第六話 這い上がる者
――時間は少しばかり遡る。
知恵と魔術の神であったサザランドは、底知れぬ地獄の深淵をあてもなく放浪していた。
「何だ、ここは……!? 知恵と魔術を司るこの儂ですら、見たことも聞いたこともない場所だというのか!?」
そこは、無数の亡者たちが隙間なく蠢く、悍ましい呪詛に満ちた世界だった。
見渡せば、そこには二種類の存在しかいない。
亡者に容赦なき責め苦を与える異形の者たちと、泣き叫びながら苛まれる亡者たちだ。
ある者は巨大な十字架に貼り付けにされ、またある者は口から燃え盛る槍で貫かれていた。
「おやぁ? 新しいお客さんかな。見たところ、異世界ローゲストから堕ちてきた新人のようだね」
禍々しい翼を持つ獄卒が、歪んだ笑みを浮かべて声をかけてきた。
「異世界だと……!? では、ここは一体どこなのだ!?」
「ここは『地球』と呼ばれる世界の地獄さ。ようこそ、深淵の底へ」
「冗談ではない! 儂は今すぐ天界へ戻り、軍勢を引き連れて人界を更地にせねばならんのだ! 手始めに、あの生意気なルーカスを始末せねばならんというのに!」
「ルーカスだって? そう言えば、以前ここへ堕ちてきたローゲストの三人娘も、そんな名前を呪いながら叫んでいたな」
「何……!? ルーカスの奴に、先んじてここへ送り込まれた者がいたのか? して、その者たちは今どこにいる!?」
「この地獄の責め苦をたっぷりと味わった上で、自ら魂を絶って果てたよ。肉体を保ったままここへ堕ちてくるなんて久しぶりのお客さんだったからね、みんな張り切りすぎて弄りすぎちゃったのさ。まあ、魂だけならローゲストへ還ったようだけどね。お前も戻りたいなら、永遠の責め苦を味わい尽くすか、それとも今すぐ自害して魂だけで這い戻るこったな」
「馬鹿なことを言うな! 儂はこれでも知恵と魔術の神なるぞ! 責め苦を受ける気も、自ら命を絶つ気も毛頭ないわ!」
「そうは言うがねぇ。最近、お前の世界の住人が大量に降ってきて、地獄は今、人手不足で大忙しなんだ。神様だか何だか知らないが、お前一人を特別扱いして遊んでやる暇はないんだよ」
「大量の……? それは、まさかプロト帝国の者たちではないか!?」
「よく知っているね。その通りさ。何か心当たりでもあるのかい?」
「それもすべてルーカスの仕業じゃ! あの狂人が、プロト帝国を国ごと丸ごとここに送りおったのだ!」
「ほう……。では、そのルーカスとかいう男のせいで、我々はこんな膨大な仕事を押し付けられ、大変な目に遭っているわけだね?」
「さよう! ローゲストの知恵と魔術の神の名において、断じて間違いなき真実である!」
獄卒はしばし顎に手を当てて考え込むと、不敵に目を細めた。
「なら、お前を会わせてあげたい御方がいるよ」
「何者だ?」
「サタン様。――この地獄を統べる王だ」
◆
そこは『コキュートス』と呼ばれる地獄の最下層、すべてが凍りつく極寒の地であった。
永久氷壁の奥深くに、異形の巨大な影が鎮座していた。
その存在から放たれる異常なまでの圧力は、ローゲストの最高管理神ゼクティスのそれすら遥かに凌駕していた。
「汝が、ローゲストの知恵と魔術の神か。名は」
絶対的な覇気に圧され、サザランドは思わずその場に平伏した。
「はっ……サザランドと、サザランドでございます……!」
「畏まる必要はない。我はサタン。地獄の王だ。……それで? 最近この地獄がひどく賑やかなのは、ルーカスとかいう者の仕業だというのは真か?」
「はい! あの人間上がりの不届きな神が犯した所業に、間違いございません!」
「そうか。ならば、お前に力を貸してやろう。何、大したことではない。ほんの少々、お前の格が上がるだけだ」
「おお……! それでルーカスに、ルーカス・アルマギナに一矢報いることができるのであれば、儂は何でもいたします!」
サタンはしばらくの間、静かに思考を巡らせていたが、やがて邪悪な笑みを浮かべた。
「では、力を授けよう。そして、今もなお空間が繋がっているあの『大穴』からローゲストへと帰還し、ルーカスへその牙を剥くが良い」
「ははっ、ありがたき幸せ! 話の分かる御仁で救われました!」
「何、こちらも『千代田守』という、極めて貴重な人財を失ったのでね」
「ち、ちよだ……まもる?」
聞き慣れない異世界の響きに、サザランドが首を傾げる。
「そうだ。稀代の技術を持つ聖術師だ。彼は我が大切なゲームの仲間だったのだ」
「げ、げーむ……?」
「ああ、数千人が集う仮想世界を旅する遊戯MMORPG Blue Screen Worldの中で、彼は『Aegis』という名で、我が陣営の最前線を守る絶対的な盾を担っていた」
「はあ……」
「だが、ある時を境に彼は忽然と姿を消した。調べたところ、ローゲストの神々に魂ごと拉致されていたのだ」
