第五話 濡れ衣
所得税の導入と寺子屋制度の確立に奔走し、早くも三年の月日が流れた。
俺たちは、十八歳の春を迎えていた。
地道な教育改革は確実に成果を上げ始めており、文字や計算を覚えたことで、悪徳商人に騙されて不当な契約を結ばされる民は劇的に減りつつあった。
だがそれは裏を返せば、甘い汁を吸えなくなった商人たちにとって、仕事がやりにくくなったことを意味する。
彼らと裏で懇意にしていた貴族たちからは、「民が知恵をつけたせいで、従来のやり方での税収の取り立てが困難になった」という、身勝手極まりない陳情が頻発するようになっていた。
さらに不穏なことに、この三年間で『新貴族派』は急速にその勢力を拡大し、今や議会の実におよそ三分の二を占めるまでに膨れ上がっていた。
それは、プロト帝国の甘言に乗り、祖国を裏切って繋がった者がそれだけ国内に増えたという、致命的な事実を物語っていた。
当然のように、彼らからは「悪法たる所得税と寺子屋制度をただちに廃止せよ」との声が日増しに強まっていく。
そんな緊迫した情勢の最中、恐れていた最悪の事件が引き起こされた。
若き国王、セマフォの暗殺である。
◆
「セマフォ王は、かつて王立アルテア貴族学院を首席級で卒業された、類稀なる英雄たるSクラスの実力者であらせられた。その王を容易く暗殺できる者など、国内でも数限られていよう」
王城の大会議室。
新貴族派の重鎮が、これみよがしに俺を指差して声を荒らげた。
「つまり、ルーカス宰相──貴殿をはじめとする、かつてSクラスの座にいた者たち全員に、セマフォ王暗殺の容疑がかけられているのだ!」
「馬鹿げた邪推を。Sクラスの実力者たちは、皆一様に国の要職に就き、新王を支えてきた。セマフォ王を暗殺する理由も動機もどこにもない。言いがかりは止めてもらおうか」
「ふん、どうだかな。実力的にAクラス以下とは隔絶した差があるのだ。Sクラスの中に、帝国へ寝返った裏切り者がいないとも限るまい」
「裏切り者、だと?」
「その筆頭こそが、ルーカス宰相、貴殿ではないか! 何しろ貴殿は、かつての魔王軍四天王の筆頭である『深淵の魔導師』アノマリア──いや、ルルなどというふざけた名の妖精を、未だに身近に囲い込んでいるのだからな!」
辛うじて理性を保ちながら、俺は冷徹に問い返す。
「そこまで大言壮語するからには、私たちが犯人だという決定的な証拠でもあるのか?」
「それは……これからの調査次第だ。だが状況的に考えて、貴殿らS級の化け物以外に王の命を奪うことなど不可能なのだよ!」
「そこまで言い切るのなら、その『決定的証拠』とやらを今ここで、皆で見ようじゃないか」
「ルーカス宰相、戯言を言っている場合では──」
「一つ忠告しておくが。この御前会議の様子は、我が国の最新の通信魔道具により、全世界に向けてそのまま同時配信されている。それを承知の上で、今の発言を撤回するつもりはないんだな?」
「……フン、望むところだ。確たる証拠があると言うなら、むしろ今すぐ見せてもらおうではないか!」
「そうか。本当は、こんな手段は使いたくなかったんだがね」
俺は懐から小さな結晶石を取り出した。
「私が三年前、エンシェント・ドラゴンの不条理な狂化事件を解決するために王都を空けたのは覚えているだろう。あの時、私は万が一の事態に備え、城の隅々に『ある魔道具』を仕掛けた。ありとあらゆる場所に、だ」
「……それは、一体何ですかな?」
「城の内部の『音声』と『光景』を克明に記録し続ける魔道具だ。今日までの約三年分の記録が、すべてこの中に蓄積されている」
「な、何だと……っ!?」
「これを今からここで再生すれば、セマフォ王を暗殺した真犯人の声も、その時の光景も、はっきりと映し出されるはずだ。言い逃れは一切できないぞ」
新貴族派の面々が一瞬にして動揺し、互いに顔を見合わせる。
だが、引き下がるわけにはいかないと言わんばかりに、先ほどの重鎮が声を震わせながら虚勢を張った。
「……ならば、見せてもらおうじゃないですか! 映してみせよ!」
「もう一度だけ言うぞ。この会議の内容は全世界に配信されている。つまりこれを再生すれば、我がオーエス国内の最大級の恥部が、諸外国へ同時に公開されることになるのだ。本当にその覚悟はあるのだろうな?」
「そ、それほど自信満々なルーカス宰相こそ、平気なのですかな! 捏造が露見すればただでは済みませんぞ!」
「もちろんだとも。私には後ろ暗いことなど何一つないからね」
「……ぐぅ。だが、仮にそれを今から確認するとして、どうやって犯人を特定するおつもりか?」
