第十話 Sクラスへ
学院の序列決定戦が幕を閉じた、その翌日のこと。
アドミナは、長年の習慣から間違えていつも通り下位のFクラスの教室へと足を運んでしまっていた。
自身の過ちに気づいて途方に暮れる彼女だったが、かつての同級生たちは遠巻きに彼女を囲むばかりで、誰一人として近づいてこようとはしない。
アドミナがほんの少しでも歩み寄ろうとすれば、彼らはまるで蜘蛛の子を散らすように慌てふためいて距離を取るのだった。
さて、どうしたものかとアドミナが悩んでいると、Fクラスの担当講師が教室に入ってきた。
だが、その講師さえも蛇に睨まれた蛙のようにガタガタと小刻みに震え、無意識に身構えている有様だった。
張り詰めた空気が満ちる教室へ、ルーカスがルビィを伴って、平然とした足取りで一学年の階層へと入ってきた。
「アドミナ、教室を間違えているぞ。迎えに来てやったから、荷物をまとめてついてきなさい」
ルーカスはそう優しく告げると、妹の荷物整理をその場で静かに待った。
講師も元同級生たちも、一切の声を出すことすらできず、ただガタガタと震えながらアドミナの一挙手一投足に視線を注いでいる。
「準備ができたわ、お兄様」
「よし、じゃあ行こうか」
終始、その存在を完全に無視された形となった講師と元同級生たちは、怒るどころか、化け物が去っていったことに対する深い安堵の吐息を漏らすことしかできなかった。
◆
「あのお兄様、講師の方々や元同級生たちに、最後のご挨拶をするのを忘れたのですけれど……」
「あんな連中のことは、これっぽっちも気にする必要はないさ。Sクラスの講師から話は色々と聞いている。お前はこれまで、あそこで酷い扱いを受けていたんだろう? しかも、教える立場である講師まで一緒になって、お前を無能呼ばわりしていたそうじゃないか。実力のない羽虫のような連中に、これ以上お前の貴重な時間を割くのは馬鹿げている。もう、あの手の有象無象を相手にする必要は一切ないさ」
「……そうなのですね。それで、私たちは今どこへ向かっているのですか?」
「本校舎とは別に建てられた、Sクラス専用の特化棟があるんだ。そこへ行く」
「普通の生徒たちが通う本棟とは、分かれているのですね」
「ああ、他の生徒たちとは隔離されているというか、まあ、色々と好きにやらせてもらっている特区さ」
「そうなのですね」
「設備も何もかもがSクラス専用なんだ。そのあたりの細かな話は、同じ女性であるルビィから聞いた方が分かりやすいだろう」
「ええ。アドミナちゃん、よろしくね」
「はい、ルビィ姉さま。よろしくお願いいたします」
「じゃあ、まずは着替えからね。Sクラスと一般生徒とでは、纏う制服が完全に違うから。アドミナちゃんの新しい制服も、すでに更衣室に用意させてあるわ。まずはそこへ向かいましょう」
◆
その頃、静まり返ったFクラスの教室では、廊下の遥か彼方から聞こえてくるルーカスたちの声を耳にしながら、残された者たちがただ俯いて黙り込むことしかできずにいた。
◆
「着いたぞ、ここがSクラスの専用棟だ」
「えっ……本校舎よりも遥かに大きいじゃないですか。それに、これほど強力な結界が張られているなんて。一体、何なのですか?」
「ああ、それは外敵の侵入から中の生徒を守るための結界じゃないんだ。内側から放たれる規格外の魔力の暴発を、外に漏らさないために張られている防護結界なんだよ」
「内側からの、暴発……?」
「まあ、中に入ればすぐに理解できるさ。ルビィ、更衣室への案内を頼む。俺はここで待っているから」
「分かったわ」
◆
「ここが女子更衣室よ、アドミナちゃん」
「あの……ルビィ姉さま。今まで、本当にごめんなさい」
「あら、どうして急に謝ったりするの?」
「私、今までお兄様に近づこうとする女性を、全員目の敵にするような態度を取っていたから。その、ルビィ姉さまに対しても……」
「ふふっ、そんなこと気にしないで。私も似たようなものだから。ルーカスに近寄ろうとする悪い虫は、私たちがきっちり退治しなくちゃね」
「ルビィ姉さま……!」
「それよりも、早く着替えて皆との顔合わせに行きましょう。教室で全員が首を長くして待っているわよ」
「はい!」
◆
