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第六話 既得権益者たちの焦り

 新生アクオで産声を上げた議会制民主主義という未知の統治形態は、国内に留まることなく、国境を行き来する商人たちの口を通じて瞬く間に諸国へと伝播していった。


 この事態に、オーエス国内の半数を超える貴族、そして大陸に大きな影響力を持つ教会勢力は、焦燥の汗を流し始めていた。


「このまま民に発言権を与えては、我ら貴族が民を導くという大義名分を失ってしまう!」


 そう危機感を露わにする者はまだ理性を保っている方で、大半の貴族の本音はさらに醜悪なものだった。


「平民どもが知恵を持てば、これまでのように法外な税をむしり取って着服することができなくなるではないか!」


 また、神の代理人を称する教会組織も、激しい危機感を募らせていた。


「民衆が自ら国を治めるなどという思想が広まれば、我らがこれまで王侯貴族に対して維持してきた絶対的な影響力が無に帰してしまう! 既存の社会体制が根底から覆りかねん!」


 だが、そんな彼らの焦りに拍車をかけるように、すべての前提をひっくり返す驚愕の情報がもたらされた。


 ──アルマギナ侯爵ルーカス、およびその婚約者であるルビィの二名が、伝説に謳われる『ハイ=ヒューマン』であり、神に選ばれた『聖人・聖女』の位階を得ているという噂だ。


 ハイ=ヒューマンという血筋だけであれば、ただの突然変異として無視することもできた。


 しかし、神の真実の代理人たる『聖人・聖女』となれば話は別だ。


 もしそれが事実であれば、現世の権力に塗れた教皇ですら、その足元に平伏し、神託を仰がねばならなくなる。


 聖人とは、教会の最高権威である教皇を遥かに凌ぐ絶対的な存在なのだ。


 これまで宗教の権威を盾に美味い汁を吸い続けてきた教会にとって、この噂は到底容認できるものではなかった。


「偽物の聖人め、神の権威を騙る異端として排除せねばならん!」


 利害が完全に一致した教会とオーエス国の守旧派貴族たちは秘密裏に手を組み、不穏な芽を摘み取るべく、ルーカスが治める新生アクオへ武力侵攻する具体的な算段を整え始めていた。


 ◆


 そんな嵐の予兆が迫りつつあるとも知らず、アクオの議会場では、領内の食料自給率に関する緊密な議論が交わされていた。


 東側の荒野を開拓し、都市を『第二アクオ』へと拡張した結果、現在の食料自給率は約七十%にまで達している。


 残りの三十%は、主に海の幸や嗜好品である酒類の輸入に頼っていた。


 俺はこの現状に注目し、せめて酒類だけでも完全に領内で賄える体制を作れないかと、議員たちに諮っていた。


「ワインやエールに関しては、すでに量産可能な体制を整えております。問題は、我が領の最高収益源である『魔導ウイスキー』の増産です」


 魔導ウイスキーは、ドワーフをはじめとする酒好きの種族や領民にとって、もはや生活から切り離せない至高の逸品となっていた。


 だが、その醸造には妖精族フェアリーが放つ固有の魔法の力や協力が不可欠だった。


 しかし現状、アクオにいる妖精族はルル一人だけである。


 どれほどルルが頑張っても、爆発的に膨れ上がる需要を満たすことは不可能だった。


「私としては、近いうちに『妖精族保護法』を制定し、彼女たちの安全を保障すると同時に、魔導ウイスキーの原料となる特殊な大麦の育成に協力してもらいたいと考えている」


 俺の提案に対し、一人の議員が手を挙げた。


「その法案に関しては、もう少し先の制定でも良いのではないでしょうか? 今は他に優先すべき実務が多いかと」


「いや、先延ばしにはできない。最近、アクオの周辺を中心にきな臭い情勢になってきているのは皆も気づいているはずだ。ウイスキーに限った話ではなく、あらゆる物資をなるべく自給自足できるようにしておきたい」


「それは……万が一の戦に備えて、ということでしょうか?」


「そうだ。現時点でアクオに敵軍が攻めてきた場合、強固な防壁を活かした籠城戦が最も効果的となる。その際、兵糧を完全に領内で自給できれば敗北することはまずない。幸い、水に関しては北の連峰から溶け出す万年雪の恵みが領内に流れ込んでいる。あとは食料だ。そして魔導ウイスキーは、我々のために最高峰の武具を鋳造してくれるドワーフたちをこの地に引き留めておくためにも、絶対に切らしてはならない戦略物資なのだ」


