第六話 部隊連携
“秘術・改”の術式を全軍に公開してから、早いもので三ヶ月の月日が流れた。
ルーカス直々の苛烈な指導のもと、摩睺羅伽衆と迦楼羅衆の面々は、誰一人脱落することなくすべての術式を完全にその身へと叩き込んだ。
時を同じくして、ドワーフたちに製造を任せていた戦闘用保存食の試作品も無事に完成を迎える。
さっそく、摩睺羅伽衆、迦楼羅衆、そして畑の管理を担う天衆の面々を集めて盛大な試食会が催されたのだが──。
「……味は確かに美味いが、いささか物足りん」
「美味格別。されど、戦を前にした身には、圧倒的に量が少なすぎるな」
口々に溢された感想は、味に関してはどれも及第点以上であったものの、量に対する不満が目立った。
(うーん、前世の自衛隊で使われていた戦闘糧食を参考にして、栄養価と携行性を極限まで高めてみたんだけど……。身体能力も代謝も桁違いな魔界の戦士たちからすれば、この分量ではおやつ程度にしかならないか。量的な問題なら、原材料の配合を変えるなどまだまだ改善の余地があるな)
ルーカスは手元の試作品を見つめながら、次なる改良への思考を巡らせるのだった。
──思えば、この三ヶ月間は怒涛の日々だった。 特訓が始まって数日ほど経った頃、迦楼羅衆の魔女たちが凄まじい速度で難解な術式記述を理解していく様子を見て、俺は思わず感嘆の声を漏らしたことがある。
「迦楼羅衆の魔女の皆さんは、誰もが若く美しいのに、信じられないほどの卓越した理解力ですね。これなら今後の実戦でも心配なさそうだ」
すると、傍らにいた大魔女インフィニティア様が、妖艶な笑みを浮かべて誇らしげに胸を張った。
「ふふん、魔界の魔女を甘く見るんじゃないよ、ルーカス殿。彼女らの若さと美貌──そして何より魔導への執着は並外れておるのだ。ああ見えて、そこの前列で澄ました顔をしている彼女など、実際は三〇〇歳をとうに超えて──」
「インフィニティア様ーーーーっ!! 頼むからそれ以上は絶対に話さないでくださいまし!」
普段は冷徹に戦場を舞い、クールに空中戦をこなすはずの美少女魔女が、顔を真っ赤にして必死の形相でインフィニティア様の口を塞ぎに飛んできた。
(ひょっとして俺は……魔界において絶対に踏んではいけない、最大級の地雷を踏んでしまったのだろうか)
背筋にどっと冷や汗が伝わるのを感じ、俺は引きつった笑顔のまま、全力で話題をそらすことにした。
「あ、はは……いやあ、皆さん本当に素晴らしいね! 習得が早くて俺も大助かりだよー(棒読み)」
「ええ、ええ! 殿方のお手を煩わせぬよう、日々の研鑽は片時も欠かせませんから。ほほほほ!」
「あ、ははは……」
妙に密度の高い笑顔を浮かべる魔女たちに気圧され、俺はそそくさとその場を立ち去った。
背後から「ちょっと、あなたいくつに見えるって聞かれたら何歳って答えるつもりだったの!?」といった姦しい声が追いかけてきたが、俺は一切振り返らず、何も聞こえなかったふりを突き通した。
◆
そんな賑やかな一幕もありつつ、特訓期間の最終盤、魔王軍の作戦会議室には主要面々が集結していた。
俺とルビィ、天衆を率いるアノマリア、迦楼羅衆を率いるインフィニティア様、そして特別顧問として、かつて数々の大戦を指揮した元軍師アルゴルも同席している。
俺は広げられた戦術地図を指差しながら、これから始まる模擬演習の段取りを説明した。
「では、まず迦楼羅衆が上空から急襲して制空権を完全に確保。その後、摩睺羅伽衆の賢者隊と天衆の精霊術師たちが、標的に向かって広域属性魔法を一斉に叩き込む。敵陣が崩壊したその隙を突いて、摩睺羅伽衆の魔導騎士団が地上から一気にとどめの突撃を敢行する──。全体の流れとしては、この手順でいこうと思うんだけど、どうかな?」
意見を求められたアルゴルが、深く顎を引いて頷いた。
「戦術としては実に基本に忠実、王道の定石ですな。最初の演習としては、これで良いのではないでしょうか」
「と言うと? 何か懸念点でも?」
「彼らは個々の武技を極めた傑物揃いですが、集団としての連携訓練はまだ始まってもいません。そのような状態で、いきなり変幻自在の高度な戦術を組み込んでも、途中で命令が破綻して失敗する公算が高いでしょう」
アルゴルの的確な指摘に、俺は思わず得心がいった。
「確かにその通りだ。個人の力が強すぎる分、足並みを揃えるだけでも一苦労か」
