第四話 凱旋
俺とルビィ、そして『特異点』の妖精ことルルは、バイナリが待つ洞窟の入り口へと戻ってきた。
「バイナリ、見張りをご苦労様。不条理に苦しんでいたエルダー・ドラゴンは、無事に救済できたよ」
「そうか! じゃあ、その捕虜を連れて王都へ帰還だな」
「ああ。プロト帝国が今回の事件の黒幕だったという決定的な証拠も手に入った。あとは、あの頭の固い保守派の貴族たちと、どう協議を進めるかだな」
「それにしてもさ」
バイナリは歩きながら、感心したように俺たち夫婦を見やった。
「お前ら夫婦の神聖治癒術は、マジで規格外だな。肉体さえ残っていれば、どんな重傷でも完全に治しちまう。……ま、だからこそ、お前らを本気で殺そうとする奴がいたら、肉体じゃなく『魂そのものを消し飛ばすような禁忌の契約』でも持ち出してくるしかねえだろうけどな。ハハ、そんな恐ろしいバカは流石にいやしないか!」
冗談めかすバイナリに、俺は少し真面目な顔をして返した。
「確かに傷は完璧に治せるけれど、魂の寿命が摩耗するから、神聖術による蘇生はあまり乱用したくないんだよね」
「たま、テロメア? なんだそりゃ」
「ああ、バイナリ。人間にはその細胞の中に、寿命を司る目に見えない紐のようなものがあるのさ。その紐が短くなればなるほど、人は短命になる。蘇生魔術という歪みは、その紐を強引に短くしてしまうんだ。だから、いくら命を救えるからといって、奇跡の乱用は決して勧められたものじゃない」
「ふーん。ま、俺には一生関係なさそうな話だな」
そんな雑談を交わしながら、俺は巣穴の周囲に息を潜めていたエンシェント・ドラゴンたちに向き直り、竜言語で告げた。
『先ほど、汝らの長であるアルシオン様が、一族もろとも魔界へ移住することを決断された。アルシオン様は魔界の要職たる『天竜八部衆』の一角に就任される。汝らもその配下として、新天地へ赴くのだ』
『それは一体……どういうことだ?』
『詳しい事情は、奥の洞窟にいらっしゃるアルシオン様と魔王陛下から直接聞いてくれ。今、お二人で話し合われている最中だから』
『……承知した』
『俺たちは国への報告があるから、捕虜と証拠の品を携えて一足先に人間界へ戻るよ』
俺たちが背を向けようとしたその時、一頭のエンシェント・ドラゴンが静かに頭を下げた。
『ルーカス、ルビィ、ルル、バイナリ』
『おや、いつの間に俺たちの名前を? まあいいけれど、何か残る問題でも?』
『そこにいる召喚術師から、汝らの素性を少しな。……色々と、感謝する』
『いえ。元はといえば、我が人族の犯した大罪の巻き添えにしたのですから、当然の報いです』
『それでもだ。汝らの慈悲に、心からの感謝を。では、我らはアルシオン様の御元へ向かう』
『お元気で』
『汝らもな、若き英雄よ』
大きく羽ばたいて洞窟の奥へと消えていく古代竜たちを見送ると、俺は小さく息を吐いた。
「さて。それじゃあ、王都へ『凱旋』しますか」
「凱旋、と言うには少し時期尚早じゃないか、ルーカス?」
バイナリがどこか懸念を孕んだ目で王都の方角を見据える。
「どうしてだい? 今回の災厄の元凶となった犯人と、動かぬ物的証拠をこれ以上ない形で持ち帰るんだ。これ以上の戦果はないはずだけど」
「あの腹黒い狸貴族どもが、この程度の成果で大人しく引き下がるとは到底思えないんだよな」
「……確かにね。気を引き締めて行こう」
「それじゃあ、あなた。帰りましょう」
「帰るのだおー!」
こうして俺たちは証拠を手に王都へと帰還するのだが、バイナリの胸騒ぎは、最悪の形で的中することになる。
◆
「──以上が、今回の事態の全貌です。プロト帝国皇帝の直々の勅命で動いていた工作員の生け捕り、および彼らが使用していた魔道具一式を持ち帰りました。何か異論はありますか?」
