第五話 仲間
セマフォ殿下の命令に従い、久しぶりに王都の侯爵邸へと戻ると、そこにはアルゴルたち使用人をはじめ、三賢者、ルビィ、アドミナ、さらにはシー様とバイナリまでが俺の帰りを待ち受けていた。
皆一様に硬い表情をしており、俺の身を心から心配してくれていたのが痛いほど伝わってくる。
「皆、心配をかけてすまなかったね。おかげさまで、事はすべて無事に運んだよ」
安堵の吐息が広がる中、ルビィが一同を代表するように一歩前へ出た。
「ルーカス……パスカルはどうなったの?」
「彼はセマフォ殿下に忠誠を誓い、ヴィルトの暗部として殿下を支える道を選んだ。これからは、表の政治は俺が、裏の差配はパスカルが請け負うことになる」
その言葉に、シー様がそっと胸をなでおろした。
「最も良い形で収まったのね?」
「はい、シー様。今後はパスカルがヴィルト侯爵家を立派にまとめていくでしょう。ただ……シー様には大変申し訳ないのですが、彼の立場上、色々と苦労をかけるかもしれません」
「いいえ、構わないわ。私は彼との婚約をこのまま続けるつもりよ」
「しかし、コボル辺境伯家はどうされるのです? 後継の件もありますが」
「それなら、実家の縁者から優秀な養子を迎えることになるわね。その件は、すでにお父様とも話し合って決めてあるの」
「そうですか。では、俺の心残りがまた一つ減りましたね」
「ええ。何があろうと、私は彼を離す気はないから」
微笑むシー様を見て、ルビィがからかうように笑った。
「まぁ、すっかりベタ惚れなのね。少し羨ましいわ」
「あら、そういう貴女たちこそどうなの?」
「うーん……たまにね、ルーカスが手の届かない遠い存在に見えて、不安になることがあるの。とても同い年とは思えないような顔をすることがあるでしょう?」
ルビィの言葉に、メルキオールが深く頷きながら同意した。
「確かに、それは我らも感じておりました。閣下は時に、その年齢には到底見合わぬ恐るべき知恵をお見せになる」
三賢者だけでなく、アルゴルや邸内の者たちまでもが一様に同意の視線を向けてくる。
「やだなぁ、皆さん。変な勘繰りはよしてください。俺はただ、ほんの少しばかり早熟なだけですよ」
すると、バルタザールがじっと俺を見つめながら口を開いた。
「失礼ながら閣下、それが『早熟』という生易しい範囲に収まる器だとは、到底思えんのです」
続けて、カスパールが真剣な声音で核心を突いてきた。
「今、閣下がアクオ領で推し進めておられる数々の政策……あれは下手をすれば、既存の貴族制というこの世界の枠組みそのものを根底から破壊しかねん劇薬じゃ」
皆の刺すような視線が、一斉に俺へと集中する。
俺はたまらず視線を泳がせた。
「それは、その……超古代文明の『叡智の座』で、失われた文明の記録をたくさん見たからであって……」
「ルーカス、その言い訳は流石に苦しいと思うわ」
ルビィがじりっと距離を詰め、俺の目を真っ直ぐに見据える。
「私やアドミナだって、あの遺跡で同じものを見たわ。でもね、貴方が描いている未来の構想は、超古代文明の模倣とは微妙に違って見えるのよ」
「と言うと?」
「貴方……本当は、別の世界からやってきた『転生者』かなにかなんじゃないの?」
ルビィの口から飛び出したあまりにも的確な指摘に、俺の背中を冷や汗が伝った。
もしも異界の転生者だと完全に露見してしまえば、気味の悪い異端として排斥される未来がまざまざと脳裏をよぎる。
「本当のことが知りたいの、ルーカス。貴方の前世は、一体どんな世界だったの?」
真摯なルビィの瞳、そして信頼を寄せてくれる仲間たちの視線を受け、俺は覚悟を決めた。
ここで嘘を重ねることは、彼らの絆を裏切ることに他ならない。
「……平民や貴族といった分け隔てが一切ない、誰もが法の下に平等な世界だった」