 俺の説明に、軍事や財政を担う重鎮たちが深く頷いた。


「なるほど、深く納得いたしました。食料の備蓄に関しては現状でも数ヶ月は問題ありません。防具の材料も、ルーカス首相が提供してくださったオリハルコンやミスリル銀が倉庫に山積みとなっています。……ですが首相、我がアクオ自衛軍の練度は、実際のところどの程度なのでしょうか?」


「自衛軍は、冒険者組合の全面的な協力を得て急ピッチで訓練を進めている。王都の正規軍と正面からぶつかって圧倒できるとまではいかないが、いい勝負ができるところまでは仕上がっているはずだ。また、私直々に、見込みのある指揮官や兵士たちには、帝級までの魔法や神聖術の術式を授けてある」


「たしか、ルーカス首相の扱う帝級魔法は特別でしたな。通常の術式に比べて約十六倍の効果を発揮するとか」


「ああ。だがその分、魔力の消費量も激しい。そこが自衛軍に組み込む上での弱点とも言える」


「マナポーション(魔力回復薬)の備蓄はどのくらいあるのです?」


「すでに一年分以上の量を確保し、さらなる量産体制に入っている。現在は民間の高名な錬金術師たちを大量に雇い入れているところだ」


「貴族お抱えの者ではなく、民間を、ですか?」


「残念ながら、既得権益にしがみつく貴族出身者を百%信用することはできないからね。現に国内の貴族の半数は、こちらの様子を伺って傍観を決め込んでいる」


「傍観……つまり首相は、すでに目と鼻の先まで戦禍が迫っていると確信されているのですね?」


「ああ。もし敵が攻めてきた場合、私は持てるすべての力を使ってアクオを守る。だが、いかんせん私は一人しかいない。際限のない物量作戦で押し切られたら、我が自衛軍だけでは持ちこたえられない可能性もある」


「確かに……それは否定できません。しかし、我々に援軍の当てはあるのですか?」


「中央の貴族たちが敵に回る以上、国からの公的な援軍は無いと考えていい。ただ……俺としての本音を言えば、敵の兵たちをできる限り手にはかけたくないんだ」


「戦を前にして、それは甘いのでは?」


「いや、甘えではない。戦場に出てくる敵の歩兵たちの十中八九は、無理やり徴兵された農民などの平民たちだ。あとは、平民と生活水準がさほど変わらない下位の騎士爵だろう。彼らもまた、旧体制の被害者なのだ」


「それは……確かにそうですが……」


「後ろでふんぞり返っている貴族や教会の生臭坊主どもが相手なら、いくらでも容赦なく消し炭にするのだがね」


「首相は、戦後処理で民から恨みを買うリスクを避けるためにも、民兵との無駄な流血は避けたい、と」


「その通りだ。戦後に遺恨を残せば、新しい国づくりに支障が出る」


「しかしルーカス首相、貴方はこの圧倒的に不利な状況を覆し、真に勝利できる算段をお持ちなのですか?」


 詰め寄る議員たちの前で、俺は少し表情を和らげた。


「──ある。と言っても、少々分の悪い賭けに近いがね。王立アルテア貴族学院のSクラスで、共に席を並べた『最強世代』の同級生たちが、力を貸してくれると言ってくれているんだ。……もっとも、ヴィルト侯爵家のパスカルや、コボル辺境伯の令嬢がどう動くかまでは、まだ読めないがね」


 その言葉が、静かな議場に響いたまさにその時だった。


 勢いよく議会の重厚な扉が開け放たれ、数人の影が堂々と室内に足を踏み入れてきた。


「──その心配は不要だ、ルーカス」


 先頭に立っていたのは、セマフォ殿下だった。


 その後ろにはパケ・ロット伯爵、ルビィ、バイナリ、そして──驚いたことに、パスカル・ヴィルトとシー様までもが毅然とした態度で控えていた。


 セマフォ殿下が、議長席の俺を見据えて声を響かせる。


「我ら一同は、これよりアルマギナ侯爵ルーカスの大義に味方する。ただ、残念ながら王宮の軍上層部を動かすことまではできなかった。ゆえに、ここにいる者は皆、あくまで個人的な一兵卒としての参戦となる」


