第五話 神々の試練
ルーカス、エルビィ、そしてガイ姐さんの三柱に睨まれ、まさに蛇に睨まれた蛙のように硬直していたジャスティン。
緊迫した空気が流れるその場へ、大声を張り上げて割り込んでくる者がいた。
「戦神ヴァルカヌス、ただいま見参!」
その姿を見たジャスティンは、地獄に仏とばかりに色めき立った。
「ヴァルカヌス! 今までどこへ行っていたのだ!」
「あの女狐に肥溜めへと落とされてな! 風呂に入っても匂いが取れず、六回ほど入り直していたのだ!」
その言葉を聞き咎めたエルビィが、冷たい笑みを浮かべて小首をかしげる。
「ふーん……誰が女狐ですって?」
「誰って、元魔王の――なっ、何故貴様らがここにいる!?」
「あなたたちの傲慢な計画を阻止しに来たに決まっているでしょう」
ヴァルカヌスは悔しげに歯噛みし、声を荒らげた。
「何故だ! 異民族への差別が蔓延る現在の人界を、我々は更地にして再生しようとしているのだぞ! そうすれば差別はなくなり、魔界に避難したドワーフやエルフたちも救われるはずではないか!」
「あなたたちが草木一本生えない更地にした後で、生き残った人間どもと復興しろと言うの? 何故彼らがそこまで人間のために義理立てしなければならないのかしら?」
「ぐっ……それは、それはだな……。共に苦難を乗り越えることで、長年の怨恨が薄れ――」
「お笑い草ね。そんなことでドワーフたちの怨念が晴れるわけがないでしょう。彼らは皆、人間を完全に見限っているのだから。――旦那様と、旦那様に仕える者たち以外の人間はね」
エルビィは誇らしげに胸を張り、言葉を続ける。
「もっとも、旦那様が神の座へ至った影響で、彼に仕えていた者たちは天の御使いへと昇格しているけれどね」
初耳だったルーカスが、思わずエルビィを振り返った。
「えっ、そうなのエルビィ?」
「ええ、そうよ。ついでに天竜八部衆のみんなも、神の領域の力に目覚めたわ。私が真の力を取り戻した時、そうなるようにあらかじめ細工しておいたの」
「馬鹿な! それでは魔界は……!」
「魔界と呼ばないで頂戴。今のあそこは、本当の意味での『楽園界』よ。――身勝手な人族以外にとってはね」
「ぐうっ……! だが、それならば人界を更地にして、その楽園界と一つに統合すれば――」
「余計なお世話よ。楽園界の誰もそんなことは望んでいないわ」
「何故そう言い切れる!」
「神の力とは、信仰する者の数と心の強さによって決まるもの。いまや楽園界のすべての住人の祈りは、私とルーカスに集まっているわ」
「馬鹿な……! では、ガイアルドはどうなのだ!?」
話を振られたガイ姐さんは、そっぽを向いてフンと鼻を鳴らした。
「この場で私が彼らに味方している時点で、私の民の信仰も彼らに集まりつつあるわよ。それに、あなたたちが頼みにしていた人界の者どもすら、天界の『地上リセット計画』を察知して、あなたたちへの信仰を急速に失いつつあるわ。代わりに、新たな神であるルーカスへの信仰が集まっているのよ」
「そんな馬鹿なことが……! だが、一度決定した人界再生計画を、今さら止められるわけがなかろう! なあ、ジャスティン!」
ヴァルカヌスが同意を求めてジャスティンを振り返った瞬間、その目が見開かれた。
ジャスティンの身体に、決定的な異変が起きていた。
その輪郭が、陽炎のように透け始めているのだ。
ヴァルカヌスは血相を変えて駆け寄った。
「ジャスティン! どうしたのだ、その体は!」
「……どうやら、私に対する民の信仰が完全に薄れ、それに伴って神としての存在を維持できなくなっているようだ。口惜しいがな……」
「消えるな、ジャスティン! そう言えば、サザランドはどうした? 奴はどこへ行ったのだ!」
「ヴァルカヌス、残念ながらサザランドは、そこにいる人間上がりの神ルーカスに敗れ、今は次元の狭間を漂っているだろう……」
「馬鹿な……知恵と魔術の神だぞ!? あのサザランドが、人間に敗れたというのか!」
「厳然たる事実だ。異世界の禁忌たる魔術によって、地獄の深淵へと消された」
「な、何ということだ……! それでは……!」
「……実質、我ら二人だけだな。お前が連れてきた軍勢も、もう消えかかっている……」
ヴァルカヌスが驚いて背後を見やると、付き従っていた天の御使いたちの姿が、光の粒子となって次々と
消滅していくのが見えた。
「だが、私はもう限界のようだ……。後を頼む、ヴァルカヌス……」
「ジャスティン! 消えるな、ジャスティン!!」
