第一話 五年後の勢力地図
あの熾烈を極めた序列決定戦から、五年の月日が流れた。
次期国王であるセマフォ殿下が主導した、高位魔法や神聖術の一般公開──いわゆる技術の開放は、学院の様相を根底から一変させていた。
今や、どれほど高い爵位を持つ貴族だろうと、実力がなければ容赦なく下位クラスへと叩き落とされる。
逆に、たとえ身分の低い下級貴族であっても、確かな力さえ示せば上位クラスへと這い上がることができる。
そう、この学院は完全な実力主義の社会へと移行したのだ。
定期的な順位決定戦を待つまでもなく、学院の至る所で決闘が横行し、敗れた者は強者に身も心も蹂躙される。
そんな弱肉強食の環境にあって──なぜか俺だけは、周囲の生徒から徹底的に避けられていた。
ある生徒は怯えたようにこう言った。
「あんな化け物とまともに戦ったら、命がいくつあっても足りない」
またある生徒は顔を青くして語る。
「自殺願望者でもない限り、ルーカス伯爵に喧嘩を売る愚か者はいない」
……だそうだ。
気がつけば、裏では『氷の貴公子』などという大層な二つ名で呼ばれていた。
常に冷静沈着で、氷のように鋭い眼差し。
とても十歳の子供には見えない、というのが周囲の評価らしい。
だが、実際の俺の中身は二十九歳のオッサンだ。
周囲がどれほど畏怖しようが、内心では「あー、今日も小鳥が鳴いているな」程度にしか思っていない。
どうやら、傍から見るとその締まりのない無関心さが、逆に底知れない威圧感を与えているようだった。
セマフォ殿下とは、五年経った今も変わらず良い関係を築いている。
殿下から相談事を受けるたび、前世の大人の視点からそれとなく助言を授けると、彼は「なるほど、そのような考え方もあるのですね!」と深く感心してくれる。
そんなセマフォ殿下は、俺直伝の魔法と神聖術を引っ提げ、一学年下の最上位──Sクラスに堂々と在籍していた。
そして俺はルビィとも、婚約者として順調に仲を深めている。
ただし、ふたりで行う模擬戦の時は完全なガチ勝負だ。
もし俺に、転生時に神々から授かった武術や退魔術の技能がなければ、今頃は間違いなくこの世にいなかっただろう。
それほどまでに、彼女の放つ『時空斬』は向かうところ敵なしの領域に達していた。
今や彼女は、周囲から『苛烈なる戦姫』と称えられ、恐れられている。
あの、変幻自在の技を持つパスカル様でさえ、ルビィと真正面から戦うことだけは避けているほどだ。
そのパスカル様は、自身の得意とする魔鋼糸の技術では俺に対抗できないと悟ったのか、最近は半分諦め顔を見せるようになった。
とはいえ、俺の持つ能力ハッキングにも明確な弱点はある。
相手の術を分解し、自分のものとして構築し直すためには、あえて一度、相手の攻撃に身を晒さなければならない。
そのため、もしパスカル様が俺を捕らえようとせず、最初から無詠唱による魔法の超連打に徹してきた場合、俺の防御がどこまで耐えられるかは未知数だった。
まあ、その時はその時で、前世から持ち込んだ秘策や技術を総動員すれば何とかなるのだが。
同じ意味で言えば、シー様も相当に恐ろしい存在へ成長していた。
高位の『聖騎士』へと至ってからの彼女の成長スピードには、目を見張るものがある。
現在、彼女が冠している二つ名は『不死の聖騎士』だ。
こちらがどれほど打撃を与えても、瞬時に発動する再生魔法によって傷が次々と塞がっていく。
彼女をねじ伏せるには、その驚異的な回復量を上回る絶大な一撃を叩き込み続けるしかない。
その上、彼女は究極の蘇生魔法まで使いこなすため、実質的な体力は底なしだ。
手合わせをしても、大抵は決着がつかずに引き分けに終わってしまう。
そんな化物揃いのSクラスに、最近、新たな顔ぶれが加わった。
モッド伯爵家のバイナリだ。
彼はあの決定戦以来、自身の召喚術に血の滲むような磨きをかけ、多種多様な魔獣を使役できるようになった。