「まずは私が内々にこの記録を精査して、該当する場面を──」
「それでは、貴殿に都合の良い部分だけを切り貼りし、映像を偽造する可能性がある! 今ここで、最初からすべて無修正で公開してもらいましょう!」
「本当に構わないのだな? 三年分だぞ。暗殺の瞬間だけでなく、他国と不適切な繋がりを持つ者、商人と結託して不当な利益を得ている者の動向も、すべて順番に流れることになるが」
「……それは、その……」
「おっと、すまない。手が滑って、再生の起動紋章を押してしまった」
「なっ……すぐに停止させろ!」
「一度起動した術式は、すべての記録を流し終えるまで強制的に止まらない仕様なんだ」
「莫迦な! でたらめを言うな! そんな捏造された映像など、到底証拠として認められるか!」
「我が国の技術力では、これほど精緻な映像の偽造など不可能です。それはあなた方が一番よく知っているはずだ」
「……くそっ!」
大画面の魔力壁に映し出されたのは、新貴族派の面々にとって悪夢のような光景だった。
プロト帝国の密偵と密会を重ねる貴族、商人と結託していかにして民から暴利を貪るかを満面の笑みで語り合う秘密会談──それらの醜悪な内幕が、次から次へと白日の下に晒されていく。
「止めろ! 消せ!」
と新貴族派が血相を変えて叫ぶが、すべては後の祭りだった。
「言ったはずです。一度再生を始めれば止まらないと。そして、この議会は全世界に配信されている。……それが意味すること分かりますか?」
「……まさか、つまり……」
「ええ。この不正の記録映像も、今この瞬間、全世界へ同時に配信されています」
「な、何ということだ……っ!」
延々と流れ続ける映像により、明白な罪を犯した貴族はもちろん、限りなく黒に近いグレーな貴族たちの悪行までもが、ことごとくつまびらかにされていく。
王城に控えていた憲兵たちが次々と部屋へ踏み込み、映像で罪が確定した貴族たちをその場で拘束していった。
「これは不当な拘留だ! 捏造だ!」
と見苦しく叫ぶ貴族もいたが、その叫び声をかき消すように、画面の中の彼自身が「民などいくら搾取しても構わん」と冷酷に笑う声が響き渡り、憲兵の手によって引きずられていく。
この三年間、一度も犯罪や裏切りに手を染めなかった新貴族派の人間など、ほとんど存在しなかった。
次々と捕縛されていき、広大だった会議室に残された新貴族派の生き残りは、元の三分の一にも満たなかった。
「くそ……、どうして、どうしてこんなことに……っ!」
「自業自得、という言葉がこれほど似合う状況もありませんね」
「ルーカス宰相……貴様、最初からこれが狙いだったな! 我らを一網打尽にするために仕組んだな!」
「まさか。私は最初に言いましたよね? 『内々に精査してから公開する』と。わざわざ自国の恥部を全世界に晒すほど、私は厚顔無恥ではありません。国家の威信を考えれば、こんな手は愚策の極みですから」
「では、本当に我々を庇うつもりだったとでも言うのか!?」
「庇うのとは少し違います。後日、改めて個別に厳正な調査を行った後、罪重き者からは極秘裏に貴族位を剥奪し、逆に潔白だった者を新たに抜擢する予定でした。我が国の平穏を保つためにね。……それを無理にこじ開けて台無しにしたのは、他ならぬ貴方たちだ」
「しらじらしい! そもそも、貴様の『誤操作』とやらで再生が始まったのではないか!」
「それに関しては……ええ、正直に申し訳ないと思っていますよ」
「くっ、どこまでも白々しい男め……!」
「おしゃべりはそこまでです。画面を見る限り、次は貴方の番のようですよ。プロト帝国から送り込まれ
た、高貴な身分を騙る密偵さん?」
「チキショウ! こんなことになると分かっていれば……!」
「分かっていれば、何だと言うのです?」
「……くっ、何でもない! おい憲兵、さっさと俺を連行しろ!」
密偵が諦めたように連れて行かれたその時、魔力壁の映像はついに、セマフォ王が命を落としたあの日の、あの瞬間の場面へと切り替わった。
そこに映し出されていたのは、誰もが息を呑む、極めて意外な人物の姿だった。
魔力壁に映し出されていたのは、深夜の王の執務室。セマフォ王と、その傍らに控える近衛騎士団副団長──パケ・ロット伯爵の姿だった。
セマフォ王が差し出された酒を口にし、仕込まれていた薬によって意識を失い、机に突っ伏して昏睡する。
その直後、パケ・ロット伯爵が表情一つ変えずに懐から短剣を抜き、王の首筋を容赦なく切り裂く様子が、あまりにも鮮明に記録されていた。
