第三話 劣等感
アドミナは、自身の配属されたEクラスの中だけでというより、この王立アルテア貴族学院という場所そのもので完全に孤立していた。
理由は、あまりにも単純だった。
偉大なる兄、ルーカスと比較され続けているからだ。
それは生徒たちの間だけにとどまらず、教壇に立つ講師陣からさえも比べられるという、むごい有様だった。
「お兄さんは、あれだけ多才だというのに」
「ルーカス伯爵の出涸らしだな」
「的に当てられないのなら、ただの突っ立っている案山子と同じだ」
「大魔法の使い手、などと聞いてみれば、とんだ狙い損ないではないか」
そんな陰口は、同じEクラスの者たちだけでなく、さらに下位のクラスであるFからIクラスの生徒にまで言われる始末だった。
元々人見知りの傾向があったアドミナだったが、この過酷な環境によってその性格にはさらに磨きがかかってしまった。
ただうつむき、下を向いて歩く日々。
耳を塞ぎ、周囲から浴びせられる罵詈雑言を心の外へと遮断する日々が続いた。
やがてアドミナはまともに授業へも出られなくなり、保健室に一人こもるようになっていった。
一方で講師陣にとって、アドミナの存在は最大の謎であった。
放った術が的に当たらないというのなら、通常は魔力や神聖力の制御が未熟なはずである。
しかし、もし制御が未熟なのだとすれば、初級の魔法や神聖術を行使した時点で、手元で暴発するか霧散するはずなのだ。
だが、アドミナは暴発を起こすこともなく、最高位である帝級魔法や神聖術を、詠唱すら挟まずに完璧に発動させてみせる。
ただ、どうしても標的にだけは当たらない。
それだけが、どうしても説明のつかない謎だった。
むろん、攻撃魔法を相手に命中させようと思えば、方法がないわけではない。
ただしそれは、味方すらをも巻き込む、自分を中心に三百六十度すべてを吹き飛ばすような超広範囲の破壊魔法に限られた。
そんな危険な術しか使えないようでは、誰かと班を組んで演習を行うことなどできるはずもない。
そもそも、彼女と組もうとする物好きな相手など一人もいなかった。
現在の学院は、完全な実力主義である。
弱い者、役に立たない者は容赦なく淘汰され、下位クラスへと突き落とされる。
そんな張り詰めた空気の中、事件は起こるべくして起こってしまった。
よりにもよって、アドミナが最も触れられたくない逆鱗を、土足で踏みにじる下位クラスの生徒が現れたのだ。
◆
「おいおい、あのルーカスって天才伯爵も、本当は中身のないハリボテの無能なんじゃないか?」
その侮蔑の言葉を耳にした瞬間、アドミナは完全に冷静さを失っていた。
「お兄さまは、ハリボテなんかじゃないわ!」
「はっ、だったら決闘をして、お前自身の力で証明してみせろよ!」
激昂するあまり、気づいた時にはアドミナは決闘の申し出を承諾してしまっていた。
後悔しても、すでに遅い。
その日の放課後、彼女は決闘の舞台となる闘技場へと、重い足取りでトボトボと歩いていた。
すると、闘技場へと続く薄暗い通路の先に、一人の人影が立っていた。
今、この世界で一番顔を見たくて──だけど同時に、合わせる顔がなくて一番会いたくない、最愛の兄の姿だった。
◆
俺は、アドミナのことが心配で仕方がなかった。
講師や保健室の先生から、彼女が置かれている悲惨な現状は事前にすべて聞き及んでいた。
だが、いざ傷ついた妹を目の前にすると、かけるべき適切な言葉がどうしても見つからなかった。
前世の中身が二十九歳のオッサンであるにもかかわらず、大人の年長者としての気の利いた助言が、何一つとして思い浮かばないのだ。
「アドミナ。……自分の可能性を、信じなさい」
結局、そんなありきたりな言葉を絞り出すだけで精一杯だった。
なんて情けない兄だろうと、胸の内で激しい自己嫌悪が渦巻く。
俺は闘技場の舞台のすぐ傍らに控え、アドミナの補佐役として付くことにした。
観客席の前方を見上げれば、ルビィをはじめとするSクラスの面々が陣取り、固唾を呑んでこちらを伺っているのが見えた。
そして無情にも決闘の鐘が鳴り響き、戦いの幕が上がった。
◆
私は、舞台のすぐ下で見守ってくれている兄さまの方を一度だけ振り返り、それから正面の対戦相手へと向き直った。