俺の静かな告白に、その場にいた全員が息を呑み、絶句した。
「王族という血筋は残っていたが、政治の権力は持たず、あくまで国の象徴としてのみ存在する世界だ。俺がルビィと婚約を続けているのも、貴族の家柄など関係なく、単純に一人の女性として彼女に惹かれたからだよ」
「っ……!」
不意に本音をぶつけられたルビィは、顔を真っ赤にして言葉を失ってしまった。
呆然とする一同の中から、妹のアドミナが尋ねてくる。
「兄さまは、騎士爵家のどん底から始まって、今や侯爵にまで登り詰めたのに……その地位や特権を、将来的にすべて捨てるおつもりなのですか?」
「ああ、アドミナ。俺にとって侯爵という爵位は、この世界で物事を円滑に動かすための都合の良い立場というだけで、それ以上でも以下でもないんだ」
今度はアルゴルが、一歩前に進み出た。
「では閣下……いや、あえて友人としてルーカスと呼ばせてもらおう。ルーカス、お前が今アクオで行っている一連の統治改革は、その前世の世界をここに再現しようとしているのか?」
「いや、すべてをそのまま同じにするわけじゃない。何せ、俺の前世には魔法も神聖術も存在しなかったからね」
「魔法も神聖術もない!? それでは、人々はどうやって日々の生活を営んでいたのだ? 癒しの術がなくては、病人はただ死を待つほかあるまい!」
「そう思うだろう? だが、魔法や神聖術の代わりに、前世の世界では『科学』と『医学』が異常なほどに発達していたんだ。それこそ、使い方を誤れば世界を何度も滅ぼせる禁呪級の兵器もあったし、医学は神聖術でも治せないような不治の病を克服していた」
「では、その科学と医学とやらを、この世界で実現させるつもりなのか?」
「いや、俺はそんな専門的な学問に通じているわけじゃないからね。この世界で一から再現しようとしても不可能だ。俺が前世の知識で再現できるものなんて、せいぜい趣味でやっていた料理や菓子作りくらいのものさ」
「ならば、お前は一体何を目指している?」
「──混成だよ。前世の社会システムと、この世界の魔法、そして超古代文明の技術を掛け合わせた、まったく新しい新文明を創ろうと思っている」
「それは、一体どんな世界なのだ?」
アルゴルの問いに、俺は明確なビジョンを口にした。
「すでにアクオで始めている、民衆が主体となって国を動かす『議会制民主主義』。そして、男女が一切の差別なく等しく生きられる世界だ」
「男女平等……」
ルビィがその言葉を噛み締めるように呟く。
「それって、女性が家の都合や政治の道具として扱われる理不尽を、なくすということ?」
「その通りだ。女性にだって、自らの意志で人生を歩み、伴侶を選ぶ権利がある。家同士の都合だけで一方的に嫁ぎ先が決まるような古い社会の仕組みを、手始めに変えていきたい」
「私は、今こうして貴方と婚約できて心から幸せよ?」
「ルビィ、俺たちのことはいいんだ。俺が言っているのは他の理不尽なケースだよ。シー様だって、最初はトムキャット家の都合で、あのアパッチと強制的に婚約させられていただろう?」
話を振られたシー様が、ハッとしたように目を見開いた。
「ええ……。もしかしてルーカス様は、私と同じような嫌な思いをする人間を、この世から無くしたい社会にしたい、と?」
「はい。あくまで本人同士の真摯な同意がなければ、婚約も結婚も成立しない──そんな当たり前の社会を創りたい。そしてゆくゆくは、女性にも広く社会に参加して貢献してもらいたいんだ。それこそ、民の代表として議員になったり、時には国を引っ張る指導者になったりするような、そんな世界をね」
熱弁する俺に、アルゴルが厳しい現実を突きつけてくる。
「それは、あまりにも美しすぎる理想論ではないか?」
「理想が最初に頭にあるからこそ、初めてそれを目指して実行ができるんです」
