第七話 地獄の審判の黒炎
ルーカスは破壊の超古代魔術と浄化の神聖術を両手で同時に行使しながら、その内側で、さらに自身の故郷(地球)に伝わる独自の術式を並行して紡ぎ出そうとしていた。
「──『地獄の黒炎よ来たれ。すべての敵を焼き尽くせ。深く、深く、その芯まで焼き尽くせ。絶えることなき永劫の黒炎をもって、目の前の不義を蹂躙せよ……』」
押し寄せる魔物の咆哮が響く中、長く、あまりにも厳かな詠唱の果てに、彼はその術式を解き放つための真名を口にする。
「──『地獄の審判の黒炎』!!」
その言葉とともに放たれた漆黒の劫火は、生き物のように地を這いながら、視界に映るすべての魔物たちを一瞬にしてその身内に飲み込んでいった。
本当に、一瞬の出来事だった。
地平線を隙間なく埋め尽くしていたはずの最強格の魔物の大群が、漆黒の炎に巻かれた次の瞬間には、悲鳴を上げる暇さえなく次々と消滅し、ただの灰へと姿を変えていく。
その天災をも凌駕する絶大な威力を前に、セマフォ殿下やパケ・ロット伯爵、そしてルビィとアドミナ、さらには迷宮の奥から戦況を見ていたブルーノたち年長組までもが、完全に言葉を失い立ち尽くしていた。
当の本人であるルーカスさえも、その凄まじすぎる戦果に内心で戦慄しながら、冷静に思考を巡らせていた。
(どうやら、この世界で元の世界の魔術を使うと、威力が乗算的に跳ね上がるらしいな……。この世界の魔力の濃度が、地球とは比べ物にならないほど濃密だからか? ──よし、地球の魔術は今この瞬間をもって完全封印だな)
冷や汗を流すルーカスへ、セマフォ殿下が引きつった顔で声をかけてきた。
「……ルーカス伯爵。今のは一体、何だ? これも、超古代魔術の類なのか?」
「ええと……まあ、大体そのようなものです(やばい、あまりの危機に思わず手癖で使ってしまった……)」
「……そうか。後で、じっくりと二人きりで話を聴く必要がありそうだな」
「……お手柔らかにお願いいたします、殿下」
「まったく、規格外にも程がある。今の一撃だけで、遺跡に溢れていた魔物の半分が文字通り消滅したぞ。呆けている暇はない、すぐに迷宮内に残されたパスカルたちの元へ急行する!」
◆
その頃、迷宮の奥にいたパスカルたちは、目の前で起きた異常事態に激しい戸惑いを覚えていた。
突然、通路の向こうから見たこともない禍々しい漆黒の炎が津波のように迫ってきたかと思えば、殺到していた魔物の大半を瞬く間に飲み込み、一瞬で灰へと変えて去っていったのだ。
(なんだ、今の不気味な炎は……? これもあいつの言う超古代魔術なのか? 一体どこまで規格外なんだ、あの男は……!)
