第十話 天級の威力
俺が目覚めてから、数週間が経過した。
その間、俺は主神様から解き放たれた天級の魔法や神聖術、そして激変した身体を馴染ませるため、一人で誰も寄り付かない過酷な山脈に籠もって鍛錬を続けていた。
この圧倒的な力をもし演習場で発動してしまえば、加減を誤って周囲一帯を丸ごと更地にしてしまう恐れ──いや、確信があったからだ。
だからこそ、最強の竜種すら近づかない断崖絶壁の霊峰で、俺はひたすら己の限界と向き合っていた。
……修行へ旅立つ直前、ルビィが見せていた何かを強く思い詰めたような表情が少し気にかかったが、俺はその不安を振り切るようにして山に篭もったのだった。
◆
一週間後。
「なるほど……天級の出力を上げると、この光の翼の数が増えるのか」
俺は今、己の体内に脈打つ天級の出力制御を行っていた。
天級──すなわち神の御使いが振るう領域の等級なだけあって、この力を発動させると、まるで天使のように背中から光の翼が展開されるのだ。
と言っても、肉体的な実体を伴う翼ではない。
高純度の魔力と神聖力が物質化し、背から解き放たれた光り輝く翼の形を成しているのだ。
出力を仮に一段階から六段階に分けるなら、一段階目では一対(二枚)、二段階目では二対(四枚)という風に、段階に応じて翼の数が増えていく。
そして翼の増加に比例して、魔法の威信、神聖術の強度、そして身体能力そのものが爆発的に強化されていく。
どちらかと言えば、天級の絶大な魔術行使に肉体が耐えられるよう、自動的に身体スペックが引き上げられる感覚に近い。
出力段階を上げるほどに、帝級魔法の同時展開可能数が増加し、飛行魔法の巡航速度も音速を超えて格段に跳ね上がる。
まずは同時展開できる極大魔法の限界数の把握と、超次元の飛行速度に感覚を鳴らすことから訓練を開始した。
◆
二週間後。
出力を三段階目まで安定して維持できるようになり、主神様から直接魂に刻まれた天級魔法および天級神聖術も、実戦レベルまで引き上げることに成功した。
主神様の編み上げた天級の術式は、余計な隙が一切存在しないほど完璧に洗練されていた。
ただし、俺が普段多用している特殊コード──『Φ(ファイ)』や『θ(シータ)』は組み込まれていなかった。
それも当然だろう。
ただでさえ莫大な魔力を消費する天級術式に『Φ』や『θ』の倍率コードまで付与すれば、たとえ魔力・神聖力の適性が規格外のSSS級であろうと瞬時に全魔力を枯渇させてしまう。
魔力量が「底なし(∞)」である俺のような異例でなければ、到底扱えたものではないのだ。
また、この力の行使には明確な反動が存在した。
一度でも天級の能力を開放すれば、激しい負荷によって半日は再度天級の力を振るうことができなくなってしまうのだ。
◆
三週間後。
血の滲むような試行錯誤の末、ついに五段階目まで出力を安定させることに成功した。
また、使用後の冷却時間も、半日(十二時間)から六時間へと大幅に短縮させることができた。
◆
四週間後。
五段階目までは完全に我が物とできたものの、最高段階である六段階目の壁は厚く、どうしても安定させることができなかった。
様々なスキルや補正を組み合わせて試みたが、六段階目を起動した瞬間に魔力が暴走しかけ、制御が破綻してしまうのだ。
だが収穫として、冷却時間は三時間にまで短縮された。
◆
五週間後。
相変わらず六段階目の壁は立ち塞がっていたが、冷却時間をわずか「三十分」にまで極限短縮させることに成功した。
俺が山頂で息を整えていた、まさにその時だった。
「これ以上、ここで一人修行を続けてもあまり成果は出まい。続きは実戦訓練の中で身につけるがよい」
