第八話 組織崩壊
開戦から二週間が経過した。
この間、パスカル率いるヴィルト侯爵家の隠密部隊は、領外を広く縦横に駆け回り、反乱貴族たちに人質として囚われていた平民や下位貴族の家族を次々と救出していた。
人質が監禁されている拠点の見張りは、戦後に宗主からおこぼれの領地を貰おうと目論む男爵や子爵といった、利欲に目の眩んだ下級貴族ばかりだった。
そのため、隠密部隊の精鋭たちの敵ではなかった。
救出作戦も、いよいよ最後の標的となる村を残すのみとなっていた。
そこでは、かつてルーカスに断罪されたカイル子爵一派の残党どもが、粗暴な態度で見張りを固めていた。
パスカルは鋭い視線で状況を見極めると、物音ひとつ立てずに仲間に手信号で突撃の合図を送った。
今まさに泣き叫ぶ平民の女性を慰み者にしようとしていた下劣な残党どもへ、容赦ない奇襲が仕掛けられる。
カイル子爵の残党は、その下卑た笑みを恐怖に歪ませ、一人残らずヴィルト侯爵家の刃によって容赦なく屠られていった。
戦いが終わると、パスカルは至極冷静に状況を処理した。
村の安全を証明するために村長へ書状をしたためさせると、討ち取った残党どもの首を冷徹に撥ね、証拠として持ち帰るのだった。
一方、アクオ都市の正面では、未だに緊迫したにらみ合いが続いていた。
反乱軍が放った隕石魔法の豪雨は、アクオを覆う堅牢な魔法結界にすべて阻まれ、都市には塵一つの被害ももたらさなかった。
そればかりか、敵軍はバイナリが次々と召喚する巨大な神獣たちの威容や、アクオ自衛軍が放つ通常の十六倍の威力を秘めた帝級魔法の圧倒的な破壊力を前に、一歩も進めず立ち往生を余儀なくされていた。
さらに彼らを追い詰めたのは、致命的な兵站の枯渇だった。
無理やり従軍させられている民兵や騎士爵たちに配給される糧食は、上位貴族たちの食べ残した残飯や、味のしない薄いスープ、酷いものになるとカビの生えた腐敗肉ばかりだった。
そこへ追い打ちをかけるように、アクオの防壁からは、風に乗って食欲をそそる芳醇な肉やスープの匂いが漂ってくる。
さらに、見張りに立つ自衛軍の兵士たちが、信じられないほど充実した温かい戦闘糧食を美味そうに口にしている光景が嫌でも目に入った。
敵の平民兵や騎士爵たちの士気は、これ以上ないというところまで地に落ちていた。
そんな絶望的な状況の中、パスカル率いるヴィルト侯爵家の部隊が最前線へと姿を現した。
彼らは、人質を監視していた男爵や子爵らの首級を地面に投げ捨てると同時に、大量の書状を敵の陣営へとばら撒いた。
文字の読める騎士爵たちが驚きに目を見開きながらその書状を読み上げ、自分たちの家族が完全に救出されたという報を知らせると、前線は一気に沸き立った。
もはや彼らが戦う理由はどこにもない。
平民兵や騎士爵たちは、堰を切ったように次々と白旗を掲げ、アクオへと投降していった。
その結果、反乱軍に残されたのは、もともと気性の荒い無法者や、没落寸前で反乱貴族にここぞとばかりに取り入ろうとする一部の不届きな騎士爵だけになってしまった。
全軍のおよそ七割が一瞬にして失われたのだ。
通常の戦であれば即座に敗走するレベルの壊滅的状況だったが、敵の本陣は退く気配を見せない。
執念深い意地なのか、それともまだ何か奥の手を隠しているのか、アクオ側から見れば甚だ不可解な沈黙が続いていた。
投降した民兵たちに訊問しても、上位陣の意図に関しては何も知らされていないという。
投降した平民兵や騎士爵たちについては、出発の準備が整い次第、順次故郷へと帰された。
彼らの安全を確保するため、武装はそのままに、ヴィルト侯爵家の手引きによって速やかに隠密裏に実施された。
もちろん、なかには
「このまま残って、自分たちを脅迫した不届きな貴族どもに一泡吹かせてやりたい」
と志願する者もいたため、それらは『自衛軍別動隊』として新たに組織され、反攻作戦の機会を虎視眈々と狙うこととなった。
