第一話 宰相の初仕事
セマフォ殿下の王立アルテア貴族学院卒業と同時に、それまで国政を預かっていた摂政レイヤー公は、息子のセマフォを新たなる王へと据え、自身は潔く表舞台から引退した。
若き新王となったセマフォ陛下は、即座に大規模な人事刷新を発表。
その中枢たる宰相の座には俺が、そして王を守護する近衛騎士団の団長にはパスカルが指名された。
当初、近衛騎士団長の座はパケ・ロット伯爵が最有力候補と目されていた。
だが、パケ・ロット伯爵は自ら「自分よりもパスカル・ヴィルト侯爵の方が大任に相応しい」と進言し、自身は近衛騎士団の副団長という補佐の立場に収まった。
「ルーカス殿とパスカル殿。かつて前国王カーネル二世とミューティックス侯爵が共謀したアクオ復興妨害、および暗殺未遂。あの決闘という激動を乗り越えて和解し、今や固い絆で結ばれた親友となったお二人の連携こそが、これからの国に最も必要だ」
のちにパケ・ロット伯爵は、そう笑顔で語ってくれた。
さらに、内政と防衛の要として、聖騎士団長にはシーが起用され、魔導騎士団長にはルビィが就任した。
また、宮廷魔術師団長には、召喚術師でありながらバイナリが抜擢された。
召喚術の専門家が魔導の最高責任者に据えられるなど、我が国の歴史上、初の快挙である。
次々と決まっていく新体制の人事──だが、その主要な席のほとんどが、貴族学院のSクラス出身の若き傑物たちで固められていた。
これまでの門閥や慣例を無視した前代未聞の人事案に、当然ながら古参の貴族たちから一斉に強い不満が巻き上がった。
実に国内の貴族の三分の一が、セマフォ王の断行に異を唱えたのだ。
セマフォ王は「これからは徹底した実力主義の時代である」と前面に押し出すことで、一度はその反発を押さえ込んだ。
しかし、それは水面下で激しい権力対立の火種を育てる結果となった。
「ルーカス殿を宰相の座に据えるのは、未だ発展を続けるアクオでの圧倒的な統治実績があるゆえ、辛うじて黙認もできよう」
「だが、聖騎士団長と魔導騎士団長の人事の有様はどうだ?」
「真なる聖女であるルビィ・アルマギナ侯爵夫人が聖騎士団長になるというのであれば、我らとて納得できた。しかし、なぜよりによって神聖術しか使えぬあの若輩の女騎士が団長なのだ。到底納得がいかぬ」
「それを言うなら近衛騎士団長も同じだ。本来、ヴィルト侯爵家は王家の“陰”を担う血筋。それが表舞台の最高戦力としてしゃしゃり出てくるなど、狂気の沙汰だ」
「結局のところ、新王がルーカス殿と親しい者たちだけで固めた、偏った身内人事ではないのか? 席を譲らされたパケ・ロット伯爵が哀れでならん」
「極めつけは魔導師団長だ。召喚術師ごときが魔導の長に就くなど、お笑い種だ。召喚術など、他力本願で借り物の力に頼っているだけに過ぎぬというのに……!」
豪奢な夜会や私邸の奥で、貴族たちの不満の合唱は鎮静化するどころか、ますます過熱の一途をたどるのだった。
そんな緊迫した情勢の中で開かれた御前会議において、審議の俎上に載せられたのは、旧領アクオの制度改革と、各地で猛威を振るうエンシェント・ドラゴンへの対応であった。
保守派の貴族たちからは、「アクオのような民衆が政治に参加する議会制度の導入は、あくまで特区としてアクオだけに留めるべきだ」という保守的な意見が大半を占めた。
これまで享受してきた独自の既得権益を失うことを恐れた貴族たちの、まさに背水の陣とも言える大抵抗だった。
アクオを見事に運用して見せたルーカスが宰相である限り、いずれ国政全体に議会制度が全面的に採用され、自分たちの領地経営の特権が奪われる──。
それに対する必死の反発だったが、あろうことか彼らは、その反論のために皮肉にも“民主主義の手続き”を持ち出してきたのだ。
「国を動かす貴族の大半が反対しているというのに、それを無視して強引に民衆主導の議会制度を国策とするのは、それこそ民意を無視した独裁ではないか!」
その主張に対し、俺は
「貴族だけの投票で国の方針を決めることこそ不公平です。広く民衆の意見にも耳を傾けるべきだ」
