第二話 エンシェント・ドラゴン
俺たちは、エンシェント・ドラゴンの巣穴の手前で一旦、足を止めた。
「ここから先は敵の警戒も厳しいはずだ。一旦、姿と気配を完全に消して進もう」
「どうするの、ルーカス?」
「ルビィとバイナリは俺の肩にしっかりと掴まってくれ。アノマリアは俺の頭の上に乗ってくれればいい」
皆が俺の肩に手を置き、ルルが俺の頭の上にちょこんと乗ったのを確認すると、俺は精神を集中させて摩利支天の印を結んだ。
「オン・マリシエイ・ソワカ」
静かに真言を唱え、隠密の秘術を発動させる。
「え……? 周りの景色は何も変わらないけれど?」
『安心しろ、ルビィ。これは外側から俺たちの姿を一切見えなくし、気配すらも完全に遮断する術だ』
「随分と便利な術だね、ルーカス」
『ああっ、バイナリ。この印を結び続けている限り、敵に気づかれることはない。ただし、こちらが声を発するとその音は相手に聞こえてしまうし、俺の身体から手を離すと術が解けて丸見えになってしまうから注意してくれ。ここからは念話に切り替えよう』
『『『わかった』おー』』
全員から確実な念話の返答があったことを確認し、俺は慎重に歩みを進めた。
だが、巣穴の内部へ足を踏み入れた瞬間、俺はあまりの衝撃に危うく印を崩しかけた。
それは仲間たちも同じだったようで、全員が驚愕の声を漏らしそうになるのを必死に堪えていた。
薄暗い広大な洞窟の奥で、複数の人間たちがエンシェント・ドラゴンの幼体を一箇所に集め、冷酷に包囲していたのだ。
我が子を取り返そうと必死に近づく親のエンシェント・ドラゴンに対し、男たちの一人が奇妙な魔道具を向ける。
すると、親竜の瞳がたちまち血のように赤く染まり、たちまち正気を失って激しく狂い出した。
すかさず別の者が放った魔道具から、狂乱する親のエンシェント・ドラゴンの頭部へ向けて針のような物体が射出される。
それを撃ち込まれたエンシェント・ドラゴンは、まるで操り人形のように反転し、オーエス国が存在する方向へと飛び去っていった。
その惨状を見て、周囲に控えていた他のエンシェント・ドラゴンたちは一歩引き下がる。
だが、子供を人質に取られて痺れを切らした別の親のエンシェント・ドラゴンが激昂して近づこうとすると、男たちは再び同じ手順を繰り返し、エンシェント・ドラゴンを狂わせて出撃させていった。
包囲網を敷く人間たちは、下卑た笑い声を上げながら会話を交わしている。
「おいおい、あまり調子に乗ってやり過ぎるなよ。これじゃあ貴重なエンシェント・ドラゴンの数がだいぶ減っちまう」
「わかっているさ。だが、早いところオーエス国も音を上げて降伏してほしいものだな」
「あそこには確か、聖人だか聖女だかがいるんだろう? 連中が返り討ちにされる」
「ルーカスとルビィとか言ったか? まったく、忌々しい連中だぜ」
俺たちは激しい怒りを限界まで押し殺しながら、静かに男たちへと接近した。
まずは何よりも幼体たちの安全を確保する。
その上で俺は摩利支天の印を解いて一気に姿を現すと、不意を突かれた男たちを瞬く間に次々と叩きのめし、完全に制圧していった。
拘束した人間たちを頑丈な縄で縛り上げて一箇所にまとめ、怯えていた幼体を無事に親元へと返した。
捕虜の見張りは、バイナリが召喚した多頭の竜王ティアマットに任せる。
その間に、俺とルビィは生き残ったエンシェント・ドラゴンたちに向かい、意思疎通のための竜言語で話しかけた。
『いつから、このような卑劣な事態になっていたのですか?』
『……君たちは、一体何者だ?』
『オーエス国の宰相ルーカス・アルマギナ、そして妻のルビィ・アルマギナです』
『初めまして、ルビィ・アルマギナです』
『おお、君たちが……! あの人間たちが警戒していたルーカスとルビィか。奴らがこの山に現れたのは、およそ一年半前のことだ』
その言葉に、俺とルビィは視線を交わす。
『ちょうど、俺たちが魔界へと留学していた時期と完全に重なるな』
『ええ、間違いないわ。……彼らが一体どこから来た何者なのか、心当たりはありますか?』
『奴ら、自らの国を“プロト帝国”と呼んでいた』
古代竜の口から発せられたその国家名に、俺は自分の耳を疑った。
なぜならプロト帝国は、現国王セマフォの母の実家であり、先の摂政レイヤー公の故郷そのものだったからだ。
『……奴らから、さらに詳しく事情を聞き出す必要がありそうだな』
