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第九話 学園

「ここじゃよ」


 魔王陛下に案内されて訪れた場所は、魔王城の二階と三階を丸々使った広大な空間に、運動場(グラウンド)や室内プールが併設された、前世の日本でよく見かけた学校そのものの構造をしていた。


 違っている点といえば、運動場が城内にあるため、温度調節の魔道具(エアコン)によって年中快適な室温に保たれていること。


 そしてプールが温水仕様で一年中泳げること。


 さらに各教室にも同様の温度調節魔道具が標準設置されていることくらいだ。


 非常時には周辺住民の避難場所として即座に活用できるよう、間仕切りなどの災害対策物資が整然と常備されている点も、驚くほど徹底していた。


 学年制度も前世と酷似しており、初等部が六年、中等部が三年、高等部が三年。


 その後は専門的な知識を学ぶ各種高等教育機関や、四年制の学問所(大学)があり、その最高峰として研究を行う院制度まで整備されているという。


 ◆


 俺とルビィは、この中の高等部一年生の普通科学級へ、半年間留学することになった。


「ルーカス・アルマギナです。前世の名は千代田(ちよだ) 守(まもる)と申します。半年間、よろしくお願いいたします」


「ルビィです。ルーカスの婚約者をしています。半年間、どうぞよろしくお願いいたします」


 教壇で挨拶を終えると、教室から割れんばっかりの拍手が巻き起こった。


 並ぶ学友たちの顔ぶれを見ると、驚いたことに見知った妖精族の顔がいくつもあった。


 アクオを離れる際、俺に精霊魔術の教本を授けてくれたあのエルフの少女も、嬉しそうに手を振っている。


「では、後ろの席が空いているから、二人は自由に座ってくれ」


 担任の講師に促され、俺たちは後方の席へと移動した。


 なぜか魔王陛下まで保護者のように後ろへ付いてくる。


 各席には書物型の魔導端末(タブレット)が常備されており、授業に使う教科書はその画面に表示される仕組みだった。


 教室の構造は大学の講堂のような半円のすり鉢状になっており、教授が教壇で円滑に授業を取り仕切っている。


 一時限目の座学は精霊魔術に関する講義だった。


 新参者の俺たちに合わせて、精霊魔術の基礎的な理論をおさらいとして掘り下げる内容だったため、非常に分かりやすかった。


 続く二時限目は精霊魔術の実技演習で、一同は城内の運動場へと移動した。


 まだ精霊魔術が使えない者は見学回りに指定され、実地で行使される術を直に見ることになる。


 そのため、俺は実技の列へ、ルビィは見学の席へと回った。


 講師に促され、俺が光の精霊王ルミナスを召喚すると、運動場のあちこちから「おおお……!」と地響きのような大どよめきが起こった。


 当然だろう。


 人族の身でありながら、精霊の最高位である精霊王と契約を交わしているなど、この魔界の歴史を紐解いても前代未聞の領域なのだ。


 周囲の生徒たちから「一体どの精霊と契約しているんだ?」と尋ねられたため、俺は苦笑しながら「全属性のすべてです」と答えた。


 そして、普段隠している指サックを取り外し、左手の甲に刻まれた【全属性の神聖紋章】と、右手の甲にある【精霊王の神聖紋章】を提示する。


「す、すげえ……! やっぱりルーカスは次元が違うわ!」


「まあ、あのルーカスだしね」


 クラスメイトたちのあまりに早すぎる納得っぷりに、俺はたまらずツッコミを入れた。


「いや、その『分かってたよ』みたいな扱いは何なんです!?」


「何、規格外ということじゃよ」


 後ろで見物していた魔王陛下が我が意を得たりと頷くと、


「「「そうそう!」」」


 と、生徒たちの声が見事に綺麗にハモった。


「なに、その扱い……」


 俺が少ししょぼんとしていると、講師が楽しげに手を叩いた。


「では、空間の修復を実際にやってみよう。ルーカス君、できるかな?」


「ええ。では、時空間の綻びは……っと。ああ、あそこにありますね」


「うむ、やってみてくれ」