と苦言を呈したが、旧態依然とした有力貴族が鼻で笑って反論した。
「文字も読めぬ浅学なる民衆に、国政の複雑な仕組みなど理解できるわけもなかろう!」
「結局のところ、金だけを持っていて識字率の高い商人どもに、都合よく国を乗っ取られるのがオチだ!」
この指摘自体は冷酷ながら一理あった。
実際、先行しているアクオでも、民選議員の大半は財力と教養を持つ豪商たちで占められていたからだ。
構造的な弱点を突かれた形となった俺は、即座に次の方策として、民衆に広く無償で学問を授けるための『民営学園の設立』を提案した。
民衆全体の識字率と学力を底上げすれば、商人による独占の問題は解決するという理屈である。
だが、多くの貴族領では、未だに収入に関わらず頭数だけで税を課す『人頭税』が導入されており、所得に応じた柔軟な課税はなされていなかった。
ゆえに、貧しい農家ほど税負担に耐えかね、口減らしと称して生まれたばかりの我が子や老人を山に捨てるという悲惨な行為が、暗黙の了解として黙認されているのが人間界の現状だった。
ならば人頭税を撤廃し、富裕層に多く課す『所得税』への移行を促そうとしたが、これに対しても貴族たちは「領地への内政干渉である」という盾を構え、頑なに拒絶した。
そして、内政の議論が行き詰まる中、追い打ちをかけるように舞い込んできたのが、エンシェント・ドラゴンの凶報だった。
俺たちが魔界へと留学していた時期から、本来であれば人里には滅多に姿を現さないはずの伝説級の巨獣、エンシェント・ドラゴンが、なぜかオーエス国内の各所で突如として猛威を振るい始めているという。
「体制の見直しや減税などの議論の前に、まずはこの国家存亡の危機であるエンシェント・ドラゴンの問題を片付けるべきだ!」
居並ぶ貴族たちのほぼ全員が、声を揃えてそう主張した。
だが、現在この国内でエンシェント・ドラゴンに対抗できるだけの実力者は限られており、そのほとんどが新体制の要職に就いたばかりである。
ましてや、場合によっては複数のエンシェント・ドラゴンの群れに遭遇する可能性すら示唆されており、その場合、そんな地獄のような最前線に突入して生存できる傑物は、国内には実質二人しか存在しなかった。
──すなわち、俺とルビィである。
「オーエス国最高の戦力たる、ルーカス宰相とルビィ団長が自ら赴いて対処すべき課題である」
それが、貴族たちが下した結論だった。
彼らの真の思惑は明白だった。
国政の中枢から少しでも俺を引き剥がし、その隙に自分たちの既得権益を守るための時間を稼ぎたいのだ。
だが、政治的な駆け引きのためにエンシェント・ドラゴンを放置すれば、議会制度の導入を議論する前に、国家そのものが竜の厄災によって自滅するのは目に見えていた。
俺はセマフォ王の許可を取り、留守中の内政の差配をパスカルとパケ・ロット伯爵に託すと、ルビィ、そして魔導師団長のバイナリを伴い、古代竜が根城にしているという峻険な山岳地帯へと出陣することにした。
なお、王都を発つ前、俺はドワーフの鍛冶師オルグにある特殊な魔道具を急ぎ密造させ、それを専属メイドのニアに託した。
彼女には、元暗殺者としての卓越した隠密技術をフルに活かしてもらい、人知れず王宮内のみならず、王城のありとあらゆる死角にその秘密の魔道具を設置させておいた。
不穏な動きを見せる貴族たちの通信や動向を、裏から炙り出すための布石だ。
「バイナリ、急な遠征に付き合わせて悪いな。今回は君が契約している神獣ティアマットの力が必要なんだ。あの多頭の竜王を前線に出せば、如何に獰猛なエンシェント・ドラゴンといえども、本能的な恐怖で抵抗できなくなるはずだからね」
山道を歩きながら俺が告げると、バイナリは苦笑混じりに頭を掻いた。
「なるほど、そういう作戦か。それなら納得だよ。最初にルーカスから遠征の誘いを聞いた時は、自分の耳を疑ったからね」
「とても頼りにしているわよ、バイナリ」
「はは、ルビィ。いざとなったら俺の盾になって助けてくれよな」