あまりの光景に呆然とするパスカルの横で、大剣を肩に担いだドッスが苦笑をもらす。
「おいおい、ルーカスの奴、少しは手加減って言葉を知ってほしいもんだぜ。おかげで残ったのは、全体の半分と……今、パスカルの電撃糸に引っかかって感電してるこいつらだけか?」
「……おこぼれのようなものですが、多少は我々の血肉、練度の肥やしにはなるでしょう。皆さん、残りを片付けますよ!」
パスカルはすぐに我に返り、自身が魔鋼糸で捕らえている魔物の拘束を限界まで強めた。
シーが感電して動きを止めた魔物へ向けて、神聖力で付加を施した聖なる騎槍を容赦なく突き立てて貫く。
バイナリは自身の周囲に各属性を司る小型の竜たちを次々と召喚し、その口から五色の息吹を一斉に放射させた。
残留五歳組の面々も、自身が得意とする現代の帝級魔法をひたすら前線へ放ち続ける。
そうして残存していた魔物のさらに半分ほどを倒したところで、極限まで魔力を使い果たした五歳組の生徒たちが、とうとう力尽きてその場に倒れ込んだ。
シーが慌てて駆け寄り、彼らの容体を確認する。
「ただの急激な魔力切れよ。命に別条はないわ、心配いらないわ」
「わかった。彼らは体力が回復するまで、そのままそこで休ませておいてくれ」
パスカルがそう告げた、まさにその瞬間だった。
通路の奥から、ついに聞き覚えのある力強い足音が響いてきた。
ルーカスたちの本隊だ。
先頭を走るルビィが、現代魔術の極みである『時空斬』を放ち、立ちはだかる魔物を一撃のもとに葬り去っていく。
その背後からはアドミナが、帝級魔法と神聖術を絶妙な呼吸で切り替えながら、確実に残党を処刑していた。
(ルーカス本人は当然として、あいつの身内や婚約者まで、どいつもこいつも化け物揃いじゃないか……!)
そして、当のルーカス本人はといえば、取り回しの良い『刀』と呼ばれる未知の異国の武器を正確に振るい、魔物の急所を一撃のもとに切り伏せていた。
「ルーカス! お前、魔力が底を突いたのか!?」
「いや! これほどの狭い通路で大魔法を放てば、味方を巻き添えにしかねないからね。残りは純粋な武術で鎮圧しているんだ!」
(これだけの激戦を戦い抜いておいて、まだそんな余裕を残しているというのか……。やはり、僕も一刻も早く、あの超古代の術式を身に付ける必要がありそうだな)
パスカルは悔しさを滲ませながら、並走するルーカスへ叫んだ。
「ルーカス! この騒動が落ち着いて戻ったら、僕にその超古代魔術を教えてくれ!」
「それなら、まずは通常の『古代魔法』の術式を完璧に身に付けた方が圧倒的に近道だよ、パスカル様! よっと……! 何事も基礎が一番大事だからね。基礎の土台をすっ飛ばして、高度な応用なんて身に付くはずがないんだ。はっ!」
ルーカスは事もなげにそんな持論を語りながらも、一切の手戻りなく魔物を屠っていく。
(……ルーカスの言う通りだ。確固たる基礎なくして、至高の応用など身に付くはずがない。無事に生きて帰ったら、プライドを捨てて古代魔法の基礎から勉強し直すとするか)
ふと視線を向ければ、同じ通路を戦うシーやバイナリもまた、ルーカスの言葉に深く考え込んでいる様子だった。
やがて彼らは一様に何かが吹っ切れたような表情を浮かべると、眼前の電撃糸に絡まった獲物を屠ることに全神経を集中させ始めた。
「ふん、僕も負けてはいられないな。これでも相当な負けず嫌いなものでね!」
パスカルは不敵に微笑むと、懐から予備の魔鋼糸を鋭く取り出し、次なる獲物へと狙いを定めるのだった。
◆
こうして、学院の歴史に類を見ない大規模な掃討戦は、完全な終結を迎えた。
セマフォ殿下は生き残った全員の労をねぎらった後、ルーカスたち十歳組の面々に向き直った。
「一週間後、各自今回の事態に関する報告書をしたためて、私の執務室へ提出しに来てくれ」
「あの……殿下、私たち五歳組はどうすればよろしいでしょうか?」
消耗の激しい年少組を代表し、マイクロンが恐る恐る尋ねる。
「ああ、五歳組の皆はひとまず寮に戻ってゆっくりと休んでくれ。その後は、さらなる鍛錬に励むように。今回の実戦で、自分たちに何が足りないか痛いほど理解できたはずだ。課題を明確に残したままでは、悔しくて寝るに寝られまい?」