「これは……パケ・ロット伯爵。確か彼も、学院時代はSクラスの一員だったはず。……不本意ながら、あながち新貴族派の主張も間違っていなかったということか」
室内に重苦しい沈黙が広がる中、生き残った新貴族派の重鎮が、ここぞとばかりに色めき立って畳みかけた。
「それ見たことか! やはり、Sクラスの化け物を殺せるのは、同じSクラスの化け物だけだったのだ! 我らの見立てに狂いはなかった!」
「いや、Sクラスの実力など関係ないでしょう。セマフォ王が完全に気を許し、無警戒に傍へ近づけた人物であれば、誰であっても暗殺は可能だったはずだ」
「黙れ! 現にセマフォ王が深く信頼し、重用していたのは貴族学院でSクラスだった者ばかりではないか! 人事を見れば一目瞭然だ!」
「今はそんな不毛な水掛け論をしている場合ではありません。憲兵! 直ちにパケ・ロット伯爵の身柄を拘束せよ!」
俺の鋭い指示に、憲兵の隊長が青ざめた顔で進み出た。
「それが、宰相閣下……。パケ・ロット伯爵は、数日前より公務と称してプロト帝国へと出国しており、現在国内にはおりません!」
「何だと……? ならば直ちに帝国側へ連絡を入れ、王殺しの犯人としてパケ・ロット伯爵の身柄引き渡しと拘束の要請を急げ!」
「それに関しましても……先ほどから、プロト帝国との魔導通信が一切繋がりません!」
「何と言った!?」
「通信が途絶する直前、帝国側は『我が皇帝陛下の甥御を殺害したオーエス国に対し、正当なる天誅を下す』と言い残し、それ以降、一切の応答を拒絶しております!」
「まさか……この混乱に乗じて、一気に我が国へ攻め込むつもりか……っ!」
騒然となる室内で、残された新貴族派の男が狂ったように不敵な笑みを漏らした。
「ククク……、俄然、面白くなってまいりましたな。無能な若造どもが率いる我が国が、どこまであの偉大なるプロト帝国に抵抗できますかな?」
「随分と嬉しそうではないか! 祖国が今まさに亡国の危機に瀕しているというのに!」
「フン、我らは最初から帝国に抵抗するつもりなど毛頭ない。むしろ、このまま帝国に吸収された方が、都合が良いのだ。貴殿のような、民を優遇する無能な宰相の命令にこれ以上従わずに済むのだからな!」
「……どこまで腐り果てているんだ、貴様たちは」
すると、残った新貴族派の面々から次々に罵声が飛んだ。
「黙れ!この国を救ったからと言って調子に乗るな!お前のような若造が、我ら名門貴族の上に立ち続けるのが気に入らないのだ!」
「勘違いするなよ、ルーカス! 国のために粉骨砕身して働くのは、お前のような騎士爵上がりの義務だ! たかが一度や二度、国を救ったくらいで、我らと対等になったつもりか!」
「ふん、魔物氾濫が収まったのは我ら名門貴族の威光と、お前を配置した我が国の制度が優れていたからだ。お前はただ言われた通りに動いた『便利な道具』に過ぎん!」
「仮にその映像が真実だとして、それがどうした! 我ら支配階級の犯した過ちなど、国の安泰のために隠蔽されるのが当然だろうが! それを全世界に晒すなど、大逆不倒の罪だ!」
俺は湧き上がる怒りを抑えつけ、通信機へと向かって叫んだ。
「騎士団、聖騎士団、魔導騎士団、そして魔導師団はただちに出撃できるか! 国境の防衛線を構築せよ!」
「それが、閣下……っ! 聖騎士団と魔導師団が、こちらの出撃命令に対して『動けない』と拒否しております!」
「何だと!? その理由は!?」
「彼ら曰く……『実績も血筋もない、あの無能な新参の団長たちにはついて行けない』と、内部で激しい反発が起きている模様です!」
「くっ……! ならば、通常の騎士団と、ルビィの魔導騎士団だけでも──」
「いえ、それが……帝国の軍勢が迫っているとの報を聞き、一般団員たちの間では戦意を喪失し、敵前逃亡する者が相次いでおります!」
「帝国の大軍に怖気づいたというのか……っ!」
「ハハハ! 動けるのは、ルビィ魔導騎士団長と、バイナリ魔導師団長、実質あの二人だけではないか! 終わったな、ルーカス宰相──いや、ルーカスよ!」
新貴族派の嘲笑が響き渡る。
「私も出る。戦力を掻き集めて前線へ向かう。……この国難が終わったら、残った貴様たちには改めて厳しい裁きを下してやる」
「果たして、その『次』があればの話ですがな! ──さあ、パスカル・ヴィルト近衛騎士団長! お前の出番だ!」
向けられた声の先。
扉の前に、虚ろな目をして微動だにせず佇む、かつての親友──パスカルの姿があった。
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