第七話 邪神の復活と絶望の波
邪神サザランド・レギオンが人界へ出現した際に解き放たれた禍々しい邪気は、天界、人界、楽園界の三界全土を激しく揺るがした。
天界に集っていたルーカス、エルビィ、ガイ姐さん、最高管理神ゼクティス、母神ルミナリア、そして居並ぶ神々までもが、その不穏な波動に震撼していた。
ゼクティスは神色を深め、厳かに問いかける。
「これは一体何事じゃ? 下界で何が起きておる?」
そこへ空間を割って、天竜八部衆の緊那羅衆を率いる長、ステルク・マルワールが姿を現した。
「エルビィ様! 人界に展開していた影部隊より緊急報告です! プロト帝国跡の大穴より、邪神と思しき不気味な存在が這い出てきたとの報が入りました!」
「邪神……!? 一体どんな姿をしているの?」
「はっ……ただちに視界映像を共有いたします!」
ステルクが手をかざすと、空中へ光の映像が映し出された。
そこに浮き彫りになったのは、頭部から二対の角を生やした不気味な老人の上半身と、ブヨブヨとのたうつスライム状の下半身を持つ異形だった。
そしてその泥のような肉体をよく見れば、無数の人間の顔がひしめき合って呪詛を吐き捨てている。
直後、老人の口から悍ましい声が漏れ出た。
『ワ……ワレコソハ……セ、セカイノ、シハイシャナリ――』
映し出された異形を凝視していたゼクティスが、ふと眉をひそめた。
「……あれは、サザランドではないか? 角が生えて老いさらばえておるが、面影がある。それにあの尊大な声……間違いない、サザランドじゃ」
ルーカスは瞳を鋭く光らせた。
「地獄の深淵に叩き落としたはずが……プロト帝国跡から這い上がってくるとは」
エルビィが即座に戦意を剥き出しにする。
「今は理由を考えるより、奴を叩き潰すのが最優先よ」
だが、ガイ姐さんが冷静に制した。
「待ちなさい。その前に奴の能力を見極めないと。無策で突撃しては、悪戯に戦力を消耗させるだけよ」
エルビィは前を向いたままステルクへと問いかける。
「ステルク、奴の能力に関する情報は入っている?」
「はっ! プロト帝国跡に駐屯していた人界の各国部隊が、最高峰の攻撃魔法や神聖術で迎撃を試みましたが……術の詠唱による一瞬の隙を突かれ、ことごとく同化・吸収されたとのことです」
「天竜八部衆の面々は動かせるかしら?」
「……長たちは未だ神の領域への進化に身体が馴染んでおらず、各衆の副長以下も同様の状況です」
「……くっ、八部衆は動かせないわね」
苦虫を噛み潰すエルビィに、ルーカスが頷いて応える。
「いや、下手に八部衆を動かして同化や吸収を許せば、さらに手が付けられない事態になる。これでいいんだ」
「ルーカス、何か策があるの?」
「少数精鋭で挑むのが最善だと思う。無尽蔵の増殖に対しては、エルビィの『断絶する緋色の刻・改』が効果的だ。あとは、サザランドを地上に縫い付けて足止めし、その隙に俺が神槍グングニルで奴の核を撃ち抜けば――」
その言葉を聞いたガイ姐さんが、進み出た。
「ルーカスちゃん、サザランドを大地に縫い付ける役、この私に任せてもらえないかしら?」
「ガイ姐さん……何か確実な策があるんですか?」
「私は豊穣の神であると同時に、大地の象徴でもあるの。奴が完全に地上へ躍り出た瞬間を狙えば、私の権能で大地そのものに縛り付けることができるわ」
「……心強いです、ガイ姐さん。ありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早いわよ。……それで、ステルクと言ったかしら。奴はもう大穴から完全に抜け出したの?」
「いえ、未だです! 大穴のフチに爪を立て、へばりつくようにして蠢いています!」
「そう、厄介ね……。完全に地上へ出てきてくれさえすればこちらの領域だから、どうとでも仕留められるのだけれど」
その時だった。空中映像の邪神が、天界まで届くほどの咆哮を上げた。
『ル、ルル……ルーカスぅ……ゼ、ゼゼ……ゼクティススス……! ワ、ワレハ……サザランド・レギオン……! シンノ、シハイシャナリィィィッ!!』
ゼクティスが不快そうに鼻を鳴らす。
「サザランド・レギオン……それが今の奴の名か。しっかりと指名されたのう」
「ええ。奴を地上へと引きずり出す囮役と、最後のトドメは俺がやります」
「儂も行くぞ、ルーカスよ」
「ですがゼクティス様、万が一のことがあれば……」
「心配はいらん。まだまだ現役の力を見せつけてやろう」
そこへルミナリアも優しく微笑みながら寄り添った。
「それなら、私も陰ながら助力するわ」
「ルミナリア様まで……」
「光を司る私の権能なら、邪気を払う役に立つでしょう?」
「……分かりました。では、我ら五柱で対処しましょう」
その決断を見ていた周囲の下級神たちが、慌てて声を上げる。
「そ、そんな! たった五柱だけで挑むなど無茶です! 我らもお供を――」
言いかけた神々を、ガイ姐さんが冷ややかな視線で一蹴した。
「悪いけれど、今のあなたたちじゃ足手まといなのよ。下手に吸収されて奴の力を増させたら、目も当てられないわ」
「な、ガイアルド殿! それは余りにも我らを見下すような――」
「じゃあ聞くけれど、あなたたちに奴の吸収を防ぐ具体策でもあるの?」
「ぐっ……」
「そういうこと。じゃ、行ってくるわね」
ガイ姐さんはそう言い捨てると、人界へと続く神聖な空間の門を開き、迷わず飛び込んでいった。
◆
門を抜け、降り立った人界の空中にて――。
「ガイ姐さん、さっきは悪役を買って出てくれてありがとう」
「あら、ルーカスちゃん、何のことかしら?」
「他の神々が参戦しようとしたのを、言葉を荒らげて止めてくれたことだよ」
「ただの本音を言っただけよ。気にしないで頂戴」
「……フッ、分かったよ」
「それより、もう見えてきたわよ。プロト帝国跡の大穴が――」
遠方の地平に見える巨大な異形を見上げ、エルビィが眉をひそめる。
「映像で見た時よりも、さらに肥大化しているわね……」
ゼクティスも表情を険しくした。
「ふむ。どうやら周辺に駐屯していた人間の部隊を、すべて喰らって力を増したようじゃな」
その時――異形の巨躯から、割れ鐘のような怒号が響き渡った。
「ミツケタぞ……ルーカスぅぅぅ……! ゼクティスぅぅぅ……っ!!」
邪神サザランド・レギオンが、こちらを完全に捕捉した。
「俺が先行します!」
ルーカスは疾風となって急降下し、サザランド・レギオンの至近距離まで肉薄する。
間近で見るその姿は、映像など比較にならないほど悍ましく狂気に満ちていた。
次の瞬間、無数の人間の顔が蠢く巨躯から、極太の泥の触手が高速で伸び、ルーカスを丸呑みにせんと襲いかかる。
――ズバッ!!
直一線に閃いた鮮血のような紅の斬撃が、迫る触手を一閃のもとに切り刻み、飛散させた。
「エルビィ! 助かった!」
「『断絶する緋色の刻・改』は有効みたいだけど、絶対に油断しないで、ルーカス!」
こうして、世界を賭けた極限の決戦の火蓋が切り落とされた。
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