第九話 覚醒
「マイクロン、ご指名よ。ずいぶんと命知らずな新星が現れたものね」
「……」
「ちょっと、マイクロン? どうしたのよ?」
(……可憐だ。まさしく俺の好みの少女、そのど真ん中ではないか! 胸がこんなに苦しいなんて、これがまさか恋なのか? 俺は今、恋をしているのか……!? アドミナ・マギナ。あのルーカス伯爵の妹君か。世間では評判倒れの無能などと囁かれていたが、強いじゃないか! それに、なにより最高に可愛い!)
「マイクロンってば! さっきからどうしちゃったのよ!」
隣から激しく肩を揺さぶられ、はっと我に返るマイクロン。
「い、いや、何でもない。少々、今後の立ち回りについて考え事をしていただけだ」
「あなたが考え事だなんて珍しいわね。いつも身体を動かすことしか考えていない脳筋のくせに」
「俺だって、たまには深く思考することくらいあるさ!」
「ふーん、怪しいわね。大方、対戦相手の女の子のことでも考えていたんでしょう。可愛い、とか何とか」
「な、何を言っているんだい! そんな不純なことは、これっぽっちも考えていないさ、ははは!」
「何よ、急に妙な話し方になって。さては図星ね?」
「そ、それは──」
「まあ、それはともかくとして、戦いでは絶対に手加減なんてするんじゃないわよ。お情けでSクラスに上げてしまって、後からついて来られなくなったら、一番可哀想なのはあの子なのだから」
「……分かっている。当然、全力で相手をするさ!」
「やれやれ、本当に分かっているんだか」
◆
試合の直前、アドミナは俺たちが陣取る観客席の最前列へと足を運んでいた。
「お兄様、そして皆様。本当にありがとうございました。私がこうして戦いの舞台に立てているのも、すべては皆様のおかげです」
そう言って、アドミナは深く深々と頭を下げた。
「お礼を言うには、まだ少し早いんじゃないかな? まだSクラスのマイクロンに勝ったわけじゃないだろう?」
「お兄様は……私が勝てると信じてくださいますか?」
「もちろん、当然そう思っているさ。ここにいる全員が、お前と同じ考えのはずだ。なあ、みんな?」
「当然よ。あんな脳筋に負けたら承知しないわ」
「当然だろう。君のこれまでの努力は本物だ」
「当然ですわね。自信を持ってお行きなさい」
「大丈夫。あなたが合宿で培った全力を出し切れば、彼にだって十分に勝てるよ」
「ああ、もちろん僕も信じているよ」
ルビィ、パスカル様、シー様、セマフォ殿下、そしてバイナリが、順に温かい言葉を投げかける。
アドミナは目頭が熱くなるのを必死に堪え、全員に向けて満面の笑顔を見せた。
「そうですね! では、精一杯頑張って参ります!」
そう言って、凛とした足取りで武闘台へ向かおうとするアドミナの肩を、俺はそっと引き留めた。
そして、周囲に聞こえないほどの小声で耳元へ囁く。
『アドミナ、ちょっと良いかい』
『何でしょう、お兄様』
『もう間もなく、お前の『必中』のスキルが完全な段階へと目覚める。それが完璧になれば、どんな体勢であろうと、たとえ明後日の方向を向いて術を放とうと、お前の魔法は標的に百パーセント的中するようになる』
『えっ……!』
『おそらく、試合の最中にその瞬間が訪れるはずだ。その時、俺は観客席からある言葉を大声で告げる。それを合図にしなさい。その言葉とは──』
『……分かりました、お兄様。それまでは、教わった通りの近接戦闘で時間を稼ぐのですね』
『ああ。それと、あの秘術・改も直前まで温存しておき、完全な必中が完成した瞬間に一気に解禁するんだ。健闘を祈るよ』
「お兄様、本当にありがとう」
「いや、何。行ってきなさい」
「はい!」
アドミナは力強く頷くと、武闘台に向かって軽やかに走っていった。
「ねえ、兄妹で何をこそこそ悪巧みのような話をしていたの?」
「いや、ちょっとした戦術的な助言さ」
「私たちにも言えないようなこと?」
「まあ、勝利を確実にするための用心だよ」
「ふーん。ま、良いけど。試合が終わったら後でちゃんと教えてね」
「ああ、分かっているよ、ルビィ」
◆
「──これより、一般の序列決定戦を制したアドミナ・マギナ君による、Sクラス編入を懸けた特別試合を執り行う!」
「両者、準備はよろしいか?」
「「はい」」
「よろしい。それでは、試合開始!」
初手、両者が選択したのは、互いに短い距離の空間転移を連続で発動させ、自身にとって最も優位な間合い(間合い)を確保する高度な位置取りの応酬だった。
マイクロンは己の強力な術を活かせる遠距離を保とうとし、逆にアドミナは一気に肉薄せんとして、目にも留まらぬ速度で転移を繰り返す。