驚くべきことに、今では各属性の「竜」さえも呼び出すことができる。
俺やルビィのような規格外の例外を除けば、普通の生徒が単体で竜を相手にして勝てるわけがない。
しかも、彼はそれを複数同時に召喚できるのだ。
もはや一つ下のAクラスでは手に負えなくなった彼は、めでたくSクラスへの切符を掴み取った。
ただ、バイナリはどうしてもルビィに対する苦手意識が抜けないらしい。
それも無理はない。
ルビィの前に立ちはだかれば、どれほど強固な竜であっても、最高位の攻撃魔法によって一撃で肉体を消し飛ばされてしまうのだから。
いくら授業で竜の弱点を学んだとしても、それを実戦の極限状態で完璧に実行できる者など、普通は存在しない。
疑問に思ってルビィの能力値を覗いてみたところ、彼女の技能一覧に、新しく『必中』という項目が追加されていた。
その習熟度は、文句なしの最高位──つまり、命中率百パーセントを意味していた。
一度狙いを定めてしまえば、どんなに体勢が崩れていようが、放った攻撃が必ず標的に吸い込まれていく。
この絶対的な能力が、後に学院を揺るがす大波乱を巻き起こすことになるのだが……この時の俺は、まだそんな未来を知る由もなかった。
さて、当の俺自身の本音を言えば、古代や超古代の失われた魔法、そしてこれまで積み重ねてきたあらゆる技術や技能を総動員して、ようやく周囲に対して辛うじて優位を保っている、というのが現実だった。
この五年間で、Sクラスの面々は全員が文字通りの怪物へと変貌を遂げていた。
いや、それどころかAクラス以下の生徒たちであっても、少しでも油断をすれば足をすくわれかねない。
だがあえて自己鍛錬のため、俺はAクラス以下の相手と戦う際は、手加減としてのハンデを自らに課し、主戦力となる大技を封印して対応するようにしていた。
それほどまでに、この五年間で『王立アルテア貴族学院』は激変してしまったのだ。
これには、学院側の思惑も多少は絡んでいるのだろう。
国全体の戦闘力における平均値を底上げする──その試みは、一見すると大成功を収めたかのように思えた。
しかし実際は、学院側の予想を大きく超える結果となって現れた。
要するに、生徒たちを鍛えすぎてしまったのだ。
最近では、講師たちが上位クラスの生徒に対して、
「もうお前たちに教えられることは何もない。疑問があっても、翌日には自力で解決しているではないか」
と頭を抱える始末だった。
当の生徒たちは、貪欲にさらなる高みを求め、もはや放っておいても勝手に自らの牙を研ぎ続けている。
五年前であれば間違いなくSクラスに君臨していたであろうレベルの猛者が、今やBクラス以上にゴロゴロと転がっているのが当たり前の状況になりつつあった。
だが、俺もただ周囲の成長を、指をくわえて見ていたわけじゃない。
少しずつ、世界の根源へと独自の経路を繋ぎ、この世界には存在しない前世の知識や実戦データへ直接アクセスしては、自らの肉体に馴染ませていた。
結果として、陰陽術のみならず、魔物や魔人に対して絶大な威力を発揮する『退魔』の力を完全に我が物とした。
ある種の魔人と言っても差し支えないSクラスの面々を相手にするには、これ以上ない特効薬だ。
さらに武術の腕も磨き上げ、前世に存在したあらゆる流派の真髄を融合させた、独自の『ルーカス流武術』を編み出すことにも成功していた。
そうして激動の五年が過ぎ──いよいよ、俺の可愛い妹であるアドミナが学院に入学してくる年齢になった。
学院が長期休暇に入るたび、俺とルビィは領地の実家に戻り、アドミナに徹底的な英才教育を施してきた。
最初の頃、アドミナはルビィに対して少し距離を置いて壁を作っているようだったが、最近では彼女を「お姉さま」と慕い、とても仲良くやっているようで兄としては一安心している。
◆
「うう……どうして……」
私、アドミナは、今ものすごく深い悩みの淵に沈んでいました。