「……既存の教会勢力と真っ向から対立することになるかもしれんぞ」
「構いません。受けて立ちます」
「そこまでの覚悟を、すでに持っているということだな」
「ええ。とはいえ、これまでの歴史や伝統をすべて破壊しろと言っているわけじゃありません。良い部分は残し、悪い部分は正す。それが俺の理想です」
「具体的に、お前が将来的にこの国の宰相になったら、まず何をする気だ?」
「国をいくつかの『州』という単位に分割し、それぞれに民主的な州政府を置きます。さらにその上に、国全体を統括する『連邦政府』を設立するつもりです」
「連邦政府……?」
「各州政府から民主的な選挙によって代表者を選出し、国を一つにまとめる最高機関です。王家には、その連邦政府が選出した内閣の承認を行ってもらう。いわば、国家の正統性を担保する崇高な立場になっていただきます」
「王家を単なる飾りにするつもりか?」
「いいえ、王家には承認の権利と同時に、それを『拒否する権利』も残します。もしも民意を無視した好ましくない内閣が誕生しそうになった場合、正統性を与えないという重大な抑止力になっていただくのです」
シー様が、少し不安そうに尋ねてきた。
「ルーカス様、その場合、私たちのような一般の貴族はどうなってしまうの?」
「爵位という名誉と、正当な資産はそのまま残りますよ。すべてを取り上げるような過激な真似はしません。ただこれからは、貴族だからという理由だけで、民に対して不当な搾取や横暴な振る舞いができなくなるだけです」
じっと黙り込んで考え込んでいた三賢者を見やり、俺は言葉を付け足した。
「もちろん、他国との関係性もあります。いきなりすべてを急進的に変えようとすれば、不必要な摩擦や戦乱を生むだけですからね」
すると、アルゴルが静かに首を振った。
「だがルーカス、それを一人の人間が生きている間に成し遂げるのは、到底無理な話だ。人には寿命という絶対的な限界がある」
「ああ、その件については……今まで隠していて申し訳ありません」
俺は頭を掻きながら、自身のステータスの秘密を打ち明けた。
「俺の種族は、普通の人間ではなく『ハイ=ヒューマン』であり、さらに『聖人』の位階を得ています。そのため、寿命はハイ・エルフと同程度──数千年単位で残されているんです」
「何と……!」「ハイ=ヒューマン、しかも聖人だと……っ!?」
「どおりで、規格外なわけじゃ……」
三賢者が驚愕のあまり、地鳴りのような唸り声を上げる。
「まあ、本音を言えばね、面倒な実務は信頼できる優秀な人たちに全部押し付けて、自分はさっさと隠居して悠々自適に過ごしたいだけなんですけどね」
俺の苦笑混じりの呟きに、アルゴルが思わず吹き出した。
「ははっ、今の怠け者染みた本音の方が、いかにお前らしくて説得力があるな」
「そんなに俺、普段から怠け者に見えます?」
「「「見える」」」
全員の声が見事にハモり、室内にドッと笑いが起きた。
だがその輪の中で、ルビィだけが寂しそうな表情でうつむいていた。
「……そう。それじゃあ、私はいずれ、ルーカスと離れ離れになってしまうのね」
「ルビィ……?」
「私はただの、普通の人間だもの。数十年もすれば、私だけがおばあちゃんになって、先に寿命を迎えて天に召されてしまうわ……」
その瞬間──世界から一切の音が消え去り、周囲の時間がピタリと停止した。
アルゴルたちの動きが完全に止まる中、俺とルビィの空間だけが切り離されたように光を帯びる。
(この超常的な現象……こんな真似ができるのは、あの御方しかいない)
『いかにも。儂じゃよ、ルーカス』
脳内に直接響き渡ったのは、世界の最高管理神様の、どこかお茶目な声だった。
「主神様、一体どうされたのですか?」
『何、そなたの最愛の伴侶がそれほどまでに先行きを憂うておるのなら、儂の手で彼女も同じく『ハイ=ヒューマンの聖女』へと引き上げてやっても良いぞ、と思うてな』