◆
その頃、反乱軍の本陣内は、もはやアクオに侵攻するどころの騒ぎではなかった。
日雇いで雇われていた傭兵たちは、すでに資金が底を突きかけている反乱貴族たちの懐事情を完全に見限り、戦わずに陣を引き払う者が相次いでいた。
また、残された反乱貴族たち自身が戦おうにも、彼らの実力は王立アルテア貴族学院の基準で言えば、下位の【F〜Iクラス】に相当する者ばかりだった。
親の代から高位貴族という地位に胡坐をかいてきた、名ばかりの無能な世代だ。
その子女たちもまた、現在の学院において最底辺のクラスに籍を置く者ばかり。
だからこそ彼らは、特別クラス【Sクラス】の化け物じみた規格外の実力を、身に染みてよく知っていた。
特に、かつての『神罰の決闘』を特等席で目撃した世代は、ルーカスという存在の恐怖が骨の髄まで刻み込まれている。
この不甲斐ない現状に、猛烈な不満をぶちまけていたのがスレッド元王太子だった。
「おのれ……私の魔力回路は未だにズタズタのままだ! 教会が誇る最高峰の神聖術を以てしても、一向に治癒せん! 忌々しい……! 本来ならば私がSクラス以上の実力者として君臨するはずだったのだ! このままでは、あのルーカス・アルマギナや王立アルテア貴族学院に、何の雪辱も果たせぬではないか!」
彼は、決闘前に自らが【Aクラス】判定されていたという過去の屈辱を、九年経った今も未練がましく引きずっていた。
そんな彼の八つ当たりに対し、祭り上げた反乱貴族たちは、いつも決まってお追従を並べ立てた。
「スレッド殿下、御自ら出陣なさるまでもございません。配下の者がすべてを片付けますゆえ、どうぞ大船に乗った気持ちでお待ちください」
彼らは現実から目を背け、未だに都合の良い夢物語を語り合っていた。
◆
アクオの議長室。
机の上に広げられた戦況地図を見つめながら、俺は静かに思考を巡らせていた。
正直に言えば、俺の手札を使えば、いつでもこの反乱軍を完全に圧殺し、内戦を終わらせることができた。
本気の『超古代隕石落下魔法』を一発撃ち込めば、それだけで勝負は決する。
だが、それでは長期的な未来において、決して良い結果を生まないと確信していた。
「ルーカス、どうしたの? 珍しく深く考え込んじゃって」
傍らに立つルビィが、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「いや、いつも色々と考えて行動しているつもりだよ、ルビィ」
「そうだけど、いつになく深刻な顔をしているからよ」
「ああ、それは私も感じていたところだ」
扉の近くにいたセマフォ殿下までが、真剣な面持ちで頷く。
「ルーカスよ、私も同じ疑問を抱いていた。何故、これほど圧倒的な実力がありながら、悪戯に戦を長引かせるような真似をするのだ?」
「……主よ、俺もそこが気になっていた。超古代魔法の禁呪を一発ぶち込めば、すべてにケリが付くはずだろう」
執事であり軍師でもあるアルゴルまでが問いかけてくる。
俺は彼らを見渡し、静かに自らの意図を語った。
「確かに、俺一人で魔法を放てば一瞬で終わる。だけどね、長期的な視点で見ると、それではこの国のためにならないんだ。──もし、俺がすべてを一人で片付けて、その後、俺がこの世からいなくなったらどうなると思う?」
「その時は……」
アルゴルがハッとしたように目を見開いた。
「そうか……! ルーカス一人の力だけで勝ってしまえば、お前という絶対的な抑止力が消えた瞬間、また都合のいいハイエナどもがこの豊かなアクオに群がってくる。お前という一個人に依存した平和など、砂上の楼閣に過ぎんということか」
「その通りだ。この街を守る『アクオ自衛軍』という組織が、自らの手で勝利をもぎ取らなければ、彼らの自立心は育たない。誰かにおんぶにだっこのままでは、新しい時代は築けないんだよ」
その言葉に、背後で控えていた三賢者──メルキオール、バルタザール、カスパールの三人が、深く感心したように何度も頷いた。
