第十話 裁きの時
かつてスレッドと呼ばれていた、黒い消し炭の跡。
それを見つめながら、俺は急激に血の気が引いていくのを感じていた。
(ま、まずい……! アクオ自衛軍に決着を付けさせて彼らの自立を促すはずが、これじゃあ、結局俺が一人で全部片付けちゃったじゃないか。うーん、どうしよう……!)
冷や汗を流しながら、俺は未だに静まり返っている自衛軍と、平伏したままの反乱貴族や教会の破戒僧の双方へ向かって、恐る恐る声をかけた。
「……あの、今の無しで。もう一回、仕切り直しから始めない?」
しかし、反乱貴族や破戒僧たちは恐怖にガタガタと震え、平伏したまま微動だにしない。
ディードロック侯爵とバッファロフ侯爵にいたっては、あまりの恐怖に汚物を垂れ流しながら必死に許しを乞うている。
レガシウス卿にいたっては、完全に正気を失った目で、
「……本物だ。……本物の聖人と、聖女様が現れたのだ……」
と、虚ろなうわごとを繰り返すばかりだった。
俺がそーっと自衛軍の方へ視線を巡らせると、悲しいかな、誰一人として目を合わせてくれない。
頼みの綱の最高司令官さえも、サッと気まずそうに目を逸らした。
そこへ、セマフォ殿下に連れられて、パスカルをはじめとする最強世代の同級生たち、アルゴルたち侯爵邸の使用人、そして三賢者が姿を現した。
セマフォ殿下は開口一番、呆れたような、それでいてどこか冷ややかな視線を俺に向けてきた。
「……ずいぶんとやり過ぎてくれたね、ルーカス侯爵」
「いえ! 身内に明確な危険というか、容赦のない危害が加えられた時は、例外的に全力の使用を許可するっていう約束でしたよね!? 私はちゃんと約束を守りましたよ!」
「竜言語魔導で引導を渡すくらいならまだしも、地獄の業火で跡形もなく焼き尽くすのは、流石に少々やり過ぎだと思うがね」
殿下の言葉に、アルゴルがふむと顎を撫でた。
「いや、良いのではないでしょうか。主よ、その『身内』とやらには、当然我らも含まれているのですね?」
「ああ、もちろん大前提だ」
シー様が不思議そうに小首を傾げながら後に続く。
「じゃあ、私達同級生は?」
「当然、含まれているとも」
三賢者を代表して、メルキオールさんが一歩前に出た。
「ならば、アクオの住民たちは?」
「もちろんです。全員、俺の大切な身内に入ります」
すると、いつの間にかこの場に到着していたアッセンブリ新教皇が、白旗を掲げて縮こまっている反乱貴族や破戒僧たちを杖で指し示した。
「では、地べたに這いつくばっている彼らは?」
「……ただの敵ですね」
俺の即答に、戦場一帯に「ヒィィィッ!」という悲鳴が轟いた。
反乱貴族の中には、恐怖のあまり泡を吹いて失神する者が続出する。
生き残った破戒僧どもは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら命乞いを始めた。
「聖人様、聖女様! どうか、どうか我らに神のご慈悲を……!」
「いやぁ、流石にそれは無理でしょう。……あ、俺、ちょっと急用を思い出したので、一足先に侯爵邸へ戻りますね!」
逃げ出そうとする俺の服の裾を、ルビィがジト目で引っ張る。
「急用って、お風呂に入って冷たいコーヒー牛乳を飲むことじゃないの?」
「いや、そんなことはない。とにかく、戦後処理はすべてお任せします、アッセンブリ教皇様!」
「おいおい、そんな大惨事を丸投げされてもねぇ。流石の私でもどうしようもないよ、この状況じゃあ」
アッセンブリが困り果てたように肩をすくめる。
俺は小首を傾げた。
「どうしようもないって……戦後の国内外の問題とかですか?」
「いや、君がやらかしたあの凄惨な中継だよ。どうやら中継魔導の術式に手違いがあったみたいでね。オーエス国内だけじゃなく、世界中に同時配信されていたよ。……そう、今この瞬間もね」
「ふぇっ!?」
「他国はまだしも、これを見た『魔王軍』がどう出るか分からないよ?」
「なぜ、ですか……?」
「いや、だって君が放ったあの地獄の黒炎、本家本元である地獄の魔王軍のお株を完全に奪ってしまっているじゃないか」
「奪ってしまっているって言われましても……!」
焦った俺は、もう一度全員を見渡した。
「やっぱり今のノーカン! ノーカンで! この戦い、もう一回最初からやり直そう!」
その時だった。
にわかに天の光が歪み、上空に巨大な魔導スクリーンが展開された。
そこに映し出されたのは、燃えるような紅い瞳を持った超絶美少女だった──頭に禍々しい二本の角が生えていることさえ除けば、だが。
『──やっと見つけたぞ、我が魔王軍最強の四天王、アノマリア・ヴァル・クリテリオンよ』
「……誰?」
俺が周囲を見渡すと、俺の手のひらの上で完全に回復したルルが前に進み出て、スクリーンに向かって恭しく首を垂れた。
「ご無沙汰しておりましたー、魔王様」
「ま、魔王……!? あの少女が……っ!?」
『うむ。我こそが魔王エルドゥ・ラディヴィジョンである』
「ルル、ちょっと待ってくれ。アノマリアって……?」
「うん。私の本名だおー。さっき蘇生される衝撃でショックを受けるまで、ずっと記憶喪失だったんだおー」