「「「「はい!!」」」」
「それと、ルーカス伯爵。地下の最奥で収集したという超古代の書籍群だが、後で王国の宝物庫へと移送してくれ。国家の最重要機密として、厳重に管理・統制したい」
「分かりました、殿下」
「……妙に素直だな、君は。いつもなら何かと理由をつけて煙に巻こうとするものだが」
「いえ、書いてあった内容の解析と記憶は、すでにすべて終わらせましたので」
「「「「「……はあ!?」」」」」
殿下だけでなく、周囲にいたパケ・ロットたちまでもが一斉に裏返った声を上げた。
「いや、あの膨大な書籍を無限収納に格納している間、僕の魔力で構築した『第二の脳(並列思考術式)』に裏で絶え間なく読解と解析を続けさせていましたので。大半は当時の文化や芸術に関する学術書ですよ。実用的な魔導書と神聖術の書物は、上・中・下の計六冊だけでした」
「「「「「……ふう」」」」」
「皆さん、揃ってどうしたんですか?」
「「「「「お前がどれだけ規格外なのかと言っているんだ!!」」」」」
(……よし、この反応を見るに、手元にこっそり全巻の複製本を作って保管してあることは、墓場まで黙っておくことにしよう)
「それでしたら殿下、今からその宝物庫へ書籍を納めに行きましょうか?」
「……いっそ、君という存在そのものを宝物庫の奥底に厳重に封印してしまいたいよ」
「あんな防衛構築が甘々の場所に入れられたら、退屈で干からびてしまいますから御免被りますね」
「まったく君という男は……。まあいい、一応釘を刺しておく。今後、君の超古代魔術の使用には、厳格な制限を設けさせてもらうぞ」
「当然の措置ですね」
「自覚があるなら話が早い。だが、明確に条件を提示しておこう。使用を許可するのは二つの局面のみ。まずは我が王国の存亡に関わる危機の場合、そしてもう一つは、君自身が真の極限状態に陥り、その超古代魔導に頼るほか生存の道がない場合だ」
「謹んで承知いたしました、セマフォ殿下」
ルーカスが深く頭を下げると、殿下はふっと周囲に聞こえないほどの小声になり、至近距離で耳打ちをしてきた。
『──ルーカス。君が先ほど防衛線で放ったあの不気味な黒炎の魔法、あれは超古代魔術などではないな?』
『……なぜ、そのように思われるのですか?』
『超古代の術式であれば、君ほどの練度ならすべて無詠唱で行使できるはずだ。だが、貴公はあの時、明らかに未知の言語で長い詠唱を紡いでいた。違うか?』
『……』
『だんまりか。どうやら図星のようだな』
『……ご想像の通り、まったくの別物です。僕自身も初めて行使した術式なのですが、あまりにも制御不能で強力すぎるため、今後は完全に封印しようと考えていたところです』
『ならば、それも先ほど提示した二つの条件を満たすのであれば、使用を咎めはしない。──だが、貴公のその顔を見るに、もう一つ条件を付け加えたいようだな?』
『……内容によりますが、お許しいただけるのであれば』
『言ってみよ』
『僕の大切な身内──家族や大切な仲間たちが危機に陥った場合も、その制限の対象外として行使を認めていただきたいです』
『ふむ……。良いだろう。では、今挙げた三つの条件のいずれかを満たした場合に限り、その未知の力の行使を認める』
『……ありがとうございます、セマフォ殿下』
ルーカスが安堵の笑みを浮かべると、殿下は再び全員に聞こえる通常の声に戻り、肩をすくめた。
「まったく、君という男は我が国の切り札だよ」
「最高の褒め言葉として受け取っておきます」
「報告書は、一切の誤魔化しなく正確に書くようにな」
「はっ! 殿下!」
◆
そうして無事に詳細な報告書も提出し、騒動から二週間が経過したある日の午前中。
俺たち十歳組と、あの場にいた五歳組の面々は、揃って王宮からの正式な召喚を受けていた。
通達の書状には理由が明記されておらず、全員の胸に得体の知れない不安が過る。
俺たちは一様に重い足取りを引きずりながら、厳かな王宮の門をくぐるのだった。
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