第五話 振り出しに戻る、そして特訓
一人での立ち上がりと、よちよち歩きの成功にこぎつけた俺は、これでもうオムツという名の屈辱的初期装備を外せるぞと、うきうきで張り切っていた。
……だが、人生そんなに甘くはない。
夜、ドアの向こうから母エルザと使用人さんが「ルーちゃんが歩けたのは嬉しいけれど、オムツが取れるのはもう少し様子を見てからにしましょうね」と、現実的なトイレットトレーニングのスケジュールを相談している声が聞こえてきたのだ。
(クソ、仕様変更か……。大人の階段を登るロードマップは一筋縄ではいかないな……)
ちなみに、言語に関してはすでに問題ない。
神界のリアルタイム監視が終了した一瞬の隙を突き、天界の言語管理サーバーを管理者権限で逆ハック。
『全言語理解及び会話マスター』のスキルを自力で構築し、自分の魂に強制付与しておいたのだ。
実行後に天界のアクセスログを綺麗に消去し、自作ステータス画面でもユニークスキル『管理者(Root)』の拡張プラグインとして完全ステルス化した。
天界からの警告アラートは一切ない。
神々には完全に通常としてスルーされているはずだ。
──と、話を作業環境(ベッドの上)に戻すと、とにかくオムツ卒業はまだ先。
ふてくされた俺は、不貞寝する代わりに『生活魔法』の魔術コードを、解析をすることにした。
初歩中の初歩であり、魔力さえあれば誰でも使える基本魔法だ。
中身を見ると、クリーン(洗浄)、デンタルケア(歯磨き)、ヘアカット(散髪)、ネイルカット(爪切り)、あとは小さな火や水を出す呪文などが並んでいる。
さっそく、クリーン魔法の魔改造に着手した。
(ふむ。この術式、ここはこうして、ああ記述すれば、冗長な三行のコードを一行に短縮できそうだな。これなら処理速度が爆速になって、誰でも詠唱破棄どころか、ノータイム(無詠唱)で発動できるぞ)
◆
その後も、うきうきで生活魔法を次々と軽量化・最適化(魔改造)していくうちに、気づけば夕食の時間になっていた。
我が家は一代限りの騎士爵家なので、高級貴族のように専属のシェフやお手伝いさんが食卓に同席することはない。
どちらかと言えば、「近所のおばちゃんが夕飯作りを手伝いに来て、余ったおかずをタッパで持って帰る」という、下町のホームドラマに近いアットホームな雰囲気だ。
マギナ家では、食事の前に全員で手を合わせる。
前世の習慣で俺がなんとなく「いただきます」のポーズをやり始めたところ、両親が「何だか可愛い儀式だな」と面白がって真似し、我が家の独自ルールとして定着したのだ。
全員が目を閉じて手を合わせた瞬間。
俺は知的好奇心に勝てず、両親のステータスを無詠唱で覗き見してみた。
すると、非常に興味深いデータが検出された。
なんと、父親のギャザーがステータスとして『無詠唱』のパッシブスキルを持っていたのだ。
(なるほどなぁ。一介の傭兵から騎士爵に成り上がるほどの武勲を立てた叩き上げの魔導師だ、現場での最適化スキルを持っていて当然か)
同時に、自分の持つエクストラスキル『スキルコピー』の挙動も理解できた。
俺が毎晩、読み聞かせの段階で、まだ習っていないはずの中級・上級魔法や『無詠唱』まで最初から使えたのは、ベッドの横で音読してくれていた両親の保有スキルを、無意識で全自動複製していたからだと推測できる。
母エルザは元神官だったらしく、上級神聖術までが最初からあったのも、彼女の全盛期スキルをそのままコピーしたからに違いない。
そんなことをボーッと脳内で分析していると、エルザが心配そうに顔を覗き込んできた。
「ルーちゃん、まんま食べないの? どこか悪いの?」
あ、やべ。
中身の赤子のふりを忘れてた。
俺は慌てて、幼児用のエミュレータ(赤ちゃん演技)を起動する。
「まんま、たべりゅ!」
