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第十話 帰還

 魔界での充実した半年間は瞬く間に過ぎ去り、ついに人間界へと戻る日がやってきた。


 この半年の間に、ルビィは『精霊眼』と『精霊聴覚』に加え、あらゆる言語を完全に解する特殊技能(スキル)を俺から付与され、精霊魔術を完璧に習得していた。


 なお、俺たちの能力の練度(レベル)は、二人とも最高位の『S』をさらに突き抜けた『SS』へと到達していた。


 出発前がSだったため、さらに大台を一つ塗り替えた計算になる。


 おそらく、世界の仕組みに触れたことや、精霊魔術によって時空間の綻びを地道に修復し続けたことが、世界から多大なる偉業として認められたのだろう。


 名残惜しさはあったが、俺たちは魔王城を後にし、アノマリアことルルに人間界とを繋ぐ次元の門を開いてもらった。


 なお、ルルもそのまま人間界へ付いてくることになった。


 曰く「お前たちがまたいつでも魔界に来られるよう、扉の維持と管理をするためだおー」とのことらしい。


 開かれた門は、懐かしき我が家──ルーカス侯爵邸の、俺の私室へと直通していた。


 部屋の扉を開けて廊下に顔を出すと、最初に俺たちの姿を認めた執事のアルゴルが、感極まった様子で目頭を押さえた。


「……お帰りなさいませ、ご主人様、ルビィ様。ニア! すぐに皆へ知らせを!」


 その声を合図に、邸内の使用人たちが瞬く間に勢揃いした。


 だが、皆の顔にはどこか色濃い疲労の影が刻まれている。


 俺が不思議そうに首を傾げていると、正面玄関の扉が勢いよく開き、アドミナを筆頭にマイクロン、シー、パスカル、バイナリの五人が武器を携えて帰ってきた。


「今日の戦果は古代竜(エンシェント・ドラゴン)の肉が……よ……って、兄さま!? ルビィ姉さま!?」


「ああ、ただいま。それにしても、帰ってくるなり古代竜の肉だなんて、ずいぶんと野性味溢れる生活をしているね」


「うわあああーんっ!」


 次の瞬間、アドミナが手にしていた得物を放り出し、大粒の涙を流しながら俺たちに飛び込んできた。


 その様子を後ろで見ていたパスカルが、深く安堵の息を漏らす。


「……これで、やっと王都に平穏が訪れるな」


「平穏って……一体何のことだい?」


 尋ねる俺たちに、彼らはこの半年間で人間界がどれほどの地獄絵図と化していたかを語り聞かせた。


 改めて五人の能力を視認すると、驚いたことに彼らの練度は全員揃って『S』にまで跳ね上がっていた。


 どれほど過酷で容赦のない防衛戦を強いられてきたのか、その数字だけで痛いほど察せられた。


 アドミナは俺の胸に顔を埋めたまま、涙声で歓喜した。


「これで……これでようやく、昔のような平和な世に戻るのですね……!」


 だが、俺はあえて彼女の期待に冷や水を浴びせるように、静かに、そして冷静に告げた。


「いや。残念だけど、俺たちが戻ってきたからといって、すでに発生してしまっている『魔物の大氾濫(スタンピード)』が魔法のように一瞬で消えてなくなるわけじゃないよ」


 アドミナが、弾かれたように顔を上げた。


「え……? それは、どういう意味ですか?」


「一度世界中に溢れ出してしまった魔物は、地道に討伐して間引かない限り消えはしない。俺たちが戻ったことで恩恵があるとするなら、『これ以上の新たな大氾濫が発生しにくくなる』というだけだ」


「それじゃあ、しばらくの間は……今まで通りの死闘が続くのですか?」


「そういうこと。徹底的に数を間引かないとね」


「そうなのか、ルーカス」


 重厚な声に振り返ると、そこにはいつの間にかセマフォ殿下が立っていた。


 どうやらニアが俺たちの帰還を知らせに走り、それを聞いた殿下が即座に転移魔法でこちらへ駆けつけたらしい。


「ご無沙汰しております、セマフォ殿下。ただいま戻りました」


「ああ、無事で何よりだ。それよりも魔物の大氾濫について、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」


「はい。先ほども言いましたが、大氾濫が今すぐ完全に消失するわけではありません。ただ、世界の歪みが正されたことで、これからは徐々に落ち着いていくはずです。俺たちも神様ではないので、パッと指を鳴らして消し去るような真似はできませんから」


