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第二話 直轄領アクオ

 俺は今、王都に隣接する王家直轄領『アクオ』の地に降り立っていた。


 一歩足を踏み入れての率直な感想は、言葉を選ばなければ「荒廃したゴミ溜め」そのものだった。


 行き交う民衆の目は一様に生気を失って虚ろであり、舗装の剥がれた道には悪臭を放つゴミが散乱している。


 かつては賑わっていたであろう商店街は人影もなく、多くの店舗の入り口が板で封鎖されていた。


 広大な田畑は長らく手入れがされていないらしく、腰の高さまで雑草が伸び放題になっている。


 さらに、領地の四方は冷徹なまでに高い石壁に囲まれており、土地全体に息の詰まるような閉塞感が漂っていた。


 そんな惨状を眺めていると、この街の代表者らしき、身なりの整った三人の男がこちらへ向かって歩いてきた。


 不穏な気配を察し、護衛のパイソンら獣人三人組とニアが咄嗟に俺を庇うように前に出たが、俺は手でそれを制し、「大丈夫だ」とだけ告げて男たちの前に進み出た。


 三人の男は、十三歳の子供である俺の姿をじっと見据え、皮肉に満ちた声を上げた。


「……五歳だった先の王太子の次は、十三歳の子供か。王家はどれほど我らを苦しめれば気が済むのだ」


「貴方の噂はかねがね聞き及んでいる。三歳にして竜を討ち、十歳で王都を滅ぼしかけた魔物氾濫スタンピードを鎮圧した、若きアルマギナ侯爵閣下」


「だが、それだけだ。どれほど圧倒的な武力で我らを従えようとしても、もう従う気力のある者など残っていない。この地にあるのは、底知れぬ絶望だけだ」


 三人はそれぞれ、メルキオール、バルタザール、カスパールと名乗った。


「俺は別に、力尽くで民衆を抑えつけ、無理に従わせるつもりなどないぞ」


 俺がそう告げると、中央に立つメルキオールが目を細めた。


「閣下が国王陛下に認めさせたという、あの破天荒な六ヶ条の誓約は我らも知っている。

 一つ、領地経営に関する一切の手法は、閣下の自由とすること。

 二つ、王家および中央政府は、統治に関して一切の口出しをしないこと。

 三つ、立て直しの資金として、国庫から適性な予算を直ちに捻出すること。

 四つ、復興期間中における、当該領地のあらゆる税を完全に免除すること。

 五つ、他領からの移民の受け入れ、および他領への住民の移動を完全に許可すること。 六つ、領内の防衛はすべて侯爵家の私兵で賄うため、現在駐留している王宮騎士団の師団を速やかに引き揚げさせること。

 ……一体、何を考えておられる。六つ目の条件通りに王宮の軍勢を引き揚げさせてしまえば、この無法地帯で閣下の身を護る盾はなくなりますぞ」


 続いてバルタザールが、冷めた調子で言葉を重ねる。


「どうせ、自らの私兵のみでこの地を縛る、完全な独裁体制を敷くおつもりなのでしょう。だが、我らはすでに前の領主に絞るだけ絞り取られた残りカスなのだ」


 カスパールが呆れたように吐き捨てる。


「現状がお分かりになられたなら、大人しく王都へ戻り、陛下に謝罪してこの地を返上されるが良い」


 突き放すような三人の態度に、俺は肩をすくめて微笑んだ。


「帰るつもりもなければ、独裁を行うつもりもない。──いいか、今この時からの政治の主役は、君たち平民だ」


 三人は一瞬、俺が何を言ったのか理解できないという風にギョッとして凝視してきた。


 やがて、メルキオールが代表して、探るような鋭い視線を向けてくる。


「平民が政治の主役、ですと? 仮に閣下が統治されている間はそれで良くとも、閣下が去った後にこの地を引き継ぐ別の貴族が、その仕組みをすべて叩き壊すに決まっている。我々は幾度となく、貴族たちの玩具にされ、疲れ果てているのだ」


「ああ、だからこそ王宮騎士団を引き揚げさせたんだ。今後、どこぞの貴族が力尽くでここを支配しようとしても、それを上回る武力がこちらになければ、従わせることは困難だろう?」