幼児用のスプーンを握りしめ、ドロドロの離乳食を勢いよくかきこんだ。
「ははは! そんなに美味しいのか、ルーカス?」
ギャザーが嬉そうに笑う。
「まんま、おいし!」
ニコッと笑って答えておいた。
中身二十九歳SE、異世界で生き残るための世渡りスキル(愛嬌)も完璧である。
◆
翌朝。
早めに目が覚めた俺は、敷居の低そうな初級水魔法のテストとして、ベッドの上で小さな『水球』を作成してみた。
──だが、これが手痛い失敗を引き起こした。
理論は完璧だったのだが、いかんせん赤ん坊の肉体の出力制御(魔力コントロール)がまだ未成熟だったのだ。
手元で静的に維持するはずだった水球が、俺のコントロールミスによって一瞬で飽和し、ベビーベッドの上にバシャーンと派手にぶちまけられてしまった。
ヤバい、と冷や汗を流した時にはすでに遅し。
朝の様子を見に部屋に入ってきたエルザに、ぐっしょりと濡れそぼったベッドをバッチリ目撃されてしまったのだ。
あとは、言わずもがな。
超高出力の水魔法の暴走は、エルザの目には盛大なお漏らしとしか映らなかった。
「あらあらまぁまぁ! やっぱりルーちゃん、オムツを取るのはまだ早かったかしらねぇ?」
「だ、だぁ……(違うんだ、これは純粋な物理演算のミスで……っ!)」
悲痛な抗議の声は「だぁ」の一言にかき消され、俺の腰回りにはふたたび、強固なオムツが再装備されてしまったのだった。
後悔先に立たず。
どうせテストするなら、ベッドが濡れない『風魔法』にしておけばよかったと、涙目で天井を見上げるルーカスであった。
◆
この「水球誤認お漏らし事件」によって、俺は重要な課題に直面した。
──『魔力制御』の必要性だ。
魔力を体内で回す(循環)だけなら簡単だが、本格的な魔法を外部へ出力して維持するには、繊細な制御能力が不可欠だと思い知った。
しかも、地球の神々から頂いた『神通力』や『気』の制御方法とは、ローゲストの魔力は若干制御方法がズレているのが厄介だった。
地球の技術は、夢の中でスサノオ様とグータッチした際のアカシックレコード接続のおかげで完璧なのだが、やはり人前で地球の陰陽術や古流武術を使うのははばかられる。
この世界の魔法の制御を学ばねば。
本来なら家庭教師を雇って指導してもらうのだが、我が家のような新参の騎士爵家では、そんな予算を組むのも苦しいはずだ。
(……よし、自力で独学特訓するしかないな)
そう思い立ち、日中の誰もいない時間を狙って、庭の片隅で生活魔法の『風起こし』を使った制御訓練をしていたところ、運悪くエルザに見つかってしまった。
「あら!? ルーちゃん、もう生活魔法を自力で発動させているの!? うちの子、やっぱり天才だわ! ……でも、こんなに成長が早いと、早々に家庭教師を探すのも難しいわね。学校に入れるにはまだかなり早いし……どうした物かしら」
エルザが真剣に頭を悩ませていると、そこへ木剣を肩に担いだギャザーがふらりと現れた。
「どうしたんだエルザ? ──おぉ、ルーカス、もう生活魔法が使えるのか! 筋が良いな! ならば今日の休日は、私が直接魔術の手ほどきをしてやろう。おーいルーカス、パパの特訓、大丈夫か?」
現役にして最高のお手本が向こうからやってきた。
俺は幼児語で、
「ぱぱ、まるぅくせーぎょ」
「まるぅくせーぎょ? ──あぁ、魔力制御のことか!」
俺は、コクコクと縦に首を振った。
「どーすりゅの?」
「そうだな。どの属性でもいいから、自分が発動した初級魔術の形状を、一定時間じっと維持してみるのが一番の近道だな。……ちなみにルーカス、お前は今、どの属性の魔法が出せるんだ?」
「じぇんぶ」
「全部……? いや、まさか全属性適性という意味か?」
「あい!」
言葉で説明するよりソースコードを見せた方が早い。俺は小さな両手を突き出し、初級の七大元素魔法(火、水、風、土、光、闇、無)を、一秒ごとにパチパチと切り替えて次々とお披露目していった。