「お、戻ってきたか。アドミナ、なかなかよく似合っているじゃないか」
「本当にね。これまでの黒い衣服も締まって見えたけれど、その白い衣服もとても素敵よ」
一般の生徒たちが纏う制服は一様に厳格な黒色で統一されているが、Sクラスの生徒だけに着用が許されているのは、純白の制服だった。
黒は戦いにおいて血がついても目立たないための色だが、この白は「己の血を流さず、敵の返り血すら一切浴びない」という、圧倒的な絶対強者としての覚悟を込めた色なのだという。
アドミナは少し緊張しながら、ルーカスに伴われて教室の重厚な扉を潜った。
その部屋の中には、先日の決戦で死闘を繰り広げた同い年のマイクロンをはじめ、十五歳に至るまでの各学年の天才、怪物の先輩たちが一堂に勢揃いしていた。
教壇の前に立っていたSクラスの統括──フォーク校長が、柔和な笑みを浮かべて声をかける。
「ようこそSクラスへ、五歳Sクラスの新たなる首席、アドミナ・マギナ君」
「えっ……私が、首席ですか?」
「前首席であったマイクロン君を真っ正面から打ち破ったのだから、当然その座は君のものだ。ここは完全なる実力主義の世界だからね」
「あの、座学の講義や、宮廷作法などの授業は……?」
「そのようなものは、学びたい者が各自で自主的に学べばよい。ここは基本的に、己の好きな技術を磨き、好きな研究に没頭し、好きな魔導実験を行う──まあ、そういう自由な特区なのだよ。もっとも、これほど異質な環境になってしまった原因の大部分は、君の隣にいるお兄さんにあるのだけれどね」
「お兄様に、ですか?」
「ああ、あまりにも規格外すぎて、どの講師もまともに面倒を見きれなかったのだ。教えることなど何一つない、とね。そうした化け物たちの集まりがここさ。では、ここの設備について簡単に説明しておこうか」
そうして校長から教えられた至れり尽くせりの環境に、アドミナは驚きのあまり目を丸くすることになった。
本校舎の図書室には影も形もない貴重な禁書や古代の魔導書がいつでも読み放題であり、食堂には高価な魔獣の肉を用いた魔力回復効果のある至高の料理が並び、さらに専用の訓練場には、最高位の帝級魔法をどれほど無制限にぶっ放しても絶対に破壊されることのない、古代の強固な結界が施されているという。
噂によれば、エンシェント・ドラゴンの全力の猛攻にすら耐えうる強度らしい。
(流石に、世界の理を覆すような禁忌の呪詛までは耐えられないかもしれないけれど……)
ここでは年齢による上下関係など存在せず、序列こそがすべての法則だった。
五歳のアドミナも、少し年上のルーカスも、最高学年である年長の先輩たちも、皆が同じ学び舎で対等に机を並べている。
どれほど年齢が離れていようとも、実力が下の者は上の者に対して敬意を払い、完全なる実力対等の言葉遣いで会話を交わす世界なのだ。
授業の形式も、教師が黒板の前に立って知識を詰め込むような「普通の授業」は一切存在しない。
それぞれが自身の研究や修練に励み、未知の領域を互いに教え合い、日常茶飯事のように生死の境を彷徨う模擬戦を繰り広げる──それはまるで、冒険者ギルドの溜まり場のような空間だった。
さらに、敷地内にはSクラス専用の人工迷宮まで常設されており、日々の鍛錬のためにそこへ一日中入り浸ることも可能だった。
「ルーカス伯爵が妹、アドミナ・マギナです。皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
アドミナが凛とした声で挨拶を終えると、教室中から一斉に盛大な拍手が送られた。
拍手が鳴り止むと、同じ五歳階層に属するコルセーア、ソーニ、レーノの三人が、興味津々といった様子でアドミナの元へと駆け寄ってきた。
「アドミナちゃん、よろしくね! あの頑丈なマイクロンをボコボコにしちゃうなんて、本当に格好良かったわ!」
「あ、ありがとう」
「ふん、これで五歳組の序列も塗り替わったな。これからは君が僕たちの頭領というわけだ。異論はないよ」
「マギナ家の人間が二人も同じクラスにいるなんて、この教室の強固な結界もいつまで保つことやら……」
口々に歓迎の言葉を述べる同級生たちに囲まれ、アドミナは少し照れくさそうに微笑んだ。
◆