「……そうか。だが、終わりが見えただけでも天からの僥倖だ。して、これからどうする?」


「そうですね。とりあえず、まずは温かいお風呂に入って、湯上がりに冷たいコーヒー牛乳でも飲みたい気分です」


「はは、お前は本当に変わらないな。あの過酷と謳われる魔界を経験してきたというのに、相変わらず肝が据わっている」


「過酷? え、だって魔界はあんなに緑豊かで──むぐぐっ!?」


 ルビィがうっかり真実を口走りそうになったため、俺は慌てて彼女の口を背後から力ずくで押さえ、耳元で冷徹に囁いた。


『いいかいルビィ。俺たちが魔界のユートピアでスローライフを満喫していたなんて事実が人間界にバレてみろ。間違いなく国中から嫉妬の炎を向けられて排斥されるぞ』


『んぐ……(わかったわ)』


「……どうかしたのか?」


 不審そうに見つめてくるセマフォ殿下に、俺は極上の貴族スマイルを返した。


「いえ、何でもありません。明日からは俺とルビィも前線に出て、魔物の間引きに参加しますのでご安心ください」


「ああ、頼むぞ、ルーカス、ルビィ。お前たちの力が、今のこの国には必要なんだ」


「はい。それじゃあ、まずはお風呂に行こうか、ルビィ」


「ええ、行きましょう」


 長い廊下を歩きながら、ルビィが周囲に聞こえないほどの小声で尋ねてきた。


「本当にいいの、ルーカス? 魔界が本当は素晴らしい楽園だってこと、みんなに秘密にしたままで」


「何がだい? ルビィ」


「だって、魔界がユートピアだって教えた方が、みんな安心するんじゃないかって……」


「もし人間界の欲深い権力者たちがそれを知ったら、それこそ都合の良い大義名分を掲げて『勇者召喚』を強行し、あの豊かな楽園を奪い取るために魔界へ侵略戦争を仕掛けるだろうね」


「そんなことは……。……あ、そうね。確かにそうなるわ」


「ああ。人族の抱く強欲と嫉妬には、底がないからね」


「ルーカスは、そんな風に世界を見ているのね」


「ああ。パスカルたちやうちの使用人、それにセマフォ殿下やアッセンブリ聖下なら信用できる。だけど、人の口に戸は立てられないという言葉の通り、どこから情報が漏れるか分からないからね。口は禍の元、徹底して隠し通すのがお互いのためさ」


「分かったわ。じゃあ、明日からは久しぶりの魔物狩りね。なんだか腕が鳴るわ!」


「ああ、久々の実戦だ。気合を入れていこう。ついでに、周囲の空間に傷を見つけたら、片っ端から二人で修復していこう」


「ええ!」


 こうして帰還した初日の夜、俺たちはパスカルたちが持ち帰った古代竜のステーキをご馳走になった。


(……美味い。ドラゴンって、こんなに美味な食材だったんだな。しかも、食べた瞬間から体内に凄まじい活力がみなぎってくる。なるほど、この良質な魔力を秘めた肉を毎日食べていたからこそ、彼らは半年間も戦線を維持し、練度Sにまで到達できたわけか)


 俺は肉の旨味を噛み締めながら、頭の中で冷徹に戦力計算を行うのだった。


 ◆


 翌日、俺たちの帰還が正式に国中へ発表された。


 しかし同時に、「現在発生している魔物をすべて駆逐しない限り、この悪夢は終わらない」という現実を厳しく突きつけたため、救世主の帰還に沸いていた民衆からは、少なからず不満や非難の声が沸き上がった。


「帰ってきたなら、聖人の力で一瞬で消し去ってくれればいいのに!」


 もちろん、そう声を荒らげるのは一部の愚か者だけだったが、それを見た俺は(やはり、喉元を過ぎればすぐに甘える。人はどこまでも愚かな生き物だな)と、人間界の嫌な現実を再認識させられた。


 だが、そんな不満など、俺とルビィの圧倒的な実力の前には無意味だった。


 その日のうちに、俺たち二人の手によって、王都周辺にいた巨竜約四十体、オーク百二十体、ゴブリン三百体が一瞬にして文字通り『狩り尽くされ』て消滅した。


 覚醒した聖人と聖女による魔物特効の効果は、俺たちの予想すら遥かに上回る破壊力を見せつけた。


 オークとゴブリンから回収した魔石は、枯渇しかけていた国家の備蓄へ回され、大量のドラゴンの死骸は飢えていた民衆の食卓へと一斉に並べられた。


 あまりの供給過多により、残りの数体は俺の無限収納へと保管された。


 この圧倒的な現実の前に、不満を漏らしていた連中も恐怖でぐうの音も出ず、完全に黙り込むしかなかったようだ。


 これには、前線で共に戦ったパスカルやアドミナたちも「半年でどれだけ化け物になったんだ……」と言わんばかりに顔を引きつらせていたが、同時に彼らの瞳の奥には、俺たちに追いつこうとする静かな闘志が再び燃え上がっていた。