「…………」
ギャザーは顎が外れそうなほど目を見開いたままフリーズした。
「そ、そうか。普通は一生かかっても二つか三つの属性を極めるのが精一杯なのだが……我が息子ながら規格外だな。ローゲストの神々に感謝しなければならん」
(いや、あのガバガバな神様たちには一ミリも感謝しなくていいです)
心の底でツッコミを入れつつ、俺は今朝失敗した因縁の『水球』を空中に形成してみた。
だが、やはりじっと維持しようとすると、球体の表面が波打ち、すぐにペシャンと破裂して床を濡らしてしまう。
「ははは、なるほどな! 全属性を使えると言っても、やはりまだ一歳手前の人の子だ。魔力の出力が安定していない。こればかりは地道な努力あるのみだぞ」
「わかっちゃ」
ギャザーは得意げに笑うと、プロとしての完璧な手本を示してくれた。
「よく見ていろ、これが正しい『水球』の維持だ。一度見ただけでは分からないだろうが、魔力をこうして──って、ええええっ!?」
ギャザーの叫び声が庭に響く。
彼の目の前で、俺の手のひらの上には、ピタリと微動だにしない完璧な真円の『水球』が浮かび上がっていた。
ピロン、と脳内でスキルの実行ログが流れる。
エクストラスキル『ラーニング』の発動だ。
プロの魔力制御方法を至近距離で視認したおかげで、不足していた魔力制御が一瞬で適用されたのだ。
「なりゅほど! まるくせーぎょ(魔力制御)、かんぺき!」
俺はそのまま、ラーニングした応用して、火、風、土といった他の属性の初級魔法も次々と空中に固定してみせた。
「……お、お手本を一瞬でコピーしただと……?」
ギャザーは誇らしさを通り越して、若干引き気味に震えていた。
だが、そこは戦い抜いてきた英雄、すぐにガハハと笑い飛ばすと、夕食の時間になるまで俺の魔力制御の特訓にとことん付き合ってくれた。
おかげで、この世界の魔力制御による魔法コントロール技術は格段に上達した。
さらに、父が任務でいない日は、母エルザから神聖術の制御を習った。
こちらは、体や頭を動かした後の疲労(スタミナ減少)に対して、神聖術のヒーリングを流してリカバリするテストを繰り返すことで、安全に身につけることができた。
わざわざ自傷行為をして傷を治すという、脳筋じみた作業を繰り返さずに済んで本当にホッとした。
◆
そんなこんなで、充実した特訓の日々が数週間ほど過ぎ──。
俺は今度こそ、完全無欠のオムツ卒業を達成したのであった。
その間、魔力制御と神聖術制御の精度は格段に跳ね上がった。
ただ、ふと気になって自作のステータス画面をリロードしてみたが、スキル欄に『魔力制御』や『神聖術制御』の文字は追加されていなかった。
(なるほど。これらはスキルというより、プログラミングで言うところの『タイピング技術』みたいな初歩中の初歩の基礎なんだな。だからわざわざステータスに載らないし、他人のスキルとしてもコピーできなかったわけだ)
俺はベッドの中で、小さな拳をぐっと握りしめた。
(面白い。知識として上級魔法や上級神聖術を持っていても、それを扱う自分の制御技術が追いついていなければ、実戦では全く意味をなさないってことか。……ハッ、異世界転生チートとはいえ、そんなに甘くないってわけだな。よし──がぜん、ゲーマー魂に火がついてきたぞ!)
手に入れた最高位の権限(Root)と、無限の魔力に神聖力、そして神通力。
そこに自分自身の『制御技術』が合わさった時、一体どれほどの威力が引き起こせるのか。
ルーカスは暗い部屋のなかで、まだ見ぬ高難度の未来に向けて、うきうきで特訓の継続を決意するのだった。
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