「……さ……さらばだ……」
微かな呟きを残し、ジャスティンの身体は完全に虚空へと霧散した。
後には、淡く発光する『神の根源』だけがポツンと残された。
「くそっ! ジャスティンの仇討ちだ! 我が直々に、ルーカス、貴様を滅ぼしてくれる!」
激昂する戦神に対し、ルーカスは冷徹な眼差しを向けた。
「あんたは妙にしぶといですね。大方、利権にしがみつく既得権益者や、この混乱を利用して戦争を起こそうと目論む愚かな人間どもの悪しき信仰を、まだ集めているのでしょう」
その時、沈黙を守っていた最高管理神ゼクティスが厳かに声を響かせた。
「ヴァルカヌスよ。汝から戦神の権能を剥奪し、新たにエルビィへと付与する。――エルビィよ、汝は今より、愛と戦の女神を名乗るが良い」
エルビィはパッと表情を輝かせた。
「パパ! ありがとう!」
ヴァルカヌスは驚愕し、ゼクティスを睨みつける。
「そのような勝手な権能の操作、許されるとでも思っているのか!」
「許されるさ。伊達に最高管理神を務めているわけではないからのう」
「ジャスティンが消え去り、法と秩序が機能しなくなった今を狙うとは姑息な! それでも天界の絶対者か!」
「法と秩序の神なら、もうここにいる。まだ本人の承諾は得ておらんがな。――ルーカスだ」
「なっ……! 人間上がりの新参者を、法と秩序の神座に据えるというのか!」
「人界の異民族差別も酷いが、お主の人間差別も相当なものじゃな。ほれ、自身の影が随分と薄くなっているぞ?」
ゼクティスに指摘され、ヴァルカヌスは自身の身体も消えかかっていることに気づき、最後の悪あがきとして叫んだ。
「では、知恵と魔術の神は!? サザランドがいない今、その座は空白のはずだ!」
「それもルーカスに任せようと思っている。サザランドを正面から打ち破ったのだ。後継として、これ以上の適任はおるまい」
ルーカスは一歩前へ出ると、ゼクティスに向かって深く一礼した。
「……法と秩序、ならびに知恵と魔術の神座、謹んで拝命いたします。最高管理神ゼクティス様」
その様子を見ていたルミナリアが、嬉しそうに微笑む。
「ルーカスちゃん、おめでとう。これで後は、可愛い孫の顔が見られたら本当に安心できるわね」
「る、ルミナリア様……それは、その、もう少し待ってください。すべてを片付けた後に……」
エルビィが頬を赤く染めながら、ルーカスの腕にしがみついた。
「まあ! それじゃあ、天界での用事が終わったら、お城で朝まで愛し合いましょうね!」
「それは、まあ、おいおい……。それよりもヴァルカヌス、貴方ももう限界のようですが」
すでに体の大半が透明になっていたヴァルカヌスは、自嘲気味に笑った。
「口惜しいが……受け入れるより他あるまい……!」
無念の言葉を最後にヴァルカヌスも消滅し、その場には二つ目の『神の根源』が残された。
ルーカスは静かにそれらを見つめ、ため息をついた。
「どうやら今回の件は、我々や人界、楽園界ではなく、天界に住む神々にとっての試練だったようですね」
ゼクティスが小さく首を振る。
「そのようじゃな。天界の身勝手な見苦しさを見せた。済まぬな、ルーカス」
「いえ。これ以上、最高管理神様と母神様の顔に泥を塗るような真似を、見過ごすわけにはいきませんでしたから」
「せっかく天界へ来たのじゃ。しばらくはここでのんびり過ごすが良い。お主の作る菓子も、久しぶりに食べたいからのう」
「まあ、あなたったら」
「ルミナリアも、それを楽しみに戻るのを待っておったろう?」
「ええ、もちろんよ。そういうことだから、ルーカスちゃん、お願いね?」
「分かりました。次からはお二柱分、ご用意しますね」
「いっそ、このまま天界に移住しても良いのだぞ?」
ゼクティスの破格の提案に、ルーカスはありがたくも毅然とした態度で首を振った。
「最高管理神様、有り難きお言葉ですが、楽園界の皆を放っていくわけにはいきません。私にとって、彼らは家族同然ですから」
エルビィも父親に向かってベーと舌を出した。
「そういうことよ、パパ。むしろパパとママが、楽園界に移住するか遊びに来てくれればいいのに」
「そうじゃのう。孫の顔を見に足を運ぶのも、悪くないかもしれん」
和やかな笑いが満ちた、その瞬間だった。
突如として、人界の方角から、地響きのようなとてつもない邪悪な波動が鳴り響き、天界の全土を激しく揺るがした。
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