとうに過ぎているはずだぞ。これは一体どういうことだ?」


「え……? あ、そう言えば……体に限界が来ない? 使用後の反動が消えている……?」


「ふっ、末恐ろしい男よ。汝はすでに天級の領域すら超え、その上の『神級』の座へ手を伸ばしかけておるな」


「俺は……俺は……!」


「もしルビィという妻がいなければ、この我が無理にでも夫に娶っていたところだぞ、ルーカス!」


「俺は、俺は、あくまで人間だ──ッ!!」


 ルーカスは叫びながら、展開していた三十門の魔導砲の焦点を至近距離の魔王様へと合わせ、一斉に解き放った。


 しかし、その一瞬の対話の間に、魔王様はすでに完全な神級の絶対防御結界を構築し終えていた。


 禍々しくも美しい球体の力場が魔王様を覆う。


 放たれた極大の光条は、その球体へと吸い込まれるようにして次々と着弾し、爆発を起こすことすらなく虚無へと消滅していった。


「な……魔法が、消えた……!?」


「──その力を、そっくりそのまま返すぞ!」


 魔王様の鋭い宣告が響いた直後、消滅したはずの三十門分の魔導砲の奔流が、反転してそっくりそのままルーカス自身へと猛烈な勢いで跳ね返ってきた。


「ぐはっ……!?」


 咄嗟に天級の防御障壁を展開したものの、至近距離で受けた自らの最大火力の衝撃は凄まじく、ルーカスはそのまま意識を失い、操り人形のように地上へと真っ逆さまに墜落していった。


 魔王様は静かに下降し、気絶したルーカスを見下ろして小さく息を吐いた。


「ここまでか。ルーカス、汝の底知れぬ力をしかと見届けたぞ。……これほどの器であれば、人間界の偽勇者とやらが襲い来ようとも、十分に叩き潰すことができような」


 だが──エルドゥ魔王様はまだ知らなかった。


 人間界が召喚した偽勇者が、いかなる傷をも一瞬で修復する不滅の無限再生を備えた化け物であるということを。


 そして、今まさに地上で狂気的な特訓を始めたルビィの執念の技こそが、その怪物を屠るための唯一の切り札になるということを、この時はまだ、誰も想像だにしていなかった。

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