停止した世界の中で、ルビィは驚きに目を見開いたが、すぐに何かを確信したように真っ直ぐな目で虚空を見上げた。
「主神様、どうか……お願いします。私は、いつまでもルーカスの隣で、彼と共に永い時を添い遂げたいです!」
『良かろう。その強い絆、見事である。互いに支え合い、新しき世界を創るが良い』
神の厳かな祝福と共に、再び世界の見えない歯車が動き出し、周囲の時間が何事もなかったかのように流れ始めた。
俺が慌ててルビィのステータスを鑑定すると、その種族欄は確かに『ハイ=ヒューマン(聖女)』へと書き換わっていた。
「ルビィ、本当に良かったのかい……?」
「何よ、私じゃ長い寿命を一緒に生きる伴侶として、不服かしら?」
「いや、そんなわけないだろう。いずれ一人きりの孤独な人生になるかもしれないと、心のどこかで覚悟していたから……本当に嬉しいよ」
二人のやり取りを見て、状況が飲み込めていないアドミナが首を傾げた。
「お二方、一体何のお話をされていますの?」
「ああ、実は今、主神様の御神徳によって、ルビィが俺と同じハイ=ヒューマンの聖女に覚醒したんだ」
「あら! まぁ、それはおめでとうございます、ルビィお姉さま! 全力で応援いたしますわ!」
「ありがとう、アドミナ」
アドミナはいたずらっぽく微笑むと、小さく胸を張った。
「ふふ、私もそろそろ、過保護な兄さま離れをして、素敵な男性を捕まえないといけませんわね」
「おや、もう目星をつけている良い男でもいるのかい?」
「実は、マイクロンさまと婚約しようと考えておりますの。よろしいでしょ、お兄さま?」
「何だって!? ……まあ、アドミナ自身が心から望むのであれば、兄として反対する理由はないが……しかし、あのマイクロンか」
「ふふ、彼の熱意に根負けしてしまいましたの。きっと私を幸せにしてくれますわ」
「……もしお前を泣かせるような真似をしたら、兄として、そして首相として、全力で鉄槌を下しに行かねばならんな」
「あら、話がすっかり脱線してしまったわね」
ルビィが苦笑しながら、再び真剣な表情で俺に向き直った。
「それで、これから具体的にはどうやって計画を進めていくの?」
「まずはアクオ領を完璧なお手本として完成させ、そこでの豊かな暮らしぶりを通じて、各領地の平民たちに議会制民主主義の利点を口コミで広めていく。そのために、先の謁見で元国王に『領民間における相互の自由移住』を承認させたんだ」
それを聞いたメルキオールが、感嘆の声を漏らした。
「なるほど……そこまで先を見越して、あの場で元国王の言質を取っていたのですか」
「ええ。移住が自由になれば、嫌でもアクオの進んだ文明や権利の話が国中に広がっていきますからね。首相の任期も残り三年半──学生と首相、そしていずれは宰相と首相という二足の草鞋を、全力で履きこなしてみせますよ」
「そうか、大いに期待させてもらおう」
「皆も、俺の我儘に付き合ってくれるかい?」
アルゴルが皆を代表するように、力強く拳を突き出した。
「ああ、当然だ。お前が創る新しい世界を、俺たち全員で全力で支えさせてもらうさ!」
「ありがとう。──よし、それじゃあ今夜は、アクオ特製の魔導ウイスキーで盛大に乾杯しよう!」
「これ、ルーカス。お主はまだ未成年じゃろうに」
カスパールのツッコミに、俺は悪びれもせずウインクしてみせる。
「大丈夫ですよ、ウイスキー作りの工程で、すでに何度も『味見』と称して嗜んでいますからね」
侯爵邸の食堂に、温かな笑い声が響き渡る。
しかし、これが本当の意味での過酷な試練の始まりであるとは、この時の俺はまだ、知る由もなかった。
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