「……」
「我には、ローゲストの最高管理神に、大切な仲間を奪われたという復讐――いや、意趣返しの動機がある」
「……」
「創造主ヤハウェも嘆いていたよ。大事な盾役を失った、とな」
「……それでは?」
サタンの背後から、無数の怨嗟の声が地響きのように湧き上がってきた。
「あの一撃で堕ちてきた、ローゲストの魂――七千万の軍勢を、お前の肉体にすべて融合してもらう」
「融合……ですか……!?」
「そうだ。プロト帝国の者たちの怨念が、お前をどこまでも強くする。神から――凶悪なる『邪神』へと変質するほどにな」
「……邪神」
「その覚悟が、お前にあるか?」
サザランドは引きつった顔で笑い、ぎらついた目で首を縦に振った。
「ルーカスに、そして最高管理神ゼクティスに一矢報いることができるなら、儂は喜んで邪神にでも何にでもなって見せましょう!」
「よく言った。では、儀式を始めよう」
◆
サタンは興味深そうに、その変貌の儀式を眺めていた。
禍々しく変質し、頭部から二対の鋭い角を生やした、かつてサザランドだったモノ。
もはや、それをサザランドと呼んで良いのかすら分からなかった。
――レギオン。
誰からともなく、そんな言葉が呟かれる。
「サザランド・レギオン。今日からそう名乗るが良い」
「う、うがぁ……っ!」
「もはや、言葉すら通じぬか。さあ、行くが良い、ローゲストへ! お前の呪われた力を見せつけてこい!」
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
異形の大群を従えた化け物は、獄卒たちによって次元の裂け目――あの大穴へと押し込まれていく。
「くくく、成功するも良し、失敗するも良し。いずれにせよ、ローゲストへの極上の嫌がらせにはなるだろう。くくくくく……」
◆
『私は、誰だ……? サザランド・レギオン……? それが、私の名なのか……?』
肥大化した巨体の内側から、無数の人間の顔が浮かび上がっては沈んでいく。
それらは外へ這い出ては怨嗟の声を吐き散らし、また内側へと還っていく。
「るるるるる……かすすすすぅ……っ!」
「憎い、憎い……!」
「痛みが……! 熱さが……っ!」
その呪詛を耳にするたび、身体の奥底から果てしない魔力が湧き出すのが分かった。
『ああ、力がみなぎる……。ローゲストを破壊しろと、すべてを灰にしろと叫んでいる……。ああ、そのための力だ……!』
言葉を失った邪神は、ただ狂気的な破壊衝動に突き動かされ、大穴を這い上がっていった。 そして――。
◆
その頃、ローゲストのプロト帝国跡地――通称『地獄の大穴』では、各国から派遣された連合軍が監視員として駐屯し、厳重な警戒任務に当たっていた。
詰所の防壁にいた兵士の一人が、大穴の底から響く異音に気づいた。
「なあ……何だか地獄の大穴から、妙な声が聞こえてこないか?」
「不気味なことを言うなよ。そんな声、どこに――……いや、聞こえるな」
不穏な囁きは瞬く間に駐屯地全体へと伝播し、場に張り詰めた緊張が走る。
次の瞬間、大穴の底から、より一層はっきりとした地鳴りのような呪詛が響き渡った。
「……ルーカス……、……ゼクティス……!」
「おい! ルーカス様と、主神ゼクティス様の名を呼ぶ声が聞こえたぞ!」
「お、俺も聞こえた! 何だこれは!?」
「本国に至急連絡を――何だと!? 通じない!? 魔導通信が完全に妨害されているぞ!」
「おい、あれを見ろ……っ!」
兵士が指さした先、大穴の淵から這い上がってきたモノを見て、全員が息を呑んだ。
そこにあったのは、二対の角を生やした不気味な老人の顔と、まるで不定形の泥のようにブヨブヨとのたうつ、巨大なスライムのような肉体。
しかし、そのスライムに見えた肉体は、すべてプロト帝国の人間たちの『顔』で埋め尽くされており、それらが激しく入れ替わりながら絶え間なく呪いの言葉を吐き捨てていた。
「ば、化け物だ――! 化け物が出たぞぉ!」
恐怖は一瞬にして広がり、優れた魔導師たちは即座に帝級魔法の呪文を紡ぎ、聖職者たちは一斉に『聖なる光』を放った。
だが、次の瞬間――。
駐屯していた各国の精鋭部隊は、抵抗の術もなく一瞬にしてその姿を消し去った。
正確に言うならば、その邪悪な肉体へと跡形もなく『吸収』されたのだ。
『くくく……力がみなぎるぞ、ルーカス! そしてゼクティス! 手始めに、この忌々しい人界からすべてを掃討してやる……!』
こうして、世界を滅ぼす邪神サザランド・レギオンが地上へと降臨し、全方位に向けて悍ましい邪気を噴出させたのだった。
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