「しかし、定石だからこそ、全員の息が噛み合った際の破壊力もまた絶大です。最初はこの基本の型を、身体が勝手に動くまで徹底的に身に付けてもらいましょう」
「よし、方針は決まった。皆もそれで異論はないかな?」
「ええ、問題無いわ。徹底的に叩き込みましょう」
と、ルビィが好戦的な笑みを浮かべる。
「うちの魔女たちにも、良い薬になるでしょう。問題ありませんわ」
インフィニティア様も優雅に同意した。
「我が天衆も問題無いぞー! 派手に暴れてやるのだー!」
「それじゃあ、これより全部隊による、初の合同連携演習を開始する!」
──しかし、現実はそう甘くはなかった。
記念すべき第一回目の合同演習が終わった直後。
作戦会議室に戻ってきたアルゴルは、珍しく深くため息をつきながら額を押さえていた。
「……まさか、これほどまでに手こずるとは思いもしませんでしたな」
並んで席に着いた俺とルビィも、完全に精根付き果てた顔で深く椅子に背を預ける。
「確かに、予想以上だったね……。魔界の住人は個人の武勇に優れている分、どうしても個人主義というか……」
「要するに、みんな我が強すぎるのよ。自分が一番に敵を討ち取りたいから、他人の動きに合わせるという発想が根本的に抜け落ちているわ」
「まあ、最初から上手くいくとは思っていなかったけれど、こうも見事にバラバラになるとはねぇ」
インフィニティア様は苦笑し、アノマリアは翼をぐったりと落として机に突っ伏した。
「お互いの放った魔法が空中で衝突して相殺されるわ、前衛と後衛のタイミングがずれるわで、息が全く合わなかったぞー……」
戦場は大混乱、お互いが足を引っ張り合う泥沼の有様だった。
俺は一つ呼吸を置いて、一同を見渡す。
「仕方ない。こればかりは繰り返して覚えさせるしかないさ。一旦全員を集めて、映像の記録をもとに徹底的に反省会を行おう。その後、もう一度だけ二回目の演習をして、今日の訓練は終わりにしよう」
そうして全隊員を集めての反省会が始まったのだが、案の定、場はすぐさま大激論の嵐へと変わった。
「貴様ら魔導騎士が先行するのが早すぎるのだ! 我々後衛の詠唱時間をまるで考慮していないではないか!」
「何を言うか! 貴様らの呪文構築がのろま過ぎるから、俺たちが突撃の機を逸しそうになったのだ!」
「ちょっと、上空からの私の爆撃軌道を遮らないでくれる!? 巻き込まれても知らないわよ!」
「そっちこそ、こちらの進路にいきなり火球を突っ込んできたのが悪いでしょ!」
あちこちで掴み合い寸前の口論が勃発し、まとまる気配が一切ない。
血気盛んな魔族の集団を統率することの難しさを痛感しながら、俺はただただ、この場が平和に収まるよう心の中で主神様に祈るしかなかった。
そして当然のように、その後に強行した二回目の演習も上手くいくはずがなかった。
個の強さが突出しているからこそ、歯車を噛み合わせるのがこれほどまでに難しいとは。
結局、部隊が初めて完璧な、それこそ一つの生き物のような滑らかな戦術連携を成功させたのは──連日の猛特訓の末、数週間後に行われた、実に『百八回目』の演習の時だった。
思い描いた通りの完璧な陣形崩しが決まった瞬間、俺はあまりの過酷な道のりに、ポツリと本音を漏らした。
「……百八回って。煩悩の数じゃあるまいし、除夜の鐘でも叩いている気分だったよ……」
思わずそんなぼやきが出てしまったが、もちろん、この血の滲むような特訓の日々は、悪いことばかりではなかった。
連日、全体を俯瞰して冷徹に戦術を評価するアルゴルの姿を見るうちに、各部隊の中から“ただ戦うだけでなく、戦術そのものに深い興味を持った者”たちが自発的に現れ始めたのだ。
ルーカスは彼らの志を歓迎し、即座にアルゴルに依頼して、志望者を対象とした戦術指揮官──すなわち『軍師』としての臨時の講義(講師)を開いてもらった。
これこそまさに、不幸中の幸い、あるいは怪我の功名とでも言うのだろうか。
個の武力による蹂躙が絶対の正義とされてきたこの魔界において、部隊による組織的な集団戦術連携が成立したのは、歴史上初めてのことであった。
だからこそ、この百八回目に掴み取った成功の意義は、言葉では言い表せないほどに大きい。
この日を境に、ただの最強の集団から無敵の軍隊へと変貌を遂げた彼らの噂と革新的な戦術は、その後、燎原の火のごとく魔王軍全体へと急速に伝播していくのだった。
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