「ですが、王家が再度本腰を入れて騎士団を仕向けてくれば、我々のような平民は従わざるを得ない」


「そこだよ。だから俺は、この街に住む平民自身で組織する、都市の防衛に特化した『自衛軍』の設立を考えている。もちろん、無理な徴兵ではなく完全な志願制だ」


 バルタザールが、信じられないものを見る目で声を荒らげる。


「閣下は、一体何を考えておられるのだ……! それではまるで、恒久的に我ら平民がこの地を統治し続けるような言い振りではないか」


「その通り。俺は、恒久的に平民が主役となる、いわば『民の、民による、民のための政治体制』を築くことこそが、この地における最終的な到達点だと考えている」


 カスパールが、驚きに声を震わせた。


「何ということだ……。では閣下、具体的にどのような仕組みを作るおつもりなのですか?」


「議会の設置、権力の暴走を防ぐ三つの機関の独立、そして自衛軍の設立だ。これらによって、誰もが等しく開かれた社会を創り出す」


「それは、一体どのようなものなのですか? ぎかい? さんけんぶんりつ? ……それに、自衛軍と言われても、今の民には軍に志願できるほどの体力を持つ者などおりませぬぞ」


 戸惑う三人に対し、俺は、あの国に存在した統治の仕組み──議会制度について詳しく噛み砕いて説明した。


「なるほど……。つまり『衆議院』と『参議院』という二つの平民代表の集まりを設立し、新しい街の決まり事は衆議院が発案し、それを参議院が厳しく審査して実行の許可を与える、というわけですな?」


「メルキオールさん、飲み込みが早いですね。では、その議会の設立と、その前段階となる民衆による『選挙』の手配をお任せしてもいいですか?」


「……分かりました。我が配下の者たちを総動員し、公正な選挙を実施してみせましょう。必ずや、我ら平民の手で堅牢な議会を構築してみせます」


 続いてバルタザールが、深く頷きながら口を開いた。


「では、その『三権分立』についてですが……権力が一ヶ所に集中して暴走するのを防ぐため、決まりを作る『議会』、それを行う『内閣』、そして決まりを守らせる『司法』という三つの役割を別々の機関に分け、互いを見張り合わせる仕組み、と捉えてよろしいか?」


「概ねその認識で間違いありません。バルタザールさん、そちらの制度設計はあなたにお任せします」


 最後にカスパールが、どこか熱を帯びた目で俺を見た。


「では『自衛軍』とは、都市の防衛……すなわち、この地に住む民衆をあらゆる災いから護る組織。魔物の襲撃だけでなく、地震や大火事といった天災からも民を救うための軍、ということですな?」


「その通りです。あとは、横暴な貴族たちの理不尽な武力からも、自分たちの身を護る力を手に入れたいですね。街の治安を維持する警備活動も兼ねてもらいます。カスパールさん、お願いできますか?」


「何と恐れ多い……! ですが、それが実現すれば、我らは貴族の横暴から民を護る絶対の盾を手に入れることができる。しかし閣下、その組織を鍛え上げるための準備はどのように?」


「そこは、冒険者ギルドから腕利きを雇うか、あるいは我が家にいる頼もしい護衛たちに徹底的に鍛え直してもらってください。最終的には、王都の正規騎士団一個師団と対峙しても互角以上に渡り合えるだけの練度にまで持っていくつもりです」


「王都の軍勢と互角に……! 分かりました、その大役、このカスパールが引き受けましょう。ですが、武具の調達は……」


「安心してください。防衛に必要な武具は、すべてこちらで最高峰の物を用意します」


 俺は三人の顔を見渡し、力強く微笑んだ。


「では──今日、今この時より、新しい新生アクオの誕生を宣言します!」


 こうして、俺と三賢者と呼ばれた実力者たちによる、直轄領アクオの立て直しが始まった。


 初めは「新しく来た子供の貴族か」と非協力的だった市民たちも、三賢者による熱心な説得を受け、自分たちの手で街を変えるために少しずつ立ち上がる者が増えていった。


 俺は今回の件にあたり、王立アルテア貴族学院に長期の休学を申請していたのだが、学院側からは休学ではなく、なんと長期の実地訓練として処理するというフォーク学院長からの直々のお達しが届いた。


 領地立て直しの成果を詳細な報告書として提出すれば、学院の単位をすべて認めるという破格の条件だ。


 正直なところ、学院側としても俺の実力が規格外すぎて持て余していたため、体良く領地に送り出せるこの提案は渡りに船だったのだろう。


 こうして俺は、しばらくの間、朝から夕方までアクオの地に通い詰め、三賢者からの質問に答える形で、民主主義の理念、自衛の重要性、そして民が持つべき正当な権利を説き続けていった。


