第二話 妹(アドミナ)
王立アルテア貴族学院の入学試験当日。
その日、学院内は上を下への大騒ぎ状態に陥っていた。
講師陣はもちろんのこと、在校生から他の受験生に至るまで、誰もがそわそわと落ち着かない様子で周囲を見渡している。
理由は極めて明白だった。
あのルーカス伯爵の妹が、ついに受験にやってくる──。
その一点に尽きた。
今や俺の名声、あるいは悪評は、国中に広く知れ渡っている。
「あの傲慢だった前王太子を完全に打ち負かした天才児」
当時の様子は、人々の噂によって背尾ひれがつき、ある場所では英雄のように称えられ、またある場所では冷酷な悪鬼のようにも語られていた。
まあ、この噂のおかげで、滅多なことでは決闘を申し込まれることもなく、煩わしい思いをしないで済んでいる。
勝手に尾ひれがついた噂を放置しておいた自分も悪いのだが、実利があるなら好都合だった。
そんな兄を持つ身とあって、妹のアドミナに対する周囲の前評判は、試験前から最上位のSクラスへの配属が確実視されるほどに跳ね上がっていた。
そのような状況の中、俺とルビィに付き添われてアドミナが試験会場に姿を現したものだから、その姿を一目見ようと、群衆が遠巻きに幾重もの人垣を作ってこちらを凝視していた。
現れたアドミナは、誰もが目を奪われるほどの美しい幼女だった。
その愛らしい外見に周囲は一瞬ほだされかけるのだが、すぐ隣に立つ俺の冷徹な姿を見て、即座に表情を引き締める者が続出した。
ルビィが言うには、俺たちは兄妹揃って見事な美形らしいのだが、正直なところ俺自身はそんなことに全く興味はなかった。
中身は二十九歳のオッサンなので、周囲の視線など小鳥の囀り程度にしか感じていないからだ。
ただ、アドミナが世界一可愛いという点については、全面的に同意する。
自分でも、相当な妹煩い──いわゆるシスコンの自覚はあった。
さて、午前中に行われたのは筆記試験だ。
アドミナを試験会場へと送り出した後、手持ち無沙汰になった俺とルビィが待機していると、ひとりの教員が血相を変えてこちらに駆け寄ってきた。
話を聞けば、実技試験で使用する防護結界の強度が、アドミナの放つ魔法に耐えられるかどうか事前に確認してほしい、とのことだった。
「いくら何でも大げさだな」
そう思いつつも、俺とルビィは入念な強度確認に入る。
試しに、最高位である帝級の火属性魔法をΛ抜きで通常の十六倍の強度で放ってみたが、結界はびくともしなかった。
問題ないと講師に告げると、彼は心の底から安堵したような表情を浮かべ、今度は「ぜひアドミナ様の実技試験の際にも立ち会っていただきたい」と懇願してきた。
これまた大げさだとは思ったが、講師の圧倒的な熱意に押し切られる形で、俺たちはそれを受け入れることにした。
そうこうしているうちに、午前の筆記試験が終了した。
戻ってきたアドミナに試験の手ごたえを尋ねると、
「バッチリよ、兄さま、ルビィ様」
と頼もしい返答が返ってきた。
近くのベンチに座って三人で昼食をとっている間も、集まった見物人たちが遠巻きにこちらの様子を伺っているのが分かった。
妹を溺愛する俺としては、可愛いアドミナに悪い虫を近づけさせまいと、無言で不穏な威圧感を周囲に放ってみる。
すると、見物人の数が少しだけ減った。
だが、依然として周囲の注目度は高いままだ。
そこへ、シー様とパスカル様、そしてバイナリが姿を現した。
十歳にしてSクラスに君臨する面々が揃い踏みした瞬間だった。
彼らもまた、アドミナのことが気になって様子を見に来たらしい。
学院最強、あるいは最恐と噂される早熟な天才たちに囲まれ、アドミナは緊張から冷や汗をかいていた。
俺は優しく声をかける。
「アドミナ、緊張しているかい?」
「ええ……これほど凄まじい方々に囲まれてしまうと……その……」
「そっか。それは仕方のないことだよ。ところで午後の実技だけど、魔法と神聖術の試験を受けるんだろう? 何か対策は考えている?」