 彼らも彼らで、以前とは比較にならないほどの素晴らしい戦果を上げ、王都の防衛線を強固に支えていた。


 翌日もさらに容赦なく魔物を駆逐していく俺たちの姿を見て、民衆の反応は熱狂的な歓迎ムードから一転し、どこか畏怖を孕んだ恐怖へと変わっていった。


 だが、その圧倒的な効率の恩恵により、まずは王都周辺の魔物の脅威が完全に収束した。


 隣接する旧領アクオも長きにわたる恐怖から解放され、王都とアクオの間で、ささやかながらも心温まる復興の宴が催された。


 その後、二ヶ月が経過する頃にはオーエス国内の魔物は一匹残らず駆逐され、他国もそれに遅れること四ヶ月後、ようやく大陸全土の魔物被害の終息に成功した。


 なお、各都市が築いた高い防衛壁は、今回の未曾有の災害を教訓として風化させぬよう、そのまま残すことが各国で決定された。


 復興が進む中、アクオではかつて俺たちの魔界留学を不当として訴えを起こしていた一部の不届きな特権階級の裁判が行われたが、当然ながら彼らは全面的に敗訴した。


 さらに、人間界のマスコミがこの一連の騒動と、そもそも俺たちが魔界へ赴く原因となった人間界の醜い内情を全世界に向けて発信したため、オーエス国における聖人と聖女へのこれまでの不当な扱いに対し、大陸のあらゆる国々から猛烈な非難声明が寄せられる事態となった。


 オーエス国は、国際社会において非常に苦しい立場へと追い込まれていくことになる。


 そんな激動の情勢の中、俺たちは王立アルテア貴族学院の卒業の日を迎えた。


 教壇に立ったフォーク校長は、俺たちの目を真っ直ぐに見つめ、


「これからは誰の目も気にせず、お前たちの望むように自由に生きなさい」


 と、愛に満ちた破格の訓示を贈ってくれた。


 晴れて成人を迎えた俺に対し、王家は功績を称えて新たな広大な領地を与えようと画策したが、領地などこれからの動きの足枷にしかならないと感じた俺は、これを毅然と拒否した。


 この異例の領地返上に対し、中央の貴族たちの間では「王家への反逆か」「さらなる野心の現れか」と様々な憶測が飛び交い、不穏な噂が巻き上がったが、俺が「セマフォ殿下の直臣として、将来宰相の職に就く約束を交わしているため、今はその準備に専念したい」という大義名分を公表したことで、騒音は一気に鎮静化していった。


 その後の仲間たちの進路は様々だった。


 パスカルとシーは晴れて夫婦となり、次代のヴィルト侯爵家を若き力で大いに盛り立てていた。


 バイナリは、自身の召喚術をさらに高みへと昇華させるべく、最高府の学問所(大学)へと進学し、超古代の召喚術式に関する研究に没頭する日々を選んだ。


 そして俺とルビィはというと、正式に婚姻の儀を執り行い、改めてアルマギナ侯爵家を夫婦二人で支えながら、一年後に控えたセマフォ殿下の卒業と同時に行われる『宰相登用』の瞬間に向けて、政務の勉強と準備に明け暮れる日々を過ごしていた。


 時には、前世の記憶を頼りに邸の地下で密かに密造した特製の魔導蒸留酒(ウイスキー)を開け、気心の知れた仲間たちを呼んで朝まで飲み明かしたりもした。


 長年我が家を支えてくれたアルゴルたちは完全に第一線を退いて隠居し、後進の育成に心穏やかに没頭していた。


 専属メイドのニアの有能さは相変わらずで、ドワーフのオルグは今日も黙々と俺たちの武具の手入れや新調を行ってくれている。


 そして魔界からついてきたルルは、相変わらず自由奔放そのもので、どこからかお気に入りの蜂蜜酒(ミード)を調達しては、邸の屋根の上で美味そうに喉を鳴らしていた。


 ──この卒業後の一年間は、後に振り返ってみても、俺たちがオーエス国という国で過ごした時間の中で、最も穏やかで、最も充実した、幸福な日々だった。


 だが。


 そんな平穏な日々の裏側で、オーエス国の頭上には、決して拭い去ることのできない、暗く、冷たい不穏な影が静かに垂れ込め始めていたのである。

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