第九話 終戦
反乱貴族と教会の破戒僧たちで構成された連合軍の上層部は、完全に包囲された後ですら焦る様子を見せなかった。
それどころか、未だに自分たちが優位に立っているとさえ思い込んでいたのである。
「所詮、アクオの自衛軍など平民を少し鍛えただけの烏合の衆に過ぎん」
彼らはそう高を括っていた。聖級や帝級といった高位の魔導は高貴な血筋が独占するものという、時代錯誤な特権意識に縛られた世代だったからだ。
だが、実際に矢面に立たされている前線の兵士たちは、言葉にできない恐怖に震えていた。
アクオ自衛軍の兵士たちは、あろうことか帝級魔導を「無詠唱」で次々と放ってくるのだ。
対する自分たちは、長々とした呪文を詠唱しなければ帝級魔導を発動することすら叶わない。
なぜ、平民上がりの集団がこれほどの魔導を扱えるのか。
答えは単純だった。
素質のある者を見出しては、ルーカスが直々に、通常の十六倍の威力を誇る魔導の極意を伝授していたからだ。
彼らに足りなかったのは、魔力量と実戦経験だけであり、それはアクオの豊かな環境とこれまでの訓練で完全に補われていた。
開戦当初こそ戸惑っていた自衛軍の兵士たちだったが、実戦の中で急速に練度を上げ、今や反乱貴族や破戒僧たちは、ただの動く標的へと成り下がっていた。
「ルーカス最高司令官。現在、我が軍に損害はありません。三交代制による魔導攻撃が完全に功を奏しております」
「了解した。引き続き三交代を徹底し、兵の疲弊を防ぐよう指示を」
「はっ!」
俺は魔導師部隊に、かつて異世界にあった戦術を参考にした『三層魔導循環戦術』を採用していた。
絶え間なく魔導を放つ第一陣。
その後ろで魔力を蓄えて控える第二陣。
そして最後方で魔力回復薬を摂取して急速回復に努める第三陣。
この三層による果てなき連射の嵐の前に、反乱軍は防戦一方へと追い込まれていく。
◆
「慌てるな! 奴らの魔力もじきに底を突く!」
敵の上層部はそう叫び続けていたが、アクオが備蓄していた魔力回復薬は実に一年分。
途切れることのない帝級魔導の猛威に、反乱軍の防陣はついに限界を迎えた。
「反撃だ! 反撃しろ!」
「無茶を言うな! 防御壁を維持するだけで精一杯だ! これ以上どう防げと言うのだ!」
「黙れ、お前が盾になればいい!」
恐怖に駆られ、同僚の貴族を前に突き飛ばす者まで現れる始末だった。
無防備になった哀れな貴族は、容赦なく放たれる魔導の格好の的となった。
当然、突き飛ばした側の貴族も大きな隙を晒し、次々と撃破されていく。
負傷した貴族を治療しようと前に出た破戒僧たちも、狙い済ました一撃の前に沈んだ。
凄惨な負の連鎖が、反乱軍を容赦なく蝕んでいった。
◆
その頃、本陣の天幕では、トップたちが苛立ちを爆発させていた。
「ば、馬鹿な……! 敵の魔導師どもの再発動速度はどうなっている!? なぜ攻撃が途切れないのだ!」
ディードロック・フォン・シュトール侯爵が、口角から泡を飛ばして怒鳴り散らす。
「あり得ん! 魔導とは高貴な者が一撃必殺で放つもの! あのような農民上がりの兵どもが、連射などできるはずが──おのれ、このままでは防陣がもたん! 全員、限界突破の魔力をもって防げ!」
バッファロフ・フォン・フラーン侯爵が悲鳴のような声を上げる。
「あれは我が教会の秘奥である神聖術……!? なぜあのような不信仰な者どもが、神の光を使えるのだぁ!」
レガシウス卿が狂乱気味に叫ぶ中、天幕の垂れ幕を乱暴に跳ね上げて、酒臭い男が顔を出した。
両脇に無理やり従わせた女を侍らせた、スレッド元王太子だった。
「おい! 外はどうなっている! なぜ平民ごときに好き勝手にやられているのだ!」
ディードロック侯爵は、忌々しげにスレッドを睨みつける。
「今はお前のような者に構っている暇はない! おい、誰か! この賤民をつまみ出せ!」
だが、その命令に立ち上がる者は誰もいなかった。
動ける護衛兵は、すべて前線へ駆り出されていたからだ。