「私も行くおー!」
「うおっ!? ルル、お前いつの間にそこに!?」
突然降ってきた聞き覚えのある声に、バイナリが飛び上がって驚く。
「バイナリの鞄の中に、こっそり潜んでいたおー!」
そう言って俺の肩へと器軽に着地したのは、魔王軍四天王の一角であり『特異点の妖精』の異名を持つアノマリアこと、ルルだった。
「この特異点の妖精ことルルが付いている限り、どんな竜の群れが相手でも安心だおー!」
「ああ、いざとなったら頼むよ、アノマリア」
「そこはルルって可愛く呼んで欲しいぞー!」
「いや、今回は魔界の四天王としての力を借りるかもしれないから、あえてアノマリアとして頼みたいんだ」
「むー、まさか魔界を巻き込む気かー?」
「いや、最悪の場合、エンシェント・ドラゴンたちを保護して避難させるための広大な場所が必要になるかもしれないと思ってね」
「……ほう? 何か、思い当たる節でもあるおー?」
ルルが妖精特有の鋭い瞳で俺を見つめる。
俺は頷き、かつての記憶を想起した。
「俺が三歳の時、初めて遭遇した古代竜の眼が、異様なほど不自然に赤く染まっていて正気を失っていたんだ。当時は、単に冒険者たちとの戦闘で興奮しているだけだと思っていたのだが……」
「エンシェント・ドラゴンともあろう高位の獣が、人間の冒険者程度を相手に我を忘れて正気を失うわけがない。そうルーカスは考えているんだおー?」
「ああ。今にして思えば、あれは何者かの術式による精神汚染だ。しかも、今回の暴動はオーエス国の領内を集中的に狙って起きている。偶然にしては不自然極まりない、明らかにおかしいんだ」
「確かにねー。ルビィはどう思う?」
ルルに振られたルビィは、凛とした表情で周囲の木々を見据えた。
「私は、間違いなく何者かに操られていると思うわ」
「その根拠は?」
「魔界の学園で習ったでしょう? 本来、エンシェント・ドラゴンという種族は、極めて知的で穏やかな気性を持っているって。もし人為的に操られて、無理やり狂暴化させられているのだとしたら、一連の不自然な襲撃の件もすべて説明がつくわ」
「確かにその通りだね、ルビィ。よし、その仮説を前提にして、現地で探りを入れてみよう」
「どう動く気? ルーカス」
「作戦を変更する。俺とルビィが前面に立ってエンシェント・ドラゴンを引きつける。バイナリとアノマリアは、戦闘の裏で周囲に潜んでいるはずの『術者』の気配を探ってくれ」
「探知の魔法なら得意分野だから、俺に任せてくれよ」
「バイナリは召喚術師なのに、探知魔法が得意なのかー?」
ルルが不思議そうに尋ねると、バイナリは誇らしげに胸を張った。
「ああ。広大な世界から、自分の契約対象となる強力な魔獣を探し出すために、普段から嫌というほど索敵の術式を改良して使っていたからね」
「なるほど。じゃあ、遠距離の『念話』はどうだい?」
俺の問いかけに、バイナリは不敵に笑った。
「任せてくれ。召喚した対象と瞬時に念話で完璧に意思疎通ができないようじゃ、召喚術師は失格だからね」
「頼もしいな。では、戦闘中に何か異常を察知したら、すぐに俺とルビィに念話で知らせてくれ」
「了解、任せとけ!」
バイナリは力強く自分の胸を叩き、俄然張り切り出した。
ルルはその軽い身体を、今度はバイナリの肩へと滑り込ませるように乗り移らせる。
「そろそろ、エンシェント・ドラゴンの巣穴が点在する危険地帯の入り口だおー。ここからは慎重に行くおー」
「ああ。行くよ、ルビィ」
「ええ。皆まで言わないで、ルーカス。精霊魔術で周囲の空間の歪みを探りながら、慎重に前に出るわ」
「頼む。索敵の範囲は、半分は俺が受け持つ」
こうして四人は、鬱蒼と茂る山道を抜け、エンシェント・ドラゴンの巣穴へと足を踏み入れていくのだった。
──その背後で、人間界の均衡を崩さんとする、あの国家の陰謀が、すでに静かに牙を剥いているとは、この時の彼らはまだ知る由もなかった。
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