第九話 神の制限解除
『目覚めよ、ルーカス・アルマギナ。……いや、千代田守よ』
『う、ううっ……』
『目覚めよ……』
『……ここは、一体?』
『汝の精神世界じゃよ、守』
深い暗闇の中で響いたのは、この世界を導く存在──主神(最高管理神)様の声だった。
『俺は、あの超新星爆発で死んだのでは……?』
『未だ生きておる。外の現実世界では、仲間たちが必死に汝の肉体を治療しておるところじゃ』
『主神様……魔王様は俺のことを、世界で唯一の「真なる勇者」だと言っていました。あれは本当なのですか?』
『その通りじゃ。汝の身には、我の手によって重い制限をかけておったからな』
『……では、俺はいつか覚醒し、魔王様や大切な仲間たちと殺し合わねばならない運命なのですか?』
『それは魔王も言っておったじゃろう。全ては汝の「心の持ちよう」次第だと』
『戦わずに済む未来も……あると?』
『その通りじゃ』
『なぜ俺なのですか!? なぜ俺にそんな能力を付与し、そして封印したのですか!?』
『ふん、封印をしたのは、汝が前世で力任せに天界の防衛網の隙間を破ったからじゃ。言わばその罰よ。そして魔王の言った通り、どんな形であれ天界の防衛網を突破して転生、あるいは転移した者は、この世界において“勇者”の資格を得る』
『真なる勇者とは、一体……?』
『汝が一番最初に、己の力で天界の防衛網を突破した。ゆえに汝こそが真の勇者となったのじゃ。後から来る者たちは、汝がこの世に存続している限り、決して真の勇者とはなれぬ。言わば「偽りの勇者」に過ぎん』
『俺が生存している限り……』
『当代に存在できる真の勇者はただ一人。それが世界の絶対の法則じゃ』
『俺は……これからどうすればいいのですか』
『まずは精神の鍛錬からじゃな』
『精神の、鍛錬……?』
『汝には本来“神級”の適性すらあるが、今の心の未熟さのまま力を解き放てば、世界そのものが崩壊しかねん。まずはその一端である“天級”の能力から解放してやろう』
『天級……神の御使いのみに許されたという、あの高位の階級を?』
『そうじゃ。全ては汝の覚悟次第じゃがな』
『……よろしくお願いいたします』
『うむ』
◆
一方、現実世界──。
外傷自体は完全に癒えたはずなのに、一向に目を覚ます気配のないルーカスを前に、ルビィは焦りと不安で胸を押し潰されそうになっていた。
「駄目……どうしてもルーカスが目を覚まさないわ!」
「心配するな。彼は今、主神と直接対話を行っておる。しばらくは目覚めぬだろう」
傍らに佇むエルドゥ魔王様が、静かな声で告げる。
ルビィは縋るようにその顔を見上げた。
「どうして……どうしてそんなことが分かるのよ!?」
「我は魔王を名乗ってはいるが、その実体は神の一柱──『魔神』だからな。彼がいま精神世界で何をしているか探ることくらいは容易い。……だがな、ルビィ。もし彼がこの先、真に『神級』の力を手に入れた場合どうなるか、分かっているか?」
「神級を……手に入れた場合……?」
「彼は人間を辞め、神々の一員となり、不老不死の存在となる。……そうなれば、いずれ人間である汝を先立たせ、彼は永遠の孤独を独り味わうことになるのだ。今のうちに、その覚悟をしておくことだな」
「……永遠の……孤独……」
魔王の言葉が、ルビィの胸を凍りつかせる。
神の一員になるということは、これから歩む『時間の流れ』が完全にズレてしまうことを意味していた。
微動だにしないルーカスの寝顔を見つめながら、彼女は彼の大きく温かい手を、両手でそっと握りしめる。
(いつか私が老いて死に、この人を世界に一人きりで残していくなんて……そんな未来、想像したくもない──)
「まあ案ずるな。今回はまだ『天級』の制限解除にとどまるようだ。……だが、いずれ本当の『刻』は訪れるぞ」
「……っ……は、はい……」
◆
精神世界での酷苛な鍛練を終え、俺は『天級』の力をその身に宿した。
あとは肉体を鍛え直すだけかと思っていたが、主神様は最後に重々しい声で告げた。
『天級以上の力を得ると、肉体は精神の質に引っ張られて変質する。既に汝の身体は、人間の領域を遥かに超越しておる。この肉体に馴染ませるには時間を要するが、次第に慣れるじゃろう』
『ありがとうございます、主神様』
『感謝するのはまだ早いぞ。敵となる偽りの勇者とて、召喚されれば天級と同等かそれ以上の力を得るはずじゃ。……万が一それが現実となれば、汝にはさらなる神級の精神鍛錬を受けてもらうことになる』
『…………』
『その先に待っておるのは、永遠の孤独じゃ。分かっておるな?』
『……はい。だからこそ、今はルビィと過ごすこの一刻一刻を、何よりも大切にしたいと思います』
俺は魂の底からその言葉を絞り出すのが精一杯だった。
──そして、俺の意識は眩い光とともに覚醒した。
◆
「ルーカス……!? ルーカス! 私が分かる!? ルビィよ!」
「ああ……分かるよ。俺の愛しい奥さん」
目を開けた途端、ルビィが涙を浮かべてしがみつき、痛いくらいの力で俺をぎゅっと抱きしめてきた。
「どうしたんだい、ルビィ。君らしくもない。いつもの君なら『何をいつまで眠りこけているのよ!』って怒ると思ったのに」
「ルーカスは……私のことを何だと思っているのよ……!」
「世界で一番かわいくて、愛おしい、最愛の人。それだけだよ」
「……本当?」
「本当さ」
俺たちは自然と引き寄せ合い、静かに唇を重ねた。
「……これで、伝わったかい?」
「ううん……もっと、ぎゅっとして……」
「いつになく甘えん坊さんだな。いいよ、いくらでも」
抱きしめ返す俺の腕の中で、ルビィがふと顔を上げ、小さく呟いた。
「ねえ……ルーカス」
「何だい?」
「神様を殺すことができる武器って、この世にあるの?」
「……どうしたんだい急に。随分と物騒な質問だけど」
「ううん、何でもないわ。忘れて」
「まあ、あるにはあるけどね」
「それ……どんな武器なの?」
「『ミストルティン』だ。北欧の神話で、神を殺したとされる始まりの槍だよ」
「そう……どこにあるのかしら?」
「ここにあるよ」
俺は亜空間ストレージを開き、以前地球の神々から譲り受けた神器の数々を探索した。
「あった、これだ。これが『ミストルティン』だよ」
「神を殺す槍と言う割には、案外小さいのね」
「投擲用の短槍だからね。神殺しなら『グングニル』の方が確実でおすすめだけど……」
「ううん、このミストルティンが良いわ。……しばらくの間、私に貸してくれないかしら?」
「ああ、構わないけれど……」
(ルーカスを、この世界に一人きりで永遠の孤独になんてさせない……。なら、彼がまだ人間の心を持っているうちに──ううん、もし彼が神になってしまったら、この『神殺しの槍ミストルティン』で、ふたりで一緒に命を絶ちましょう──)
「ルビィ? どうしたんだい、黙り込んで」
「……ふふ、何でもないわ」
愛し合う二人のその異質なやり取りを、陰で見つめていたエルドゥ魔王様は、
「……どこまでも業が深いな」
とだけ吐き捨て、静かにその場を去っていった。
このルビィの密かな決意が、やがて訪れる凄惨な悲劇へと繋がっていくなど、この時の俺は知る由もなかった。
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