こうして、Sクラスにおけるアドミナの、賑やかで少し規格外な新しい日常が始まった。
アドミナは同い年の級友たちとさらに親交を深めようと、日々彼らの輪へと加わるのだが──なぜかそこには、当然のような顔をしたお兄様までもが漏れなく付いてきてしまうのだった。
「アドミナ、今日の昼食は魔獣の極上肉だそうだ。お前の分も席を確保してあるからね」
「あ、ありがとうございます、お兄様。……でも、少し距離が近くありませんか?」
「そんなことはないさ。兄として、可愛い妹の安全を常に見守るのは当然の義務だからね」
そう言って爽やかに微笑むルーカスだったが、同じ五歳組のマイクロンがアドミナに近づこうとした瞬間、その笑顔のまま、背後から底知れない威圧感を放つのだった。
「あ、あの、アドミナさん……っ。これ、僕の領地で獲れた、魔力の宿るお菓子なんだけど、もし良ければ──」
「おや、マイクロン君。我が最愛の妹に、一体どのような御用かな?」
「ヒッ……!? い、いえ、何でもありません! 失礼します!」
お兄様がただそこに立っているだけで、周囲の空間がパキパキと凍りつくような異常な魔力圧(∞)を放つため、マイクロンは青ざめて直立不動になり、逃げるように去っていってしまう。
さらに、お兄様が移動すると、彼を熱狂的に信奉する十歳階層の先輩たちまでが漏れなく大挙して移動してくるため、五歳組の周辺は常に奇妙な熱気に包まれていた。
また、九歳階層に属するセマフォ殿下もたまに教室に顔を出してくれたが、彼は次期国王としての政務が極めて多忙なようだった。
未だ九歳という若さでありながら、国家の重責を担う王族の苦労は並大抵のものではない。
(それでもなお、この化け物揃いのSクラスに籍を置き、周囲と渡り合っているのだから、やはり殿下も只者ではないわね……)
アドミナは、そんな先輩たちの姿を見るたびに、自身もさらに強くならねばと日々気持ちを新たにするのだった。
◆
アドミナが新しい環境にすっかり馴染み、半月ほどが経過した頃。
緊迫した面持ちのフォーク校長の手によって、Sクラスの全体へ向けた、ある重大な極秘の調査任務が下された。
「諸君、静粛に。学院の敷地内にある人工迷宮の拡張工事を進めていたところ、その最奥の壁から、失われたはずの『超古代の遺跡』へと繋がる未知の隠し通路が発見された」
校長の言葉に、教室内の空気が一瞬で跳ね上がった。
ただし、この任務に関して、王太子であるセマフォ殿下にだけは立ち入りの許可が下りなかった。
万が一にも彼の身に事態があれば国家の存続に関わるため、当然の措置であった。
殿下は悔しそうに歯噛みしながらも、大人しく地上に居残ることを承諾した。
現在、まさしくお兄様から教わった超古代魔法を熱心に習得中であるアドミナにとって、この新たに発見された未知の遺跡は、これ以上ない最高の舞台に他ならなかった。
「お兄様、私の新しい力を、今度こそ存分に試すことができそうな舞台ですね」
「ああ、そうだな。あそこに入ったら、二人で徹底的に暴れ回ってやろう」
兄妹揃って、その顔に不敵で黒い笑みを浮かべる。
それを見た周囲の生徒たちは、「ああ、あの兄にしてこの妹ありか。また一人、とんでもない問題児が本格的に覚醒してしまったな」と、もはや驚くこともなく、ごく自然にその事実を受け入れていた。
だが、その不敵な兄妹の姿は、周囲の化け物たちの競争心に激しく火をつけることになった。
「おいおい、マギナ兄妹に美味しいところを全部持っていかれてたまるかよ!」
「私も行くわ。超古代の遺物なんて、魔導師として見過ごせるわけがないもの」
アドミナの恐れを知らぬ熱意に触発されるように、一人、また一人と、超古代遺跡への調査挑戦を志願する者の数は瞬く間に増えていった。
最終的には、Sクラスの実に七割にのぼる精鋭たちが、危険を承知で遺跡への同行を表明。
残りの三割の生徒たちは、地上からの後方支援や学院の防衛を担う選択をした。
こうして、未知なる超古代の遺跡を巡る大いなる激動の調査に、何らかの形でSクラス全員が深く関わることになるのだった。
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