『光の精霊王様、お力をお貸しください』


『ええ、この程度、造作もないことですわ』


 脳内に響くルミナスの凛とした声と共に、空間に生じていた目に見えない微細な綻びが、一瞬にして光の粒子となって綺麗に修復されていく。


「えっ、もう終わり!?」


「やっぱりルーカスだわ」


「そうだね、ルーカスだからね」


「だから、何なんですかその扱いは!」


 俺が声を上げると、例の教本をくれたエルフの少女が誇らしげに胸を張った。


「ルーカスなら何でもありだと思ったからこそ、私は精霊魔術もすぐに使えるようになるだろうと踏んで、教本を置いていったのよ!」


「まあ、確かにそのおかげで使えるようにはなったけど……」


「つまり、私に先見の明があったということよ!」


 すると、横から別の妖精族の生徒がすかさず容赦のないツッコミを入れる。


「先見の明っていうか、ルーカスならできて当然っていう自明の理だろ」


「まあ、それとも言うわね!」


 エルフの少女の開き直りに、運動場全体が温かい笑いに包まれる。


 俺もつられて一緒に笑ってしまったが、見学席のルビィだけは、あまりの常識の崩壊ぶりに完全に放心していた。


 そこで、頃合いを見た魔王陛下が一同に向かって朗々と声を上げた。


「皆の者、午後の授業は中断とする! これより、ルーカスに前世の日本の手料理を作ってもらい、皆に振る舞う夕食会(パーティ)を開催するぞ!」


「えっ、マジですか!? 超楽しみだ!」


「そういえば、前世は日本人って言ってたよね」


「一体どんな未知の料理なんだろう?」


「ククク、それは後のお楽しみじゃ。ルーカス、厨房の準備はできるか?」


「はい、お任せください。二百人分、きっちり仕上げてみせます」


 ◆


「お邪魔します、ルーカスです。魔王陛下から事前にお話が通っていると思うのですが……」


 広大な城の厨房に足を踏み入れると、総料理長をはじめとした魔界の料理人たちが、ずらりと並んで俺を迎えてくれた。


「ああ、伺っております。異世界の調理技法、ぜひ我々にも見学させていただけますかな?」


「ええ、構いませんよ。大したお見せ場はないかもしれませんが」


 俺は腕をまくり、手帳を確認した。


(蕎麦は小麦粉二割、蕎麦粉八割の『二八蕎麦』だな。まずは生地の練りから済ませようか)


 大きめの漆塗りの捏ね鉢(ボウル)に蕎麦粉と小麦粉を投入し、用意した水の三分の二を注いで、指先を素早く動かして混ぜ合わせていく。


 粉に水を均一に吸わせる水回しの工程だ。


 残りの水を少しずつ数回に分けて加え、粉全体にしっかりと水分を行き渡らせる。


 うん、水分量は良い感じだ。


 次に、しっかりと粘りを出す練りの工程に入る。


 生地の中に余計な空気を入れないよう、手のひらに体重を乗せて、手前へと押し転がすように力強く捏ね上げていく。


 表面のひび割れが消え、なめらかで独特の弾力が出るまで、神速の料理人スキルを乗せて徹底的に練り込んでいく。


 最後に空気を抜くように円錐状(きくねり)に生地を丸め、表面を鏡のようきれいに整えた。


(よし、鮮度を保つために、一旦これは無限収納(ストレージ)に入れておこう)


 次に、茶碗蒸しの仕込みへと移る。


(具材は、定番の銀杏と鶏肉、それに彩りの三つ葉……おっ、最高級の松茸があるじゃないか。これは素晴らしい。あとは卵だけど……って、あれ? なんで日本製の卵がこんなところに常備されているんだ?)


 厨房の棚に置かれていた卵のパックは、透明なプラスチック製で、前世でよく見かけた日本の有名スーパーの特売シールが堂々と貼られていた。


 ……まあ、魔界の時空流通の謎というやつだろう。


 細かいことを気にしても仕方がないので、先に茶碗蒸しを仕上げる。


 卵液と丁寧にとった出汁を合わせ、器に具材を並べて、一気に二百人分の茶碗蒸しを蒸し上げ、完成した先から熱々の状態で無限収納へ収納していく。


(天ぷらのネタは……大葉、大ぶりの海老、牛蒡(ごぼう)……おや、新鮮な鮎(あゆ)まであるな。これもカラッと揚げて使おう)