「チッ! 貴様はそこで大人しく酒でも煽っていろ! 我らの邪魔をするな!」
「何だと!? 私は高貴なる血を引く──」
「貴様の父は王位を追われた白痴の愚王、母は元王宮メイドの男爵家ではないか! 今の貴様など、そこらの虫ケラと同じ価値しかないわ!」
「なっ……!」
「分かったなら大人しくしているか、でなければ敵陣にでも突撃して盾にでもなれ!」
「……良いだろう。ならばこの私が、あの騎士爵上がりの成り上がりに一泡吹かせてやる」
激しい侮辱に目を血走らせたスレッドは、そのまま天幕を飛び出していった。
「ふん、魔導も使えん出来損ないが、何ができるというのだ」
吐き捨てるディードロック侯爵に、バッファロフ侯爵が眉をひそめる。
「そう言うな、ディードロック。万が一ということもある。あれでも、敵の攻撃を引きつける肉の盾程度にはなるだろう」
「そういえば……奴の魔力回路は、我らの神聖術で形だけは治癒できておるのです。本人が術式を失念しているだけのはず」
レガシウス卿の言葉に、ディードロック侯爵は醜い笑みを浮かべた。
「ほう、それは見ものかもしれん。あれでも元はAクラス判定の男だ。何かのはずみで、あの小僧に手傷を負わせるくらいはできるかもしれんな」
その時、バッファロフ侯爵がふと外の異変に気づいた。
「……待て。外の砲撃音が止んでいないか?」
「もしや、神の奇跡が我らに舞い降りたのか!」
三人は色めき立ち、期待に胸を膨らませて天幕の外へと飛び出した──そして、そこに広がる絶望的な光景を目にすることになる。
◆
時間を少し遡る。
スレッドが千鳥足で戦場へと姿を現した、その瞬間のこと。
「──全軍、打ち方止め」
俺の静かな命令に、前線の指揮官が驚いた声を上げた。
「はっ!? しかし総司令官、何故でありますか?」
「スレッド元王太子が現れた。俺が直々に引導を渡す。……オーエス国全土へ、この様子を魔導中継しろ」
「承知いたしました! 全軍、打ち方止め!」
地を震わせる魔導の嵐がピタリと止み、不気味な静寂が戦場を包み込む。
俺は九年ぶりに、スレッドと正面から対峙した。
「そんな酒臭い体で、まともに戦えると思っているのか。九年も経って、まだ身の程を知らないようだな」
「それはこちらのセリフだ、成り上がり者のルーカスよ! この私が直々に引導を渡してやる!」
フラフラと剣を振り回すスレッドには、何の説得力もなかった。
「黙れ! おのれ、いつの間に分身の術など身につけた! ルーカスが三人……いや、四人に増えおったわ!」
泥酔しているせいで、俺が何重にもブレて見えているらしい。
救いようのない男だった。
「おのれ! 小癪な真似を! 四人まとめて切り刻んでくれる!」
スレッドは猛然と剣を振り下ろしたが、その刃は全く見当違いの虚空を切り裂くだけだった。
「卑怯だぞ、ルーカス! 正々堂々と戦え!」
「さっきから何を言っている。俺は一歩も動いていないぞ」
「ならばこれならどうだ……! フレア、フレア、フレアァ! なぜだ、なぜ魔法が発動しない! この役立たずのフレアめが!」
見ていられなかった。さっさと拘束して引きずっていくべきだと判断した、その時──。
「──『フレア』!!」
突如として、本物の王級魔導の火炎がスレッドの手から放たれ、俺の視界を真っ赤に染めた。
魔力回路の奇跡的な混線か、それとも極限の狂気がもたらした偶然か。
油断と完全な不意打ち、そして最悪の奇跡が重なった一撃だった。
「だめなのーっ!!」
鋭い悲鳴が響いた。
俺の兜の隙間に潜んでいた、小さな妖精のルルが飛び出してきたのだ。
彼女は瞬時に植物の防壁を展開したが、王級魔導の破壊力を完全に殺しきることはできなかった。
ルルは俺の盾となり、身代わりにその爆炎を全身に浴びて地面へと叩きつけられた。
「ルル……っ! ルル!!」
俺は動きを止め、焼け焦げた小さな体をそっと手のひらで抱き上げた。
「今すぐ癒す! だから持ちこたえてくれ、頼む……!」
