第一話 孤独
あの内戦以降、俺は、学院や自身が治めるアクオ領の領民から、避けられているとまではいかないが、何か余所余所しい雰囲気を感じるようになっていた。
初めは気のせいだと思っていた。
いや、正確には気のせいだと思いたかったのだ。
だが、ある日のこと。
アクオ領の公園を一人で散策していた時のことである。
遠くで遊んでいた子供たちが蹴り損ねた球が、俺の足元へと転がってきた。
俺はそれを拾い上げ、笑顔で子供たちに返そうとした。
だが、子供たちは俺の姿を見るなり、蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げ去ってしまった。
今までは、そんなことは絶対に無かった。
皆、笑顔で球を受け取り、再び元気に遊び始めていたのだ。
それが、今はどうだ。
子供の反応は正直だ。
俺はこの出来事をきっかけに、周囲の反応に対して否応なしに敏感になっていった。
◆
「……ねえ、さっき公園で首相に会った」
「まあ、無事だったの?」
「うん、皆で気付いてすぐに逃げたから」
「でも、あまりにあからさまに逃げ出すと、機嫌を損ねて何をされるか分かったものじゃないわね」
「じゃあ、これからどう接すればいいの?」
「今まで通り、普通に接すれば大丈夫なはずよ」
「でも、やっぱりおっかないよ。あの内戦の中継を見たでしょう? 反乱軍みたいに一瞬で黒焦げにされるかと思った」
「首相は身内にはとても甘いけれど、敵には一切容赦しないからね……」
「その『身内』って、一体どこまでを指すの」
「私ら領民も身内だと言ってくださっていたから、きっと大丈夫よ」
「そうなの?」
「ええ。でも、無理をして近づかなくても良いわ。しばらくはあまり外出しないで、自室で勉強でもしていなさい」
「えーっ」
「そんな我が儘を言うと、首相に怒られますよ」
「……分かったよ。勉強する」
そうして子供が自室へと去った後、母親はぽつりと嘆息した。
「全く、どう接すれば良いのか、私の方が聞きたいくらいだわ……」
◆
翌日、俺はルビィと一緒に学院へ登校した。
いつものように挨拶を交わそうとするが、一般級の生徒たちは俺の顔を見るなり、 「ひっ……!」 と小さな悲鳴を上げ、足早に走り去っていく。
その拒絶の空気は、Sクラス棟に入っても同じだった。
同級生のシー、パスカル、バイナリや、年少組のアドミナ、マイクロン、コルセーア、ソーニ、レーノは、以前と変わらず親しげに接してくれる。
一つ下の学年にいるセマフォ殿下とパケ・ロット君も、変わらぬ態度で接してくれた。
だが、それ以外の特級メンバーからは、明らかに距離を置かれているような、余所余所しい気配を感じずにはいられなかった。
ルビィは俺の様子を察して、そっと声をかけてくれる。
「気にしちゃダメよ、ルーカス。そのうち、みんなこの環境に慣れるわ」
彼女はそう慰めてくれたが、現実は無情だった。
時間の経過とともに、周囲の余所余所しさはより一層強まっていくばかりだった。
◆
そんなある日、フォーク校長から直々に呼び出しを受けた。
「──講師陣が揃ってね、特例としてルーカス・アルマギナ侯爵をこのまま卒業させてはどうか、と提案してきているのだよ」
「……理由をお聞きしても?」
「君にはもう、この学院で教えるべき知識が何もない。特級の教室で独学を続けているくらいなら、最高責任者としてアクオの政務を優先的に全うしてくれて構わない、とのことだ」
フォーク校長は困ったように肩をすくめながら、そう告げた。
「いえ、俺には未だ、皆に超古代魔法を教えるという役目があります」
「人に教えることが、自身の知識の深まりに繋がると言いたいのかね?」
「ええ、その通りです。教え方を学ぶ良い機会ですし、何より特級全体の底上げに繋がります」
「だがね、最近の君は、同級生の一部の者や年少組、そしてセマフォ殿下とパケ・ロット君にしか教えていないだろう? 周囲からは、知識を身内だけで独占していると捉えられかねんのだよ」
「それは……他の者に近づこうとすると、皆一様に用事があると言って、逃げるように去ってしまいますから」