そして、マイクロンの転移直後に生じたわずかな身動きの硬直を、アドミナは見逃さなかった。
彼女は転移魔法によってマイクロンの真正面へと正確に陣取り、二人は至近距離で正面から顔を合わせる形になった。
なぜかは分からないが、直前まで完璧だったマイクロンの硬直時間が、妙に長く伸びている。
その決定的な隙を見逃すことなく、アドミナは『ワイバーン・ワンド』の柄を彼の硬い腹部へと強烈に叩き込み、すかさず最高位の帝級火属性魔法『極大爆炎』による追撃を至近距離から炸裂させた。
◆
結界の外で見守っていたSクラスの面々は、その光景に呆れ果てていた。
「ちょっと何やっているのよ、あのバカは!」
「大方、あの子のあまりの愛らしさに、一瞬で見惚れて硬直してしまったんじゃないかしら?」
「底抜けの脳筋な上に、昔から直情的な男だからね……」
「まあ、でもあいつの唯一の取り柄は、あの頑丈極まりない肉体だから。今の強撃でも、おそらく無傷だろうよ」
◆
Sクラスの面々が呆れる通り、最高位の帝級炎熱を誇る極大爆炎の直撃をもってしても、少年の肉体には傷一つ付けることができなかった。
マイクロンはむくりと平然と起き上がると、五歳児とは到底思えない雄大な巨体を誇示するように、アドミナに対して再び深く身構えた。
「少々油断したな。だが、次はもう同じ手は通じないぞぉぉおお!」
しかし次の瞬間、マイクロンは驚愕に目を見開くことになる。
先ほどまで遙か遠方にいたはずのアドミナが、一瞬にして中距離まで一気に間合いを詰め、無詠唱による魔力弾を、マイクロンとその周囲の空間を埋め尽くすように、嵐の如く乱射してきたのだ。
それ自体は下位の魔法に過ぎないが、アドミナが放つ一発一発の魔力弾は、無尽蔵な魔力とΛ除外によって弾丸どころか巨大な砲弾並みの凄まじい威力を秘めていた。
マイクロンは必死に強固な魔法防御壁を展開し、四方から降り注ぐ魔力弾の嵐に耐え忍ぶ。
今度はこちらの番だとばかりに、彼は無数の巨大な氷の槍をアドミナに向けて鋭く撃ち放った。
対するアドミナも、それをすべて自身の魔法障壁によって完璧に受け止める。
中距離における、息を呑むような激しい魔法の応酬が始まった。
しばらくの間、拮抗した膠着状態が続く。
(……このまま正面から撃ち合いを続けていては、じり貧になってしまうわね)
そう直感したアドミナは、今まさに放ち続けている魔力弾の軌道が、真っ直ぐ直線に向かうのではなく、生き物のように急角度で曲がってマイクロンの死角を捉えてくれれば良いのに、と強く念じた。
するとその直後、戦場に奇妙な現象が起き始める。
放たれた魔力弾の一部が、物理法則を無視して不自然に軌道を変え、側面からマイクロンの肉体へと着弾し始めたのだ。
だが、それでもマイクロンは深刻なダメージを負う様子を見せない。
素の防御力だけで最高位の極大爆炎を無効化してみせた怪物である。
多少の魔力弾が命中したところで、気にも留めずに前進を続ける。
しかし、いくら規格外の膨大な魔力を有しているアドミナとはいえ、無尽蔵に近い魔力弾を維持しながら、同時に防御壁に割く魔力の負担は決して無視できるものではなかった。
膠着状態は、なおも緊迫の度合いを増していく。
◆
俺は眼下の武闘台を凝視しながら、アドミナのステータスを常時監視し続けていた。
隣のフォーク校長から現在の戦況について意見を求められたが、俺は周囲を欺くために、わざと当たり障りのない返答を口にした。
「このまま泥沼の消耗戦が続けば、先に魔力を切らした方が敗北するでしょう。我が妹ながら底知れぬ魔力を誇るアドミナですが、攻撃を最小限に抑えているとはいえ、その分防御の維持に多大な魔力を消費しています。一方で対戦相手のマイクロンは、素の肉体だけで最高位の爆炎魔法すら無効化できる本物の化け物だ。多少の被弾を完全に無視して攻撃にのみ専念できる分、現時点ではマイクロンの方が圧倒的に有利と言わざるを得ませんね」
実際、マイクロンの肉体的な防御力は、エンシェント・ドラゴンにも匹敵する領域に達しており、ただの魔法では決定打に欠けていた。
だが、武闘台の状況がいよいよ急変し始める。
アドミナの放つ魔力弾が、最初は数発だったものが、徐々にその多くが不自然な蛇行をえがき、確実にマイクロンの急所へと命中し始めたのだ。
表示されている能力記録の上では、未だ『必中:○(実用レベル)』のままだったが、彼女の魂に眠る必中のスキルそのものが、今まさに猛烈に活性化し、次の段階へと脱皮しようとしているのが見て取れた。
(あと少しだ、アドミナ。ここが本当の踏ん張りどころだぞ……!)