どれだけ必死に精神を集中させて魔力を制御しようとしても、放った魔法がどうしても標的に当たらないのです。
これでは、私が心から敬愛するルーカスお兄さまの輝かしいお名前に、泥を塗って恥をかかせてしまいます。
そんな焦りから、私は死に物狂いで様々な術を学びました。
気がつけば、最高峰とされる帝級魔法や神聖術すら身につけていました。
さらには、お兄さまの直々の指導のもと、周囲のあらゆる力を引き寄せて味方につけるという秘術すら完全に習得したのです。
ただ、あまりにも古い時代の言語で書かれた古代魔法や超古代魔法だけは、どうしても読み書きができなくて習得できませんでしたが……。
それにしても、なぜなのでしょう。
どれほど努力を重ねても、私が「あの的を狙おう」と意識して術を行使すると、魔法はまるで見当違いの方向へと飛んでいってしまうのです。
それも、百パーセントの確率で。
自分は何か恐ろしい呪いにでもかかっているのではないかと、本気で疑ってしまうほどでした。
ですが、敬愛する──いえ、世界で一番愛しているルーカス兄さまに、そんな情けない弱音を見せるわけにはいきません。
私は、ルーカス兄さまと、あのお邪魔虫のルビィが休暇で帰省してくるたび、
「お兄さま、私は何の問題もなく順調ですよ!」
という風を装い、必死に自分の不手際を隠し続けました。
特に、ルビィの前でだけは絶対に弱気な姿を見せるわけにはいかないのです。
私と彼女は、お兄さまの隣に立つ資格をかけた、生涯のライバルなのですから。
……とはいえ、彼女はお兄さまの正式な婚約者ですし、実力もあって、私より圧倒的に強いのも事実です。
うう、いけないわ。
そんな弱気なことでどうするの、私。
とりあえず私は、お兄さまの前でだけは彼女を「ルビィお姉さま」と呼び、私たちはとっても仲良しですよ、というお芝居を完璧に演じ続けることにしたのでした。
◆
「気のせい……かしら?」
私、ルビィは、今とても大きな困惑の中にいました。
というのも、ルーカスの最愛の妹であるアドミナちゃんから、時折、もの凄く冷たい視線で睨まれているような気がしてならないのです。
ルーカスが一緒にいる時は、それはもう可愛らしい笑顔で「ルビィお姉さま!」と懐いてくれます。
ところが、ルーカスが少しでも席を外した瞬間、彼女の瞳の奥から温度がすっと消え去り、突き刺さるような冷気が送られてくるのを感じるのです。
あからさまに態度を変えるわけではありません。
ですが、確かな敵対の意思がひしひしと伝わってくるのでした。
(私、アドミナちゃんに何か嫌われるようなことをしてしまったかしら……)
実家に帰省するたび、私はそのことで密かに思い悩んでいました。
しかしその一方で、彼女と接していると、時折不思議な感覚に囚われることもありました。
それは、言葉ではうまく言い表せないほどの強烈な親近感──もっと言ってしまえば、「この子は私と同類なのではないか」という奇妙な直感でした。
自分でもよく分からない、胸の奥から湧き上がるもどかしい感覚。
私はアドミナちゃんの姿を見るたび、いつもその正体のつかめない感情に心を揺さぶられるのでした。
◆
そうしてさらに年月が流れ、アドミナも五歳になり、ついに『王立アルテア貴族学院』へ通う日がやってきた。
彼女の学院生活における住まいは、俺の持つ伯爵邸だ。
邸宅では、妹の入学を祝うための歓迎会が盛大に執り行われた。
俺は受験の直前、前世の縁起担ぎとして、我が家の料理人に特製の「カツ丼」を作らせてアドミナに振る舞い、彼女の健闘を祈った。
「お兄さま、私、精一杯がんばってまいります!」
「ああ、応援しているよ、アドミナ」
そして迎えた、試験当日。
これが学院を揺るがす大波乱の幕開けになるとは、この時の俺は、まだ夢にも思っていなかったのである。
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