「相当、恐れられているね。まあ、それについては仕方のない側面もあるが……」
俺がフゥと重いため息をつくと、フォーク校長は表情を改めた。
「話は変わるが、上級クラスにはいないものの、中位以下のクラスには、あの内戦で敵味方に分かれて戦った家籍の者たちが大勢いてね」
「っ……」
「学内に内部派閥が出来てしまっているのだよ。勝った側と、負けた側とでね。これは、教育の場としてあまり良い影響を及ぼさない」
「……」
「そこで提案なのだが、しばらくの間、休学という形で政務の責務を全うしてはもらえないだろうか」
「復学の目処は……」
「最終学年になり次第、すぐに復学してもらう。もっとも、期間としては三ヶ月程度になるだろうがね」
「……分かりました」
「すまないね。その間に、私の方でも学内の空気を何とか落ち着かせてみよう」
校長室を後にしながら、俺は学院における自分の居場所が完全に無くなってしまったような、強い喪失感を抱いていた。
◆
アクオの議事堂に赴いた俺は、あまりの静まり返り方に呆然としていた。
広大な空間には厳かというよりも、どこか伽藍とした虚しい雰囲気が漂っている。
かつては活発に意見を出し合い、時には激しくぶつかり合っていた議員たちから、一切の声が発せられなくなっていたのだ。
「何かあったのですか? 議題も議論も、何も無いようですが」
俺の問いかけに、一人の議員が恭しく頭を下げた。
「いえ。我々はただ、首相の決定に従うまででございます」
「そうは言っても、私はあくまで行政を執行する立場に過ぎません。議会の決定に沿って動く側ですから、独断で勝手に行動するわけにはいかないのです」
「どのような決定であっても、ですか?」
「ええ。それこそが『三権分立』であり、独裁者を生み出さないための仕組みですからね。法律を作る『立法』、それを執行する『行政』、そして法を守らせる『司法』。この三つが独立しているからこそ、健全な民主主義が守られるのです」
「……では、もし議会が君に対する『不信任決議(弾劾)』を下したとしても、それを受け入れると?」
その言葉に内心ドキリとしたが、俺は努めて冷静に返した。
「もちろんです。議会で正当に決議されたのであれば、私はいつでも首相の座を降りますよ。それが健全な民主主義というものですから」
「……」
議員たちは一様に無言のまま、俺を見つめてくる。
その沈黙の圧迫感は凄まじかった。
「因みに、もし私の不信任を考えているのであれば、今すぐ議員投票を行い、上院を通過させればいいだけです」
すると、一人の議員が恐る恐る口を開いた。
「……本気で、おっしゃっているのですか?」
「本気だとも。正式な手続きでなくとも、今この場で挙手をして決めても構わない。私が首相の座を降りた方が良いと思う者が過半数を超えるなら、私は喜んで身を引きますよ」
「一体、何をお考えなのですか……?」
「このオーエス国をいくつかの州に分割し、各州に州政府を設置して、アクオと同じ民主主義を浸透させる。その上で、各州の代表からなる連邦政府を樹立し、国政を担う議員を選出する。最終的に、連邦政府を束ねる首相が内閣を組織し、国王の承認を得て国を運営していく……それだけです」
「貴族だけでなく、平民をも巻き込むと?」
「ええ。貴族と平民の垣根だけでなく、男女の垣根をも取り払い、すべての領民が平等に選挙権を持ち、議員へ立候補できる世の中にしたいと考えています」
「それは……いささか行き過ぎではないでしょうか! 貴族と平民の格差ならまだしも、男女の権利まで平等にするなど、教会側を完全に敵に回しかねませんぞ!」
「それに関しては、現教皇であらせられるアッセンブリ様の理解を既に得ています」
この一言で、静まり返っていた議場が一気にざわつき始めた。
俺はその喧騒が収まるまで、黙ってじっと見守った。
「……それは、いつ実現するおつもりですか?」
「セマフォ王太子殿下が次期国王として即位される際、私は国の宰相に就任することになっています。そのタイミングで私はこのアクオの首相を辞任し、州政府および連邦政府の樹立へと本格的に動く予定です。もちろん、セマフォ王太子殿下から直々にお墨付きも頂いています」