「そこまで先のことを見据えていらっしゃったとは……。どこまで思慮深く、大局を見通されるお方だ、貴方は」
「メルキオールさん、バルタザールさん、カスパールさん。今こそ、かつて三賢者と謳われた貴方方の知恵をお借りしたい」
「我らの意見など、もはや不要なほど完璧な王道ですが……。ところで、アッセンブリ元枢機卿の進捗はいかがです? あちらの工作には、すでにケリが付いたのでしょう?」
「ええ。現在、アッセンブリ元枢機卿──いえ、正当なる『アッセンブリ新教皇』は、本陣にいる破戒僧たちの罪状を全大陸に向けて糾弾し、教会の正規ルートから公式に破門を言い渡しました。あの生臭坊主どもには、もう帰る場所などどこにもありません」
「ならば首相、もはや迷う必要はありますまい。先頭に立って皆を鼓舞しなされ。『我に続け』と。民を導く指導者に必要なのは、今やそれだけで十分ですぞ」
「メルキオールさん……」
「我らも同意見です、首相」
「その通り。今こそ、貴方の圧倒的な指導力を我ら自衛軍の兵士たちに示していただきたい」
バルタザールとカスパールも力強く言葉を紡ぐ。
「主よ、俺たちも三賢者様に賛同する。いつでも行けるぞ」
「アルゴル……」
「もちろん、俺たちも準備万端だ、ルーカス! なあ、みんな!」
いつの間にか部屋に入ってきていたパスカルが、不敵な笑みを浮かべて仲間たちを振り返る。
「「「「応!!」」」」
議長室に、最強世代たちの力強い雄叫びが響き渡った。
俺の頭の上にちょこんと乗っていた妖精のルルが、小さな羽をパタパタと震わせながら、舌足らずな声でエールを送る。
「あるじ、がんばえー!」
みんなの熱い視線を受け、俺の胸の奥に確固たる炎が灯った。
「……分かった。これよりアクオ自衛軍、全面反攻に出る。全軍、出動準備!」
「承知いたしました!」
自衛軍の最高司令官が、待ってましたと言わんばかりの歓喜の表情を浮かべ、即座に兵たちの元へと走り去っていった。
「今日、この戦いのすべてにケリをつける!」
「それでこそ、私の選んだルーカスよ!」
ルビィが嬉しそうに微笑むと、俺の背中をバシッと力強く叩いた。
「パスカル、別動隊の様子は?」
「完璧だ、ルーカス……いや、我が軍の総司令官。いつでも裏をかける」
「よし──城門を開けろ! 出陣だ!」
「「「「おおおおおっ!!」」」」
新時代の幕開けを告げる、最後の決戦の火蓋が切って落とされた。
◆
「見ろ! アクオの巨大な城門が開いていくぞ!」
「奴ら、防壁に引き籠るのをやめて、打って出るつもりか!?」
「身の程知らずめ、好都合だ! こちらも全軍で総攻撃を仕掛けろ!」
前線の崩壊を知らない後方の無能な貴族たちが、戦果を焦って歓喜の声を上げる一方で、アクオの実力を知る子女や一部の貴族たちは、その光景を目にした瞬間に顔面を蒼白に染めていた。
「ま、まずい……あのルーカス・アルマギナが先頭に立っているぞ! その隣には『苛烈なる戦姫』と『不死の聖騎士』まで控えている!」
「パスカル・ヴィルトの姿もある! ということは、ヴィルト侯爵家の精鋭隠密部隊もすでに牙を剥いているということか!?」
「み、見ろ! バイナリが、あの伝説の多頭竜王ティアマットを従えて、こちらに向かって進軍してくるぞ!」
「それだけじゃない! よく見ろ……ルーカスのすぐ隣で馬を進めているのは、我が国のセマフォ王太子殿下じゃないか!?」
「パケ・ロット伯爵の旗印もあるぞ……! おのれ、あんな化け物たちの集団を相手に戦えるわけがないだろう! 俺は抜けるぞ! 奴らの超古代魔法の実験体にされるなど御免だ!」
恐慌状態に陥り、我先にと脱走を図る下級貴族たち。
そこへ、天幕の奥から冷ややかで傲慢な声が突き刺さった。
「どこへ行くというのだ、この卑小な裏切り者どもが!」
姿を現したのは、汚い身なりを隠そうともしないスレッドだった。