相手はFクラスに籍を置く、素行の悪い不良生徒だ。
お兄さまが授けてくれた「自分の可能性を信じなさい」という言葉が、震える私の背中を優しく押してくれた。
──勝たなきゃ。
お兄さまのために、絶対に。
頭の中は、その一念だけで満たされていた。
決闘開始の鐘の音がアリーナに響き渡ると同時に、私は速攻を仕掛けるべく、炎の帝級魔法プロミネンスを無詠唱で放った。
しかし、眩い光を放ちながら撃ち出された灼熱の火球は、対戦相手の立ち位置から大きく逸れ、全く明後日の方向へと飛んでいってしまう。
焦った私は、その後も立て続けに雷撃の極大魔法エクストラ・ライトニング・ボルトや、絶対零度の氷結魔法アブソリュート・ゼロといった帝級の術を次々と繰り出した。
だが、どれほど手数を重ねても、凶悪な魔法は相手に一向に当たらなかった。
そればかりか、闘技場の防壁や防護結界に激突しては、虚しく霧散していくばかりだった。
その様子をじっと観察していた相手は、やがて確信を得たようにニヤリと下劣な笑みを浮かべた。
「本当に、一発も当たりやしねえぞ!」
叫ぶと同時に、男は一瞬で私との間合いを詰め、手にした短剣を容赦なく振りかぶった。
鋭い衝撃と共に、私の肩に激痛が走る。
そう思った次の瞬間には、頭部に強い衝撃を受け、私の意識は暗転してその場に昏倒していった。
◆
俺は、冷酷な審判が下るのを、ただ拳を握りしめて黙って見つめるしかなかった。
アドミナはFクラスの生徒に敗北したため、学院の規定により順位が入れ替わり、彼女はFクラスへと降格。
勝利した不良生徒は、入れ替わりでEクラスへと昇格することになった。
決着がつき、舞台へ上がる許可が下りると同時に、俺はすぐさま横たわるアドミナの元へと駆け寄った。
即座に最上位の治癒魔法を行使し、彼女の負った痛々しい傷をまたたく間に回復させていく。
そうして妹の身体の回復具合を確認するため、彼女の魂に刻まれた能力値の記録──ステータスを詳細にのぞき込んだその時、俺の目は信じられない文字列を捉えた。
◆
【ステータス(Ver1.5)】
[基本情報]
名前:アドミナ・マギナ
年齢:五歳
種族:人間
習熟度:I
職業:賢者
[能力段階]
知力:S / 知識:B / 知恵:A 腕力・体力・器用・俊敏:F / 運:G 魔力・神聖力:SSS / 神通力:-
[スキル]
全属性魔法:◎(完璧) / 全神聖術:◎(完璧) / 魔力視:◎(完璧)
[エクストラスキル]
ギャザーが集めし秘術:△(習得中) / 詠唱破棄 / 古代魔法:×(未習得) / 超古代魔法:×(未修得) / 必中:×(未取得)
[ユニークスキル]
ローゲストの神々の加護
[称号]
賢者の卵
◆
俺の視線は、その中の『必中』という項目に釘付けになった。
ルビィも持っている、あの必中のスキルだ。
どんなに体勢が崩れていようとも、一度放った攻撃が必ず標的に吸い込まれるという、極めて強力な能力。
だが、アドミナの持つそのスキルの習熟度は、最低評価を示す『×(未習得)』の印が刻まれていた。
俺がその異常な項目に意識を集中させると、頭の中に、AIのアナウンスが静かに響き渡った。
『──スキル『必中』は、習熟度の段階に応じて、命中率がそれぞれ×(未習得)(〇%)、△(習得中)(二十五%)、○(実用レベル)(五十%)、◎(完璧)(百%)へと変動します。対象者の段階は『×(未習得)』であるため、命中率は正確に〇%──すなわち、放った攻撃は【確実に標的を外れる】特性を持ちます。また、この反動により、一時的に運の数値も低下します』
俺は、あまりの衝撃に愕然とした。
これまでの実技試験で、アドミナの放った魔法や神聖術が暴発しなかった理由──それは魔力や神聖術の制御力が未熟だったからではない。
この『必中』というスキルが、最悪の形で牙を剥いていたからだったのだ。
いや、それだけではない。
生まれ持った運の評価が『G』という、なんとも微妙で不自然な低さに甘んじていたのも、この呪いのような特性のせいだったのだ。
世界の声が確かであるなら、アドミナが本来持っているはずの運は、もっと高いものであるはずだった。
