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第七話 二人の居ない世界

 ルーカスとルビィが魔界へと旅立った後、人間界の均衡は音を立てて崩れ去り、世界各地で『魔物の大氾濫(スタンピード)』が相次いで勃発した。


 ゴブリンやオークといった下位の魔物はまだしも、各地の迷宮(ダンジョン)からは牛頭の魔獣ミノタウロスが這み出して暴れ回り、地にはドラゴンが我が物顔で足鳴らし、天空は飛竜(ワイバーン)の群れによって完全に支配された。


 当然、国同士の交易は途絶え、町と町を繋ぐ街道も一歩足を踏み入れれば命のない危険地帯と化した。


 人々は都市の周囲に急ごしらえの高い外壁を築き、その内側で息を潜めるしかなかった。


 強固な外壁がある都市はまだマシな方で、防衛線の薄い小規模な町や村は、集落そのものを廃棄して大都市へと逃げ込むしかなかった。


 あるいは、いくつかの村が一つに合流して臨時の拠点を形成し、高い壁を立てて怯えながら暮らす日々が続いた。


 だが、その防衛壁も、圧倒的な破壊力を持つ巨竜や上空から襲来する飛竜の前には無力に等しかった。


 襲撃を受けた都市は、それを防ぐ術を持たず、ただの自然災害として受け入れるほかはなかった。


 ただ一箇所──この絶望的な世界において、唯一の例外が存在した。


 それは皮肉にも、かつてルーカスたちを白眼視した王立アルテア貴族学院を擁する、オーエス国の王都であった。


 ここには、一騎当千の若き猛者たちが残されていた。


 すなわち、パスカル、シー、バイナリ、そしてルーカスの妹であるアドミナと、規格外の巨躯を持つマイクロンの五人である。


 他国に類を見ない、徹底した実力主義の学院で最上位のSクラスに君臨し続けた彼らは、度重なる王都襲撃の度に防衛の最前線へと駆り出され、実戦の中で恐ろしいまでの速度で戦技の練度を上げていった。


 その実力は、他の一般的な生徒たちとは日に日に天と地ほどの差が開いていった。


 最初は五人がかりで連携してようやく対処していた魔物の群れだったが、戦いの中で地力を底上げしていった結果、今や各々が単騎で巨竜の相手を仕留めるまでに成長を遂げていた。


 また、アルゴルたちも前線に復帰して奮闘を続け、ドワーフの鍛冶師オルグは、アドミナやマイクロンたちの武器を毎日不眠不休で修繕(メンテナンス)し、最高の状態に仕上げて戦場へと送り出していた。