◆
アドミナ自身もまた、己の手から放たれる魔力弾が、持ち主の意図を超えて異様な軌道をえがき始めたことに困惑していた。
そしていつしか、放たれた魔力弾の全弾が吸い込まれるようにマイクロンへと命中するようになり、彼が展開していた防御壁は完全にその意味をなさなくなっていった。
ここに至り、マイクロンは無駄になった防御壁を完全に消し去り、自慢の肉体による突撃と攻撃にのみ全てを賭けようと前傾姿勢になった──その瞬間。
アリーナの実況解説を務めていた、兄であるルーカスの声が、拡声の魔法を通じて戦場に厳かに響き渡った。
「──アドミナが、【覚醒】した」
その一言こそが、待ち望んでいた合図だった。
アドミナの魂の中で、生まれ持った『必中』の技能が、ついに完全なる目覚め(百パーセント)を果たしたのだ。
同時にそれは、合宿で叩き込まれた禁忌の術──『ギャザーが集めし秘術・改』の解禁を告げる合図でもあった。
アドミナは『秘術・改』の術理を展開し、相手の魔力行使を妨害・遮断する無属性の干渉魔法を発動。
マイクロンの喉の器官を瞬時に圧迫して潰した。
だが、無詠唱の技術を極めているマイクロンにとって、喉を潰される程度では攻撃の手は止まらない。
しかし、彼の動きは明らかに大きな戸惑いによって一瞬鈍った。
世界のどの属性にも属さない、見たこともない未知の秘術を叩き込まれたからだ。
その決定的な隙へ向けて、アドミナはかつてルーカスがエンシェント・ドラゴンの肉体すら容易く消し飛ばした、極大の破壊光線魔法『神威の光槍』を解き放った。
眼前に迫るその圧倒的に凶悪な質量を前にして、流石のマイクロンも本能的な恐怖を覚え、全力の回避行動をとった。
だが、完全なる必中の前には、避けるという概念そのものが通用しない。
致命的な胴体への直撃こそ辛うじて逸れたものの、凄まじい光の奔流によって、彼の右腕が根元から無残に吹き飛ばされた。
アドミナは手を緩めることなく、追撃の破壊光線を放ちながら、光輝く魔力の刃『ビーム・ソード』を杖の先端に形成し、猛然と肉薄していく。
危機を察したマイクロンは空間転移の魔法で遥か後方へと避難しようと試みるが、放たれた破壊光線は生き物のように空中で急激に反転し、彼の転移先の空間へと先回りするように襲いかかった。
「じ、自動追尾だと……!? いや、まさかこれが──完全な必中か!」
放たれた術は、標的であるマイクロンの肉体に激突するまで、決して止まることはない。
光の奔流が再び炸裂し、今度は彼の左足が根元から消し飛ばされた。
アドミナは二肢を失って身動きの取れなくなったマイクロンの眼前へと静かに着地すると、その首筋に、冷たく輝く魔力の刃をぴたりと突きつけた。
「……降参してください」
「──分かった。俺の負けだ、降参する」
勝敗が決した直後、駆けつけた救護班による最上位の蘇生・治癒魔法リザレクションが施され、マイクロンの欠損した右腕と左足は一瞬にして元の通りに再生された。
肉体が完全に元通りになるや否や、マイクロンはガシッとアドミナの小さな両手を熱烈に掴み、顔を真っ赤に染めて叫んだ。
「貴女に完全に惚れました! どうか、俺と婚約してください!」
「私、自分のお兄様よりも弱い異性には、これっぽっちも興味がありませんので。ごめんなさい」
一切の生温い猶予すら与えない、あまりにも冷徹な即答での拒絶。
それを見ていたアリーナの観客たちは、誰もが心の中で(いや、それはいくら何でも無理難題すぎるだろう……!)と、盛大な突っ込みを入れていた。
ちなみに、この時の俺自身が、客席であり得ないほどの鬼の形相をしてマイクロンを睨みつけていたことは、後からSクラスの全員に散々からかわれ、突っ込まれることになる。
何はともあれ、こうしてアドミナのSクラス入りは、誰の文句もつけようのない形で確定したのだった。
◆
華々しい表彰式の全行程を終えた後、俺は一通の手紙によって、校長室へと呼び出されていた。
「ルーカス伯爵。……先ほどの試合で見せた、あの『ギャザーが集めし秘術・改』という失われた高等術式は、確か世界で君一人にしか扱えない一子相伝の技術だったはずではなかったのかね?」
「いやあ、やっぱり血の繋がった兄妹ですね。妹も生まれつき同じような術の素養を魂に秘めていたようでして。あの山での合宿の際に、ついでに伝授しておいたのですよ」
「……また一つ、学院の頭痛の種が増えてしまったよ」
「おやおや。校長先生、心の痛みを和らげる治癒魔法でも要りますか?」
「いや、断じて結構! これ以上、学院内で問題を起こさないでくれればそれでいい!」
「ええっと……俺の記憶が確かならば、これまでに何か大きな問題を起こした覚えはないのですが?」
「君という規格外の存在がそこにいること自体が、この学院にとって最大の頭痛の種なのだよ、伯爵!」
こうして、何とも理不尽極まりない校長からの説教を、俺は小一時間ほど大人しく聞き流し続ける羽目になるのだった。
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