「セマフォ殿下……よろしいのですか? 国家の最高権力者たる貴方が、このような地方の反乱分子に加担するなど」


「君という不世出の天才を、このような下らない内害で失うわけにはいかないからな。それに、既得権益を守るために叛意を企てる腐敗貴族や教会どもには、大義名分もなければ正当性もない。──そうだろう? 『聖人』ルーカス・アルマギナ侯爵」


「せ、聖人……!? ルーカス首相が、神に選ばれし聖人様だと!?」


 初耳であった議員たちの間に、衝撃のざわめきが一気に広がっていく。


 セマフォ殿下はニヤリと笑うと、言葉を続けた。


「ついでに言っておけば、彼の婚約者であるルビィ嬢もまた本物の『聖女』だ。神に祝福された聖人と聖女を相手に弓を引くのだ。少なくとも、攻め込んでくる教会勢力に神の正義など微塵もない」


「主よ、私たちも全力でお手伝いいたします!」


 殿下の言葉に続くように入ってきたのは、アルゴル率いる我が家の使用人たち──自衛軍を鍛え上げた、恐るべき戦闘技術を持つ元最強の戦士たちだった。


 さらに、俺の頭の上にぽむんと飛び乗った妖精のルルが、「私もやるー!」と小さな拳を突き上げている。


「だがパスカル、良いのか? お前はヴィルトの家を、実家を裏切ることになるかもしれないんだぞ」


「水臭いことを言うな、ルーカス。俺はヴィルト侯爵家の権限を最大限に使い、裏から敵の補給路や情報網を、揺さぶりをかける。表の派手な防衛戦はお前たちの役目だ」


「パスカル……ありがとう」


「そういうことだ、ルーカス。ここにいる全員が、君から教わった超古代魔法や神聖術を完全に扱える。君が独自に編み出した門外不出の術式も、今回はすべて解禁させてもらう」


 とルーカス殿下が締めくくった。


 心強い仲間の言葉に、俺の胸が熱くなる。


「……皆さん、ありがとうございます。これほどの面々が揃ってくれれば、勝機は十分にあります」


 俺は視線をその隣の令嬢へと向けた。


「シー様は……よろしいのですか?」


「お父様であるコボル辺境伯は、今回の件に関しては中立、つまり傍観を決め込むそうです。ですから、コボル家からの参戦は私個人の身一つとなりますが、足手まといにはならないわ」


「シー様まで……感謝いたします」


 不敵な笑みを浮かべたバイナリが、自慢の魔導具に触れながら肩を鳴らした。


「ふん、籠城戦か。ようやく俺の腕の見せ所が来たな。偉そうにふんぞり返る旧き貴族どもの相手は、この俺が一手に引き受けてやるさ。幸い、あのティアマットを再び召喚する術式の調整も完了しているしね」


「もちろん私も最前線に出るわよ。王立学院で恐れられた『苛烈なる戦姫ヴァルキリー』の二つ名は伊達じゃないってところを、あの生臭坊主どもに骨の髄まで教えてあげるわ」


「ルビィ、頼りにしてるよ」


 ルビィはフッと微笑むと、さらに強力な報告を口にした。


「ちなみに、私の実家であるセル商会を通じて、敵対するであろう貴族たちの口座から一斉に資金を引き揚げさせておいたわ。今頃彼らは、兵を雇うための軍資金不足で大慌てしているでしょうね」


「ふむ、資金不足、大義名分の欠如、そして神の正義の不在。これほど三拍子が揃った哀れな烏合の衆に、我が新生アクオが負けるわけにはいきませんな」


 議場の奥から、メルキオール、バルタザール、カスパールの三賢者が悠然と姿を現した。


 シー様が、俺の耳元でそっと補足を加える。


「あ、ちなみにアドミナちゃんたちはお留守番よ。いくら人手が必要とはいえ、十歳未満の子供をさすがに戦場に出すわけにはいかないものね」


「何から何まで、本当にありがとうございます。──皆さん、必ずやこの街を守り抜き、旧き時代の圧政者を打倒しましょう!」


 こうして、新星アクオは未曾有の危機を前に、これ以上ないほど強固に一致団結したのだった。


 ◆


 その頃。


 アクオを包囲すべく進軍を開始していた貴族と教会の連合軍本陣では、まだ戦ってもいないうちから、勝利した後に手に入るはずの絵に描いた餅──アクオの富と利権の分け前について、醜い罵り合いと取らぬ狸の皮算用が延々と繰り広げられていた。

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