「ええと、あはは……まだ、ちゃんと考えていないかも。その前の身体測定で、どんな結果が出るかも分かりませんし……」
「そうか。……(心の中で彼女の能力値を覗き見る限り、魔力も神聖力も規格外の最高値を叩き出しているのだがな。一体何をそんなに緊張しているのだろう?)」
そう、俺はこの時、もっと詳細にアドミナの隠された能力値を確認しておくべきだったのだ。
だが、この時の俺は、そんな必要性をこれっぽっちも感じていなかった。
アドミナには、俺が直々に、詠唱を必要としない帝級魔法と帝級神聖術を徹底的に叩き込んである。
心配する要素など、どこにもないはずだった。
しかし、事態は思わぬ方向へと転がり始める。
まず行われた身体測定では、魔力と神聖術の潜在能力こそ最高値の『SSS』を記録したものの、それ以外の項目は五歳時の平均的な評価の『F』。
ただ、生まれ持った運の良さに至っては、最低評価に近い『G』という壊滅的な結果が出たのだ。
それでも、魔力と神聖力の桁外れの数値を見た見物人からは、「おお……!」という感嘆の声が漏れていた。
そして次に行われたのが、実技試験である魔法による的当てだった。 事件は、ここで起きた。
アドミナの番が巡ってき、周囲が固唾を呑んで見守る中、彼女は最高位の火属性魔法を無詠唱で発動させた。
手元に現れた絶大な熱量に、見物人たちのどよめきは一段と大きくなっていく。
そして、満を持して放たれた激しい火球……プロミネンス。
だが──その轟音を響かせた大魔法は、正面の的を大きく外れ、全く明後日の方向へと飛んでいってしまった。
周囲が「えっ?」と目を見張る中、アドミナは焦ったように続けて最高位の雷撃魔法エクストラ・ライトニング・ボルトを射出する。
しかし、それもまた的を大きく外れて虚空を切り裂いた。
静まり返っていた会場が、一転してざわめき始める。
アドミナは下を向いたまま、きゅっと口を結んで震えていた。
「アドミナ──」
俺が声をかけようとした瞬間、彼女は弾かれたように走り出し、そのままどこかへ姿を消してしまった。
結局、魔法の実技試験は、最高位の魔法を無詠唱で扱えるものの的に当てる能力が皆無であるという点から、妥協案として下位の『E』もしくは『F』判定という評価に落ち着いた。
続く神聖術の試験では、俺の時と同じく「枯れた花を蘇生させる」という課題が出されたのだが、彼女が力を込めると、花ではなく周囲の雑草が恐ろしい勢いで生い茂るという結果になり、こちらも同様の低評価となった。
翌日、試験結果が学院の掲示板に張り出された。
アドミナの配属は、中下位である『Eクラス』に決定していた。
筆記試験が満点に近かったため、辛うじて下上位のFクラスだけは免れた、というのが実状だった。
掲示板の前で、アドミナは悔しそうに拳を握りしめ、俯いている。
そんな彼女の様子を見た周囲の受験生たちは、ひそひそと容赦のない陰口を叩き合っていた。
「期待外れだな」
「大したことなかったな、あの妹」
「いくら魔力があっても、まともに制御できないんじゃ無能と同じだろ」
「兄の才能の出涸らしだな」
俺が不快感を露わにし、その声がした方へと視線を向けると、人々はまるでモーゼの海割りのように、怯えながら道を開けて身を引いていった。
(これは、後でアドミナから詳しく話を聞く必要がありそうだな……)
俺はそう苦々しく思いながら、妹を連れて帰途につくしかなかった。
その日の晩の夕食時。
俺やルビィ、そして執事のアルゴルが何度もアドミナを食事に呼びに行ったのだが、彼女は「食欲がない」の一点張りで、頑なに部屋から出てこようとしなかった。
初めて受けた世間からの冷酷な評価が、相当に堪えたのだろう。
今はしばらくそっとしておいて、彼女が自ら顔を見せた時にしっかりと話を聞こう。
俺はそう考えていた。
──いま、アドミナがこの世界で一番顔を合わせたくない相手が、他ならぬこの俺であることにも気づかないまま。
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