「なんと……!」
「因みに、先ほど男女の垣根を無くす件で反発がありましたが……男性を貴族、女性を平民に置き換えて考えてみてください。そうすれば、虐げられる側の気持ちも理解できるはずです。結局のところ、これまでの既得権益を手放したくないだけなのではありませんか?」
一人の議員が、悔しそうに声を荒らげた。
「そんなことはありません! そうであろう、皆の衆!」
だが、彼の言葉に同調する議員は誰一人として現れなかった。
全員が気まずそうに目を逸らしている。
「くっ……」
勇気を持って発言したその議員は、無念そうにそのまま席へと着いた。
「私の方も、いささか行き過ぎた発言があったようで申し訳ない。ただ、私としては皆さんに私の後継者となって、州政府の樹立に参画してほしいと心から願っています。これについて、皆さんの率直な意見を聞かせてください」
重苦しい沈黙の後、議長が立ち上がって頭を下げた。
「……もちろん、否応などございません。喜んで新たな国造りに携わらせていただきたく存じます」
その言葉を契機に、全議員が一斉に拍手を送り、賛同の意を示した。
「それでは……私が首相を退任することに関しては、いかがですか?」
途端に、再び議場はシーンと静まり返ってしまった。
「……どうやら、私がこの場にいると自由な議論が進まないようですね。私は退席しますので、私の不信任も含めて、どうか腹を割って話し合ってください」
「首相はどちらへ?」
「侯爵邸にいます。何か決まりましたら、魔導通信で呼んでください」
「分かりました」
侯爵邸に戻った俺は、すぐに浴場へと向かい、湯上がりに冷たいコーヒー牛乳を一気に飲み干した。
喉を鳴らして飲み終えると、高ぶっていた心が少しずつ落ち着きを取り戻していくのが分かった。
そんな俺の傍らへ、ルルがパタパタと羽を羽ばたかせて飛んでくる。
「難しい顔をしているおー。いっそのこと、みんなで魔界に移住しちゃうおー?」
「いや、流石にそれは……」
苦笑いする俺たちの前を、ちょうど通りかかったパイソンが足を止めた。
「主が行くというのであれば、我ら使用人一同、どこへでもお供いたしますぞ。魔界には亜人差別というものが存在しませんからな」
俺はふと、心に引っかかっていた疑問を口にした。
「……この人間界において、亜人差別というのはそれほどまでに根深いものなのか?」
「左様ですね。この邸の者たちで言えば、初めから我らを差別しなかったのは、アルゴル殿とピエト殿くらいのものでした。その後、主やルビィ殿にお会いして、初めて『差別をしない貴族』という存在を知ったのです。今となっては、特級の同級生の皆さんや、妹君とそのご友人方も差別はなさいませんが……」
「アクオの自衛軍はどうだったんだ?」
「中には、獣人に武芸を教わることを頑なに拒む者もおりましたよ。まあ、力ずくで黙らせて分からせましたがね」
「……そうか。案外、根深いものなんだね」
「主の前世の世界では、どうだったのです?」
「俺のいた世界には亜人そのものがいなかったけれど……代わりに肌の色や、信じる宗教の違いで、激しく対立していたよ」
「ほう。何処の世界であれ、人は常に何かを差別したがる生き物なのですな」
「本当に、業の深い人種だと思うよ」
「その通りですな。……主よ、少し働きすぎです。しばらくはゆっくりと休んで、心の健康を取り戻してはいかがですか?」
「俺の心が……不健康に見えるか」
「ええ。いつも前向きな言葉で我らを引っ張ってくださる主が、そのように後ろ向きな弱音を吐くのは、あまり健全とは言えません」
パイソンの静かで温かい言葉に、俺は小さく微笑んだ。
「……分かったよ。少し一眠りしてくる。ありがとう、パイソン、ルル」
「ええ、おやすみなさいませ」「良いんだおー!」
二人の見送る声に背を向け、俺は寝室へと向かい、深い眠りについた。
だが、その微睡みの中にあっても、俺を取り巻く世界の環境は、確実に、そして急速に変貌を遂げようとしていた。
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