 専属メイドのニアは、対人戦こそ無類の強さを誇るものの、流石に巨大な魔物相手の乱戦には荷が重かったため、後方の支援に回った。


 もちろん、貴族学院Sクラスの卒業生(OB・OG)たちも馳せ参じたが、絶対的な数が少なすぎた。


 Aクラス以下の生徒たちにいたっては、単独での実戦では到底戦力にならず、自衛軍や一般の騎士団の隊列に混ざって、必死に防衛の補助に回る日々が続いた。


 押し寄せる恐怖の中で、多くの人々は、かつて自分たちが英雄たちに浴びせた過去の過ちを悔い、涙ながらに懺悔の日々を過ごしていた。


 だが、どこの世界にも自身の非を認めぬ他責の徒はいるもので、一部の不届き者は、


「自分たちがこんな苦行を強いられるのは、ルーカスとルビィが勝手に魔界へ逃げ出したせいだ!」


 と大声を上げて醜く主張した。


 しかし、今の王都の住民はそれほど愚かではなかった。


 そんな世迷言を口にする者たちは、周囲の常識ある人々によって即座に捕らえられ、厳重な外壁の外へと容赦なく叩き出された。


 後ろ盾もなく外へと放り出された彼らが、魔物の跋扈する荒野で生き延びられるはずもなく、大抵は凶悪な獣の餌になるのが関の山だった。


 稀に襲撃を免れて生き残る者がいたとしても、その先に待っているのは餓死という無惨な未来だけだった。


 ◆


「今日はアースドラゴン三体、ファイアドラゴン二体、アイスドラゴン二体か。そっちの釣果はどうだ?」


 魔鋼糸の血を拭いながらパスカルが問いかけると、シーが息を整えながら微笑んだ。


「私は、アースドラゴン一体、ファイアドラゴン三体、アイスドラゴン一体よ。……流石ね、パスカル」


「僕は、アースドラゴン二体、ファイアドラゴン四体、アイスドラゴン一体に、上空のワイバーンを三体だよ」


 魔導書を閉じたバイナリが平然と告げると、アドミナも自身のワンドを背に収めながら言葉を添えた。


「私はアースドラゴン四体、ファイアドラゴン三体、アイスドラゴン一体に、飛竜を一体です、パスカル様」


「おいおい、バイナリが頭一つ抜けて、次いでアドミナが二位か。前衛職としては負けていられないな」


「私はルーカス様のように派手な攻撃魔法が使えない分、近接戦ではどうしても手数が不利だわ」


「それでも純粋な剣技だけで巨竜を五体も沈めているじゃないか、十分化け物だよ」


「ふふ、そうね。いっそのこと、もっと手応えのある暗黒竜(ドラゴン・ゾンビ)でも現れてくれないかしら? そうしたら、私の神聖術で一撃のもとに浄化して差し上げられるのに」


「頼むからそんな物騒なことを言わないでくれ。僕の召喚術(サモン)は、召喚を維持している間中、ずっと僕の魔力を消費し続けるから短期決戦向きなんだ。そんな大物を相手にしていたら、こちらの魔力が底を突いて気絶してしまうよ」


「それに、腐りかけた暗黒竜なんて美味しく食べられませんものね。今日も新鮮なドラゴンの肉を持ち帰って、ステーキで英気を養いましょう。邸では皆が首を長くして待っていますわ」


「違いない。今の王都じゃ、僕たちが狩ってくる巨竜の肉くらいしかまともな食材がないからね」


 もし普通の人間が聞けば、あまりの異常さに驚天動地して卒倒しそうな会話を交わしているのは、パスカル、シー、バイナリ、アドミナの四人だった。


 そこへ、大きな地響きと共にマイクロンが合流した。


「おーい、みんな。ちょっと手強い古代竜(エンシェント・ドラゴン)がいたから、一体狩ってきたぞ」


 年齢に似合わない筋骨隆々の巨体を誇る彼は、持ち前の圧倒的な防御力と力任せの腕力だけで、単騎で伝説級の古代竜を叩き伏せて引きずってきたのだ。


 彼ら五人が最前線から持ち帰る新鮮な竜の肉は、今や飢えに苦しむ王都の住民にとって、なくてはならない貴重な栄養源(タンパク源)になっていた。


 特に、最上位種である古代竜や、まだ若い小竜の肉は「非常に柔らかくて美味だ」と、配給を待つ民衆の間で至高の評判を呼んでいた。


「アドミナ、君の婚約者(マイクロン)は、相変わらず理不尽なまでにデタラメな強さだな」


「本当にそうですね……。あははは、はぁ……」


 ちなみに、日々の死闘を経て、現在の彼らの戦技の練度は全員揃って最高位の『S』に到達していた。


 それはかつて、ルーカスとルビィが魔界へ旅立った時の領域へと、ようやく自分たちの足で並ぶことができた証でもあり、五人の胸中にはどこか誇らしげな達成感があった。


 複数のドラゴンの巨躯を引きずって堂々と闊歩する彼ら五人の周囲には、如何に飢えた魔物といえども一切近づこうとはしなかった。


 魔物の本能が、「あの人間たちには絶対に勝てない」と明確に察知していたからだ。


「開門!」


 パスカルが外壁の防衛隊に向かって叫ぶと、重厚な鉄門が即座に跳ね上げられた。


 兵士たちの手際よい誘導によって、手早くドラゴンの死骸が塀の中へと運び込まれていく。


 五人が無事に中へ入ったことを確認するや否や、背後で凄まじい金属音を立てて門が閉ざされた。


 門の内側の広場では、手慣れた職人たちによって巨竜が瞬く間に解体されていく。


 今や王都では見慣れた日常の一コマだった。


 切り分けられた肉は、すぐさま困窮している各家庭へと平等に配給されていく。


 そして、最高級品である古代竜の肉は、最大の功労者である五人に進呈され、ルーカス侯爵邸の厨房へと運び込まれた。


 現在、五人は主のいないルーカス侯爵邸を拠点にして防衛活動を行っていた。


 邸にはドワーフのオルグが常駐して毎日のように武装を万全に研ぎ澄ましてくれる上、魔導仕掛けの大浴場も完備されているため、衛生面や疲労回復の環境としてはこれ以上ないほど完璧だった。