「……スレッド元王太子、いや、スレッド! 貴様のような疫病神に関わったから、我らはこんな大惨事に巻き込まれたのだ! この賤民風情が、偉そうに指図するな!」
「何だと……!? 賤民だと! この私に向かって!」
「何度でも言ってやる、この身の程知らずの賤民めが! 貴様など、我ら守旧派の貴族が拾って神輿にしてやらねば、今頃スラムの片隅で野垂れ死んでいたのが関の山だろうに! かつてルーカスに完膚なきまでに叩きのめされ、汚物を垂れ流しながら命乞いをした醜態を、我らが忘れたとでも思ったか!」
「こ、この……小悪党どもが、言わせておけば……っ!」
「失せろ! これ以上我らの邪魔をするなら、アクオに引き渡す前にここで粛清してやるぞ!」
これまでにない激しい怒声の刃を突きつけられ、スレッドは顔を真っ赤に引きつらせたまま、一言も返せずに黙り込んだ。
そして、その場から逃げ出すように、再び自分の天幕へと這いずり込んでいった。 「せいぜい奥で、安酒と女に溺れていろ。どうせこれが今生の別れになるのだからな。──よし、あのゴミは捨て置いて、我らも早くここから離脱するぞ!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う反乱貴族たち。
だが、彼らの頭上から、まるで天を揺るがす雷鳴のような、冷徹な声が響き渡った。
『──どこへ逃げようというのかな? 残念ながら、君たちに逃げ場などもう用意されていないよ』
ルーカスが放った【音声拡張魔法】の術式により、その声は戦場一帯、そして反乱貴族や教会の破戒僧たちの耳元へと、恐ろしいほどの明瞭さで届けられた。
「な、何だと……!? い、いつの間に、我らの周囲にこれほど強固な包囲陣が敷かれているのだ!?」
「馬鹿な……奴らは正面から一直線に向かってきていたはずでは……っ!?」
◆
そのわずか三十分前。
アクオ軍の進軍が始まった直後、ルーカスは全軍に向けて静かに指示を出していた。
「初手として、敵陣全体に大規模な『広域幻覚魔法』をかける」
「幻覚、ですか? どのような効果を発揮するのですか」
自衛軍の指揮官の問いに、ルーカスは不敵に微笑む。
「我が軍が正面から一直線に向かって突撃しているように誤認させる魔法さ。その幻覚が敵の目を欺いている間に、別動隊と本隊で速やかに敵の退路を断ち、完全な包囲網を完成させる」
「包囲完了までに必要な時間はどのくらいでしょうか?」
「三十分だ」
「それだけあれば、我が自衛軍の機動力ならお釣りが来ます!」
「よし、では作戦開始だ。包囲殲滅を敢行する。ただし、後ろでふんぞり返っている高位貴族と教会の生臭坊主どもは、一人も殺さずに生け捕りにせよ。新時代の見せしめにする」
「承知いたしました!」
「ああ、それと……投降した民兵たちから聞いた話だが、あのスレッドが生きて、反乱軍の奥でちやほやされていたらしい。今一度、自分の立場というものを骨の髄までわきまえさせるために、俺が自ら直々に『調教』し直してあげるから、彼には手出し無用で頼むよ」
ルーカスの言葉に、自衛軍の最高司令官は深く頷き、かつての悪夢を思い出したように表情を歪めた。
「スレッド元王太子ですか……。奴が王宮で権勢を振るっていた時代、我ら平民や実直な兵士たちは、随分と理不尽な辛酸を舐めさせられたものです。……総司令官、もしよろしければ、奴を再調教する様子を『魔導映像』で全領土に同時公開していただけませんか? そうすれば、アクオの住民のみならず、全土の民の溜飲が下がるでしょう」
「なるほど、それはいい提案だね。分かった、全土にその醜態を映像で公開しよう」
こうして、己の罪と無能から目を背け続けた反乱貴族、破戒僧、そして往生際の悪いスレッド元王太子の命運は、戦う前から完全に決したのだった。
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