王城の謁見の間。
居並ぶ貴族たちに向けて俺が毅然と言い放つと、前列にいた保守派の有力貴族が不快そうに顔を歪めて声を上げた。
「現状、大国であるプロト帝国と正面から事を構えるのは、我が国にとって得策ではない」
「なぜですか。希少な固有種であるエンシェント・ドラゴンを人為的に狂わせ、王都を襲撃させたのですよ? 明確な宣戦布告、敵対行為でしょう」
「今回は『極めて遺憾である』との公式声明を送るに留めるべきだ。いたずらに他国との関係を荒立てる必要はない」
「ですが……!」
「仮に帝国と全面戦争にでもなれば、最前線で命を落とすのは貴公がそれほどまでに愛する無辜の民たちなのだぞ? ルーカス宰相」
「それは……!」
「それとも何かね? 宰相の身の程で、民に一滴の血も流させず、あの巨大な帝国を屈服させられるとでも言うのかね?」
「くっ……」
民を人質に取るような狡猾な物言いに、俺は言葉を詰まらせた。
「そういうことだ。よろしいですね、セマフォ王よ」
貴族たちが一斉に新王へと視線を送る。
玉座のセマフォは拳を硬く握りしめ、悔しさに唇を噛んだ。
「……分かった。不本意ではあるが、今回は帝国へ遺憾の意を示すに留めよう」
「……御意。王の判断に従います」
「堪えてくれ、ルーカス」
謁見が終わり、貴族たちが退出していく中で、セマフォは俺の傍らに歩み寄り、声を震わせた。
「私もはらわたが煮えくり返っているのだ」
「はっ……。重々承知しております、陛下」
「その代わり、先ほど反対派が口を極めて拒絶しようとした『民のための学園設立』を、特権を盾にする彼らの鼻を明かすためにも、最優先で急がせよ」
その言葉を聞き咎めた一人の貴族が、慌てて振り返る。
「王よ! それはあまりに拙速──」
「何か問題でもあるのか? 国家存亡の危機であったエンシェント・ドラゴンの脅威を取り除いたのだ。これ以上の言い訳は通用せぬ。それとも、プロト帝国への追及を遺憾の意で済ませる以上の、真っ当な理由が貴殿らにはあるのか?」
「……滅相もございませぬ」
王の鋭い一喝に、不満げな貴族はそれ以上言葉を続けられず、黙り込んだ。
「ルーカス、内政はすべて汝に一任する。エンシェント・ドラゴンの件を鮮やかに解決したその卓越した手腕を、今度は学園の設立という一大事業でも遺憾なく発揮してくれ」
「はっ。必ずや陛下の期待に応えてみせます」
「うむ。会談は以上だ。解散せよ」
一同は苦々しい表情を浮かべ、足早に退出していった。
静まり返った部屋で、セマフォが再び俺を呼び止める。
「ルーカス」
「はい、陛下」
「そなただけが、私の真の頼みの綱だ。どうか、よろしく頼む」
「はっ、光栄の至りです」
「……今、このオーエス国は水面下で大きく二つの派閥に分断されている」
「それは……」
「私の方針に賛同する『国王派』と、古き悪習にしがみつく『新貴族派』だ。そして、その新貴族派の連中は……」
「プロト帝国と裏で深く繋がっている可能性がある……と?」
「よく察してくれた、その通りだ。奴らは必ず動く。決して油断するなよ」
「はっ、肝に銘じます」
この緊迫した御前会議の後、俺は民衆の教育の要となる学園設立のために、休む間もなく奔走した。
同時に、収入に応じた柔軟な課税を課す『所得税』の導入を強硬に推し進めた。
これで税負担が軽減され、貧しい農村で子供や老人が口減らしのために捨てられる悲劇は、ようやく根絶されるはずだった。
だが、現実はどこまでも甘くはなかった。
「──学園を設立するための、講師となる人員が圧倒的に足りない、だと?」