「ってことは、ルル……君は魔王軍の四天王だったのか!?」
「そうだおー」
すると、スクリーンの奥から別の声が響いた。
『本当に心配かけやがって、この唐変木が』
「おー、セグムント! 元気だったかおー?」
『さっきまで死にかけていたお前に言われたくないわ!』
「ルル、今の彼は……?」
「セグムント・フォン・クラハト。四天王の一人で、魔界の侯爵位を持つ武闘派だねー」
『アノマリア、本当に心配したんだからね!』
続いて、妖艶な女性の影が映し出される。
「彼女は、インフィニティア・ルペリア。四天王の一人の魔女で、ひどい酒乱だおー」
『誰が酒乱ですか、誰が!』
『お前に決まっているだろうが、インフィニティア』
さらに冷徹そうな男の影が口を挟む。
「彼は、ステルク・マルワール。四天王の一人で……魔界の『ヴィルト侯爵家』って言えば、パスカルのところならピンとくるおー?」
「な、何だと……!?」
背後でパスカルが驚愕の声を漏らす。
ルルはどこか誇らしげに胸を張った。
「そして、この私が四天王最強と謳われたアノマリア・ヴァル・クリテリオン。別名は『特異点の妖精』だおー」
「さっき思い出した、というのは本当なのか?」
「そう。九年前、人間界に偵察に来たとき、勢い余って岩に思いっきり頭をぶつけちゃって……それからずっと記憶喪失だったんだおー」
スクリーンの奥から、魔王エルドゥが深くため息をついた。
『全く、ドジなところは昔から変わりおらぬな。……そして、そこにいるルーカス・アルマギナ侯爵とやら』
「……はい、ルーカスですが」
『先ほどの地獄の黒炎、実に見事であった。どうじゃ、アノマリアと共に、我が魔界の四天王の座に就く気はないか?』
「いえ、そんなつもりは毛頭ありませんが……」
『ふっ、気にするな。我は純粋に嬉しかったのだ。四天王とはいえ、たかが亜人の一人のために、あれほど本気で激昂してくれた汝らの姿がな』
「汝ら、というと……」
『汝と、そこの聖女──いや、皆の間では『苛烈なる戦姫』として知られるルビィのことじゃ』
ルビィは一歩前に出ると、凛とした声で魔王を見据えた。
「それは当然のことです、魔王よ。アノマリア……いいえ、ルルは、私たちにとって何物にも代えがたい大切な身内ですから」
『くくく、今はそう言える。だが、人間という生き物は異質な者を激しく排斥したがる性質を持つ。人間はいずれ、その規格外の力を持つ汝らを恐れ、排除しようとするだろう。今ここにある、醜い亜人差別が良い例じゃ。故に、そうなる前に魔界へ来いと誘っておるのじゃよ』
「それは……」
『現に、歴史の表舞台から排斥され、消えていった高潔な亜人や、異世界からの転生者や転移者たちが、その後どこへ向かったか知っておるか?』
「……いえ、知りません」
『皆、我が魔王領へと集まり、今は何に怯えることもなく平和に暮らしておるわ』
「そんなこと、俄かには信じられませんね」
『いずれ嫌でも分かる時が来る。汝と汝の伴侶がどれほど崇高な聖人、聖女であろうとも、愚かな大衆はそれを受け入れぬ。……今日のところは引き下がるが、アノマリアよ。我が元へ戻るか?』
魔王の問いかけに、ルルは俺の肩へと飛び移ると、小さな身体でぎゅっと俺の首筋にしがみついた。
「ううん。私はこれからも、ずっとルーカスについて行きたいおー!」
『……そうか。相分かった。ならば、そのままルーカスたちの傍にいるが良い』
魔王エルドゥが満足そうに微笑むと、上空の巨大な魔導スクリーンは静かに掻き消えた。
「……はぁ。ひとまず、戦後処理から始めましょうか」
俺が重い口を開くと、自衛軍の最高司令官をはじめとする将校たちが、一斉に俺の元へと集まってきた。
「総司令……いえ、ルーカス様。我らは、これからも貴方という存在を信じて、共について行って大丈夫なのでしょうか?」
「さっきの会話を見ていただろう。魔王からの四天王への誘いは断った。反乱貴族や破戒僧たちも、完全に降伏している。俺がやるべきことは変わらない。このアクオのような、民が主役となる議会制の仕組みを広めることだ」
最高司令官は、その言葉に深く得心したように力強く頷いた。
「分かりました、総司令! これより、反乱貴族および教会の不届き者どもを、一人残らず拘束いたします!」
「ああ、後は任せる。……俺は少し、ルルと話があるんだ」
「四天王最強のアノマリア……いえ、ルル殿と、ですか?」
「ああ。記憶が戻ったことで、この国やみんなの脅威にならないかどうか、一応ね」
「左様ですか。確かにそれは、総司令と戦姫殿にしか出来ぬ大役ですね。何かあれば、すぐに侯爵邸へ使いを出します」
「頼むよ」
こうして、俺は多くの兵士たちに見送られながら、静かに戦場を後にした。
だが、魔王が最後に残していった「人間は異質な者を排斥する」という不穏な言葉が、まるで鋭い棘のように胸の奥深くへと刺さっていた。
大勝利を収めたはずの俺の心には、ただ、どこか冷ややかな虚しさだけが、静かに残り続けていた。
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