 最近では、執事のアルゴルたちの出番はほとんどなくなっていた。


 オークの群れによる大氾濫程度であれば彼らでも対処可能だったのだが、最前線の五人が毎日運んでくる至高の竜肉の味を一度覚えてしまってからは、オークのような豚肉もどきの獣肉では、流石に舌が受け付けなくなってしまったのだ。


 そのため今の彼らは、五人の身の回りの世話や、侯爵邸の警備および防壁の補修に専念していた。


 その日の夜、豪華に調理された最高級の竜肉ステーキを囲みながら、パスカルがふとグラスを傾けた。


「それにしても、ほんの少し前までは、こんな生活は想像すらできなかったな」


「何がですか?」


「いや、自分たちがドラゴンの群れを単騎で狩りまくるなんてさ」


 シーが肉を切り分けながら、楽しげに首を傾げる。


「そうね。……ねえアドミナは、最初はどんな気持ちでドラゴンを狩ったの?」


「さあ、私の場合は、兄さまの思いつきによる地獄の特訓で、強制的に何体も狩らされた思い出しかありませんが……」


「アドミナはルーカスの実の妹だからな。受けてきた英才教育の次元が違う」


「いえ、本当に当時は死ぬほど怖かったんですよ?」


「そうだね、彼の教育は文字通りのスパルタだったね」


 パスカルとシー、アドミナの言葉に、バイナリも苦笑を交えながら自身の過去を振り返る。


「バイナリ、君が最初に召喚契約を結ぶために、直にドラゴンに近づいた時はどうだったんだ?」


「いや、本気で一瞬で食い殺されるかと思ったよ。あの時は、手持ちの骸骨戦士(スケルトン・ウォーリア)を何十体も身代わりに突撃させて、力ずくで押さえつけて何とか術式を刻み込んだんだ」


「「「あー……」」」


 前衛組の三人が、その光景を想像して同情の声を漏らす。


「神獣ティアマットのような超大物に関しては、ルーカス様が見つけてくれた超古代文明の魔術文献に契約の抜け道(バイパス)が載っていたから、直接対峙しなくても遠隔で契約できたけど……。やっぱり、最初の一体目を自力で従わせた時は、とにかく命がけの苦労をしたよ」


 ひとしきり昔話に花を咲かせた後、バイナリがふと窓の外の夜空を見上げた。


「それにしても……ルーカスとルビィは、今頃魔界でどんな目に遭っているんだろうね?」


「案外、二人で仲良く楽しくやっているんじゃないかしら?」


 シーが楽観的に言うと、バイナリは首を横に振った。


「シー様、流石にそれはないよ。何と言っても相手はあの『魔界』だからね。文献によれば、きっと一面に火山が連なっていて、煮えたぎるマグマが流れる灼熱の荒野が広がっているに違いないよ」


「そうだね、バイナリの言う通りだ。きっと息をするだけでも肺が焼けるような、人間にとってはあまりにも過酷な環境だろうな」


「僕たちのような普通の人間が行ったら、数分と持たずにまいっちゃうよ、きっと」


 アドミナは静かに両手を胸の前で合わせ、祈るように瞳を閉じた。


「……兄さまたちが、どうか無事に、健やかで帰還できますように」


「はは、神頼みかい、アドミナ?」


「今の私たちには、そうして無事を祈ることしか出来ませんから」


「確かに、その通りだな。彼らの無事を信じて、僕たちはこの街を死守しよう」


 彼らは一様に、古い文献に記述された恐ろしい灼熱の焦熱地獄を想像し、消えぬ不安を募らせていた。


 ──実際には、ルーカスたちが現地の学園で、緑あふれる豊かなユートピアのような環境の中、亜人たちに囲まれて極上の歓迎を満喫しているなどとは、この時の彼らには知る由もなかったのである。

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