俺は深く息を吐き、不動明王の印を結んで真言を唱えた。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダ・センダ・マカマシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」
激しい神通力の奔流とともに、俺の左手には悪を縛る羂索が、そして右手には劫火を纏う倶利伽羅剣が顕現する。
縛り上げられた男たちの前へと歩み寄り、そのうちの一人に向けて倶利伽羅剣の刃を振るった。
刃は男の身体をすり抜け、外傷は一切与えない。
しかし、剣に込められた破邪の波動によって、男の表情から敵意や狂気が消え失せ、憑き物が落ちたように大人しくなった。
やがて、男は絶望に染まった表情でぽつりぽつりと独白を始めた。
「ああ……俺は、俺たちは何という恐ろしいことを……。いくら皇帝陛下の勅命とはいえ、エンシェント・ドラゴンの幼子を人質に取り、親を狂わせて他国へけしかけるなど……。俺は、なんという救いようのない卑劣漢なんだ……!」
男は涙を流して己の罪を激しく悔いた直後、凄まじい勢いで自身の舌を噛み切り、その場で自害してしまった。
……少し破邪の術の効き目が強すぎたようだ。
しかし、極めて重要な情報が手に入った。
男ははっきりと「皇帝の勅命」と言った。
つまり、前王妃の実家であるプロト帝国の皇帝直々が、このオーエス国を陥れる計画を画策したということだ。
俺が残りの捕虜たちに冷徹な視線を向けると、彼らは「ひっ……!」と短い悲鳴を上げ、青ざめた顔を左右に振って激しく拒絶した。
だが、ここで手を緩めるわけにはいかない。
俺は構わず彼らに向けて倶利伽羅剣を振るい、次々と情報を引き出していった。
だが、結局のところ、最後の一人を残して全員が同様に自害を選んでしまった。
これは手加減の問題というよりも、倶利伽羅剣によって歪んだ精神を強制的に正常化された結果、彼らは自身の犯した罪の重さに耐えかね、精神が崩壊して自ら命を絶ってしまうようだった。
俺は残った最後の一人を気絶させ、オーエス国へと連れ帰って動かぬ証言者になってもらうため、バイナリに見張りを頼んだ。
その間に、俺とルビィ、そしてルルは、男たちが使っていた二種類の魔道具を手に取り、まじまじと観察した。
解析の結果、片方の魔道具は対象の理性を強制的に失わせる波動を放つもので、もう片方は、オーエス国に対する猛烈な憎悪と破壊衝動を植え付ける特殊な針を射出する魔導兵器であると判明した。
俺はそれらを確たる物的証拠として、自身の亜空間倉庫へと厳重に収納した。
作業を終えたその時、一体の大きなエンシェント・ドラゴンが静かに俺の元へと近づいてきた。
『人間よ、汝らの比類なき実力を見込んで、頼みがある。できれば、我らが長をも救ってはもらえないだろうか』
『長、ですか?』
『ああ。我らが王にして、この山域で最強を誇る竜──エルダー・ドラゴンのアルシオン様だ』
『現在、どのような容態なのですか?』
『奴らが持ち込んだ、正気を失わせるあの禍々しい魔道具で無理やり従わされそうになったのだが、アルシオン様は強靭な精神力でそれに耐え続けられた。だが、過酷な呪詛に耐え続けた結果、今やその負荷で自ら狂気の淵へと堕ちかけておられるのだ。残った我らで必死に押さえつけてはいるが、それもいつまで持つか分からぬ』
『……わかりました。できる限りの手を尽くしてみましょう』
俺は振り返り、隣に立つ妻の瞳を見た。
「ルビィ、精霊魔法の出番だ。二人がかりでアルシオン様の精神を蝕む狂気の根源を断ち切るぞ」
「ええ、分かったわ。ルーカス」
こうして俺とルビィ、そしてルルは、アルシオン様が辛うじて理性を保つために封じられているという、最奥の洞窟へと案内された。
道中、アルシオン様が発する凄まじい魔力によって生じた、おびただしい数の空間の歪みを、ルビィと共に精霊魔法で修復しながら進んでいく。
やがて、たどり着いた暗闇の奥に、通常のエンシェント・ドラゴンを遥かに凌駕する圧倒的な巨躯がうずくまり、地響きのような苦悶の声を上げているのが見えた。
『あれが、我らが誇り高き長、エルダー・ドラゴンのアルシオン様だ……』
その圧倒的な存在感と神聖さに、俺たちは自然と身を正し、静かに足を止めるのだった。
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