 衣を薄くくぐらせ、最適な温度の油へ投入していく。


 パチパチと小気味よい音を立てて芸術的な衣が咲き、最高の状態に揚がった先から、これまた無限収納へ瞬時に格納。


(さて、一番重要な蕎麦のつけ汁(つゆ)と薬味を作って……うん、出汁の香りが完璧だ)


 旨味の凝縮されたつけ汁と、刻みネギやワサビなどの薬味も無限収納に納める。


(さて、最後に収納しておいた蕎麦の生地を取り出して、薄く均一に延ばしてっと……よし、良い感じだ)


 ここから、最も職人の技が問われる「切り」の工程に入る。


 綺麗に折り畳んだ蕎麦生地の上に木製のこま板を置き、特製の蕎麦包丁をまっすぐ垂直に下ろして、一ミリ半から二ミリ幅の狂いのない細切りにしていく。


 ──トントントントン! 厨房内に、極めて小気味よいリズムの小刻みな包丁音が響き渡る。


(切った麺同士がくっつかないよう、手早く軽く打ち粉をまぶして……。よし、あとは一気に茹で上げだ)


 グラグラと沸き立つ大鍋にほぐした蕎麦を投入し、一分ほど絶妙な加減で茹で上げた後、すぐさま冷水へと引き上げて手早く揉み洗いし、麺をシャキッと引き締める。


 綺麗に水気を切って、竹ざるの上へ美しく盛り付けていく。


 仕上げに、茹で汁である濃厚な蕎麦湯を丁寧に急須へと注いだ。


「ふう、こんな感じでしょうか」


 俺が額の汗を拭うと、固唾を呑んで見守っていた総料理長が大きな拍手を送ってきた。


「素晴らしい手際だ……! 伝統的な宮廷料理人でもここまでの無駄のない動きはできませんぞ。もし余りが出るようでしたら、ぜひ我々裏方の賄いとして分けていただけませぬか?」