空間が揺らぎ、エルドゥ魔王様が突然目の前に姿を現した。
「じ、実戦訓練と言いますと……?」
「ルーカス、汝一人で、今の天竜八部衆すべてを相手にしてみよ。それが終わった後は、我と一対一で手合わせだ」
「……一人で、八部衆の全軍とですか?」
「そうだ。条件はあの時の我と同じ。もっとも、あの時と比べれば八部衆の連携と練度は桁違いに上がっておるがな」
「……分かりました。お受けします」
「手駒(部下)は必要か?」
「いえ、一人で大丈夫です」
「よかろう。では下山するがよい。演習場で待っておるぞ」
魔王様は満足そうに頷くと、転移魔法で一瞬にして去っていった。
「……あ、俺も一緒に転移で連れて行ってもらえばよかった」
しばらくして、俺は演習場の自陣にポツンと立っていた。
開会にあたり、魔王様が今回の演習内容を全軍に説明していたが、俺はどこか遠い世界の出来事のようにぼんやりとそれを聞いていた。
互いの陣地へ着くよう指示されても、どこか現実に実感が湧かない。
山籠りの過酷な訓練による疲労か、それとも天級の力の反動か、気付けば俺は広大な戦場に一人だけで佇んでいた。
──パンッ! と、開戦を告げる大きな狼煙が上がった。
(あ……始まったのか)
とりあえず、天級の出力は「第一段階」で十分だろう。
背中から光の翼が一対、静かに羽ばたく。
相手は前回の反省を活かし、真っ先に空からの制空権を取りに来るはずだ。
そう思考した俺は──超古代魔術『崩壊』を数十発、同時に構築して空へと放った。
『Φ』も『θ』も組み込んでいない、素の威力の攻撃だ。
これなら回避されるか、防御結界で防がれるだろう……そう高を括っていた。
俺は、妹であるアドミナとの修行の中で自身も習得していた『必中』スキルの存在を、完全に失念していたのだ。
◆
その頃、上空へと飛び立った竜衆と迦楼羅衆の合同空中部隊は、凄惨な混乱の極みに叩き落とされていた。
「な、なんだこの異常な密度の魔術は!?」
「避けろ! 回避行動──ダメだ、追尾してくる!?」
突如として上空を埋め尽くした『崩壊』の光条。
かわそうとしても狙いすましたかのようにどこまでも追尾してくる凶悪な誘導弾に対し、空中部隊はパニックに陥った。
辛うじて三十二倍の帝級複合魔法結界を展開して直撃こそ防いだものの、押し寄せる圧倒的な質量と衝撃に耐えきれず、全員が地上へと叩き落とされて撃墜判定を食らうこととなった。
◆
開始からわずか数秒──連合軍は制空権を完全に喪失した。
俺は未だ、夢心地のような虚無感の中にいた。
(パスカルは魔鋼糸で結界を張り、バイナリは神獣を召喚して攻めてくるだろうな……)
呆然とした頭のまま、俺は極大熱量魔術『プロミネンス』を、先ほどと同様に十数発同時に放った。
今度は『Φ』と『θ』を組み込んだ、三十二倍出力の超絶火力だ。
さらに時間差で、極絶対ゼロ魔術『アブソリュート・ゼロ』を十数発重ねて解き放つ。
こちらも『Φ』と『θ』を組み込んだ三十二倍増幅仕様である。
仕上げに、広域魔導砲の術式を眼前に複数展開した。
その頃、連合軍の地上部隊は壊滅的な打撃を受けていた。
阿修羅衆のバイナリが全魔力を振り絞って召喚した神獣バハムート、フェンリル、ベヘモスが、飛来した『プロミネンス』の超高熱によって一瞬で焼き払われ、強制送還された。
さらに、パスカルが命がけで構築した幾重もの魔鋼糸結界が『プロミネンス』で限界まで加熱された直後、時間差で届いた『アブソリュート・ゼロ』の超低温によって急激に冷却された。
極度の熱膨張と急冷──その熱衝撃に耐えきれず、絶対の防御を誇る魔鋼糸結界は、ガラスのように脆く粉々に寸断されていった。
それはかつて、俺が貴族学院の序列決定戦で見せた極大戦術の再現であった。