まずは、この『必中』のスキルをどうにかして鍛え直すか、あるいは制御する方法を見つけなければならない。
そう考えたものの、これほどの異常事態に対する良い解決策など、すぐには思いつかなかった。
あまりの衝撃の大きさに、俺は「全く同じスキルを最高水準で使いこなしているルビィに助言を求める」という、最も単純で確実な手段にすら、この時はまだ思い至っていなかった。
◆
アドミナは、文字通り人生のどん底を味わっていた。
手痛い負傷を負い、クラスの順位すらも奪われ、何よりも「大好きな、お兄様の名誉を守ることができなかった」という絶望感が、彼女の幼い心を木っ端微塵に打ち砕いていた。
そしてお兄さまは、あの決闘の日を境に一人で深く考え込むことが多くなり、私が勇気を出して話しかけても、どこか上の空で心ここにあらずといった様子だった。
大好きな人に距離を置かれているようなその感覚が、アドミナにとっては周囲の嘲笑よりも何よりも苦しくて、辛かった。
このまま学院に行けば、また誰かから決闘を申し込まれるに違いない。
前回の決闘の一件で、周囲の不届き者たちには「ルーカス伯爵を侮辱すれば、あの妹は簡単に怒り狂って理性を失う」という、最悪の弱点が完全に知れ渡ってしまったのだ。
的を狙えない自分の実力では、次も確実に負ける。
そうなれば、私は本当に最底辺のIクラスへと転落してしまうだろう。
──マギナ家の恥さらし。
そんな残酷な言葉が頭をよぎり、耐えきれなくなった私は、ついに学院への登校を拒むようになった。
自室の扉を固く閉ざし、部屋に閉じこもるようになってしまったのだ。
◆
執事のアルゴルから、アドミナが登校を拒否し、自室に閉じこもってしまったという報告を受けた。
最悪の展開だった。
俺はアドミナの部屋の前の廊下を、ただうろうろと往復することしかできなかった。
今の彼女に、一体どんな言葉をかけてやれば救いになるのか、どうしても分からなかったのだ。
前世を含めて歳を重ねてきたというのに、この程度のことも解決できないのかと、猛烈な自己嫌悪が襲いかかってくる。
同じ屋敷で暮らす婚約者のルビィもまた、どう動くべきか深く迷っている様子だった。
そんなある日のこと。
ルビィが密かに連絡を回してくれたおかげで、Sクラスの仲間たちとセマフォ殿下が、このルーカス伯爵邸へと一堂に集結した。
話し合うべき議題は、当然ながらアドミナのことだ。
このまま彼女が引きこもり続ければ、最底辺クラスへの転落どころか、学院を落第になってしまう。
それは貴族の社会において、将来を完全に絶たれるに等しい致命傷だった。
俺、ルビィ、セマフォ殿下、シー様、パスカル様、バイナリ。
現在の学院における最高戦力たちが車座になり、それぞれの意見を交換し合う。
その結果、まずは学院側に事情を説明して猶予を乞い、その間にアドミナに対して全員で集中特訓──すなわち、限界を突破させるための『地獄の短期合宿』を課すということで、全員の意見が一致した。
そこからは、誰が何を教えるかという具体的な役割分担の話し合いに移る。
俺はここで、アドミナの魂に『必中(無効)』という特殊なスキルが見つかったことを、仲間に正直に明かすことにした。
ただし、俺自身の固有能力ステータス・オープンで見抜いたとは言えないため、「以前、教会から極秘裏に譲り受けた、個人の資質を詳細に鑑定できる特殊な魔道具を使用した」という嘘の釈明を添えて説明した。
相手の能力を完全に覗き見る力は、この世界における俺の生命線であり、誰にも明かすわけにはいかないからだ。
「なるほど、攻撃が必ず外れる特性、ですか……」
仲間たちがアドミナの抱える理不尽な呪いに驚き、解決策を模索し始める。
そんな中、俺はふと、久しぶりに目の前に座る婚約者の顔を正面から見据えた。
その瞬間、俺の脳裏に電撃のような閃きが走る。
ルビィ──彼女こそが、その『必中』の技能を、最高純度の『完全』な状態で使いこなしている張本人であったという事実に、俺は今更になってようやく気がついたのだった。
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