執務室で報告を受けた俺は、眉根を寄せた。
「はっ。ルーカス様、仰る通りでございます」
「……やはり、あの貴族どもの差し金による抵抗か?」
「ありていに申し上げれば、その通りです。特権階級たる貴族側が、民に知識や知恵を与えることを激しく拒絶しており、教鞭を執れる有識者の派遣を全面的に妨害しています」
「なるほどね。では、下位の『騎士爵』の者たちはどうだ?」
「騎士爵の者たちであれば、領地経営に困窮している家庭も多く、講師としての確実な報酬で食いつなぐことができると、喜んで応じるでしょう」
「よし、では学園設立の初期段階は、彼ら騎士爵を講師の中心として運用する。それから、教会側の動きはどうだ?」
「教会に関しましては、アッセンブリ聖下の手厚い御理解のおかげで、末端まで教育の必要性が深く浸透しております。そちらとの連携は全く問題ありません」
「では、騎士爵領の各地域に小規模な学舎を設立し、地元の教会と密接な連携を取らせてくれ」
「しかし、それでは……国が誇る壮麗な『学園』というよりは、あまりに簡素な、ただの学び舎になってしまいますが……」
「形や見栄えなどはどうでもいい。今最も肝要なのは、民に最低限の知識を与え、それぞれの適職を見出させることだ。大きな学園の設立が阻まれるなら、地域に根ざした小さな『私塾(寺子屋)』からのスタートでも構わない」
「畏まりました。ただちにそのように手配いたします」
部下が深く一礼して下がっていった。
俺が机に肘をついて溜息をもらしていると、扉が開き、ルビィとルル、そしてバイナリが入ってきた。
「随分と苦労しているようだね、ルーカス」
「そう言うバイナリはどうなんだい? そっちの調子は」
「こっちも散々だよ。召喚術師ごときが、歴史ある魔導師団の長に就くなど到底認められない、というのが団員の大多数でね。組織を一つにまとめるだけで骨が折れるよ」
「そうか。ルビィ、君の担当している魔導騎士団はどうだ?」
「私のところは、みんな大人しく従っているわよ。最初にちょっと反発されそうになったから、目の前で『時空斬』を披露して見せたら、一発で全員が静まり返ったわ」
「なるほど、それは実に頼もしい。魔導騎士団が上手くいっているのは救いだね」
「でもね、本当に大変なのはシー様が率いる聖騎士団と、パスカル様が任された近衛騎士団の方よ」
「何故だい?」
「『正統な聖女でもない者が聖騎士団長を名乗るな』とか、『暗殺者の血筋ごときが、王を守る近衛騎士団長を名乗るな』と、古い慣例に縛られた部下たちからの突き上げが想像以上に激しいらしいの」
「そうか……。だが、新体制の要だ。なんとか踏ん張ってもらうしかないな」
「ええ、そうね。それで、貴方の進めている教育改革はどうなりそうなの?」
「大規模な学園をいきなり作るのは妨害が多すぎて難しいから、まずは規模を縮小した『寺子屋』──つまり小さな私塾のような形式から始めることにしたよ」
「寺子屋……民間の小さな学び舎ね」
「ああ。生活に困窮している騎士爵の者たちを講師として雇い、地道に展開していくつもりだ」
「最初は色々と厳しいかもしれないけれど、徐々に民の間に浸透していけば……」
「うん。小さな芽が、いつか大きな大樹に育ってくれればいいんだけどね」
のちの世の歴史書において、広く民衆に教育の光を普及させた偉大なる教育制度──その記念すべき第一歩となる『寺子屋制度』は、こうして始まった。
これが後世の歴史家たちから国家のあり方を変えたと極めて高く評価されることになるのだが、それはまた、少し先のお話である。
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