「ええ、もちろん良いですよ。多めに作ったので、おそらく余ると思いますし」


「そうですかな? この素晴らしい香りから察するに、一口も余らないような予感がいたしますが」


「ははは、そう言って頂けると料理人冥利に尽きますよ」


 ◆


「大変お待たせいたしました! 今日の晩御飯は、日本の伝統料理『二八蕎麦』と『天ぷらの盛り合わせ』、そして『茶碗蒸し』です!」


 食堂に集まった二百人の生徒たちの前に、出来立ての料理が次々と配膳されていく。


「これが『蕎麦』という料理か。どれ……──むっ、美味い! なんだこのツルリとした喉越しは! 出汁の旨味が麺に絡んで最高だぞ、ルーカス!」


「この『天ぷら』という揚げ物もサクサクでたまらないわ! 特にこのアユという魚、ワタの苦味と衣の香ばしさが絶妙よ!」


「みんなにそう言ってもらえると、作った甲斐があったよ」


 大絶賛の声に笑みがこぼれる。


 すると、上座の魔王陛下が早速盃を傾けた。


「うむ! この衣の油の旨味と、蕎麦のさっぱりとした味わい……清酒との相性がこれ以上ないほど抜群じゃな!」


「あ、魔王陛下ずるいです! 私たちにもそのお酒をください!」


 妖精族の生徒たちからも声が上がり、食堂内は一気に賑やかな宴の席と化した。


「みなさん、蕎麦を食べ終わったら、残ったつけ汁の中に、その急須に入っている熱々の『蕎麦湯』を注いで飲んでみてください。出汁の風味が引き立って美味しいですよ」


「おお……本当だ! 体の芯までお出汁の旨味が染み渡る……。なんて贅沢な締め方なんだ」


 一方で、ルビィは手元の器を不思議そうに見つめていた。


「ルーカス、この『茶碗蒸し』っていうお料理、なんだか甘いプリンみたいな見た目ね?」


「まあ、騙されたと思って食べてみてよ。見た目とは全然違って、温かい出汁の効いた料理だから」


 ルビィが恐る恐るスプーンで一口運ぶと、その瞬間に目が輝いた。


「お、美味しい……っ! 豊かな香りが鼻に抜けるわ、これって……高級な松茸かしら?」


「本当だ、中にはジューシーな鶏肉も隠れているぞ!」


「底の方にあるこの不思議な木の実(銀杏)も、独特のほろ苦さがあって良いアクセントだね」


 こうして、初めての歓迎夕食会は大盛況のうちに幕を閉じた。


 予想通り少しだけ余った蕎麦や天ぷらは、約束通り厨房の専属料理人たちへ賄いとして振る舞ったが、こちらも「我が調理場に革命が起きた」と大絶賛の嵐だった。


「そういえば陛下、皆、驚くほど自然に『箸』を使いこなしていましたね?」


 ふと抱いた疑問を口にすると、魔王陛下は当然のように頷いた。


「ああ。この国では、初等部の低学年から箸の正しい持ち方と使い方を義務教育として教えているからな」


「では、西洋風のフォークやナイフは?」


「それは中等部に上がってから、高度な礼儀作法の授業で叩き込まれるな」


「なるほど……教育課程が本当にしっかりしているんですね」


「うむ。さて、今日は二百人分もの至高の料理を一人で作り上げて疲れたであろう? 今夜は城自慢の大浴場に浸かり、ゆっくりと身体を休めると良い」


「はい、お言葉に甘えさせていただきます。ありがとうございます、魔王陛下」


「……で、どうじゃ? 少しは我が魔界に移住する気になったか?」


 魔王陛下がいたずらっぽく微笑みながら、核心を突いてきた。


 俺は少し考えてから答える。


「そうですね……。俺はセマフォ殿下に、将来彼の元で政務を執る最高補佐(宰相)になると約束を交わしているんです。ですから、その職務を全うし、人間界での義理をすべて果たした後であれば、魔王軍の末席に加えていただいても構いませんよ」


「ふむ、人間の第二王子と先約があったか。くう、惜しいが……よかろう、何年、何十年先になろうとも、我らは汝を歓迎しようぞ」


「では、将来の仕官の約束として、緩やかな契約を結んでおきましょうか」


 その言葉を聞くや否や、横からルビィが慌てて割って入ってきた。


「ちょっと待って、ルーカス! そんなに簡単に魔王様と約束(契約)しちゃって大丈夫なの!?」


「ああ。ルビィ、俺たち“先祖返りの高位人族(ハイ=ヒューマン)”は、人間としては異常なほどの長命種だろう? これから先、いつまでも歳を取らずに若い姿のままの俺たちを、人間界の凡愚どもが嫉妬し、恐れ、いずれ迫害してくるのは火を見るより明らかだからね。セマフォ殿下の後ろ盾がなくなる数十年後には、とっとと人間界とは決別するつもりさ。それは君だって同じだよ?」


「私は……。あ、そっか。私も覚醒して、その長命種の身体になったんだっけ……」


「そういうこと。だから、いつか人間界に愛想が尽きたら、二人で魔界に移住して魔王軍としてそれなりに働くさ」


「ククク、頼もしい限りじゃ。……しかし、やはり我が軍の最高幹部である『四天王』の座は空けておくぞ?」


「いえ、四天王の枠にはすでに強力なアノマリアがいますからね。もし俺たちが入ったら四天王じゃなくて五人、いやルビィも含めたら六人になってしまって、どうにも座りが悪いです。せめてあと二人ほど強力な身内がいれば、前世の神話になぞらえて『天竜八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)』とか名乗れて格好良いんですけどね」


「何じゃ、その最高に耳心地の好い、強そうな響きは!?」


 魔王陛下が身を乗り出して食いついてくる。


「前世の古い宗教の神話に出てくる守護神たちのことですよ。四天王のさらに上に位置する八人の精鋭軍団です。四つの席があるなら、八つの席があっても面白いと思いませんか?」


「ほう、実におもしろい! 良かろう、ならばあと二人の空き枠だな。汝らと並び立てるほどの、凄まじい傑物の候補者を我が魔界の全土から探しておくとしよう!」


「ははは、よろしくお願いいたします」


「ちなみに、その八部衆とやらの序列はどうなっておるのだ?」


「特に序列はありませんが、順に、天(てん)、龍(りゅう)、夜叉(やしゃ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩睺羅伽(まごらが)ですね」


 魔王陛下は、真剣な眼差しで手帳にその名をしっかりとメモしながら、「うむ、大至急検討しよう」と力強く頷いた。


「よろしくお願いいたします、陛下」 俺は笑ってそう返した。


 ──この冗談半分で口にした『天竜八部衆』の結成が、そう遠くない未来、世界を揺るがす大動乱において現実のものとなるとは、この時の俺はまだ、夢にも思っていなかったのである。

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