「ハハハハハ! 貴様、その歳になって人形遊びか!? 傑作だな、実に見苦しい! ハハハハハ!」
狂ったような笑い声が響く中、天幕から出てきたディードロック侯爵たちが戦場を見渡した。
「状況を説明せよ!」
しかし、反乱軍の誰もその問いに答えることはできなかった。
なぜなら、俺の体から立ち上る、この世の終わりかと思うほどの凄まじい殺気と負の魔力に、その場の全員が気圧されていたからだ。
俺は狂ったように魔力を練り上げ、超位回復神聖術を発動した。
「──『生命再誕』!!」
その神々しい光を目にしたレガシウス卿が、ガタガタと膝を震わせた。
「ば、馬鹿な……! あれは伝説の神聖術……真の聖人・聖女にしか扱えぬはずの奇跡の術式ぞ! まさか、本当に、本物の聖人だったというのか……!?」
「聖人だと!? 人形遊びにうつつを抜かすガキが、聖人なわけがあるか! 纏めて燃え尽きろ、『フレア』!」
ルルの治療に全神経を注ぐ俺に向けて、スレッドが再び凶行に及ぶ。
だが、その業火は、割り込んできた眩い光の壁によって完璧に弾き飛ばされた。
「ルーカス! 私がルルに『生命再誕』を継続する! あなたは──そいつに地獄を見せてあげて!」
凛とした声で現れたのはルビィだった。
「ルビィ……! 君は神聖力を持っていなかったはずじゃ……!」
「神様に聖女として認められた時に、魔力も神聖力も無限(∞)になったのよ! ついでに主神様の使いから、術式も一通り叩き込まれたわ!」
「……分かった。ルルを頼む」
「ええ、ルーカス! ルルの分まで、その男にお仕置きを!」
「ああ」
俺の脳内で、何かが完全に弾け飛んだ。
俺は無詠唱で『竜言語魔導』を発動し、スレッドを一瞬で激しい火だるまに変えた。
絶叫を上げる彼の肉体が炭化する直前、即座に回復魔導をかけて元に戻す。
そして、再び竜言語の炎で焼き尽くす──。
それを、何度も、何度も、果てしなく繰り返した。
戦場は、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。
それはかつて王立学院で行われた『神罰の決闘』の再来。
いや、生身の肉体に直に世界の理を捻じ曲げるような暴力を浴びせ続けている分、より苛烈で、より残酷な光景だった。
凄惨極まる光景に、敵味方の区別なく、あまりの恐怖から嗚咽を漏らし、吐き気を催す者が続出した。
「まだだ……。まだ終わらせない。俺の身内に手を出した代償が、この程度で済むと思うなよ……!」
怨嗟の炎に染まった俺の腕を、小さな、温かい手がそっと包み込んだ。
「あるじ──もう、いいおー」
ルルだった。
「ルル……! 傷は、もう大丈夫なのか?」
「うん。ルビィねーさんが、綺麗に治してくれたおー」
「……そうか。よかった」
ルルの無事を確認し、俺は引き絞っていた肩の力を僅かに抜いた。
そして、炭化と再生を繰り返して泥人形のようになり、地面を這いずり回っているスレッドを見下ろした。
「なら、この男はもう不要だな」
俺はスレッドへと向き直り、痛いほどの沈黙が支配する戦場で、長く、あまりにも厳かな呪文を紡ぎ始めた。
「──『地獄の黒炎よ来たれ。すべての敵を焼き尽くせ。深く、深く、その芯まで焼き尽くせ。絶えることなき永劫の黒炎をもって、目の前の不義を蹂躙せよ……』」
圧倒的な魔力の奔流が世界を満たしていく。
そして、その術式を解き放つための「真名」を口にした。
「──『地獄の審判の黒炎』!!」
解き放たれた絶対的な黒き業火が、スレッドの存在そのものを蹂躙した。
そこには燃えカスすら残らず、ただ辛うじて人間の形をしていたと思しき、黒い焦げ跡だけが地面に刻まれていた。
その圧倒的な、神罰とも言える光景を特等席で見せつけられた反乱貴族や教会の破戒僧たちは、完全に戦意を喪失した。
彼らは一斉に武器を放り投げると、ガタガタと震えながら、その場に平伏して投降するのだった。
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