一瞬で防衛線を失い混乱に陥る地上部隊に対し、さらなる無慈悲な追撃が襲いかかる。
頭上に並んだ無数の魔法陣から放たれる、極大の広域魔導砲による斉射。
それも、通常の術者であれば十分以上の入念な魔力充填を経てようやく一発放てるレベルの出力が、連機砲のように襲いかかってきたのだ。
「魔術が使える者は全員、死力で前面に結界を張れぇぇーーッ!!」
誰かの切実な叫びに応じて必死の防御陣が展開されたものの、数秒の拮抗の末、圧倒的な魔力の奔流が結界を易々と叩き割った。
この一撃により、地上部隊の実に七割が一瞬にして戦闘不能となり、戦線離脱を余儀なくされた。
ここで、演習の完全終了を告げる狼煙が虚しく上がった。
◆
「ああ……終了の狼煙だ。もう終わったのか」
俺は未だに、勝利の実感が湧いていなかった。
背中の光の翼を消し、天級を解除して三十分の冷却時間に入る。
そして、呆然とした足取りで生存者の集まる合流地点へと向かって歩き出した。
「勝負あり! 勝者はルーカスだ。……異論はあるまい?」
魔王様の静かな宣言が響き渡る。
(ああ……やっぱり勝ってしまった。また俺は……圧倒的な力を持つ化け物として仲間から恐れられ、排斥されてしまうのだろうか……)
人間界でのトラウマが蘇り、ぼんやりとそんな絶望を胸に浮かべていた、その時だった。
「ル、ルーカスの旦那ぁぁーーっ! すげぇ、凄すぎるぜ!!」
「おいおい、冗談だろ!? たった一人で俺たち全軍を瞬殺かよ!」
「ハハッ! これなら偽勇者が来ようが何が来ようが、絶対に負ける気がしねえぜ!」
次の瞬間、演習場を揺るがすほどの地鳴りのような「ルーカス・コール」が巻き起こった。
全軍が敗北の悔しさよりも、俺が見せた圧倒的な強さに目を輝かせ、称賛の声を上げていたのだ。
「どうしたのだ、ルーカス。間抜けに呆けた顔をして」
近づいてきた魔王様が、可笑しそうにクスリと笑う。
「……いえ、魔王様。みんなの反応が……あまりにも意外だったので」
「ほう。人間界の小さき者どものように、己の理解を超えた力を恐れ、排斥されるとでも思ったか?」
「……はい」
「ふん、そのような弱者の理屈が通るなら、我など当の昔に排斥されておるわ。魔界は基本、絶対の実力主義。強き者が正当に称えられる、ただそれだけのことよ」
「……そう、ですか」
胸の奥に支えていた冷たい塊が、すっと溶けていくような気がした。
「どれ……まだ不完全で物足りなさそうな顔をしておるな。次は我が直接相手になってやろう。冷却時間はどれほどだ?」
「あと三十分です」
「よし、では三十分後に再度、一対一の本格的な演習を行うぞ」
俺が冷却時間の経過を待っていた、まさにその時だった。
青ざめた表情の伝令兵が、脱兎のごとく駆け込んできた。
「大変です! 魔王様、ルーカス軍団長!」
「何事じゃ、喧しい」
「に、人間界にて……アッセンブリ教皇殿が暗殺されました!!」
場に緊張が走る。
魔王様が鋭い視線を俺に向けた。
「暗殺、とな。……ルーカス、汝はどう見る?」
「……おそらく、次の『勇者召喚』を推し進める上で障害となる教皇殿を、帝国側の勢力が排除したのでしょう」
「ふむ、存外に冷静だな」
「このような事態になることは、ある程度予想していましたから」
「ならば、汝の覚醒も急がねばならんな」
魔王様は短く告げると、静かに間合いを取った。
そうして、俺とエルドゥ魔王様による、極限の死闘訓練が開始された。
そして──この凶報と俺の胸騒ぎが現実のものとなるまで、そう時間はかからなかった。
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