 そうした活動の中で、最初に形となった組織は、皮肉にも最も懸念されていた『自衛軍』だった。


「自分たちの街は、自分たちの手で守り抜きたい」


 そう強く願う若者が、この荒廃した地には一定数存在したのだ。


 さらに、かつて前領主の圧政に対して革命を起こそうとしていた地下組織が、その理念に深く共鳴し、組織丸ごと自衛軍へと合流してくれたことも大きかった。


 俺の掲げた「民の、民による、民のための政治体制」という言葉が、彼らの魂に火をつけたらしい。


 次いで、民衆の選挙によって選ばれた代表者による『議会』が発足した。


 選出された議員は、衆議院に三十名、参議院に三十名。


 最も苦戦したのは、法を司る『司法』の構築だった。


 守るべき根本的な法律すら整備されていない状況で、いきなり裁判所を機能させるのは土台無理な話だ。


 そのため、まずは現行の王法を基準として立ち上げ、不条理な決まり事については、これから議会を通じて順次改正していく方向でまとまった。


 そして迎えた、記念すべき第一回議会。


 俺は助言者オブザーバーとして席を置いていたのだが、初めてのことに緊張しているのか、議員たちから具体的な発言や発案がなかなか出てこない。


 見かねた俺は、自ら最初の議題をいくつか提出することにした。


「皆さん、まずは小難しい法律の前に、民の暮らしに直結する四つの重大な議題を提案します。 一つ、住民一人一人に一律で課されていた不条理な『人頭税』を完全に廃止し、働いている者の収入に応じた適性な税へと改めること。 二つ、多くの税を納めて街に貢献した者ほど、五十歳以上の老後に受け取ることができる『扶助金(年金)』の額を増やす仕組みを作ること。 三つ、すべての子供たちに『義務教育』を施すこと」


 三つ目の議題を口にした際、議場がわずかにざわついた。俺は言葉を続ける。


「これまで、農業を営む民たちの多くが、読み書きや計算ができないがために、悪徳な大商人たちに騙されて農作物を不当に買い叩かれるケースが横行していました。これを打破するには、学問の力が絶対に必要です。さらに、学校へ子供を入学させる際、適職や魔力、神聖力の適性検査を無償で実施します。子供たちの隠れた才能を見出して伸ばすことで、将来的にこのアクオで活躍する優秀な人材を育てるのです。 そして四つ目、この街の運営が軌道に乗り、治安が改善された暁には、他領からの移民の受け入れ、および他領への移動を完全に自由化すること」


 最後に「これらはすべて、すでに国王陛下からの直々の許可を取り付けてあります」と告げると、議場全体に割れんばかりのどよめきが沸き起こった。


 俺の発案した四つの議題は、議員たちに非常に好意的に受け止められ、即座に採決が行われた。


 結果、いずれも過半数を大きく上回る賛成を得て衆議院を通過し、現在は参議院にて細部の精査が行われている。


 その後の実務を議員たちに任せた俺は、自衛軍と司法機関の視察へと向かった。


 訓練場では、戦士を目指す血気盛んな若者たちを相手に、パイソン、アーラン、ハスケルの獣人三人組が、その圧倒的な体術と実戦技術を叩き込んでいた。


 さらに別の区画では、リスプが、この直轄領に潜んでいたところを俺が解放した妖精族の元奴隷たちを呼び集め、その高い適性を活かした精霊術の指導を行っている。


 神聖術の素養がある者たちには、ピエトが優しく、かつ的確に聖なる術の扱いを教えていた。


 そして斥候や隠密の技術指導を担当するのは、ニアだ。


 彼女の無駄のない動きに、志願兵たちは畏怖の目を向けている。


 これらの兵たちを率いる幹部クラスの者たちには、元軍師であるアルゴルが直々に、高度な集団戦術や部隊指揮の基礎を叩き込んでいた。


 極めつけはオルグだ。


 彼は鍛冶場に籠もり、彼らのための武具を猛然と打ち出していた。


 原材料として使われているのは、俺が超古代遺跡から回収した、伝説の金属オリハルコンやミスリル銀である。


 ただ、こうして視察を進める中で、一つの決定的な欠点が見つかった。


 基礎的な魔法戦術を教えることができる高位の魔導師が、我が家臣団にもこの領地にも決定的に不足していたのだ。


 俺はすぐさま王都の冒険者ギルドへと足を運び、金に糸目をつけずに現役の実力派魔導師を数名スカウトし、自衛軍の指導者としてアクオへ招聘した。


 こうして、十三歳の少年の手によって着々と進められていく異次元の領地改革。


 この一連の試みが、後に大陸の歴史を根底からひっくり返すこととなる「大革命」の第一歩だとは──この時、前世の記憶を持つルーカス以外の誰も、予想だにしていなかったのである。

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